1歩
「本当に、後悔はないのじゃな?」
ヴィンスはレオンに真剣な眼差しを向ける。レオンはその質問の意図が理解できず、ただただ肯定した。
「今のお前さんは、楽しそうじゃ。魔法が好きなのではないのかね? 本当に、いいのかの?」
レオンははっと目を見張り、手元の本に視線を落とした。今自分は楽しんでいたな、ということにやっと気が付く。この本を見て好奇心が刺激されたことは事実だ。自分は根っからの研究者気質なのだと、少し可笑しくなった。
「今更な話かもしれんがの、今まで使えたものが使えなくなるというのは、想像以上に大変なことじゃぞ? オードリーの両親には、2人で手を取り合って生きていくという目的があった。しかしの、今のお前さんはオードリーの人生を優先させておるようにしか見えんのじゃ。レオン、お前さんだって、わしらの仲間なんじゃよ。オードリーの為とはいえ、お前さん1人を犠牲にしたいとは思わないのじゃ。勿論、これがわしらの為にもなるということは重々承知じゃがの」
俯いているレオンに、ヴィンスは心配そうに告げる。しかし、すっと顔を上げたレオンは、吹っ切れたような爽やかな面構えだった。レオンはヴィンスに笑いかけると、皆に聞こえるように声を張る。
「構いません。確かに、魔法について知るのは面白いですが、それよりも私は自由な生き方を望みます。私には薬学の知識があります。これからは、そっちを研究していくのも楽しそうだ」
レオンは深呼吸をすると、今度は少し離れたところに座っているオードリーを見た。何かの意思を示すようにはっきりと、そしていつもより明るい声で名を呼んだ。ヴィンスとの会話が聞こえなかったオードリーは唐突なレオンの宣言に驚いていたが、咄嗟にはい、と返事をする。
「オードリー、俺は、君と同じ世界を見てみたい。君の隣は、安心するんだ。俺が魔法使いでなくなり、素顔を晒して街を歩けるようになったならば、君と一緒に薬屋を営ませてくれないか」
問いかけてはいるものの、その声音は自信に満ち溢れており、未来への希望が感じられた。そして、不安など微塵も感じていないような、晴れ晴れとした顔つきをしている。
オードリーは突然の提案をすぐには理解できず、目をぱちくりとさせてレオンの言葉を頭の中で反芻した。漸くその意味を理解すると、顔を真っ赤に染めた。素直に、レオンもまたオードリーの隣にいたいと思ってくれていることに喜びを感じたのだが、それと同時に、レオンが意図していないとはわかっていても、まるでプロポーズをされているような錯覚に陥いった。
その思考を端っこに追いやりながら、オードリーはこくこくと頷きその提案を受け入れる。オードリーの百面相を楽しそうに見ていたレオンは、オードリーの返事に珍しく心からの笑みを浮かべていた。
「だから、私はこの計画を失敗する訳にはいかないんです。この術を成功させて、研究所の方も解決してみせます」
ヴィンスたちにどこか一線を引いていたレオンが、オードリーを介すと様々な表情を見せる。そんな2人の関係を目の当たりにし、ヴィンスは愛おしそうに2人を眺めた。
きっとこれが、曖昧だった2人の関係がようやく1歩進んだ瞬間だった。




