名
「オードリーは、それでいいんじゃな?」
ヴィンスはオードリーを労わるように優しく見つめる。オードリーに経験はないが、まるで祖父から向けられているかのようなそれに、オードリーの心はほっこりと温かくなった。オードリーは微笑みを湛えると、静かに、けれどもしっかりと頷いた。
「では、早速取り掛かりましょうぞ」
ヴィンスはレナードから杖を受け取ると椅子から立ち上がる。そして、ついてきなさい、とオードリーたちに声をかけ、アンガスを伴いゆっくりとした歩みで外へと向かっていった。遅れないようにと慌てて立ち上がったオードリーの背中に、レオンはそっと手を添える。そして、行こうか、と優しく笑いかけた。
「なあ」
ヴィンスたちの後ろについて集会所を出ようとしたところで、1番後ろを歩いていたレナードが声をかけてきた。なんだろう、とオードリーが歩みを進めつつちらりと振り返ると、レナードはレオンに真剣な眼差しを向けている。
「お前は王都出身か?」
「えぇ」
「そうか……。お前の名は何という?」
レオンは少し考える素振りを見せた。
「では、あなたの名は?」
問に問で返されたレナードは、眉をよせる。
「知っているだろう? レナードだ」
「ええ、そうでしたね。私の名も知っているでしょう? レオンです。あなたと条件は同じでしょう?」
「俺たちには名前しかないが、お前たちには家名があるだろう? それが知りたい。それくらいわかっているだろう?」
レナードは渋い顔になり、その声音には若干苛立ちが混じっていた。レオンはピタリと立ち止まると、はぁと面倒くさそうに息を吐き、くるりと後ろに向き直る。
「それは、必要ですか?」
「必要、という訳ではないが……。家名がわかれば誰の息子かわかるかもしれない」
「では、必要ありませんね。今更父親が誰かなんて、興味がありません」
「いやしかしっ」
「遅れますよ。さぁオードリー、行こうか」
レナードの話を遮り、レオンはその表情に笑みを戻すとオードリーを促した。そして少し距離の離れたヴィンスたちを追うように、前だけを向いて歩き始める。レナードの様子が気になったオードリーはちらりと後ろを振り返る。レナードは前髪をくしゃりと掴み、落ち込んでいるような、それでいて苛立っているような複雑な顔をして立ち止まっていた。
たどり着いたのは、小さな家ばかりの村の中で1番大きな家だった。長老が住むというその家は、図書館や備蓄庫など精霊たちが利用する施設も兼ねているという。代々長老が受け継ぐ書籍を収めた書庫は、長老の居住空間にあった。リビングで待っていると、ヴィンスはその書庫から1冊の本を大事そうに抱えて戻ってきた。
「これじゃの」
パラパラとページをめくり、目当ての項目を探し当てる。それをレオンの前に丁寧に置いた。
「中々に長い呪文ですね。普段は詠唱などしないので、目新しいです」
魔力などいらない、と言っていたレオンだったが、その声はやや高く、心なしか表情も明るかった。なんだかうかれているようにも見える。初めて見る、まるで童心に返ったようなレオンの様子に、オードリーはふふっと笑みをこぼした。
本を読んだりヴィンスと話したりしているレオンを静かに眺めていると、レナードがそっとオードリーの隣にやってきて、その耳元で囁いた。
「レオンの家名を教えてくれないか」
レナードが近づいてきたことに気が付かなかったオードリーは、ビクリと肩を震わせ勢いよく振り返る。レナードはバツが悪そうな顔をして、口元に人差し指を当てた。
「すみません。レオンさんが言う気がないのに、私が言うわけには……」
「そうだよな。いや、悪かったな」
オードリーが申し訳なさそうに返すと、レナードは気にするなというようにオードリーの頭に手をおいた。そしてもう一度オードリーの耳元に口を寄せる。
「エリオット、ではないよな?」
オードリーは目を見開いてレナードを見る。それを見て、レナードは何かを理解したような顔をして空を仰いだ。
「当たり、か」
レナードの言葉で、オードリーは自分の失態に気が付いた。しまった、と後悔したがもう遅い。
レオンさん、ごめんなさい……あんなに嫌がっていたのに……
そう心の中で謝るも、罪悪感が募り落ち込んでくる。オードリーが気落ちしたことに気づき、今度はレナードが慌てた。
「すまない。今のは俺が悪かった。レオンの希望通り親を探したりなどしないから、安心してくれ」
「……絶対ですよ? あと、誰にも言わないでくださいね?」
「ああ、約束する。誰にも言わない」
必死になって謝るレナードを信じ、オードリーは安堵の息をはいた。そして、心の中でもう一度レオンに謝ると、後でレオンに謝ろうと心に決めた。




