残された本
「これはどういうことですかな」
オードリーの部屋では、調査班の面々によって調査が始まった。魔力はダイニングテーブル周辺でしか感知されなかったが、何か怪しいものはないかと大して荷物のない部屋の中をひっかきまわしている。そんな中、1人調査に参加せずレオンたちを睨みつけているチャドが、本が積まれたダイニングテーブルをバンと叩いて声を荒げた。
「私たちにもわかりませんわ」
グレイスは毅然とした態度で答えるものの、その表情からは困惑していることが伺える。
「わからない、じゃ困るんですよ。これはおたくらの責任問題だ。どう責任をとるおつもりか」
チャドはコツコツと机を叩き、苛立ちを抑えようともしない。レオンは責任責任と繰り返すチャドの態度に腹が立ったが、それよりもオードリーが心配でならなかった。本来ならばオードリーが国に仇成そうとしていると考えるべき状況ではあったが、オードリーがそんなことをしでかすとは到底思えなかったし、思いたくもない。グレイスたちの表情からも、誰もそんなことを疑っていないことが見て取れる。
どうするべきかと思案していると、ふとダイニングテーブルに置かれた開かれたままの本に目が留まった。
「オードリーが本を開いたままどこかへ行くなんて、考えられません。本を読んでいるときに何かあったのでは」
レオンがグレイスに訴えると、グレイスは1つ頷いてその本を手に取った。
「おい、勝手なことをしないでもらおうか」
「私たちが嘘をついていないということは、ご自身で確認できるでしょう? あなたも魔法使いなのですから。それに、私たちが確認した方が何かわかる可能性が高いのではなくて?」
グレイスの手から本をひったくろうとするチャドを避けると、グレイスはにこりと笑って反論した。有無を言わさぬ気迫が感じられる。チャドはうっと言葉に詰まると、チッと舌打ちをしてから渋々と言った様子で手を引っ込めた。そして腕を組んでグレイスたちを監視するようにじーっと睨みつける。
「これは……『精霊童話集』ね……。なんでこんな本を読んでいたのかしら? オードリーさんはいつも薬学関係の本しか読まないじゃない。ここに積まれている大半の本もそうだし。これは昨日借りていたの?」
開いていたページに指を挟んでタイトルを確認すると、グレイスは不思議そうな顔をしてその表紙をレオンに見せる。
「ええ。珍しいなとは思ったんですが……。昨日、オードリーがここに来た日のルイス所長の話を思い出したみたいで。しかし司書も探すのに手間取るくらい、認知度の低い本でした」
「そういえば、そんな話をしていたわね。ええと、開かれているページは……」
グレイスの周りを第三研究室の面々で囲い、その本をのぞき込む。しかし、そこにはやはり童話が書かれているだけで、全員が首を傾げた。グレイスは困ったようにため息をつく。
「オードリーさんがうっかり何かを呼び出したのかとも思ったけど、魔力もない子がそんなの無理よね。これもただの童話だし。でも、オードリーさんが攫われる理由も思いつかないわ」
「そいつが悪意を持って我々に害をなそうとしているに決まっている」
ふんっと鼻を鳴らしてチャドが口を挟んでくる。誰もそれを相手にせずにいると、チャドは再度舌打ちして口を閉ざした。
レオンはグレイスに声をかけて本を受け取り、開かれたページを忘れないように確認してから、その童話を頭から読み始めた。見たことも聞いたこともない話だったが、精霊の容姿の記載を目にした瞬間、どきりと心臓がなった。
こんなのは、作り話だ。偶然だ、偶然……
心を落ち着かせようと深呼吸をしてから、気持ちを切り替えて続きを読み進める。すると、今度は別の1文に目が留まった。
「ミラー室長、この行を見てください。『精霊たちは月を浮かべた泉の水しか口にしない』と書かれています。ルイス所長が話していたことですよね。オードリーはこれを探していたんじゃないでしょうか」
「そう言えば、そんなことも話していたわね。とりあえず、この話を読んでみましょうか」
グレイスはレオンから本を取り上げると、レオンたちに聞こえるくらいの小声で、やや早口になりながらその短い物語を音読し始めた。皆真剣にその言葉に耳を傾ける。一通り読み終わると、グレイスはふうと息を吐いた。
「ねぇ、室長。『レナード ノストルム アミキティア』ってところなんだけど、口に出さないといけない呪文なんてあったっけ?オードリー、この呪文で精霊呼んじゃったんじゃない?」
疲れ気味のグレイスとは対照的に、アビーはとても楽しそうに笑いながらグレイスに問いかける。グレイスは呆れた様子でアビーを見やる。
「あのねアビー、これは童話なの。フィクションなのよ。そんな呪文は聞いたことがないし、精霊を呼んじゃったなんて、あるわけないでしょう。私たちも今声に出したけど、そんなものどこにも出てきていないでしょう?」
アビーはグレイスの回答にごめんごめんと軽い感じで謝ると、興味が精霊に移ったようで、『精霊童話集』の隣に置かれていた『精霊童話の歴史』を手に取ってページをめくり始めた。グレイスは呆れたような顔で軽く首を横に振ると、アビーを放ってモーリスたちとあーでもないこーでもないと話し始める。
その横で、レオンは童話の内容で頭がいっぱいになっていた。精霊の容姿のこともだが、それ以上にアビーが気にしていた呪文のことが心に引っかかっていた。何故かと問われるとただなんとなくとしか言いようがない。しかし、ただの童話だ、あり得ない、とは思いながらも、どうしても気になってしまう。
レオンは衝動にかられ、グレイスたちにも聞こえないくらいの小さな声で、その言葉を呟いてみた。
「レナード ノストルム アミキティア」
するとレオンの隣が一瞬淡く光り、強大な魔力を放出した。レオンだけでなくその部屋にいたもの全員がすぐに身構える。光が消えると、そこには20代半ばの男性が呆然と立っていた。
「またかよ!」
男性はそう叫ぶと辺りを見回し、皆が自身を警戒していることを確認するとため息をついた。そして隣に立つレオンを目にとめると、何かを理解したように何度も頷いた。
「そうか、今度はお前だな。これは間違いようもない。一緒に来てもらうぞ」
レオンは男性の言葉の意味が分からず顔を顰める。すると、その一瞬油断した隙に手首を掴まれた。
しまった……!
そう思って振りほどこうとしたものの、次の瞬間には男性と2人見知らぬ森の中に立っていた。




