第三研究室
昨日入った『第三研究室室長室』の1つ奥にある、ドアノブのない扉の前で3人は立ち止まった。『第三研究室』とプレートがついている。レオンが前に出るのを制し、ブラッドリーは扉の前で息を整えている。中々入る様子がないため、レオンはこそっとオードリーに耳打ちをしてきた。
「ここが第三研究室だ。室長以外に俺とブラッドリー、それとあと3人が所属している。変人ばかりだから、覚悟しておくといい。室長は隣の室長室にいることが多いんだが、今はこちらにいるみたいだな」
コンコンコンっと軽快に扉を叩く音が聞こえた。オードリーが視線を向けると、ブラッドリーが緊張した面持ちで扉に向かって手をあげていた。
「ブラッドリーっす。レオンさんとオードリーさんを連れて来たっす」
「早く入りなさい」
ブラッドリーが扉に掌を当てると、扉がゆっくりと手前に動いた。手を使って大きく開け、ブラッドリーはレオンとオードリーに入室を促す。中に入ると、手前にある応接台にグレイスが座っていた。その奥には大きな机と椅子のセットが複数並んでおり、左右の壁には3つずつ扉が付いている。
「ブラッドリー、ここではノックする必要はないのよ?」
グレイスが呆れた様子でブラッドリーを見る。ブラッドリーはひきつった笑みを浮かべた。
「だ……だって、ミラー室長、レオンさんたちが遅いってイライラしてたじゃないっすか。だから入るのに勇気がいったんすよぉ」
「なあに? 私が怖いの?」
「そういうとこっすよぉ」
2人のやり取りを余所に、レオンはグレイスの背中を押してソファに座らせた。そして自身も隣に腰かける。するとグレイスもオードリーの方を向いてにっこりと笑った。
「おはよう。オードリーさん。昨夜はよく眠れたかしら?」
「おはようございます。グレイスさん。ええ、おかげさまで」
オードリーが微笑むと、グレイスははっと目を見張った。そしてソファから立ち上がり、オードリーの前に跪く。
「あらやだ。本当に瞳の色が緑色ね。えぇぇ。本当にこんなことがあるなんて。でもやっぱり、オードリーさんから魔力は感じないわねぇ」
グレイスはいきなりオードリーの顔を両手で包んでじーっとのぞき込んできた。そしてそのまま、頭や肩、腕などを触って何かを確かめている。オードリーが驚き固まっていると、レオンがグレイスの手を掴んだ。
「ミラー室長、そのくらいで。オードリーが驚いています」
「あらやだ。私ったら、つい。オードリーさん、ごめんなさいね。とりあえず朝食にしましょうか。お腹すいたでしょう?」
グレイスがブラッドリーに目配せすると、ブラッドリーはいそいそと食事の準備を始めた。
「うちは9時始業なの。他に3人研究員がいるから、全員が集まったら今後のことについて話すわね。それまでゆっくりしていてちょうだい」
グレイスはそう言うとさっそく食事に手を伸ばす。パンと温かいスープだけの簡単なものだったが、オードリーが普段食べているものよりずっと良い品だった。
食後のお茶を飲んでいると、先ほどオードリーたちが入ってきた扉から1人の女性が入ってきた。幼さの残る顔立ちで、歳はオードリーと同じくらいに見える。黒いローブを身に纏い、茶色の癖の強い長い髪は無造作に跳ねている。翡翠色の目は眠たそうで、その瞳を瞼が半分隠していた。
「あれ? 室長? 珍しーい。おはよーございまーす」
その女性はソファを通り過ぎて、机の1つに荷物をおろす。そこが彼女の自席のようだ。椅子に座り、ソファに集まるオードリーたちをみると、彼女は表情を変えずにコテンと首を傾げた。
「あれー? 知らない人がいるや。室長、その人だあれ? 新人さんー?」
「この時期に新人が来るわけがないことくらい、わかるでしょうに」
グレイスは呆れたような顔で、彼女を手招きして呼び寄せた。
「アビー、こちらはオードリー・クロムウェルさんよ。で、オードリーさん、こちらはアビー・ハル。気づいているかとは思うけど、この第三研究室の一員よ」
「よろしくお願いします、アビーさん」
「ん……よろしく」
オードリーが手を伸ばすと、アビーは相変わらずの顔のままそっと握り返してくれた。しかし、すぐに離してグレイスの方を向く。
「室長、オードリーさんって何の人?」
「それはモーリスとジェフリーが来たら話すわ。それまでちょっと待っていてちょうだい」
アビーは頷くと、先ほどの椅子に座り直し、ぐでんと机に突っ伏した。そしてそのまま目を瞑る。するとすぐに寝息を立て始めた。
「気にするな。アビーはいつもああだ」
唖然としてアビーを見つめるオードリーに、レオンは笑いながら言った。
キィっとまた扉の開く音がして、30代半ばくらいの体格のよい大きな男性が無言で入ってきた。身につけた黒いローブは大きく、オードリーがすっぽりと入ってしまいそうだった。兵士と言われた方が納得するほど強面で、青い切れ長の目に短く刈り上げた茶色の短髪は、彼の人相の悪さに拍車をかけている。
「お、おはようございます」
その後ろから、小さな声がしてもう1人入ってきた。茶色、というよりは金色に近いふわふわの短い髪に、クリッとした翡翠色の大きな瞳。中性的な顔立ちで、女性なのか男性なのかオードリーにはわからなかった。それに、オードリーよりも年下に見える。しかし、背はオードリーより高く、黒いローブを身につけていた。
その時、9時の鐘が鳴った。
「さて、そろったわね。3人はソファのところまで来なさい」
グレイスは寝ているアビーを起こし、部屋に入ってきたばかりの2人を集めると、オードリーに席を立つよう促した。
「まずは、こちらはオードリー・クロムウェルさん。ヴォレンティーナの薬師さんよ。どうしてここにいるのかは、2人を紹介してから説明するわね。さて、オードリーさん、この大きいのがモーリス・ブーリン。この小さいのがジェフリー・ハルフォードよ。これで第三研究室のメンバーが全員揃ったわ」
可愛らしいとは思ったが、小さい方は男性のようだった。魔法使いとして働いている時点で18歳を確実に超えているためオードリーは驚いたが、顔に出さないよう努めながら笑顔を作る。
「よろしくお願いします。モーリスさん、ジェフリーさん」
「ああ」
「よ、よろしくお願いします。……オ、オードリーさん」
モーリスは愛想のない顔で淡々としていたが、ジェフリーはおどおどした様子でもごもごと挨拶をする。アビーは相変わらず眠そうな顔であくびをしながら立っており、オードリーはレオンが『変人ばかり』と言った意味を理解した。