夕食
「とりあえず、一度私の執務室へ戻りましょう。ブラッドリーは食堂へ行って、食事を4人分貰ってきてちょうだい」
「了解っす」
所長室を出ると、グレイスはレオン、ブラッドリー、オードリーに指示を出した。その言葉に従い、ブラッドリーは足早に立ち去っていく。レオンはオードリーと同じようにフードを被り、それを見たグレイスも納得したように頷くとフードを被って歩き始めた。
オードリーは2人に遅れないよう、俯きながらも早歩きでついていった。階段を下りてしばらく歩くと、2人が急に扉の前で立ち止まる。グレイスの執務室のようだ。
先ほどこの部屋へ来た時には気が付かなかったが、扉には『第三研究室室長室』と書かれたプレートが付いていた。
グレイスがドアノブの横にある鍵穴に鍵を差し込む。ガチャリと音が鳴り、グレイスはドアノブを回して室内へと入っていった。それに続き、レオンとオードリーも入室する。
「オードリーさん、もうフードをとっても大丈夫よ。そこのソファに座ってちょうだい。夕食をとりながら、少しお話ししましょう」
グレイスはオードリーに向かって微笑むと、自身もフードを脱いでソファに座り込んだ。その隣にレオンが座り、オードリーはグレイスの向かいに腰かけた。
「先ほどは、瞳のことで驚いてごめんなさいね。気を悪くしたでしょう」
「いえ、とんでもないです。いつものことですから。気になさらないでください」
グレイスの言葉にオードリーが両手を振ると、グレイスは申し訳なさそうに笑った。
「いいえ。あれは私とルイス所長が悪いのよ。その瞳はオードリーさんの個性よ。もっと怒っていいわ」
オードリーにとって、自分の瞳のことで相手から謝られたのは初めてのことだった。そのため、オードリーはグレイスの言葉に驚き、何を言われたのかすぐにはよくわからなかった。
個性だなんて、初めて言われたわ。それに、怒っていいだなんて……
オードリーはグレイスの言葉をやっとのことで理解すると、嬉しそうに顔を赤らめた。
「ありがとうございます、ミラー室長」
オードリーが思わず俯き、恥ずかしそうにそう言うと、グレイスは柔らかな笑みを浮かべた。
「ミラー室長はやめてちょうだい。オードリーさんは部下でもなんでもないんだし、グレイスと呼んで欲しいわ。それに、そんなに畏まらなくていいのよ。これから一緒に生活するわけだし、仲良くやりましょう」
「はい。よろしくお願いします、グレイスさん」
「ええ、よろしくね」
恥ずかしそうに顔を上げたオードリーに、グレイスは笑ってそう答えると、優しい口調で話を続けた。
「さて、まずは今日から生活をしてもらう部屋のお話ね。今いる棟の隣の棟が研究所の宿舎になっているの。私の部屋の隣が空いているから、そこを使ってもらおうと思っているわ。丁度住人が出ていったばかりで、掃除したてなのよ。夕食を取ったら行きましょうね」
「はい、ありがとうございます」
その時、扉を叩く音が聞こえた。それからブラッドリーの声が聞こえ、グレイスが入室の許可を出す。しかし、なかなか入ってくる気配がない。レオンが仕方なさそうに立ち上がり、扉を開けに行った。扉の向こうには、両手で紙袋を抱えたブラッドリーが立っていた。
「レオンさん、俺が夕食を取りに行ったこと知ってるっすよね?扉くらいあけてくださいよ。両手がふさがってるんすから」
「じゃあどうやって扉を叩いたんだ」
「足っす」
「お前なぁ。とりあえず早く入れ」
ブラッドリーの言葉にレオンは呆れながらも、扉を抑えて入室を促す。部屋に入ると、ブラッドリーは抱えていた紙袋を机の上に置いて中身を取り出す。それぞれの前にパンを1つと容器を2つ、それにスプーンとフォークを置いた。
「ご飯貰ってきたっす。丁度込み合ってる時間だったから嫌な顔をされたっすけど、ミラー室長の名前を出したらすぐに用意してくれたっすよ」
「全く。余計なことしてくれたわね、ブラッドリー。しばらく食堂に行くのやめようかしら」
嫌そうな顔をして文句を言うグレイスを、ブラッドリーは笑って受け流し、オードリーの隣に腰かける。そしてスッとオードリーに近づき、笑いながら耳元で囁いた。
「コック長がミラー室長に惚れてるんすよ。ミラー室長は相手にしていないっすけどね」
「ブラッドリー、余計な事言わないの」
ブラッドリーが何を話しているか気づいたようで、グレイスの鋭い声が飛んでくる。ブラッドリーはグレイスの様子に肩をすくめると、オードリーに笑いかけてからソファの端へと移動した。グレイスはコホンと1つ咳払いをしてから、3人を見回して言葉を続けた。
「それではいただきましょうか」
グレイスの言葉を合図に、レオンとブラッドリーが容器のふたを取る。中から湯気があがり、美味しそうな香りが漂った。
オードリーは2人の真似をして、恐る恐る容器のふたをとる。1つの容器には野菜のスープが入っており、もう1つの容器には鶏肉と野菜を焼いたものが入っていた。
「オードリーさんは、この容器を見るのは初めてかしら?」
「はい。こうやって食事を運ぶのですね。今まで住んでいたところでは、食事処で食べるか、家で作るかしかありませんでしたから」
「この容器を使っているのは、お役人や研究職みたいに仕事に明け暮れている人が多いでしょうね。それに、保温するために魔法を組み込んでいるから、高価であまり出回っていないのよ」
「これも魔法なんですね」
「これからここで生活すると、色々目にすることもあるでしょう。気になることは遠慮せず私たちに聞くといいわ。答えられることは答えるから」
容器を見ながら驚いているオードリーに、グレイスはやはり笑って言った。レオンとブラッドリーもオードリーを見て微笑んでいる。そしてそのまま、夕食は和やかな雰囲気で進んでいった。