オードリー
ヴォレンティーナの町の大通りから一本入った路地裏にある小さな薬屋では、店主であるオードリーが、いつものように本を読みながら座っていた。茶色く長い髪を後ろで1つにくくり、翡翠色の瞳は字をひたすらに追っている。閑散とした店内はいつものことで、オードリーは開店時間の大半を読書に費やしていた。
ここヴォレンティーナは、マイカ王国の王都から馬車で5日ほどかかる場所にある、そこそこ大きな宿場町である。この薬屋は、オードリーの薬の師であった父が亡くなった後、旅をして移り住んできたこの町で、オードリー自身が開いたものだ。
最初は余所者の売る薬として怪しまれたものの、髪と瞳の色がマイカ王国の民であることを如実に表していたことと、試しにと買った薬が良く効いたと評判になり、店を構え続けることができた。
1階部分が薬屋と作業場で、2階部分が自宅となっており、薬草摘みや買い出し以外で外に出ることはほとんどない。毎日暇さえあれば薬学書を読み、店じまいをすると薬の調合や開発をするのが、オードリーの日課だった。
あれ、おかしいなと思ったのは、喉の渇きを覚えてお茶を飲もうと立ち上がった時のことだった。いつもこのくらいの時間に、腰痛持ちのおばあちゃんが薬を買うついでにお茶をしに来るのだが、今日はまだ来ていない。それに、今日は花屋の息子が、胃痛持ちの父親の薬の受け取りにくるはずなのに、こちらもまだ来ていない。
この2人以外の客も、普段より少ないようだった。
今日、何かあったかしら?
いくら考えてもその答えは一向に浮かんでこなかった。そもそも、オードリーは薬のこと以外には興味もなく、生まれた時から住んでいるはずのこの国の建国祭の日でさえ、覚えていたためしはない。
日のあるうちに受け取りに来てくれるといいんだけれど……
お茶を淹れ、渇いた喉を潤すと、オードリーは再び本へと目を向けた。結局、この後客が訪れることはなく、日が暮れ始めて本が読みにくくなってきたところで、オードリーは店を閉めることにした。
扉にしっかり鍵をかけ、窓のカーテンを全て閉めると、机の上の蝋燭に火を灯した。