嘘
翌朝、オードリーは目覚めの鐘の音で目が覚めた。昨日は遅くまで起きていたため、寝た気がせず、頭がスッキリとしない。
しばらくベッドの上に座ったままぼーっとしていたが、むくりと起き上がると、ゆっくりと朝の支度を済ませた。その後朝食をとり、オードリーは1階へと移動した。
マイカ王国内の多くの町では町の中心に大きな時計塔を配置し、町民に時間を知らせている。
ヴォレンティーナの町にも、例にもれず町の中心部に大きな時計塔がある。そこから、町全体に聞こえるように、時刻を伝える鐘を鳴らすのだ。
多くの町民は、時計塔を見ることなく、この鐘の音で時刻を把握する。
午前6時から午後6時まで1時間置きに鐘が鳴り、午前6時には1回、午前7時には2回、午後6時には12回と、鳴る回数で時刻がわかるようになっている。その中で、午前6時、正午、午後6時の3回は、それぞれ目覚めの鐘、お昼の鐘、終わりの鐘と呼ばれている。
オードリーはいつものように椅子に座って本を読み、10時の鐘が鳴ると、バスケットを持って外に出た。薬屋のドアに、『本日臨時休業』と書かれた紙を貼り、そのままパン屋へと向かう。
パン屋までは徒歩2、3分といったところだが、その間チラチラとオードリーを好奇の目で見ている者が多くいた。
昨日の夕方にレオンとブラッドリーが薬屋に現れた時、店の周りには人だかりができていた。おそらくレオンから、この薬屋は問題なし、と聞かされているため、魔法使い様とどんな会話をしたのか聞きたいのだろう、とオードリーは考えた。
その視線を無視して歩き、パン屋の扉を開けると、チリンチリンと綺麗な鈴の音がした。
「おはよう、サマンサさん」
「いらっしゃい。あらオードリー、一昨日は息子がごめんなさいね。薬の受け取りを忘れるだなんて……」
「大丈夫よ。昨日、開店と同時に急いできてくれたわ。ごめんなさいもきちんと言えて、いい子ね」
「そう言ってくれるとありがたいわ。今日も同じパンでよかった?」
「えぇ。お願いします」
パン屋の奥さんのサマンサが、すぐにバゲットの用意を始める。その後ろでは、旦那さんのアドニスが黙々とパンを作っている様子が見えた。
パンを受け取る時、サマンサは心配そうな顔でオードリーに尋ねた。
「昨日は大丈夫だった? 魔法使い様がオードリーの店に入っていったらしいじゃない」
「大丈夫よ。全ての薬屋に入ったそうで、私の店だけのことではなかったもの。それでも、緊張しちゃったわ」
オードリーが笑顔で答えると、サマンサも安心したように笑顔になった。
「問題なしと魔法使い様がおっしゃっていたことは耳にしているわ。でも、そうよねぇ。緊張するわよねぇ」
「えぇ。初めてのことですもの。だからね、今日は1日臨時休業にして、休もうと思うの」
「それがいいわよ。オードリー、あなた働きすぎよ。この1年で休業した日は1日もないじゃない。少しくらい休んだって、バチはあたらないわ」
今日はのんびりしてね、と言ってサマンサはオードリーを笑顔で見送った。
そのまま、オードリーは近くのシャルキュトリへと向かう。店内に入ると売り子のベティに挨拶をし、生ハムを注文した。会計をする時、ベティは興味津々といった様子でオードリーに尋ねてきた。
「ねぇ、オードリー。魔法使い様とどんなお話をしたの? 魔法使い様のお声はどんな?」
「大した話はしていないわ。淡々と仕事をされて、帰っていかれただけよ。声は……そうねぇ。お若い声だったわね」
その返答を、ベティは目をキラキラさせながら聞いていた。
「いいなぁ。私もお話してみたい」
「自分のお店にお仕事で来られると、何かあるんじゃないかと怖くなるわよ。すっごく緊張もしたわ」
ベティのうっとりとした様子に、オードリーは苦笑しながら返した。
「それでも羨ましいよ。魔法使い様なんて、雲の上の方々じゃない。ねぇ、今度もっと詳しく教えてよ。売り子のない日、薬屋までお茶しに行くわ」
そう言って笑うベティに、オードリーはいいわよと頷いた。そしてベティに見送られ、オードリーは自分の店へと戻ると、そのままカウンターの上にバスケットを置いていつもの椅子に座り込んだ。
おそらく、サマンサは隣の花屋の奥さんに、先程の話をするだろう。すると、オードリーが緊張して疲れたから今日は臨時休業なのだと、すぐに噂が広まるはずである。
そこまで考え、オードリーはため息をついた。できる限り怪しまれないように生きていくため、笑いながら嘘をつく事に慣れてしまった。それもどんどん上達してきていることが、オードリー自身よくわかっていた。
ベティとだって、実現できないことを約束してしまった。
私は、一生人を騙しながら生きていくしかないのかしら……
そう思うと、悲しくなってくる。サマンサは、オードリーの薬を1番信用してくれているお客さんで、オードリーとも仲良くしてくれる大切な人だ。ベティはオードリーが買い物に行くと声をかけてくれ、時々薬屋にお茶をしにきてくれる友達だ。
こんな瞳さえなければ……
そう考えたことは何度もあったが、今回はその気持ちがいつもより強く、目から涙が溢れてきた。2年前までは父に守られた世界がオードリーの全てだったが、ヴォレンティーナの町は初めて1人で見つけた居場所だった。
昨夜は、簡単に出て行こうと決意したが、サマンサやベティに会ったことでその心が揺らいでしまった。この町に、町の人たちに愛着があったのだと気づき、なかなか涙が止まらなかった。