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風薫る冬薔薇の宴  作者: 時田柚樹
8/9

Fact Constituting The Charged Offense ー罪となるべき真実ー


 全てが終ろうとしているその日、ローズ・ガーデンへ足を運んだ私とまりん、そしてロデムは、庭師の三上さんに話を聞くべく薔薇園を歩いていた。

「おはようございます」

 三上さんは、新たにフェンスを取り付けていた。

「おはようございます。今日は日曜大工ですか?」

「ははは、日曜じゃないですけどね」

 白く塗られた杭と縦板を手に楽しそうだ。

「これにも薔薇を巻きつけるの?」

「そうです。黄色の薔薇をイメージしているのですが。お嬢さん、どう思われますか?」

「うーん。そうね、出来ればその白い色がもう少し、くすむといいのにね」

 三上さんは、まりんとの薔薇談議に嬉しそうに目を細めている。

「1年も経てばいい感じになると思われますので、来年も見に来てくださいね」

「5月に来たいわ」

まりんは、ロデムとその場を離れた。生々しくなるであろう話を聞かせたくなかったから、前もって言っておいたのだ。後でかいつまんで話す約束をして。

「今日はお聞きしたいことがあって、あなたを探していたのです」

「なんでしょう?」

 訝しげに手を止めて、木材を下へ置く。

「あなたと三重子おば様のことについて、です」

 三上さんはハッと目を見開き、つばを飲み込んで、すぐにうつむいた。

「本当なのですね」

 私は首を縦に振らせた。

「奥田先生に愛人がいたことは?」

「気づいていました。私も彼女も。ただ、それをオーナー自身が知っているかはわかりません」

 私は頷いた。

「……奥様はいつも私のことを気にかけてくださって、この庭園もご覧の通り、自由にさせてくださいます」

 一息つくと、心に溜まった想いを吐き出した。

「私は奥様のことを、三重子さんのことを愛しています。彼女も同じ気持ちでいると言ってくれました。私には、オーナーのようなお金も地位もありません。……それでもいいと彼女は言うのです。私の造る庭で、花に囲まれてお茶を飲みたいのだと。ありきたりかもしれませんが、彼女を大切にしたいと思っているのです」

 三上さんは笑み栄えていた。これ以上の幸せは知らないというような満面の笑みだった。

「大切にしてやり」

 いつの間にか背後に佇んでいたロデムが、私の肩に乗って声を出す。三上さんは私が言ったものと思い、ありがとうございます、と頭を下げた。

 それから、おばあ様お気に入りの部屋で昼食をとり、くつろいでいると、啓司さんが現れた。

「まりんちゃんの言った通りだったよ」

 まりんが何を言ったのかは知らないけど、啓司さんの顔は刑事の顔になっていた。


ーーーー◇ーーーー 


灯点しころ、ローズ・ガーデン薔薇園の一角に、狭きながらも月を愛でるスペースを用意した。

 多少寒さが気になるので、不釣り合いではあるが、かがり火を焚いた。

 ほのかな灯りの中が1番心を開きやすいのだと、まりんが可愛くお願いをして、趣はあるが心苦しい宴を開催する運びとなった。

 あの日、ここに泊まっていた全員が集まり、重い空気の中、宴は始まった。

 おばあ様は、お気に入りの千歳緑のストールを用意し、似たような色合いのひざ掛けもきっちり用意していた。歌子さん用にと、緋色の同じ物を手渡していた。

 奥田院長先生が車椅子で現れると、私たちを除く全員が息をのんだ。

 まりんが細い声で、厳かに話し始めた。

「単刀直入に言います。奥田先生、三重子夫人、梶田蘭子さん、森原歌子さん、ユーキくん、コーキくん。全ての方に、ここであった事件に関しては、犯行に及ぶ素質があったと断言できます」

 つまり動機があるということ。集まった六人は、まっすぐにまりんを見ている。私たちは黙って成り行きを見ていた。

「まず、亡くなられた赤羽さんの主治医だった奥田先生。先日、刺された怪我は楽になりましたか?」

 周りの目が集まる中、院長先生の表情が曇って行くのがわかる。

 啓司さんが頭を下げた。

「みなさんに謝らなければいけないことがあります。見ての通り、奥田先生は生きてらっしゃいます。彼の安全のために偽りをお教えしていました。申し訳ありません」

 誰も文句は言わなかった。静寂の中、まりんが再び口を開く。

「あなたはこちらに総合病院を設立する前、関西のほうで働いていましたね。小さい町の小さな病院で。赤羽さんが、やはり有名代議士だった父親と一緒にそこに来た。彼女が20歳のころの話です。……こっそり子供を産むために。

外聞が全ての父親にとって、彼女の妊娠は想定外でした。しかも、相手が誰だか分からない。バレないように、そのことが漏れないように、かなりいい条件で子供を取り上げたのではないですか? そして、その子には特別養子を組ませ、決して関わりのないようにさせた。

見返りとして都心に総合病院を作ってもらったあなたは、ずっと赤羽さんに多額の『bribe』、えっと、賄賂を渡していた。なぜか? 簡単です。有力な政治家に医療ミスを隠蔽してもらっていたから。秘密をバラすと言ったこともあるでしょうが、なにせ自分の秘密のほうが大事でしたから、賄賂を払うことが当然になっていました」

 奥田先生の顔は憤怒し紅潮していた。

「だ、だからといって私は殺してなんかいない! それを誰が話した!」

「あなたには特定できませんでしょう? 一体、どの娘かしらね」

「三重子……」

 おば様の嘲笑を含んだ冷ややかな声が響く。奥田先生は、ただ呆然としていた。

「今は、全ての闇に光を当てる時間です」

 まりんは続けた。

「次に、三重子夫人。あなたは、庭師の三上さんと親しい関係だったことを知られた」

「なっ……」

 声を出したのはおば様ではなく、ご主人のほうだった。

「しかし、三重子夫人は気にしませんでした。病院の存続自体、どうなってもよいと思っていたからです」

「ええ、その通りだわ」

 おば様の顔はせつなく、声は沈んでいた。しかし、はっきりきっぱりと言い放った。

「奥様は、薔薇の花がお好きとおっしゃっていますが、本当は薔薇の花限定ではなく、彼の育てている花なら何でもよかった」

 おば様は静かに瞳を閉じた。

「梶田蘭子さん。……あなたは、赤羽さんの娘ですね」

 突然の事実に驚愕した多くの顔は、まりんを見つめる蘭子さんに注がれていた。

「養母が亡くなるまで、戸籍上は実の母になっていますが、そのときまで関西に住んでいた。奥田先生の勤めていた病院の近くです。

あなたの戸籍を調べるようにお願いしたキッカケは、方言でした。『直す』という言葉はこちらでは、『修理する』と言う意味でしか使いませんが、関西は違います。『片付ける』という意味もあるんです。あなたは、それをきちんと理解して答えました。

先ほど言ったように、赤羽さんは、若いときに子供を1人産んでいます。しかし、彼女は1度も結婚の経験がありません」

「……捨てられたのよ。父親の後を継いで政治家になるのに、父親のいない子を産むことがとてつもなくマイナスであると考えたのね」

 捨てられた。この言葉の響きは蘭子さんにとってどう聞こえるのだろうか。優しく綺麗な笑顔が歪んでいた。

「事実を知った幼いころに植え付けられた悲しさと憎悪は、時が経っても消えることは無かった。憎しみだけを胸に秘書になった蘭子さんは、誰よりも闇が濃い」

「ええ、そうよ。ずっと恨んでいたわ。殺意もあった。だから?」

「言ったでしょう? 今は事実を表面化するときだと」

 それ以上何も言えなくなった蘭子さんを突き放し、まりんは向きを変えた。

「次に、歌子さんは大事な息子さんを亡くされた。そうですね?」

「……ええ」

「当時、赤羽さんの妹さんは病死という報道が流れていた。でも、それは病気などではなく、自殺だったのです。双子を生んだ後、妹さんは精神的に弱り、鬱状態になっていたのだそうです。そして、とうとう耐え切れなくなった。双子が物心つく前の話です。

息子さんはそのことを、お義姉さん、つまり赤羽さんにきつく責められていた。彼は、あなたに2人を預け、あとを追うように自ら命を断った。今では、物証も乏しく、断言はできませんが、殺されたのかもしれません。

その噂を知る人は今でも多くいますが、私たちが聞いた人を含め、大物代議士の手前、誰も言い出せなかったから、2人は知らずに育ったのね」

 その事実は、ユウキとコウキの2人に重くのしかかった。蘭子さんが赤羽女史の娘だったということ以上に。

ユウキは、感情を出さないよう極力冷静に努めてはいたが、握り締めた拳が震え、表情を消した瞳に涙を浮かべていた。

コウキは、その兄のシャツの肘部分をつかみ、もう一方の手で涙を拭っていた。

「あの女の下へなど、置いておけるものですか!」

 歌子さんは怒りが浸透し、目をぎらつかせて大声を出した。それは、あの細い身体のどこから出てきたのか、獣の唸り声に近いものがあった。

「赤羽さんには身内がいないから、後継ぎとして甥に白羽の矢を立てた。彼女自身は、自分の子供が生きていることを知らなかったのでしょう。

森原家の内情を調べ、家を援助するという名目で、2人を引き取ろうと策略した。あなたは、赤羽さんが2人に接触してきたことに気がついた。何とか阻止しようと努力なさったのでしょう」

 歌子さんは震える体を押さえつけ、まりんの視線を真正面から受け止めた。先ほどの激情がウソのように思えた。

まりんは構わずに続ける。

「現在、森原家の財政は厳しいものがあります。しかし、赤羽さんが亡くなれば『succession』、えー、相続は甥である2人が」

「私が……遺産目当てで殺害したと言うのですか?」

「動機があるということです。

さて、ユーキ君とコーキ君。2人にも同じ動機がもてます。赤羽さんは、内緒でそれぞれに声をかけていた。彼女からしてみれば、どちらかが上手く引っかかってくれればと。あるいは、2人ともが家に来れば優秀なほうを選べたのです。

2人はお互いに秘密にしていましたから、自分だけに話があるのだと思った。その続きは後に。それから、もちろん遺産のことはわかっていたでしょう」

 まりんは、歌子さんを無視して次の容疑を述べていた。双子は目の前にある同じ顔を見つめていたが、何も言葉は発しなかった。

「ついでに、田村さんですが……。彼は赤羽さんにいいようにこき使われているように見えましたが、実際には田村さんが彼女を強請っていたと思われます。そう、彼が裏の作業全てを行っていたのですから。1番美味しい相手だったでしょうね」

 まりんの言葉は、大人のそれよりも難しく聞こえる。どこで仕入れたのか変な言いまわしを使う。

私ももっと視野を広げないと、まりんに追いつけないな。


ーーーー◇ーーーー


「というわけで、全員に動機があります。では、田村さん殺害についてはどうだったのでしょう。頭に入れておいていただきたいのは、田村さんがモルヒネを使用していたということ。それによって気持ちが高揚し、文目も分かず、自分の知っているネタを元に、他人に対し『blackmailing』、ようするに、強請り行為に出たということ」

 まりんは間隔をあけ、息を吸った。

「まず、奥田夫人はこれといって関係性が見つかりません。総合病院院長夫人という立場もどうでもよかったのですから、真っ先に除外します。

次に、奥田先生。医療ミスという大きなネタがあります。しかし、彼は先生から流れてくるモルヒネが必要でしたから、それ以上のことはしなかったと思われます。

赤羽宅の田村さんの部屋に出入りしていた事実もありませんし。よって、奥田夫妻はお二方とも除外できます」

 三重子おば様が、すでに何か決意をした毅然とした態度をとっているのに対し、ご主人の奥田先生は、除外されたことにホッと息を漏らしたものの、絶望的な眼差しをおば様に向けていた。

「では、蘭子さんはどうでしょう? 彼はあなたが娘であることを知っていた。憎しみが未だに消えていないこともわかっていた」

「それで脅されていたと? なんら殺害の理由にはなりませんわ」

「ですが、もしあなたが本当に赤羽さんを殺していたら? そうなれば、状況は極めて厳しいものになっていたのではないでしょうか」

 蘭子さんは何も言わなかった。ただ唇を噛み締めてまりんを見た。

「ユーキ君とコーキ君については、おそらく同じ文句で言い寄ってきたと思われます。ユーキ君はコーキ君が殺したと考えた。逆に、コーキ君はユーキ君が。

どちらが手を下したかはわからないけど、田村さんもそう考え、利用することが効果的だと判断した。本人を脅すのではなく、互いを思いやる優しい心に付け込んできたのです。

結果、成功しました。1人ずつ田村さんの部屋を訪れたのですから。 

2人がそこでどんな行動に出たか。家族を守るため、田村さんを殺害した。ありえないことではありません」

「さっきから聞いてれば言いたい放題だな。オレたちが、あの女たちを殺したという証拠でもあるのかよ」

「ユーキ……」

ユウキが身を乗り出して詰め寄ろうとするのを、コウキがやんわり止めた。2人の顔の違いが今ならわかる。

 まりんは顔色ひとつ変えず、最後の検証に入った。

「最後に、森原歌子さん。あの念書の存在を知ってから、2人が赤羽さんを殺したと思った。全ての状況を知る田村さんが同じように思い、あなたを脅迫していたとしてもおかしくありません。そして、彼らを守ろうとしたあなたの決断は最終的なものだった」

 歌子さんは目を伏せて聞き入っていた。話が終っても、瞼を開けなかった。瞳の中でどんな色の光が輝いていたか、私には見ることが出来なかった。

「それで容疑は、蘭子さん、ユウキ君、コウキ君、そして、森原さんの4人に絞られたわけだ」

 黙って立っていた啓司さんが、口を挟んだ。

「問題はこれからです。事を起こせるチャンスがあったのは誰か。どのような方法で殺害したか、です」

「つまりアリバイと方法だな」

 啓司さんは、頷きながらあごをさすった。


ーーーー◇ーーーー


「まず、簡単に実行された田村さん殺害です。

 犯人は、全ての人が何かしらの理由で強請られていたことを知っていました。モルヒネを投与しているのも知っていました。

犯行があの日になったのは、彼らがあの部屋を訪れたことを知ってから実行に移したからです。

田村さんは睡眠薬の常用者で、死因も多量摂取ということでした。が、本当にそうでしょうか? モルヒネに関しては奥田先生も関与していることから事実だと立証できます。ですが、睡眠薬に関してはそうではありません。赤羽家のお手伝いさんたちは証言しました。『蘭子さんに取り上げられた睡眠薬を受け取って捨てていた』と。実際に彼が飲んでいるところを見た人はいませんでした。

そうです。睡眠薬服用というのは、蘭子さんが作り上げた話だったんです」

星の瞬きの中、かがり火に照らされ、茜色に染まった人々の顔は一斉に1人の女性へと向けられていた。

「俺が田村さんを起こしに行ったとき、ぐっすり寝ていたのは間違いない。あの騒ぎで起きて来なかったし、睡眠薬を服用していなければ……」

 兄貴が言う。

「ええ、あのときは別です。睡眠薬を常用していると、私たちにも記憶を植え付けたかったのでしょう。たぶん、自分の代わりに誰かが行ってくれるのを予想して」

「机の上に置かれていた遺書は、確かに田村の筆跡だったぞ」

 啓司さんが仕入れたばかりの情報を漏らした。

「彼が書いたものですから当然です。彼は原稿の下書きを蘭子さんに渡して、お願いしていたことが多くなっていたと言っていました」

「過去に使用した赤羽の謝罪文の原型だった」

「おそらく」

 啓司さんは謎を紐解くように順追って理解していった。声を出さない皆も同じように理解できているのではないかと思う。

「それは1冊のノートに『cace by cace』で、時と場合を考えて書かれたもの。それをはさみで切り取り、そこへ置いた。他の文句がかかれていなかったのは、ノートがそれだけのために用意されたものだったから」

「切り口は一致していたぞ?」

「ええ。同じノートを、つまり簡素な原文が書かれたものと、真新しいノートを1枚ずつ重ねて切り取ったからです。よく見れば気づくことなんですが……。

 森原歌子さん。田村さんが左利きだということはご存知でしたか?」

 歌子さんは突然振られた質問にすぐ答えた。

「いいえ、存じませんでしたわ」

「奥田先生、どうですか?」

「ゴルフをするときや、……モルヒネを打つときは左だったよ」

 院長先生は力なく頷いていた。

「ゴルフに行った方はそれを見ていますが、森原家のみなさんは文字を書くしぐさしか見ていません。

 あの遺書は右利きの人が切っています。はさみが入る場所がどうしても右からになるんです。左利き用のはさみを右手で使用することは無理です。切れません。右利きの人が左手で切ったとしたら真っ直ぐには切れないでしょう。左利きだと知っている人しか、はさみまでは用意できませんよね? 

 何より重要なのは、そのはさみに血が付いていたこと。奥田先生を刺したものということです。これは、先生の創傷と一致したと警察でも確認しています」

「余計に田村が犯人だと言ってるように聞こえるけど?」

 兄貴が尋ねると、即座に答えた。

「では、あのノートはどのはさみで切られたんでしょう? ちなみに、紙の切り口には血の跡はついていませんでした。最初から田村さんに全てをかぶせるつもりだったんですね」

 誰も言葉を発することが出来ず、ただ、まりんの声を聞いていた。もうそこに10歳の少女が話をしていると思う人はいない。

「さて、事件を戻しましょう。ここでは全員にチャンスがありました。

 奥田夫妻はずっと従業員に見られていたわけではない。時間はあります。森原歌子さんは部屋から出ていました。私たちと2階の廊下で話を交わしました。どこに行っていたのでしょう? ユーキ君は本当に裏の小川にいた? コーキ君は図書館にずっといたのでしょうか? 蘭子さんは部屋を出るときになにもしなかった?

 謎は多くありますが、ヒントとなるのは殺害方法です」

 張り詰めた空気が、呼吸すらさせないようにしているのではないかと感じる。

「赤羽さんは酸素カプセルの中で亡くなりました。体内からは毒が検出され、お茶にも同じように毒が入っていました。ですが、死因は毒物によるものではなく、窒息によるもの。二酸化炭素中毒でした。

赤羽さんは身体が丈夫で、1年ごとの診察ではどこも悪くなかった。しかし、微量の毒を1年にわたって飲まされ続け、心臓に負担を抱えていた。かつ、あの狭い空間で少量とはいえドライアイスが昇華し、充満していれば……。私が体験した、ヒヤッとしたものの正体です。

酸素カプセルは内側からも開けることが出来るんです。苦しくなったのなら、ファスナーを下げれば外へ出られます。しかし、彼女はしなかった。ファスナーを固定されていて開けることが出来なかったからです」

啓司さんが頷き、言葉足す。

「最近は保冷剤の出現によってドライアイスを見かけなくなりましたが、あの日はパーティーがあったのです。料理人も言っていました。『見かけが大事』だと」

「私は会場でアイスクリームを食べました。置いてあった場所から、白い煙がテーブルの上を這うように漂っていたのを覚えています。ねぇ、ケーちゃん。ドライアイスは下に溜まるんでしょう?」

「ドライアイスは空気より重く、低いところに停滞する。また、昇華すれば高濃度になりやすい。濃度が高ければそれだけ中毒症状も出やすい。その中にずっといれば意識不明にもなる」

 私がとりあえず説明をすると、まりんは再び語り出す。

「ユーキ君、あなたが4時ごろあの部屋に入ったとき、もちろん赤羽さんは生きていましたね?」

「話をした」

 ユウキはキッパリと言い放った。

「死亡推定時刻のころ、まだ生きていたことになります。これは、ドライアイスで遺体が冷やされていたことの証明になります。

ユーキ君と話をした後、赤羽さんはカプセルに入った。すでにドライアイスの入っているところに。……自ら、『coffin』に、つまり、柩に入って行ったのです。

ケーちゃんが林で時間を教えてもらったとき、あなたは携帯電話を取り出しました。ストラップが取れていましたね」

蘭子さんに視線が集まる。

「だからあれは、いつものことだと……」

「そう言っているだけです。実際にはどこも緩んでいないし、落とすこともなかった。金具のところをカニカンというのですが、小さいフックのようなものです。それをカプセルの外側、ファスナーの二つを一つにつなげた。ごく小さいものです。見られても誰も気がつかなかったでしょう。

現に、あなたがその仕掛けをしたあと、歌子さんとコーキ君が部屋に入っています。鍵はかかっていないのですから、当然簡単に入れますし」

えっ? と森原家のほうに視線が動く。

「森原さんは、赤羽さんと直接話をしようと行かれました。でも、すでにカプセルの中で返事がなかった。5時半ごろです」

「そうです」

「ユーキ君も五時過ぎに入りました。そのとき、ユーキ君の書いた物を見つけて、自分のブローチをつけた。『seal』の代わりに」

「seal?」

「捺印」

 私は兄貴に通訳した。

「後にそれを書いたのは自分だと言うことが出来るようにです」

「コーキ……」

 今度はユウキが呟いた。

「森原の人間は、罪を隠そうとすることではなく、お互いを信じるということが必要だったのではありませんか?」

 まりんは3人を嗜めた。そしてまた続ける。

「蘭子さんは念書を見て、コーキ君のサインがあったから4時ごろ入ってきたのは彼だと言いました。あなたは双子のカタカナの決まりを知らなかった。そして、ブローチのことには一切触れなかった。

 つまり、ユーキ君が出てからコーキ君が入ってくるまでの間にそれを見ているんです。

私が散策に出かけたとき、廊下で蘭子さんに会いました。てっきり自分の部屋から出てきたところだと思っていました。自分も一緒に行くとおっしゃったので。しかし、本当は赤羽さんの部屋から出てきたところだったんですね」

小刻みに震える蘭子さんは、眦を決していた。

まりんはかまわず先に進めた。

「ただ、ひとつ誤算がありました。お茶に毒が入っていたこと」

「え? だって、蘭子さんがお茶を入れていたって……」

 私が代表した形で口に出した。

「今回は入れていなかった。いえ、というよりも、家以外では入れてなかったのでしょう。心臓に負担がかかっていることは、赤羽影夫さんで実証済みだったから、細心の注意を払っていたはずです。グラスに毒が見つかってしまえば、疑いはより一層蘭子さんにかかるわけですから」

「あれは自然死ではなかったの?」

「あれが連続殺人の始まりだったんです」

 歌子さんの疑問に対する答えは衝撃的なものだった。

「親子で同じ毒の入った中国茶を飲んでいたのですから。高齢の父親は心臓に負担がかかりすぎていたでしょうね」

「……骨から検出されるかなぁ。でも、それなら何で入ってたんだろう」

 啓司さんがこっそり呟いた。

「だってあれは、田村さんが部屋を出る前に混入したものだったんですから」

「なっ……」

 なんで? そう言おうとしたのだろうか、蘭子さんの唇が開いた。

「あなたを脅すためか、赤羽さんを早く殺すつもりだったのかはわかりかねますが、あなたがしていることをご存知だったようですね。

お茶に毒が入っていたとケージさんが言ったとき、本当に驚いていましたよね。だから、あなたが毒を入れていたとは思わなかったんです。結果、タイミング的に彼しか実行できないと思いました。あのお茶は入れてから飲むまでに時間をおくそうですから。

あの毒が何の毒であったか。これも1つの鍵となっていました。

私があなたの部屋を見せてもらったときに、ケージさんにお願いして化粧台に置いてあった化粧水を少しずつ、コットンに染み込ませてもらいました。同じ物が検出されたそうです」

あのとき、まりんが口紅を持っていたのは、啓司さんがあそこに触ったという証拠を消すためのものだったのか。

「それは、コンバラトキシン、スズランに含まれている毒です」

「スズラン? 谷間の白百合といわれるあの小さな?」

 三重子おば様が首をかしげている。

「そうです。スズランには毒があるんです。漢字で鈴蘭と書けば、蘭の文字が。そしてスズランの別名は君影草とも言うんだそうです。赤羽君華、影夫親子の名が含まれています。殺害をする相手なのに、つながりが欲しかったのでしょうか?」

 蘭子さんは勢いよく立ち上がった。

「あんな女とつながりなんていらないわ!」

「そうでしょうか?」

 まりんは優しく問いかけた。

「私は連続殺人の始まりだったと言いました。あなたは、もう1人殺害していたはずだった。奥田公彦を」

 院長先生は、立ち直れないほどのショックが重なったのか、昨日までの彼はそこにいなかった。

「当然でしょう? その男が何をしてきたか。愛人を作っては、捨てての繰り返し。

私の母もそうだったわ。捨てられたと気づいたときにはもう遅いのよ。私は実の母だと思っていたし、可愛がられていたから、何とか慰めようと必死だった。けど、彼女は自殺した。……そのことを知りもしないのではないかしら?

表面上はいい顔をして、裏では人体実験のようなことまでしていたのよ! 医療ミスを起こしても、もみ消してもらえる。それがどんなに危険なことかわかるでしょう?」

「だから殺そうとした? 誰かが、どんなに憎くても、法に触れることをしていても、あなたがやったことは殺人です。殺人は罪です。理由があったからといって、やっていいことではありません。そう思いませんか?」

「あなたになにがわかるの? たかだか10年そこそこしか生きていないあなたに!」

 私はその言葉に憤りを感じた。

「あの女だって、私のことなんて気づきもしなかった。あの父親だってそうよ。これっぽっちも疑っていなかったわ」

 矛盾している。つながりはいらないと言ったのに。

「気づいていたら犯行には及びませんでしたか? 抱きしめてもらえれば、よかったんですか?」

 蘭子さんがまりんの顔を見てハッとした。

 まりんの頬には一掬の涙がつたっていた。初めて見せた情だ。心苦しい。

「そ……そんなこと……」

 蘭子さんは戸惑っていた。

「……いいえ、決してそうではないわ。始めからこうなることが望みだったんだもの。それに、あの女たちはここにいる人以外にも、多くの人に恨まれていたのだから」

 育ててくれた母には悪いけど、と凛とした表情で言った。

「私はあの人たちを殺したことに、何の後悔もないわ。今、気分は最高にすがすがしい」

 蘭子さんはそう言い、啓司さんに付き添われローズ・ガーデンを後にした。

 残された人々は少しの間、無言だった。

 私は、まりんをおばあ様に頼んで2人のあとを追った。

入り口にはパトカーが待機していた。私は近寄り、蘭子さんに声をかけた。

「あなたはまりんに『あなたに私の気持ちはわからない』そう言いました。では、あなたにまりんの気持ちがわかりますか? あの子は2年前に母親を亡くしました。そして今は父親も……。大人びてはいますが、まだ10歳の少女なのです。そんな子を、死体がそこにあるとわかっていて連れて行ったこと。私は許せない」

 私は怒りの眼差しを蘭子さんに向けた。蘭子さんは驚いていたが、それは始めだけだった。次には優しい頬笑みを浮かべていた。

「そう……。だとしても、私とは違うわ。憎んでいる人はいないし、怒ってくれる人がいる。それは大きな違いだわ」

「後悔とは、後で悔やむから後悔なのです。あなたは間違っている」

「そうかしら? ……でも、あの子にあんなものを見せたこと。それだけは確かに後悔しているわ」

 車に乗り込む前、振り向きざまに、そう呟いた蘭子さんの顔は一生忘れないだろう。彼女の人生は一体何のためにあったのか。心の中で想いがぐるぐる巡る。答えは出ない。

私は、小さくなる車をひたすら視線で追いかけていた。


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