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風薫る冬薔薇の宴  作者: 時田柚樹
7/9

Proof Of Gruift ー犯罪の証明ー

 

都心の1等地。赤羽宅は、立派な屋敷ということを隠しもせずにそこにあった。

 庭園には狭めだが鯉の泳ぐ池があり、灯篭が立ち並び、枯れ山水を思わせる白い砂利が敷き詰められていた。

 落ちつつある紅葉が、より雰囲気を和のものに導いているようだった。昼間もいいが、月映えの落葉衣など、さぞ風流だろうと思う。

 メイドの案内で居間に通されたが、そこにはお悔やみの花がたくさん届けられていた。まだ、正式に亡くなったことに関しての発表はしていない、にもかかわらずだ。

 廊下にも、慌ただしく走り回るメイドたちが、悲しみにくれる間もなく対応に追われている。

「お待たせ致しました」

 蘭子さんが部屋へ入ってきた。

 黒のパンツに白いシャツ。少し不釣り合いなザックリ編んだ藍色のカーディガンを羽織っている。

「お忙しいところ申し訳ありません」

「いいえ、刑事さんも大変だと思います」

「恐れ入ります」

「奥田先生が亡くなられたとか……」

「はい。先日」

「殺されたのでしょうか? 先生みたいに?」

「今は、なんとも言えません」

 互いに出方を伺っているような会話だ。

「ひとつだけよろしいですか?」

「なんでしょう」

「あなたは赤羽さんの部屋から出るとき、すれ違った人を森原コウキ君だと言いましたね」

「ええ」

「ユウキ君と見分けがつきましたか?」

 蘭子さんは一瞬躊躇したが、思い出すように話した。

「先生の遺体を見たとき、あの部屋でコウキ君のサインが入った紙を見かけました。私が4時ごろ出て行くときには見かけませんでしたので、考えればあれがコウキ君だったのだとわかります」

「ああ、なるほど。ありがとうございました」

「それだけですか?」

「私もひとつだけいいかしら?」

 まりんが話に首を突っ込む。

「いいわよ。まりんちゃんは何が聞きたいのかしら?」

「聞きたいんじゃなくて、蘭子さんの部屋と赤羽さんの部屋見せてくれないかな」

「部屋?」

 蘭子さんだけでなく、大人全員が首を捻った。

「だめ?」

 出た! ロデム直伝、必殺のおねだりポーズ。

「いいって言っちゃったもんね。どうぞ」

 私たちは、階段を上がり左側の扉の中へ案内された。

「散らかってるけど」

 蘭子さんの部屋らしい。机の上も床の上も、書類で埋め尽くされそうだ。棚には法律関係の本が所狭しと並んでいる。ベッドや化粧台が、ずいぶんささやかだ。

 奥の小さなスペースはクローゼットになっている。

「ケージさん、どこまでついてくるの?」

 まりんが振り向き、啓司さんに向かって言う。

「どこまでって……」

「女性の洋服に興味があるの?」

「ああ、そうか。下心があるんじゃないのか?」

 私がまりんに言うと、啓司さんは憤怒した。

「な、なにを言っているんだ。始めからここで待つつもりだったさ。クローゼットには、2人で行きなさい」

 啓司さんは部屋の真ん中で、ぽつんと待たされた。よく見れば1人ではなく、ロデムがいたけど。

まりんが啓司さんに耳打ちしているのが気になったけど、まあいいや。

 クローゼットの中には、同じような形のスーツがたくさん並んでいる。黒と紺ばかり。

秘書はこういう色が基本なの、と見せてくれる。靴もバックも黒ばかり。

「ここは?」

「あらあら、だめよ。そこは下着」

 なぜか、私だけが赤面していた。

 散々物色したまりんは、次は赤羽さんの部屋を、とまた1階へ逆戻り。

 広々としたフローリングの部屋には、やはり大きな机と大きな本棚。応接セットも完備。奥まったところにある和室には、酸素カプセルが置いてあった。

「和室にこれは似合わないですね」

 私が言うと

「私もそう言ったのだけど、先生がかまわないとおっしゃって。まあ、誰に見られるわけでもないし、いいかってね」

 クローゼットは別の部屋にあるらしい。この広いスペースに入りきらないのだと。

まりんがそこへも行くと言い出すかと思ったが、それは杞憂に終った。

「まりん、それ直しとかなあかんで」

「なにを直すの?」

 蘭子さんに聞かれ、焦った。突然ロデムが話すから。

「これ?」

 まりんの右手に口紅が1本握られていた。

「あら、欲しければあげるわよ。たくさんあるんだから」

 蘭子さんは気にする風でもなく、そう言うが、ロデムを見ると首を振っていた。私は彼の代わりに言った。

「だめだ、まりん。返しなさい」

「本当にいいのに。私が後で直しておくから、そこに置いてていいわよ」

 ペコッと頭を下げ、ごめんなさい、と言う。が、眼には不吉な光があった。

「じゃあ、田村さんに話を聞きに行こうか」

 啓司さんの声に頷き、蘭子さんが案内してくれた。


ーーーー◇ーーーー


「田村さん?」

 蘭子さんがドアをノックしたが、返事がない。

「おかしいですね。いつも出かけるときには、一言告げて行かれるんですけど……」

母屋から続く、屋根のある外廊下を通って田村さんの部屋へ来た。幅は狭いが、2階建ての豪華なプレハブといった感じだ。庭のくぼんだ部分に建てられている。表の雅な庭からは見えなかった。

蘭子さんの話によると、自分の家に帰っても、呼び出されることが多いので、2人ともがこの家で暮らしているのだとか。

「田村さん、開けますよ?」

 蘭子さんが簡素なドアノブを回した。

「田村さん? いらっしゃいますか?」

 きっちり片付けられている四角い部屋には、生活感が感じられなかった。入口を入って右に中2階へ続く階段があったが、ドアの陰になっていてすぐには分からなかった。

 部屋のつくりをじっくり観察していると、啓司さんと蘭子さんの声が重なって聞こえた。

「田村さん!」

 慌てて駆け寄った。そしてそれを、ロフトスペースにあるベッドの上で発見した。

「……死んでる」

 啓司さんは軽く検視すると、携帯電話を取り出し署へかけた。

 蘭子さんは口を抑え、立ち尽くしていた。まりんは啓司さんの隙を見ながら、近づいていた。

 横たわった彼は、ただ寝ているだけのように見えた。もともと色が白い人だったので、少し青ざめていてもあまり変わりがないからだ。

 ベッドの横にある机には、いつも使用している眼鏡、手帳、ノート、そして、血のついたはさみと、それを包んであったと思われる布が置かれていた。

 ノートが1枚切り取られ、文字が書かれている。

『皆には迷惑をかけた

 今度起こった件に関しては 全て自分の責任

 申し訳なく思う』

 ざっと書かれた紙の上に、小さな瓶に入った睡眠薬が置いてあった。ほとんど空の状態で。

 改めて死体を調べる啓司さんは、右腕に注射痕を見つけ、さらに引き出しから注射器を発見した。

「あの事件の凶器? 自殺か?」

 独り言は、自分に投げかけた疑問になっていた。

 まりんもこっそりハンカチを取り出し、手にとる、元に戻す、の繰り返しで物色していた。

「『morphine』『left handed』」

モルヒネ? 左手用?

 啓司さんは鑑識に任せるため、早々に手をひいた。

 そして、立ち尽くしている蘭子さんに尋ねながら、部屋を閉じた。

「薬物を使用していたことはご存知でしたか?」

「いいえ。睡眠薬を服用していたことは知っています。お手伝いの人も知っていることです」

 震える声で何とか話した。

「田村さんはずっとここに? 最後に見られたのは?」

「……わかりません。ですが、今朝マスコミ対策用の原稿を持って来たので、それが最期だったかもしれません」

 首を振り、思い出そうとしている。

 啓司さんはメイドたちにも話を聞く旨を伝えた。

蘭子さんは、「居間のほうに呼んで来ます」と足早に歩き出した。

 同時に、まりんが蘭子さんの背中に声をかけた。

「田村さんは左利きですよね?」

「……ええ。字を書くのは右だけど」

 足を止めて答えると、再び母屋へ歩き出した。

「左利きだったのか。誰も知らなかったんじゃないか?」

 私は何となく呟いてみた。そして、腕時計を確認すると言った。

「このままここから去るのは気になりますが、元看護師の家に行ってきます」

 まさかこんな事態になるとは予想していなかったので、約束をしてしまっていたのだ。

「検証が終ったら、まりんを実家に送っていただけますか? 私は向こうから直接帰りますので」

 ここに置いて行くのも気がひけるけど、なにぶん1人のほうが話がしやすいと思うので仕方がない。

「……仕方ないか」

 啓司さんも納得してくれた。

 まりんには念のためロデムを抱かせて、一緒にいさせることにした。


ーーーー◇ーーーー


病院からそれほど離れていないマンションの一室。

「あの、宇岐川と申します。先日、電話で話をお伺いしたいとお願いした……」

「はい。ええ、木村さんからも電話を頂きました。妹さんのことで相談があるとか。あ、どうぞ中へお入りください」

 私と同じくらいの年代だろうか。カチューシャで前髪を上げている黒い髪は、軽くウェーブしている。小柄で人好きのしそうな女性だ。私のことも、女だとすでに聞いていたのか、警戒心がない。

「お邪魔します」

 1LDKの部屋は、シンプルな色彩だった。白い壁に浅黄色のカーテン。クリーム色のソファーにガラスの小さなテーブル。整頓された空間は、余計なものが何もない。

私の部屋とは大違いだ。

「それで、妹さんはどんな状態なのですか?」

 コーヒーカップをテーブルに置きながら、管野さんは言った。

「えっと、記憶がないんです。いわゆる記憶喪失というやつだと思うのですが、厄介なのは、自分のことをロボットだと思い込んでしまって……」

 妹の話というのは大嘘だったのにもかかわらず、つい、まりんの相談をしてしまった。

「記憶喪失ですか。先生はなんと?」

「えー、そのうち戻るだろうと。記憶以外は普通なんです(……たぶん)。生活にも困りませんし、きちんと反応もあります。ただ、感情がないというか……。悲しいことが彼女の身に起ったので、思い出したくないのだと思うのですが」

 なぜ真剣に相談しているのだろう。看護師に聞いて治るわけでもないのに。

「思い出したくないことから逃げる、というのはよく耳にします。けど……」

「あ、あの……。奥田病院について教えていただこうと思って、お訪ねしたんです。患者さんが、あなたなら親切に教えてくれると言うもので」

 にこやかに話を切り出したつもりだったが、管野さんは表情を曇らせた。

「あの……?」

「出来るなら、他の病院をお勧めします」

「なぜですか?」

 管野さんは困惑している。うつむき、こくんとコーヒーを飲んだ。

「なぜ、でもです」

 この先を聞かなければ意味がない。正念場だ。

「理由をお聞かせください。先日、院長先生が刺されました。何か関係しているのではないですか?」

 驚きとため息の交じった声が聞こえた。

「そうですか。遅かれ早かれそうなるのではないかと思っていました。……誰にも話すことは出来ないものと思っていました。ここで簡単な理由をつけることも可能ですが、あなたは本当のことでなければ引かないのでしょう?」

「はい」

 私は彼女の目を見据えた。

 管野さんは、意を決し語り始めた。

「当直だった日のことです。私は院長先生の部屋の前を通りかかりました。そしたら、男の人との会話が聞こえてきて。いけないことだとは思いつつ、聞き耳を立ててしまったのです。

『これ以上、金額は増やせん!』

 それは切羽詰った院長の声でした。

『ご自分の立場がわかっておられるのでしょうか? 先生は、大変な苦労をなさっておいでなのですよ』

 相手は男の方でした。

『先生には、もちろん感謝している。だが、私だって出来る限りのことはしているつもりだ。君にだって、薬を渡しているだろう』

『これは私の判断ではありません。先生がお決めになったことです』

『……政治家とは、支援者がいなければ始まらんのだろう。君たちがしてきたことを世間に公表すればどうなるか。わかっていないのは君たちのほうじゃないのかね?』

『脅しですか? かまいませんが、あなたのほうが分が悪いですよ』

 私には何がなんだか、わかりませんでした。

『自分の子供を見捨てておいて、なにが養育支援法だ。前大臣の力で特別養子に出来たって、母親にどれだけのものを握らせたか』

『そのおかげで、あなたはこの病院を手に入れたではありませんか。その上、医療ミスの隠蔽までさせておいて。そうそう、あなたの多数にのぼる愛人たちはお元気ですか?』

 私は、信じられませんでした。院長先生は優しくて、患者さんにも気配りをなさる方だったのです。もう、頭の中でいろんなことが、渦を捲いていて。その話を聞いて以来、どんなに頑張ろうとしてもいろんな単語がちらついて……。少し経ってから思い余って、婦長に相談したんです。けど……」

「知っていて、黙っていた」

「はい。それどころか協力的でさえありました。『あなたが誰に話をしたってかまわないわよ。誰も信じないから』と。……私は何も出来ずに、結局病院を去りました」

 1人で秘密をもっていた彼女は、どんなに辛かっただろう。私に話したことで、少しでも気が晴れるといいのだけれど。

 足取り重く、実家へと向かった。


ーーーー◇ーーーー


「お帰りなさい。警察ごっこは楽しかったかしらね」

 おばあ様の嫌味もそこそこに、香仙茶房で購入したお茶を渋谷に渡した。

「まりんのほうが早かったか。啓司さんは?」

 おばあ様の前に座って、ジュースを飲んでいるまりんの頭に手を置いて尋ねた。

「いるよ」

 ソファーから声がした。啓司さんのものではなく、兄貴のものだったが。

「何か聞き出せたか?」

 私は、男2人並ぶソファーの対面に腰を降ろした。

「それなりに面白いとは思うけどね。啓司さんはいかがでした?」

「ま、それなりにね」

それから報告というわけではないが、奥田病院の事情を話した。

「もみ消しは想像つくがね。しかし、あの政治家に子供がねぇ」

「現在その子がどこにいるかはわかりませんが、特別養子に出したという話だったので、遺産ももらえませんし、戸籍も養子先の長女表記ですし、関係ないですかね?」

 渋谷が運んできた紅茶をすすった。

「そちらは?」

「田村が死ぬ前に森原の3人が訪ねて来ていたらしい。今も話していたんだが、なぜ1人1人別々に訪ねたんだろうかって」

「別々に、ですか」

「つまり、私たちが森原家に行ったとき誰もいなかったのは、きっと赤羽家を訪ねていたからなのね」

 まりんがグラスを持って私の横に来た。啓司さんはタバコをくゆらせながらそれに答える。

「そういうことだね。ただ、帰ってきた順番通りに田村の部屋に行ったかどうかはわからないけど。それから、睡眠薬だが……。お手伝いさんたちは、常用しているのは知っていたみたいだよ。梶田蘭子が瓶を取り上げて、捨てておくようにと手渡していたそうだ」

「ユーちゃんは、田村さんが左利きだって知ってた?」

 まりんが唐突に兄貴に尋ねた。

「ん? んー、クラブを左で構えていたからね」

 ゴルフの光景を思い浮かべて答えていた。

「死亡時刻は、彼らが訪ねたときと一致しているのでしょうか?」

「大体はね」

 微妙なところ、か。

「あのはさみは、どうでした?」

「完全一致だよ」

 本当に田村さんがやったことなのだろうか。全てを終えて、自殺したと?

「ユーキ君とコーキ君の部屋からは、何も変わった物は見つからなかったって。ただ、コーキ君が図書館で読んだタイトルみたいな本を、2人ともがいっぱい所持していたって言ってたから、2人して同じ夢に向かっているんじゃないかしら。歌子さんの部屋は入れなかったみたい」

 まりんが、ロデムの行動によって得た情報を耳打ちしてくれた。

「そういえば、ユウキとコウキの筆跡鑑定の結果は出ました?」

「念書のほうはユウキ君で、図書館のほうはコウキ君だったよ」

 それでは、名前がかかれてあった通りということか。

「毒の種類は何かわかったんですか?」

「ああ、もちろん。コンバラトキシンという強心配糖体だったよ」

「『convallatoxin』。『cordiac glycoside』。……やっぱり、スズランかしら」

 まりんは考え、答えを導いた。

「スズランに毒が?」

 私はあの、小さく可憐な白い花を想像してみた。

「あるみたいだね。死にいたる確率はかなり低いみたいだけど」

 兄貴が、ぼくも知らなかった、と言った。

「おばーさま」

 まりんが席を立って近寄った。

「『Lily of the valley』にも、スズランにも異名というのはありますか?」

「ありますよ。谷間の白百合、君影草、聖母マリアの涙とかね。地方によっては別の言い方もあるのではないかしら」

 その言葉を聞いて、まりんはずいぶん落ち込んだ。

 その夜、まりんは日本語の植物図鑑をずっと眺めていた。


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