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風薫る冬薔薇の宴  作者: 時田柚樹
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Rose-Garden ー薔薇の園ー


奥田総合病院院長が経営するホテルのひとつ。

『ローズ・ガーデン』は、大きな建物ではなかったが、人の手が感じられる暖かさ漂うものだった。一見さんお断り。すなわち大事なお客しか宿泊させないと聞いているが、この風景を壊されないようにするには大切なことのように思う。

少し古ぼけた建物の壁には、ミニ薔薇の入ったハンギングバスケットが釣り下がっており、オールド・イングリッシュの世界に入り込んだようだ。

庭園は、冬薔薇で彩られ、いかにも女性が好むといったロマンティックな雰囲気抜群さがあった。裏へ回り込むと、小さなバックヤードにテニスコートが二面。さらに散歩道が奥へと続く。近くにはゴルフ場もある。

兄貴を始め数人は、ミルク色の霧が立ち込める時間から出かけている。何が楽しいのか私には理解できないが、兄貴いわく

「本当に好きな人も多いけどね。ぼくの場合は必要に迫られてさ」

 だって。


「いらっしゃいませ。よくお越し下さいました」

「お誕生日おめでとうございます。これ、おば様の大好きなチョコレートです。後にでも召し上がってください」

「まあ、うれしいわ。ありがとう」

 笑顔で出迎えてくれた、おおらかで人懐っこい女性に、水色の箱を手渡した。

晩餐会にはかなり早い午前中に訪ねたのには訳がある。迎えに出てくれた奥田の奥様、ええい、ややこしい。ようするに、奥田(おくだ)三重子(みえこ)おば様から、テニスというハードなスポーツを若い人とやりたいとの御達しがあったのである。少しは年を考えて欲しいものだ。

 バックヤードには、テニスコートを眺めながらお茶が出来きるサンルームがあった。私たちがテニス中に、おばあ様方がのんびりと観戦するスペースとなっている。私たちもそこでブランチをいただいた。

 おばあ様は同じく招待された、ご友人の森原(もりはら)歌子(うたこ)さんという方と話を弾ませている。『華族の姫様』と謳われたほどの人だったらしいが、重ねた年月と骨ばった身体からは想像が出来ない。おばあ様とあまり変わらない年齢なのに、目だけが異様にぎらついている。

「こちら赤羽先生の秘書をなさっている梶田(かじた)蘭子(らんこ)さん。蘭子さん、こちらは宇岐川慶さん。もったいないけど女性なのよ」

「はじめまして」

 三重子おば様が紹介してくれた梶田蘭子さんは、24、5。あるいはもう少し上か。肩に掛かる漆黒の髪をひとまとめにして、短いスコートからスラリとした足を出している。寒くないのか、全く気にも留めない様子で淡々と話をしている。聡明な顔にはしっかりとした意志が現れており、自立した女性というものを感じさせる。

「黒猫って不吉なんだぜ」

「ユーキったら。そんなことないから、まりんちゃん。気にしないで」

ロデムを肴にまりんと話を咲かせているのは、森原家のユウキとコウキ。まりんより五つ年上の双子だ。細い身体に均整の取れた輪郭。なんとかボーイコンテストに出ればいい線行くだろうなと思う。歌子さんは若い頃さぞ美人だったのだろう。

私にはどちらがどちらか全く見分けがつかないが、まりんには判るらしい。的確に名前を呼んでいる。

「ユーキ君、それ素敵ね」

まりんは一人の胸元、テニスウエアの上に羽織っているコートに注目した。

「あぁ、これ? 母さんの形見なんだ。ダイヤのピアスを加工してピンブローチにしてもらったんだよ。デザインはオレ。かっこいいだろう? コーキも持ってるぜ」

 陽に照らされて光るそれは、小さなダイヤを中心とした銀のクロスで、チェーンのようなもので巻かれている。細やかなデザインだ。

「僕が左巻きで、ユーキが右巻きなんだよ。利き腕と一緒にしたんだ。判りやすいだろうって」

「コーキ君はつけていないの?」

「ん? あぁ、失くしたら困るでしょう?」

 コウキは少し悲しげな表情を見せた。そう形見。彼らの母親はもうすでにこの世にいないのだ。歌子さんの息子さんが結婚した女性が双子の母親になる。かれらの父親もすでにない。

 私たち若人(一人ご婦人を含め)は、昼過ぎまでテニスを楽しんだ。

久しぶりの運動は堪える。いつの間にこんなに年をとったのだろう。ほんの少し十代の連中がうらやましくなった。


ーーーー◇ーーーー


 1階お茶室でアフタヌーンティーを楽しむころには、朝早く出掛けて行った物好きたちが姿を見せた。

「いやぁ、さすがは赤羽先生。経験が違いますな。まさか、あの地点からグリーンを狙えるだなんて思いませんでしたよ」

 しきりに愛想よく話をしているのは、このホテルのオーナー。つまり奥田総合病院院長、奥田公彦(きみひこ)であった。小柄で程よく太った身体からは汗が噴出している。

不器用なところに惚れたのだと、以前、三重子おば様が言っていたな。

「いいえ、あれは偶然よ。恥ずかしい」

 政治家の赤羽(あかばね)君香(きみか)女史は、40歳過ぎたことを感じさせない若々しさがあった。とびっきりの美女とは言いがたいが、線は細く笑顔が可愛らしかった。その中にある圭角が威圧感を感じさせる。それなのになぜか惹かれるものがあり、愛人の噂が常に絶えない。もっとも独身なので、その呼称もおかしいのだが。

 私には、いかにも、な感じの会話が鼻についた。お茶をしているメンバー全員がそう思ったのかはわからないが、創ったものに命が吹き込まれる前の静けさがそこにはあった。

なので、嫌でも会話は聞こえてくる。

「なぁ、宇岐川社長?」

「はぁ、そうですね。赤羽・奥田両先生には、まだまだ及ばないということは、はっきりと理解しました。ねぇ? 田村さん」

 兄貴は、心のこもっていない笑い顔が酷く下手だ。自覚しているからこそ、すぐに話を田村に振った。

「まったくです」

 一言で終った。

田村さんは女史の秘書で、40ぐらいだと思うが、第一印象では、ひ弱そうな男だと思った。おどおどしている感があって、丸い眼鏡は顔の半分もあるのではないか?

「じゃ、パーティーの前にシャワーでも浴びてリフレッシュさせてもらおうかな」

「では、ゆっくりとおくつろぎ下さい。先生が最近ハマっていらっしゃるという酸素カプセルもご用意させていただきました。ほかに必要なものがあれば何なりとスタッフにお申し付けください。あぁ、そうだ。先にこれを書いていただけますか?」

 奥田院長の言葉に頷きながら、赤羽女史と田村さんは出された出席者名簿にサインをした。それから、2人で3階デラックススイートへと足を向かわせた。エレベーターを待つ中、チラッとこちらを見た目つきは、なにやら気味の悪いものがあった。

「あ、すいません」

突然鳴ったクラシックなメロディーの着信音は、蘭子さんのものだった。

一言断って出た白い携帯電話は清楚さを感じさせる。ストラップもささやかなもので、彼女の性格が表れている気がする。

私は、それ自体を持っていないので、外見の見た目しか評価できないが。

「先生が休まれる前にいくつか御用事を片付けていただかないといけませんので、失礼します」

 蘭子さんが一礼して席を立った。入れ違いに兄貴と奥田院長がやって来た。

「楽しんでいるかな?」

「ええ、とても面白いわよ。蘭子さんはテニスが本当にお上手だったし、こちらのお坊ちゃん方もさすが若者って感じだし。慶君は……まぁね、見た目ほどではね。悠君は年寄りの相手は大変でしたでしょう?」

 おば様が微笑んで言う。あんたがそれを言うか! そりゃあ、相手にならなかったかもしれませんが。

「いいえ、とんでもありません。勉強になることばかりで」

「私を目の前にして本音が言える訳がなかろう。おや? 慶君はいつの間に子供を生んだのかね? 家内の出番がないじゃないか」

 奥田院長が、まりんを見て私に問う。

「そのような情報をお持ちだとは存じませんでした」

「冗談だよ。姪御さんだろう。姫様の双子が相手では疲れたんじゃないのかね」

「おじさん、この子すごいんだぜ。オレたちのこと見分けがつくんだ。初対面なのにだぜ?」

 ユウキが自分のことのように胸を張る。

「本当に。私でも間違えることがありますのに」

 歌子さんが尊敬の念を込めてまりんを見て、照れたように呟いた。

「そうだ。パーティーの前に出席者名簿に名前の記入をしてくれるかね? 後になると混むんだよ。これからお客さんが増えるからね」

「ええ。もちろんですわ」

 院長はノートを一冊取り出すと、おばあ様に手渡した。そこにいる全員がサインをした。

「コーキ君、『コ・ウ・キ』の『コ』の書き順違うよ? それじゃあ、角張った『つ』だよ」

「え?」

「左上から始まって二画だよ? 書き順って大事なんだから。ちゃんと書くことでバランスのいい字が書けるようになってるんだから」

「へー。でもさ、一画で続けて書くのは僕らの決まりなんだよ」

「へんなの」

 まりんは納得しがたい顔だ。バランスがよくなる字。そういえば、私もあの子の細い声でよく言われたな。

『ケーちゃんは書き順がバラバラだから字が躍っちゃうの。いい? ほら、こうしてちゃんと書けば綺麗に見えるんだから。大事なのよ?』

「あれ? 確か、コーキ君左利きって……」

物思いにふけっていると、まりんは首をかしげてコウキの右手を見ていた。本当だ。コウキは右手で名前を書いている。

「うん、左利きだよ。でも、字を書くときと、お箸持つときは、右手で出来るようにって小さいころから言われたんだ。始めは大変だったなぁ」

「へぇ」

 昔同級生に、左利きでも必ず右手で物事が出来るようにと矯正された子がいたことを思い出した。

「あら、もう3時過ぎね。お部屋でひと休みしましょう」

 おばあ様に言われ、各々が自室へと引き上げていった。


 ここに来ると必ず同じ部屋だ。眼下に庭園を見下ろす3階の広い部屋。おばあ様が好んでいるのを、奥田夫妻は知っていた。アンティークな家具や壁紙、全てにおいて合格点だと誉めていた。

そこで、今日はまりんと3人で過ごす。

 アットホームなホテルには、オートロックなどという今どきのシステムはついていない。夜寝るとき以外、必要もなさそうだし。

「あなたたちは、シャワーを浴びてきなさいな。汗をかいたでしょう」

 おばあ様にバスルームへと追い立てられた。

 今ごろ、兄貴は休みなど潰されているだろう。仮にも社長なのだから。

「文明の発達というものによって、仕事はどこまででも追ってくる。ぼくに休みをくれないのさ」

 そうぼやかれたことがある。私が発明したわけではないのに。


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