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sky  作者: 朱夏
2/8

on the beach

氷のような心が溶ける気配のない憐。喧嘩の原因でもある辛い過去を許せずにいたが、一方で彼と仲直りしたいとも思っていた。その狭間で千寿の思いは揺れる。

電車は、傾き掛けた太陽の光を、青い座席に落としながら、ゴトゴトと床下から鈍い音を立てて走っていた。

浮き輪やバスケットを持った親子連れや、すっかり海を堪能した子供の寝顔や、ボディボードを脇に抱えた女の子たちの、ほんのり赤く焼けた鼻先が、微笑ましくて可愛かった。

とうとう私は岬の家に向かっている。

憐が退院してから二週間が経とうとしていて、思柚がほぼ毎日送ってくるメールに根負けしたのと、義母がいなくなって心の負担がかなりの比重で減ったのも事実だった。不謹慎だと言われようともほんとうの事である。

そして、今回、憐が義母と一緒にあの世へ行っていたら二度と会えなかったかも知れないと思うだけで、パニックに陥りそうだったし、ちょうどいい機会と言えなくもなかった。

海岸線の各駅停車は止まるたびに人の出入りが激しくて賑やかで、扉が開くたび潮風が入り混んで来た。

電車は好きだ。

特にもう少し夕暮れの、日曜日なんかだと尚よい。

蛇行した海岸に沿って線路が遠い町まで続くのが見え、知らない町で琥珀こはく色した明かりが瞬き、まるで滑走路のように私たちの意識を、電車を、夜の天空に誘う。

カンパネラ、カンパネルラ・・・。


鉄のフェンスに囲まれた家は、鬱蒼うっそうと繁る樫の木や楓の大木に覆われてひっそりと佇んでいた。

開けっ放しのガレージには父の愛車だったポンコツサーフがまだあって、その横には思柚や菊の自転車、憐のバイクなどが賑やかに停めてあった。

国道から少し入り、玄関までも敷地が広かったので、辺りは閑散として人の気配は感じられなかった。駐車場の脇ではノウゼンカズラがオレンジシャーベット色した花を咲誇らし、頭上では蝉が競うように鳴いている。

青い空の入道雲をは眩しい程に輝き、光が跳ねる木立の緑、熱気に歪むアスファルトの陽炎、すべてが勢いずく夏は、死者をあの世に送り出したばかりのこの家に似つかわしくないように思えた。

まるで結界が張られているかのように、私は鍵も掛かっていない、このフェンスから中へ、しばし入ることが出来なかった。


 呼び鈴を鳴らすと、程なく笑顔の思柚が出迎えに来た。

顔色も良く先天性心臓疾患の病魔の気配も感じられない。

「遅い!もう来ないんじゃないかと思うとこだったよ」

「約束したから」

 思柚はにっこりと頷いた。

はにかんだような笑みに真珠のような歯が零れ、全てが単純で何も差しさわりの無い明朗さが覗く。

玄関に入るとTVの音に混じって話し声が聞こえる。

それが誰の声なのか分かって、私は深く深呼吸をしなければならなかった。

「あら、誰かと思えば千寿じゃないの」

先に気が付いたのは、広いパイン材のテーブルでパソコンをしていた憐ではなく、それを隣で見ていた従妹のリナだった。

「ハイ、元気?」

私の声に憐がこちらを振り向いたが、予想どうり歓迎の欠片も見当たらない冷たい視線は私を怯ませた。

その頬にはまだ擦過傷の後が残っていたし、伸びた長い前髪が端整な顔を半分隠して何時の頃からか、輝きが失せた繊細かつ冷ややかに凍てついた瞳は、あの日、喧嘩別れしたままの他人顔をしていた。テーブルに乗せた左手と、足首のギブスは見るからに痛々しくて、支配から開放されたマリオネットのように不自然に椅子へ腰掛けている。

「マジかよ」

 無視されるかと思うほどに、憐はたっぷり時間を引きずって無愛想な顔でそう言った。

 どうやらほんとうに驚いているらしい・・・。

「来るって言ったでしょ?」

 得意そうに、思柚がそう言った。

 その時、キッチンから菊が茶器をトレイに乗せてやって来た。

すぐに私に気がつき皿を置くと、恰幅の良い身体を震わせ側にやって来た。

「まあ、千寿じゃないの、」

菊は白髪頭をお団子に後ろでひっ詰めていて、二年前と変わらぬ笑顔がそこにあった。

「久しぶり」

「まったくだわ、少しは顔でも見せに来るかと思ったら音沙汰ないんだもの、寂しかったのよ。でも、元気そうね、千寿はまた背が高くなったかしら?ますます見上げなくちゃならないわ」

「私は元気よ、菊は元気だった?」

「元気ですとも、あなたたちが一人前になるまでは頑張らなくちゃいけないんだもの」

「その調子ね」

私たちはクスリと笑った。まったく菊は昔も今もビタミン剤のように私を元気にさせてくれる、掛け替えの無い家族の一員だ。

私は菊の好物だった老舗の羊羹を、シャブリエのトートから取り出した。

「あら覚えててくれたの?嬉しいこと!丁度お茶にしようと思ってたの一緒に頂くわね」

「それから、憐のお見舞いに何も思いつかなくて、昔好きだったチーズケーキ買ってきたんだけど・・・」

そう言って箱をテーブルに乗せた。ここのチーズケーキはカレンが大好きで、良く買ってきてくれた思い出のケーキでもある。

「憐は甘いもの食べないわよ」

リナが意地悪気に口を挟んだ。

「じゃあ、僕が食べるよ」

健気な思柚は、どうやら私の味方を決め込んでいるようだ。

菊はキッチンに向うと程なく盆を持って現われた。

中には私の持って来たチーズケーキと羊羹が盛られた皿と、湯気の立つ紅茶のカップが二客入っていた。

「さ、仏壇に挨拶してらっしゃい、お父さんが首を長くして待ってるわ、何しろ二年ぶりだもの」

菊はそう言って盆を私に持たせた。

 リビングを障子ひとつで隔てた日本間は、戸袋式でいつも殆ど開放されていて、いつでも家族が見渡せるような位置に仏壇は配置されていた。

仏前に紅茶とケーキ皿を添えて、お祈りをしようとして、ふと気がついた。なぜか義母の位牌が無いのである。

なぜだか聞きたかったけど、聞き出せないのは私の負い目だろうか・・・。

 紅茶は父が好きだったアールグレイで、菊は皿にケーキを五人分切り分け、憐の前にもちゃんと配るのだった。祖母の家では日本食一辺倒で、ケーキは愚か朝食にパンでさえ出て来ない。まして一緒にお茶などしたことさえも無い。

「千もストレートで良かったのよね?」

菊が紅茶を注ぎながら尋ねた。

父の影響で、紅茶には砂糖もレモンも入れないのが高野家の習慣になっていた。

それはどうやら今も変わりないらしい。

 憐はすでに私に興味が失せて、パソコンに夢中のようで画面から目を離さない。どうやらオークションに参加しているらしく『四万に上がった』とか言って喜んでいる。

「あれって、要らなくなった自分のグラフィックソフトを競売に掛けているんだよ、自分はちゃっかりレジストリいじって、使ってたりするくせに」

思柚が耳打ちするや否や、ケーキの端切れが飛んで来た。

「うるせぇ思柚、」

「食べ物を粗末にするんじゃありません!」

菊に怒られ、憐は立ち上がったかと思うと、テーブルに半ば乗りかかるようにして手を伸ばし、さっき飛ばしたケーキを拾って口の中へ入れた。『世界中で何万人って子供が餓えているって言うのに、あなたたちはこんなに残して!食べ物を粗末にしたら撥が当たりますよ!』って、今まで何万回も聞かされた小言を聞きたく無かったんだろう。しかし、目はパソコンに釘付けのまま、熱い紅茶を口にしたものだから、熱かったのか顔をしかめた。

 なんだか可愛い。

思うほど、事態は複雑では無いのかも知れない・・・と、思ったりする。

「ね、後でホープ探しに浜へ行かない?」

ホープは思柚が八歳の誕生日に貰ったラブラドールレトリバーの雄犬で、病弱で部屋に引き篭もりがちな思柚の良き友達だ。

「相変わらず浜にいるの?」

「もちろんさ、他にどこへ行くと言うの?」

そう言って、ほんとうに嬉しそうに思柚は笑った。


 庭から浜へ降りる小道が続いていて、ガジュマルの大木や夾竹桃の小枝を掻き分け、人気の無いビーチへ難なく辿り着くことができた。

絶好のサーフポイントだったが、国道から続く道は無いし、ロコサーファーがボード片手に歩いてやって来る道は、自転車も通れない獣道だった。

しかし、幾億の貝殻で形成された白く半円形のビーチは、人を拒絶し続けた分、荒らされていなくて南の島のように崇高で神秘的だった。

黄昏に向う砂浜は、ひっそりと佇んでいて、紅がかる雲の切れ端、水平に落ちた最後の残り陽が、より深くなった空の青と同化しつつ夜を作りだしていた。。

「ほらあそこ、ホープだよ」

指差した遠くに、砂浜に横たわって流木を一心不乱に咬んでいる犬がいた。

思柚が口笛を吹くと、ひょいっと顔を持ち上げ、主人に気がついたのかこちらに走って来る。

「大きくなったでしょう?」

ホープは尻尾を振って、思柚の周りをくるくる回りながら臭いを確かめて、今度は私の側にやって来たかと思うと、いきなり手を舐め始めるのだった。

「覚えててくれたのね?ホープ嬉しいわ」

私は砂浜に腰を下ろしたが、ホープの舐め攻撃に耐えなければならなかった。

「うーん、太陽の匂いがする、」

ホープの首筋に顔を埋めると、お日様と微かに潮の匂いがした。

「ここの番人だからね、しかもかなり気まぐれな」

気が向けば朝靄の立ち込める時刻から、太陽が水平線に沈む夕刻までずっと浜に居たりする。最近ではどうやら波乗りたちに餌付けされかかっているようだと思柚は笑っている。

「確か、憐はサーフィンしてたわよね?」

「ずっとやってるよ怪我するまではね、流石に上手いよ。ここのロコは殆ど憐の知り合いだからホープも安心なんだ」

手のひらの下、昼間の熱を受けて砂がほのめいていた。まだ幼かった思柚は覚えて無いだろうが、ここにはカレンとよく遊びに来た。

私と憐は砂の城を作り、カレンは思柚をあやしながら私たちを見守っていた。

 夏の日の遠い記憶・・・。

「そういえば結局事故の件はどうなったの?義母さんの居眠り運転?」

「自殺だって・・・、憐は刑事さんにそう答えたって、」

「ウソよ・・・そんなの、あの人が自殺なんてする筈ないわ、」

思柚も同感なのか、悲しげな表情をしていた。

「そう、思わない?」

「僕は分らない・・・、」

絶対にありえないと私は思った。

でも、どうして憐が嘘をつく必要があるのだろう、疑問が押し寄せる波の泡数程に沸々と湧いて来る。

「思柚、そう言えば義母さんの位牌はどうしたの?さっき仏壇見たら無かったから驚いちゃった」

「義母さんの弟って人が取りに来たんだ、遺骨も遺品の全ても、その人が持って行ったよ」

「すべて?遺骨も?」

「そうだよ」

変な話だが、それはそれで墓前に立たなくて済むかと思うと正直ほっとした。

「千寿はここに戻ってくるつもりはないの?」

「残念だけど無いわ」

「あの人はもう居ないよ」

思柚の悲しそうな顔は、私の胸を締め付ける。

「私の名前は、神谷千寿。もう高石じゃないの」

隣に並んで座る弟の小さな肩を、私はそっと抱きしめる。

「あの人はね憐のことは凄く可愛がっていたけど、僕はいつも病気ばかりしてあの人にとって厄介者でしか無かったんだ、話をしたことだってあまりないし、食事だって一緒にしたことも殆どない。だから僕はあの人が亡くなったって聞いたとき別に悲しくなんか無かった。返って、千寿が帰って来てくれるんじゃないかって密かに喜んだんだ・・・、僕は悪魔に魂を獲られたのかな・・・」

そう言って、思柚は大粒の涙を零した。

「千寿が家を出て行ってからすべてが変わってしまった。僕はいつもひとりぼっちだったし、憐は自暴自棄に拍車がかかった」

それは私が家を出る前からの兆候で、父さんが死んでから加速した・・・。

「あなたが寂しい思いをしてるのは分かってるんだけど、神谷のお婆様だって許してくれるはずないもの」

「いいよ、もう」

力なく立ち上がった思柚は、私を残してこの場を去った。

ホープは主人と私を交互に見やり、私の頬をペロリと舐めてからその後を追う。

夕闇はそこまで迫っていたが、ざわめき繰り返す波の波動は幾億年の昼も夜もそこで繰り返されていて、私たちの命なんて星の老朽化、或いは、生命の進化への一瞬の瞬きでしかないのだ。

 そんな些細なことなのだ。


どっぷりと陽は沈み、夜が始まっていた。

食卓には菊の手料理が所狭しと並べられ、庭から摘んできたスカイロケットの青い花びらが、原色のテーブルクロスに栄えていた。

高野家の食事は南プロブァンスのように、食材も見た目もいつも賑やかで、菊の性格同様元気に溢れている。

「千ちゃん、思柚呼んできてくれる?部屋に居ると思うわ。憐は手洗ってらっしゃい、食事にするわよ」

私がビーチから戻って来ると、リナは今しがた帰った後のようで、氷に溶けて緩くなったジュースのコップがふたつ、雫を垂らしてテーブルに輪の染みを作っていた。

 相変わらずパソコンをしていた憐は、菊に言われて渋々ノートパソコンを閉じ、以外にもすんなり立ち上がると杖も使わず、そのまま固定された足で洗面所まで歩いて行く。

「驚くことは無いわ、明日、ギブス取れるんですもの、杖を使うのも階段を上がるときくらいね」

その大らかさ故か、菊はまったく相手にしていない。

 私は階段を上がって右手直ぐの、思柚の部屋の前で立ち止まり、数回ノックをしたが返事が無かったのでドアを開けるた。思柚はベットに突っ伏した状態で寝ており、南の開け放された窓から吹いてくるそよ風に、いつかの夏、工作で作ったカモメのモービルが、ゆらゆらとのんびり揺れていた。唯一、憐と似てない所といえば整理整頓の行き届いたこの部屋の整然さと、棚に並んだ圧倒的な本の数だろう、そして、夏休みの宿題なんてもう半分以上は終わっているんじゃないだろうか。

まだ、夏は始まったばかりだと言うのに・・・。

「思柚、ご飯よ」

微動だしないので、私はベットの縁に腰掛けて思柚の横顔を覗いた。

その振動からか、思柚はゆっくり瞳を開けたが私を見ようとしなかった。

「一緒に食べましょうよ」

「いい、食べたくないから」

するすると、砂時計のように時間が落ちてゆく。

小さな弟は拗ねているようだった。

「ねえ聞いて、私は世界で一番思柚のことが好きだし、大切に思ってる」

「憐のことも?」

「・・・多分ね」

「ウソだそんなの、だったらここに戻れない理由なんて無いじゃない」

思柚は寝返りを打って私の方に向き直った。

「そんな目で見ないで、憐だってきっと私には帰って来てもらいたくないはずよ」

「いつそんなこと言ったさ」

声に振り向くとドアに凭れて憐が立っていた。

いつからそこにいたのだろう・・・何だか気まずい。そんな私の想いなど知らぬ思柚は瞳を輝かせて起き上がった。

「ほらね、憐はああ言ってるよ、また前みたいに一緒に暮らそうよ。千寿の部屋はあのままなんだよ、来て」

私の手を引いて出て行こうとする思柚の鼻先で、憐の杖が行く手を阻んだ。

「おまえ熱が出たんだろう?」

憐は思柚の額に右手を沿え、熱があることを確かめた。

「大丈夫だよこのくらい」

思柚は一歩下がって憐から離れた。

「大丈夫だったら下に降りてご飯食べるんだ。菊がさっきから待っている」

「はーい、」

渋々ながらも思柚は返事をした。まったく、昔から嫌になるほど思柚は憐に従順で、いちにのさんであちらを向く。憐とて思柚は唯一の身内なんだし、目の中に入れても痛くないと言うほど可愛がっていた。

 階下に揃って降りて行くと、菊は折角のお料理が冷めてしまったと文句を言った。

「菊のお料理が冷めても美味しいってことはみんな知ってるから」

席に着きながら私はそう言ったが、菊が話を続けようとした内容を悟る。

「ああ、分かってる!『暖かいものは暖かいうちに』でしょう?」と私は笑って付け足した。

「分かってればいいのよ」

菊も微笑みながら、覚えてるのよ!とでも言いた気に、人差し指を上げて念を推した。

 普通のことなのに、何てこんなにも優しい響きなのだろう・・・。


 それからしばらくは近況を話したりして、時間はとろとろと過ぎて行った。

デザートの菊手製のココナッツミルクのくずきりは絶品で、それを食べ終わる頃にはウエストのボタンをひとつ外そうかと真剣に考えなければならなかった。

神谷の家政婦さんが作る料理は確かに栄養管理がしっかりしていたが、型に填まった味気ない料理ばかりで、太る心配なんてしたことも無い。

「思柚、もう寝ろ。顔が真っ赤だぞ」

アイスティーを飲み終えた憐が言った。

「そうねぇ、食事もすすまないようだわね」

菊も取り皿のパスタが殆ど手付かずなのを見て言う。

「うん、でも千寿を駅まで送って行かなくちゃ」

「そんなこと心配してくれてたの?大丈夫よ、タクシー呼んでもらうから」

下の弟は結構真剣に私の身を案じてくれているらしかった。

ここから駅まで歩いて五分くらいだが、外灯がぽつりぽつりと疎らにある外、深い森に覆われた国道は結構物騒だった。

心配してもらえるってことは、悪い気はしない。納得したのか思柚は立ち上がる。

「そう?気をつけてね。今度はいつ来てくれる?」

「わからない」

「夏休みくらい泊まりに来てもいいでしょう?帰って来てなんて我侭言わないから、せめて夏はここで・・・」

「そうねぇ、来週は産土神社の大祭があるし、いらっしゃいな、あちらのお婆様だって夏の間あなたに家にいられても困るんじゃなくて?」

菊の言う事は確かに当たっている、祖母は私が友達を連れて来たり、家で音楽をかけたりすることさえ、煩がる人だった。私が高三なのに夏中部活に精を出そうと決めたのもそう言う理由からだった。ま、必死で受験受ける必要もないのだけれど・・・。

「考えとくわ、さ、もう上がって横になりなさい、」

「絶対だよ、楽しみに待ってるから」

私が黙って頷くと、安心したように無理やり笑顔を作り、菊に促されながら二階に上がって行った。そして、あんなに避けていた憐と、あっさりふたりっきりになってしまい、少し戸惑う私だった。

 憐は空になった自分のグラスにアイスティーを注いでいる。

「あなたはどうなの?私がここに来たら嫌でしょう?」

憐はグラスから視線を外すことなく、左眉をぐいっと持ち上げた。

「勝手にしたら?」

小馬鹿にしたように口元が嘲りを含んでいる。

「ここは父さんがあんたたちの為に建てた家だし、オレがどうの言える立場じゃないってことはあんたが一番知ってるでしょう?出て行くのはオレの方かもな・・・」

「そう言うことを言って自分を卑下するのはのは止めて、私はあんたも思柚も同じ弟だと思ってるのに・・・」

「そうかな・・・」

憐は私を真っ直ぐ見ていた。

 思柚を見るときの憐の瞳は、陽の光の中の、朝靄のように新鮮なのに、どうして私を見る目はタイフーン前夜の、空のように暗いのだろう・・・。

まるで静かな湖底の、エメラルドグリーン色した深い淵・・・。


 そう、二年前、私は逃げ出したのだ、この家からも、憐からも・・・。

あんなにも胸が苦しくて、眠れぬ夜を幾夜も越して涙を枯らした。 

私たちは幼すぎたのだろうか・・・。



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