「移動はたいてい火車です」
「移動はたいてい火車です」
窓際の席から、外のカキ氷の幟がはためいているのが見える。
梅雨の合間。
今日は夏のように暑い。
溶けたりしないのだろうか。
いや、溶ける体はもうないのだったか。
見ることも、触れることも出来るのに。
向かいの席で、サクサクと苺モンブランがスプーンで4等分されていく。
ケーキとか、こういうものを、ステーキみたく、細かく切ってから食べるところも、変わらない。しかし、イチゴなんて好きだったか。あまりそれは、記憶にない。
そもそも、こういう喫茶店にあまり一緒に来たことがなかった。
不思議なものだ、それが彼女が死んでから、叶うなんて。
口のはじについた、苺のペーストを中学生男子みたいに手の甲でグイとぬぐうと彼女は言った。
「お役所仕事なのよね。一週間もかかるなんて」
僕はさめてしまったブレンドコーヒーを一口飲む。
「イチゴなんて好きだったっけ?」
「言わなかったっけ?アッチってさ、全部すっぱいのよ」
要領を得ない話し方も、同じ。
「すっぱいって?」
「食べ物が全部、すっぱいのよ。閻魔様の好みかな」
ブレンドコーヒーを半分くらい残して、僕はお代わりを頼む。
「アッチの国民食っていうか、みんなが食べてる、水にふやけたギョウザみたいなのがあるんだけど、それがもうほんと、すっぱいの。それで、いったんこっちに戻ったら、とにかく甘いものを食べてやろうと決めてたのよね」
「でも、初七日って本当にあるんだな」
彼女は、苦しいのか浴衣の帯をクイクイ広げながら、メコダコーヒーの特徴でもあるフカフカの座席にずりずり埋まるようにもたれる。
「そう。まぁ、7日間の為に、1年も待たされるのも、バカみたいだけどね」
店員が僕の席にコーヒーを置いて、チラリと向かいの席を見やる。喫茶店で、犬のぬいぐるみに向かって話しかけてる男がいれば、誰でも警戒するだろう。
「依代が必要なのよ」
と彼女は言った。
「わたし、一応、死んでるわけだし」
しかし、なぜ犬のぬいぐるみなのかと問う僕に
「靴のサイズみたいな感じで、居心地っていうか、ハマった感ていうか、あるのよ」
「それが犬のぬいぐるみだった?僕への嫌がらせじゃなくて?」
「バカみたい。死んでからそんな嫌味、しないわよ」
彼女は笑うと、よっせっと身を起こした。
「それより、連れてってよね。鯨」
「唐突だよね、それも。だいたい僕は、君が生き返ったことにさえ、まだ慣れてないのに、なぜ鯨?なぜ浴衣?」
一気に言って、僕はゆっくりコーヒーを一口飲む。
「浴衣はさ、選択肢なかったのよ。死んだ時の格好ってことで決まってるみたい」
コーヒーの苦さが増した気がした。
彼女が殺された時、全国紙の新聞にも小さく載るほどの、事件になった。地元では、なおさら。それくらい、理不尽で、遣る瀬無い事件だった。
その時、一緒にいた僕は、恋人を失った悲しみにくれる暇もなく、第一の容疑者として疑われた。
1年前の、夏の話だ。
ほどなく犯人が捕まり、僕への疑いも晴れ、犯人に与えられた罰は、到底納得できるものではなかったけれど、それでも事件は一応の決着がついた。僕の周辺も落ち着きを取り戻し始めていた。
「初七日のあいだ、帰ってきた」
久しぶりの帰省のような軽い口ぶりで、彼女が現れたのは、そんな頃だ。
僕は少し躊躇ってから、思い切って言った。
「何ていうか、もっと他にさ、鯨とかじゃなく…」
「もしかして、復讐とか言おうとしてる?」
ニヤニヤして彼女がこっちを見る。
そう言えば、初めて大学の図書館で目が合った時もー彼女に言わせれば、僕の思い込みらしいけどーこの、小さい子がいたずらを見つかったような笑顔だった。
「あ、まぁ…」
「真面目だなぁ」
彼女はふーいとのけぞって笑う。
「それが良いところだけどさ」
そこで言葉を切ると俯いて話し始める。
「そんなことは、どうでもいいんだよ。あの時のことは、死んだら忘れたよ」
「忘れたって…」
「忘れたんだよ。代わりにあの時の怒りや悔しさは、君が背負ってくれたね。ごめん。せめて、生きていられれば良かったけど。無理だった」
途中から僕の目を見てそう言うと、照れ隠しのように笑った。
何も言えず、僕は俯向く。
「ハイ、暗い話は終わり!それより鯨、見に連れてってよね。沖縄でいいから」
「飛行機、苦手じゃなかった?飛行機乗って、堕ちて死ぬくらいなら、死んでやるって言ってなかった?」
「なんか、いい感じで、生きてた頃の設定はリセットされるらしいのよね、部分的に、都合のいい感じで。それより、スプライト、頼んで。口の中、甘くてたまんないわ」
立て続けに飲み物を頼む、ぬいぐるみ男を店員はどう思うだろう。
僕はとりあえずコーヒーを飲み干すと、店員を呼んだ。
「わかったよ。でもなんで、鯨なの?」
「あー」
彼女はあいまいな声を出すと、話題を変えた。
「そう言えばさ、リカちゃんだっけ?あの子とはどうなの?」
「どうって。就活のセミナーで会って、少し話しただけだよ」
「ふーん。でも随分、仲良さそうだったけど。可愛いぬいぐるみ!ってわたし、わりと撫で回されてさ、くすぐったくてもう少しで爆笑するところだったけど、耐えたんだよね、君の為に。君の恋の為に?」
「うるさいよ」
「その功労者に、そのそっけない説明はどうなんだろう?」
僕はコーヒーを飲もうとして、さっき飲み干してしまったことを思い出し、目の前に置かれた彼女のスプライトを飲んでやる。
「あ!」
「どうも何も、ないよ。君は忘れたって言うけれど、僕は、忘れてない」
「僕はまだ、忘れられない」
重ねて言う。
「2日前、君が走ってるバスをタクシーみたいに止めて、軽やかにステップを駆け上がってきた時、ヤバイ奴が来たよってのが8割、でも、君だって分かって、君にまた会えた嬉しさが2割だったよ」
「2割!」
彼女がスプライトを吹き出しそうになる。
「少な過ぎないですかね?」
「とにかく僕は驚いて、でも、夢でも嬉しいと思ったんだよ。バスに乗ってる間だけの夢でも。僕は、忘れることなんて出来ない。ずっと君に会いたいと思ってた。つまり、つまり、そういうことだよ」
ふふ。
彼女は嬉しそうに笑った。
「夢がかなったね。バスの乗り方はさ、忘れてたんだよね。タクシーとごっちゃになってたというか、まぁ、娑婆を離れてブランクあったし。アッチって移動、たいてい火車だから」
1個のスプライトのグラスに2本ストローを突っ込み、僕と彼女は、額をくっつけるように話す。
彼女が言う。
「君は忘れたかもしれないけど、初めて会った時、君がしてくれた話」
「覚えてるよ。君のカバンのブローチを褒めたんだ。八咫烏のデザインで、羽の黒が美しかった」
スプライトがブクブクなる。どうやら、ブーと言ったらしい。ハズレのようだ。
「それは最初のデートの時ね。八咫烏なんて、サッカー日本代表が好きなのかって君が聞くから、監督が外国人ばっかりで、ロッカールームでめちゃくちゃ監督が怒って話したら、通訳もそのテンションで話さなきゃいけないのかな?それってしんどくない?っていうか、笑っちゃわない?って答えた記憶あるよ。え?今は日本人なの?いや、どっちにしろ興味ないや」
「そうじゃなくて、初めて君が図書館で話しかけてくれた時のことだよ」
僕は必死に記憶を辿る。
「…鯨の、エコーロケーション」
「思い出した?」
「うん」
途端に、恥ずかしさで、ストローを吹いて、ブクブクやりたくなる。
「わたし、あの時、エコーロケーションって言葉も初めて知って、この人はきっと色んなことを知ってて、紳士な人なんだろうなぁって、思ったんだよね、迂闊にも」
「迂闊…」
「約束、したよね?」
ストローから口を離して彼女がこっちを見る。
「分かったよ。一緒に観に行こう」
「それよりさ、1つ気になってることあるんだけど、7日目が終わったら、君はどうなるの?よく小説とかにあるみたく、ふわーって感じで消えてしまうの?」
「うん、予定ではね」
彼女は、修学旅行のしおりを確認するような口調で言う。
「火車が迎えにくることになってる」
「火車!」
僕の声が店内に響き、店員が胡乱な目つきでこっちを見る。(終)