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青を、往け。【短編集その1】

作者: 浅野新

「同窓会」


過去は選び取るものだ。


正輝は一通のはがきを見ていた。官製はがきにきれいに印刷された文字は、わざわざ印刷業者に頼んだのだろうと思われた。一行目に「○○小学校同窓会のお知らせ」と書いてある。彼は眉間にしわを寄せた。

これまでに何度か、小、中、高校、大学からそれぞれ同窓会の案内が届いていたが、彼は全て断っていた。成人式にも出席していない。友人達は彼を変人扱いしたが、彼に言わせれば周りの方がどうかしていた。

皆は何故同窓会へ行こうとするのだろう。

かつてその理由を、友人の武田に聞いてみた事がある。


「そりゃあ、皆に会いたいからだよ」

武田は当然というように答えた。

「会って、皆がどう変わっているかを見たいんだよ」


正輝はこの答えで、ますます分からなくなった。

そもそも、皆に会いたい、会いたい人がいる、という事が理解できなかった。彼には会いたい人は特別いなかった。友人がいなかったわけではない。武田を始め、元々彼が「会いたくなるような人」は、学生時代はもちろん卒業後も彼が熱心に親交を深めた事で、皆今も時々会う仲となっているからだ。その為わざわざ同窓会で会う必要はなかった。

唯一の例外は中学校時代の恩師だった。恩師には会ってみたい、と彼は思っていた。しかし毎年卒業生全員に年賀状を送ってくれる恩師だから、こちらから連絡すれば喜んで会ってくれる様な気もした。会いたい時に個人的に会えばいい。その方がゆっくり話せるだろう。同窓会では教師の周りには必ず、元教え子達が群がる。そんな喧噪の中で何が話せるというのだと彼は考え直し、やはり〝皆に会いたい〟というのは、

「理解できない」

とつぶやいた。

それに、と彼ははがきを表、裏と見ながら思った。

皆会いたい人はいても、会いたくない人はいないのだろうか、と。

正輝には数人心当たりがあった。嫌な思い出を分かち合った人と平静に会えるのだろうか。時の流れが人を変えると信じているのだろうか。確かに、まだそう思えば救いはあるのかもしれない。

しかし。

しかし、その人が全く変わっていなかったとしたらどうするのか。

彼は、奴が全く変わっていず、そしてこれからも永久に変わる事がない事を知っていた。

奴が正輝が一番会いたくない人物で、彼の同窓会欠席の主たる理由だった。

どうしても会いたくなかったからだ。


過去の自分自身に。


「嫌な思い出って、どうする? 」

別の日武田にそう聞いた事がある。

五月には珍しく台風が来ていて、窓がガタガタと鳴っていた。部屋の窓から見える、庭の鬱蒼と繁った藤の木が大きく揺れている。

「忘れるようにする」

武田が即答した。

「それか・・・、なるべく思い出さない」

後半には苦笑いが含まれ、正輝も一緒に笑った。さらに訊いてみた。

「じゃあ、その思い出を他に覚えてる奴がいて、お前に思い出させようとしたら? 」

「殴ってでも止めさせるね」


その通りだ。友人とのやり取りを思い出しながら、近くのソファへ腰掛ける。手にはまだ同窓会のはがきを持っていた。

「そうできたら、してるよ」


過去には二本の紐がついているんだ。

一本の先を自分の手が、もう片方を他人の手が握っている。

自分が握っている過去は、自ら紐を引かぬ限りやって来る事はない。しかし、他人の手が握っている方は他人が好き勝手に引き寄せる事ができてしまう。

振り返りたくない自分の過去。それを一体幾つの手が引き寄せるのか。まして同窓会に行けば。その手の数を考えただけで、正輝はぞっとした。

皆はそれでも構わないのだろう。会いたい人や、他の人の変わり様を見ると同時に、変わった自分を見て欲しいのだから。父親、母親、あるいは第一線で活躍している、又はそのような物がなくても、最低〝外見が大人になった〟自分を。そうして昔の未熟な自分がこれだけ変わった事を見せつけ、皆の記憶から過去の自分を、現在へと塗り替えたいのではないか。

と言う事は、同窓会に出席しない自分は、皆の記憶の中に永遠に〝未熟な昔の自分〟を住まわせている事になる。しかし、自分が行かなければ誰もその記憶の糸をたぐりよせる事もしないのだ。

記憶の缶詰だ。開けるのは、いつになるのだろうか。


過去。

思い出したくないもの。

過去は、捨てるものだ。


学生時代。彼は全く問題のない子供だった。明るくて元気が良く、勉強もスポーツも中より上で、友達も多かった。学級委員を何度か務め、教師達にも気に入られていた。思えば充実した学生時代だった。

それでも、それでも戻りたくないのだ、過去の自分には。

当時の彼は、ひたすらまっすぐで、純粋だった。反抗期と言われる中学、高校時代も親や教師に従順で、母はよく周りに「正輝は良い子で助かる」と自慢していた。

そもそも彼には反抗期がなかった。教師や親の言う事や行動は絶対だと思い、反抗する事自体思いつかなかった。だから教師に歯向かうクラスメイト達を見ても、黙って言う事を聞いていれば簡単に済む事なのに、何故余計ややこしい方法を取りたがるのだろう、と仲間の気持ちが全く理解できなかった。

何故そんな彼がクラスから除け者にされなかったのかと言うと、強さがあったからだ、と思う。大人になってから、かつて取り戻したいと切望した強さ。

それは喧嘩が強いとか、頭が良いという類のものでなかった。当時の、ただ突っ走って行く為だけの根源_無知と純粋と素直だった。

彼は当時、あまりに物事を知らなさすぎた。ただ目の前にある道だけを見続け、その周りは全く眼中に入っていなかった。前を見続けるという単純で、だからこそ何物にも匹敵する強さ。彼は無知と純粋と素直から来る自分への絶対の信頼を得、周りがどうであろうと何事も気にしなかった。周囲も自分に対して疑問を全く抱かない彼の勢いに押され、その根拠のないパワーに巻き込まれたのだろう。

今まではそんな過去の自分を、その強さを羨ましく思っていた。嫉妬すらした。物事が上手く運ばない時、世間の目を気にする時、すぐに決定できない時、前しか見なかった強さを取り戻したいと願った。

しかし。二十七歳になった正輝は今、昔の自分を受け入れないでいる。

何故自分はあれほど単純だったのだろう。前方しか見ず、目に映る物しか信じなかった。何故周囲に疑問を抱かなかったのだろう。今振り返れば小、中学校時代は最悪だったのだ。当時の自分がどの時代もそれなりに楽しんでいたのが信じられない。そして、そんな自分を知っている環境_教師、同級生達、思い出が染み込んだ校舎でさえ彼には振り向きたくない物となった。

過去は、完璧なものでなければいけない。

余計な物を取り除き、楽しかった事、良かった事だけを思い浮かべる。


過去は、選び取るものだ。



一度だけ、同窓会に出席した事がある。

正輝が高校生の時に所属していた山岳部の集まりだった。高校生活は小、中学校時代よりはずっと楽しかったが、中でも部活動は格別だった。山岳部は人気がなかった為部員が少なかったのだが、その分先輩、後輩関係がなく、顧問とも皆和気藹々としていた。正輝は学年にたった一人の山岳部員だったから、先輩、後輩、顧問という〝部活の時だけの関係〟というのも良かった。皆、部活動以外の正輝の事は知らない。大好きな部活、大好きな顧問と部員達、その中にいる大好きな自分。幸せな思い出しかない。完璧な過去だった。


山岳部の同窓会は楽しかった。通過儀礼としての〝今何をしているのか〟をお互い聞き終わると、思い出話に花が咲いた。正輝の話も出てきたが、彼はいつものようには全く警戒しなかった。失敗談、苦労話、感動した話、正輝が覚えている事も既に忘れている事も、彼の想像通り全てが面白く、楽しく、幸せな過去だった。

元から完璧で、恐れる事は何もない。だからこそ自分は好きなのだ。認めるのだ、この過去は。

彼は思い出話の輪の中に喜んで入り、自ら進んで自分の思い出を語ったりもした。他ではあり得ない事だった。


「今日は楽しかったな」

満月が鈍く光っていた。同窓会が終わった後、正輝と山岳部の顧問は人気のなくなった商店街通りを、ほろ酔い気分で歩いていた。

顧問は上機嫌で「楽しかったな」を繰り返している。ふいに正輝の方を向いた。

「お前は変わってないな」

「そうですか? 」

「○○に就職したんだろう、大手じゃないか。この不景気に大したもんだよ」

「いえ・・・、ありがとうございます」

「昔からそうだったもんな、しっかり者だったからな、お前は」

「そうでしたっけ? 」

「そうだよ。面白い奴で、皆を笑わせてたけど、根は真面目だったからなあ」

覚えていて下さい、先生。

「はは、褒めてるんですか、それ」

山岳部での完璧な過去を。

そして今日の僕を。

今は、まだ順調ですから。

覚えていて下さい、先生。



正輝は電話の音で、過去から現在へと引き戻された。

武田からの電話だった。

「同窓会のはがき、届いたか? 」

「うん」

「行く? 」

「行かない」

「やっぱりそうか・・・」

「武田は? どうするんだ」

「うん・・・、どうしようかなあ。お前が行かないんだったら・・・。__一度来てみたら? 面白いよ」

「いや・・・、僕は」

「そうか」

「うん」

「でも、前から思ってたんだけど、誰でも嫌な思い出ってあるだろ? それを気にするより皆に会って笑い飛ばした方がすっきりすると思うけどな」

「そうかもしれない。でも・・・、無理なんだ」

「ずっと来ないのか」

「さあ・・・」

受話器の奥で、武田が微笑む気配がした。

「反抗期の中坊みたいだな」

「! なんだよ、それ」

「怒ったか」

「いや・・・」

じゃあまた、と電話を切った後も、耳の奥に反抗期という言葉がわんわん響いた。


反抗期。

自分が。

昔はなかったのに。

今が。


正輝は少し笑った。

心が、軽くなった気がした。

「そうか」


今さらになって。

けれど、これで。

これでやっと、大人になれる。


彼はソファから立ち上がると、サイドボードの上にあったペンを取った。


と言う訳で、ごめんな。

僕は、今が反抗期だから。

「これから大人になります」

そうして、はがきの〝欠席〟の文字を大きく丸で囲んだ。



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