前編
あっはっはー。もう一回言ってみろよ!」
「やめて?やめて?あははは!!もっと言ってみろ!!」
「本当にバカみたいな声だよな!」
「ほらほら!!もっと手を伸ばさないと届かないですよー」
取られたノートを手を伸ばして必死に取り戻そうとしても、手は届かない。いくら行動でダメなら言葉でと思ってもそれは彼らを喜ばせるだけ。
私の声は私が思っている以上に醜いから。
最初にそのことに気が付いたのは幼稚園の頃だった。
声を出すだけで何人かの子供が笑っていた。なぜかわからなかったけど、そんなに多くはなかったので気にならなかった。
小学校のころ、自己紹介をしようと声を出したとき。
クラス中に笑われた。
それ以来、授業で当てられて、クラスメートに話しかけられて、体育の時に声を出すたびに、嘲笑の声が耳に響いた。
声を出すのが怖くなって口数はどんどん減っていった。
それでも、声を出さなきゃいけない時は来る。
怖くてたまらないのに、私ののどは音を鳴らす。
力の弱かった私は抵抗もできず、ただ彼らの言いなりになるしかなかった。
口真似をされるたびにのどが詰まるような感覚に陥って息苦しくて仕方なかった。
何度喉が壊れてくれと願っても壊れてくれない。
親や教師に相談したが、それは神様がくれたものだから粗末にしてはいけないといわれた。
小さいときは信じていたが、それでもその声を呪うのに時間はかからなかった。
そして、そんなものを信じろといった親や教師を憎むのも。
わかってくれたのは一人だけだった。
「やめなよ!!嫌がっているでしょ!!どうしてそういうことするの!!」
凛とした声が響き、一瞬であたりをだまされた。
男たちは納得していないような表情を浮かべていたが、しぶしぶといった感じで投げ返すようにノートを机の上においてどこかへ去っていった。
中学生のころ、私はノートで文字を伝える術を覚えた。
少しでも声を出したくない。少しでもしゃべりたくない。
しかし、医者の診断書もないのにそういう言い訳が通じる機会はそう多くない。結局、私は何度か声を出すことになってしまった。
笑われるのが怖くて。馬鹿にされるのが嫌で。
私はずっと一人でいた。一年たっても二年たっても。
そして大切にしているノートを狙われるのもまた時間の問題だった。
「気にしちゃだめだよ。ああいう人たちは」
彼女はそう言ってくれた。だが、人と違うということを突き付けられるのはそのまま体にナイフが突き刺さるのと同じように痛かった。
いっそのこと人とは違う存在になれたら……。
いつからかそんなことを思っていた。
彼女との出会いは中学、入学式の後の教室だった。
誰とも会話したくない私は教室で一人で本を読んでいた。
人魚が人に美しい声を与える話だった。
憧れの存在が、いっぱい描かれていて、私の気に入っている本の一冊だ。
「あ、あなたもその本が好きなの?」
彼女に話しかけられたのはその時だった。
まるで本の中から飛び出してきたかのような、そんな錯覚を感じたのを覚えている。
といっても絵の中の人魚の挿絵はそれほど彼女に似ていない。ただ、自分の中で聞こえてきた声だけで、彼女をふと人魚に置き換えていたのだ。
それほど、ふいに聞こえてきた音は美しかった。
鈴の音が鳴るような音、鳥のさえずる音、きれいな川が流れるような音。
どれとも言えるようでどれとも言えないようで。
間違いなく彼女の声は彼女の個性そのものだった。
私の声も個性には間違いないのかもしれないが。
「あはは、ごめんね。私もその本が好きだったからつい……。気を悪くしないでね」
私は静かに喉を手に当て、口の前で指を交差する。
分別のある人ならこれで分かってくれると私は経験から知っていた。
どうやら、彼女には該当したらしい。
「これからよろしくね」
私は返事をする代わりにうなずいた。
それから彼女はほかの友達たくさん作っていたが、私とたびたび話した。私の声のことを知っても彼女は私を馬鹿にしようとせず、一緒にいる時間を減らそうとはしなかった。
次第に私への攻撃は声だけではなく、性格だの、臭いだのいろいろ言われ始めていたが、それでも彼女は私のそばにいた。
それから時が流れて修学旅行の日が来た。
彼女は友達たちと同じグループを組んでいる。
私はどうでもよかったので一人本を読んで、注意事項だけを聞いていた。
場所は遊園地らしい。
当日になり、ただ煩わしいだけの電車移動の時間を過ごして遊園地についた。
班行動がどうとか言っていたが、私にとってはクラスメートなどただの他人だ。いや、それ以下の存在だった。
彼らから離れられるなら、あとでどれだけ何か言われようが構わない。
トイレに行くと伝えてから、一人その場を離れた。
おそらく残った人間が気にすることはないだろう。
そのまま帰ろうかとも思ったが、すぐに親に何か言われるのも嫌だったので、適当な場所に行って時間をつぶすことにした。
ふと見えたのは一つの建物だった。水の匂いからどういう施設かすぐにわかる。
私は水族館の中に入っていった。
あまり来たことはないが、静かで非常に私好みだった。音のない世界の中、目に映るものが楽しませてくれる。わずらわしいものが周りにたくさんあったが、気にしなければいいだけだ。
魚の種類事態に別に興味はないので、ただゆっくりと歩いていた。
しかし、少し弾んだ私の気持ちでさえ、徐々に減っていくのを感じた。
進んでいる先から音があふれてくるのだ。まるで、侵食してくるみたいに。両隣に描かれている人魚の絵がそこへ私を導くかのように。
ほかに出口はない。私はすぐに通り過ぎるつもりで歩いて行った。
私がたどり着いた先にあったのはアクアショーだった。
二時間ごとに行われている劇、運のないことに私はちょうどその時にこの施設に入ってしまったらしい。
会場に入った時、一番最前列に出口があり、劇を見ようと何気なく見た先に私ははっと息をのんだ。
作り物の岩、きれいなしっぽが巻き付いている。魚の証はそれだけで他はとても美しい女性だった。
どうやら、魚たちの芸を見せるというよりは一つの物語として水の劇をしているのだろう。
子供たちがはしゃいでいるのを見て、私も同じようにため息をつく。
そして、観客席を見ると、彼女がいた。グループたちのほかの女子は劇を見るというより周りと話しているが、彼女はじっと人魚を見ていた。
彼女は人魚に憧れていた。最初に話した時以来、たびたび人魚の話が出てきていた。
彼女の声も目の前の人魚と同じぐらい素晴らしいものであるというのに。
地上にも水上にも人魚がいて挟まれているような気分だ。
私は子供たちと、そして彼女と同じように憧れの存在を目の前に見ていた。
音を聞きながら、水の中を優雅に泳ぐその姿を。
私もああなれたらと。
思ったのはいつだっただろうか。
それともずっと前からだったろうか。
その願いはかなうことはないのだろう。
それでも願わずにはいられない。
劇が終わり、私は水族館を出ようとした。
その時、私に話しかける存在がいた。




