第10話 剣術道場
「おはようございます。」
俺は引き戸を開き、意識して大きな声であいさつする。ここは佐々木剣術道場の道場だ。俺は昨日の約束通り朝から佐々木剣術道場を訪ねてきていた。
「おう、来たか。まあ靴を脱いで上がってこい。」
俺は龍厳さんの声を聞いて顔を上げ、道場の中を見渡す。板張りの広い道場の中には龍厳さんの他に1人しかいなかった。
俺は人の少なさに疑問を感じつつも龍厳さんの言葉に従って道場へ上がる。
「おはようございます。」
道場へ上がると龍厳さんの他にいたもう1人からあいさつを返される。佐々木美冬、龍厳さんのお孫さんだ。すらりとした長身で背は170ある俺と同じか少し低いくらい。きれいな黒髪を背中まで伸ばし、それを後ろで束ねている。きりっとした顔立ちでかわいいというより、きれいやかっこいいといった形容詞が似合う女性だ。
俺が彼女と会うのは紅葉おばさんが亡くなったとき以来となる。確か俺よりも5歳年下だったはずなので今は29歳のはずだ。
俺は彼女に軽く会釈を返し、龍厳さんに向き合う。
「美冬ちゃんしかいませんが、来るのが早かったですか?」
今の時刻は9時半を少し回ったところだ。10時からと言われていたが準備があるかもと思い早めにやって来ていた。
「いや、今日は美冬だけじゃ。」
「えっ?」
龍厳さんの回答に驚きの声を上げる。昨日確かに土曜日は道場を開いていると聞いたはずだが、それが1人だけ?
「以前は他の町で道場を開いている奴らが門下生を連れてきたりしておったんじゃが、ダンジョンが出現して以降は門下生がずいぶんと増えたようでのう。今ではこっちに顔を出さずに自分とこの道場で稽古をつけているようじゃ。そんなわけで、最近は道場を開いているといっても美冬と2人で鍛錬しておるだけじゃな。」
「あー、そうなんですか。それだったら龍厳さんも新しく門下生をとればよかったんじゃないですか?」
「儂も歳じゃし、今更新しく門下生をとろうとは思わんよ。面倒じゃしの。それじゃったら美冬と2人で鍛錬しておる方がよっぽどましじゃ。」
「それだったら、もしかすると俺が入門を申し込んだのは迷惑だったんじゃないですか?」
龍厳さんの言葉に今更ながら確認する。知り合いの気安さで入門を申し込んでしまったが、迷惑になるのであれば申し訳ない。
「ああ、それは構わんよ。知らん相手に一から関係を築くのが面倒じゃという話じゃからの。お前さんであれば今更遠慮することもないしの。」
俺は龍厳さんの回答を聞いて安堵する。どうやら迷惑にはなっていないようだ。ただ、遠慮なしでいいという言葉には若干引っかかるものがあるので、一応申し付けておく。
「お手柔らかにお願いします。」
だが、龍厳さんからは言葉ではなく笑顔が返ってきた。心配になるのでそういうのはやめてほしい。
そこでふと確認すべきことを確認できていないことに気付いた。稽古が始まる前に聞いておこうと思っていたのに、人の少なさに気を取られて忘れていた。
「そういえば、稽古の服装はどうすればいいですか?一応、ジャージとダンジョンで装備している防具であれば車に積んできているんですが。」
「うん?そうじゃのう、一応は入門という形になるんじゃから道着を着るといい。昨日のうちに新しい道着を用意しておいたんじゃ。持ってくるからちょっと待っとれ。」
龍厳さんはそう言うと道場を出て行った。おそらく自宅の方に道着を置いているのだろう。
どうやらジャージと防具は持ってきたものの無駄になるようだ。まあ、龍厳さんも美冬ちゃんも道着を着ているし、その横でジャージで稽古するというのもあれだ。ここは素直にお借りすることにしよう。
その後、道着を持って戻ってきた龍厳さんに着付けを教わりながら俺は道着に着替えた。
「じゃあ、始めるかの。」
着替え終えた道着を引っ張ったり、眺めたりして確認していると龍厳さんからそう声がかかった。道場の壁に掛けられた時計を確認するともう10時になるところだった。
龍厳さんの声に反応して美冬ちゃんが龍厳さんの前に移動したのにならって、俺も龍厳さんの前に移動する。どういう稽古をするのかわからないのでとりあえずは美冬ちゃんの行動を真似つつ指示を待つことにしよう。
と思っていたら、最初にやるのは準備運動だった。何となく気がそがれるような思いをしつつも、龍厳さんや美冬ちゃんの動作を真似て身体をほぐしていく。
その次は道場への入退場の仕方などの道場での礼儀作法だった。道場への入り方などすでに手遅れなんじゃと思ったが、次から気を付ければいいそうだ。
龍厳さんに教わりつつ作法を学んでいく。申し訳ないことに隣では美冬ちゃんがひとつずつ正しい作法の手本を見せてくれる。そのおかげで、慣れない動きに戸惑いつつもどうにかひととおりの礼儀作法を教わることができた。
礼儀作法の指導が終わると龍厳さんは後ろから刀を2本取り出してきた。
「まずは抜刀と納刀じゃな。」
そう言いながら俺に刀を1本渡してくる。両手で受け取るとずっしりとした鉄の重さを感じた。というか、これ真剣じゃないよな?
俺の不安をよそに龍厳さんは抜刀と納刀の仕方を教えてくる。言われたとおりに刀を抜いてみようとするがうまく抜くことができない。
隣に目を向けると美冬ちゃんがきれいな動作で抜刀と納刀を見せてくれた。俺と目が合うと得意そうな笑顔を見せる。
何となく悔しかったので自分でも抜刀と納刀を繰り返して練習してみる。しばらく繰り返すとどうにか見れる程度には抜刀と納刀の動作ができるようになった。
その動作で龍厳さんも一応納得したのか、次の稽古に移ることになった。次は剣術の基本動作と足さばきの稽古だ。剣術の基本動作については活かすことができるかわからないが、足さばきについては俺の戦い方でも活かしていくことできるだろう。
得物を刀(模擬刀だった)から木刀に持ち替え、龍厳さんが手本を見せてくれる。俺も木刀を受け取って動きを真似てみる。しかし、細かいところなどが違うのだろう。龍厳さんから容赦なく木刀でのつっこみが入る。
その後も基本動作や足さばきの稽古を繰り返したところで休憩となった。
「稽古はどうですか?」
休憩となり、座り込んで壁に背をもたれさせながら休んでいると美冬ちゃんからそう問いかけられた。
顔を上げて美冬ちゃんを見上げる。1時間ほどの稽古でバテ始めている俺とは違い、美冬ちゃんはまだまだ余裕そうだ。
「思っていたよりもきついね。ダンジョンに入るようになったからもう少し体力がついてると思っていたんだけど。やっぱりもう年かな。」
「達樹さんで年だったら、私ももうおばさんになっちゃうじゃないですか。きっと年ではなく運動不足が原因です。ダンジョンに入る以外にも運動してください。」
美冬ちゃんが笑いながら隣に腰を下ろす。
しかし、美冬ちゃんの年でおばさんか。まだ20代のはずだが、やはり30が近くなると女性はそういうことを意識するようになるんだろうか?俺の感覚だとおばさんというと40代、50代のイメージなんだが。
……まあ、話題を変えよう。女性相手に下手に年齢の話をするのはまずい。
「そういえば、美冬ちゃんもダンジョンに挑戦しているって聞いたけど、どうなの?」
「そうですね。以前は週末にダンジョンへと通っていたんですが、最近は全くいけていないですね。」
「それはどうして?」
「私は会社の女の子たちとパーティーを組んでダンジョンに通っていたんですが、昨年の例の事件以降状況が変わってしまったんです。もともとは低階層を主体としていたんですが、メンバーの中には低階層でも行きたくないという子も出まして。それでもしばらくは残ったメンバーで低階層を主体に活動していたんですけど、最近ではもともと高階層で活動していたパーティーが低階層で活動するようになってしまっていてほとんど稼げなくなっているんですよ。」
そういえば、ダンジョン管理機構の佐藤さんも言っていたな、低階層の探索者が減ったことで高階層の探索者の探索が停滞しているって。
「それじゃあ、もうダンジョンには挑戦しないの?」
「そうですね、少なくとも今のダンジョンを取り巻く環境が改善されない限り今までのパーティーで挑戦することはないと思います。」
「そうなんだ。……ちなみにダンジョンを取り巻く環境が改善されるような兆候とかはないのかな?」
せっかくなので今のダンジョン関係の状況がどうなっているのか質問してみた。一応、佐藤さんから説明は受けているが探索者から見てどう映っているのかっていうのも気になる。
「うーん、状況の改善というような兆候はないですね。事件直後のように探索者の数が一気に減るようなこともないですが、増えることもないようですし。この間の4月の探索者募集を管理機構の人たちは期待していたみたいですが、それも思ったほどでもなかったそうですよ。そんな感じなので、今は停滞という状況だと思いますね。」
「そうなんだ、ありがとう。参考になったよ。」
俺は美冬ちゃんからの情報を聞いて、やはり自分でダンジョンの攻略を進めるしかないのだなと改めて感じた。ただ、停滞というのはきついな。なくなるよりはましなんだけれど、ダンジョン産の装備やアイテムを手に入れるのが難しくなるかもしれない。
そうなると自分自身で調達するしかないんだけれど、俺はまだダンジョンから何も入手していないんだよなあ。
「そろそろ始めるぞ。」
ダンジョンのことについて考えていた俺は龍厳さんの声で意識を稽古の方に戻す。隣を見るとすでに美冬ちゃんは準備を終え、龍厳さんの隣に立っていた。
「すいません。」
俺も急いで立ち上がり、龍厳さんへ謝罪する。
「まあ、そう気にするな。じゃが、ここからは美冬と2人で形稽古と地稽古をするんでな。悪いがお前さんは儂らの稽古を見ながら先ほどまでの稽古を思い出して素振りをしておいてくれんか。」
龍厳さんはそう言うと、美冬ちゃんと向き合って礼をすると形稽古を始める。俺も龍厳さんに言われたとおり、2人の稽古を横目に素振りを始めることにした。
30分ほど経っただろうか、2人は再び礼をして形稽古を終了したようだ。
だが、2人は得物を木刀から竹刀に持ち替えて再び向き合ったかと思うと礼を行うなり、いきなり打ち合いを始めた。
どうやら先ほど言っていた地稽古とはここでは試合形式の稽古を指すようだ。
俺は自分自身の素振りを忘れて2人の稽古に見入っていた。
基本的には美冬ちゃんが仕掛けてそれを龍厳さんがいなし、反対に打ち込むという形になっている。
やはり龍厳さんと美冬ちゃんでは実力差が相当にあるのだろう。この稽古は美冬ちゃんが龍厳さんに胸を借りているというような形に見える。
どれくらい見入っていたのだろうか、最後は龍厳さんの「これまで!」の言葉で稽古は終了した。
最後に礼をした後、美冬ちゃんは倒れるように崩れ落ちる。俺は慌てて駆け寄って身体を支える。
「美冬ちゃん、大丈夫?」
だが、美冬ちゃんからは荒い呼吸が返ってくるだけで返事がない。道場の時計を見ればすでに12時である。あれほどの打ち合いを30分間も続けていたのだ。であれば仕方がないのかもしれない。
俺は美冬ちゃんを支えてそのまま道場の壁まで移動して、壁にもたれさせる。
「すい……ません。……ありがとう……ございます。」
美冬ちゃんが少し落ち着いたことを確認し、俺は龍厳さんに確認する。
「少し、厳しすぎるんじゃないですか?」
「うん?そんなことはないぞ。いつもこんなもんじゃ。まあ、今日はお前さんが見ているんで美冬は多少見栄を張ったようではあるがのう。」
見栄を張ったって、それがわかっているのであればそれなりに加減をしてあげればいいのに。
「あとは片づけて今日の稽古は終了じゃが、昼飯はどうする?美冬が作ってきているらしいから食べていくじゃろう?」
どうすると言いつつ、選択肢がないような気がする。まあ、そんなことは今に始まったことではないので気にしないが。
「それでは、申し訳ありませんが昼食をよばれていくことにします。」
その後、回復した美冬ちゃんとともに道場の片付けを行い、美冬ちゃんの手料理という昼食をごちそうになった。
昼食中はやはりというか何というか、龍厳さんがダンジョンに挑戦したいと言っては美冬ちゃんから却下を食らうという展開が繰り返されていた。龍厳さんはどんだけダンジョンに入りたいんだよ……。
また、道場通いについては結局俺も美冬ちゃんと同様に週1回、土曜日に稽古をつけてもらうことにした。正直、龍厳さんと2人だけの稽古とか身が持たなさそうなので遠慮させてもらいたかったのだ。
剣術道場の稽古については私の妄想の産物になります。
現実の道場に通ったことがないのでおかしな点があるかもしれませんが、そういう変わった道場があるということにしてください。
また、前話に出てきた小部屋の広さを修正しました。
学校の教室程度 → 学校の教室2部屋程度
内容に影響があるわけではないですが、サイズ感がおかしかったので修正しています。
まだ小さく感じるかもしれませんがとりあえずこれでいかしてもらいます。




