火葬炉の魔女 前編
「あぁーもう、やってられない。真斗とお買い物したかったのにぃー!!」
とある病院の駐車場。深緑の高機動装甲車の中で、雪鱗が苛ただしげに声を上げる。頬を膨らませ、半目でフロントガラスの向こうに広がる青空に噛みついていた。
「そうぼやくな。事が済んだら向かえば良いだろう」
「いつ終わるのさ、これ。立て籠もりとかめちゃくちゃ時間が掛る奴じゃない」
少し離れた場所では、大勢の治安維持部隊が走り回っている。雪鱗たちの気怠い雰囲気とは対照的に、緊張で表情を強張らせていた。彼らはテロリストに占拠された病院を解放するべく、奔走しているのだ。
アイランドを守る治安維持部隊、通称〝アイランドガード〟には大きく分けて三つの部隊がある。
まず一つ目に〝チェイサー〟こと、機動一課。チェイサーは一言で言えば、アイランド・ワンの警察官だ。事件や事故の捜査に調査、交通規制に警邏に要人警護など、その役割は多岐に渡る。故にチェイサー内部では役割ごとに部署が細かくわけられ、人数も多い。アイランドガードに所属する人間の約七割はこのチェイサーに所属している。
二つ目に〝ガード〟と呼称される施設警備課。重要施設や大型ショッピングモール等の、テロの標的になりやすい施設に常駐して警護するのが主な役割だ。こちらの人数は全体のおおよそ三割。
そして最後の、一割にも満たない少人数で構成されている部隊が、〝スイーパー〟こと、機動二課だ。ちなみに〝ピンキー〟とはこの機動二課を示す言葉ではあるが、これは隊長である秋織真斗が勝手に言っているだけで、あまり浸透はしていない。
機動二課も一課と同じく、方々を走り回って任務に当たる部署であるが、その役割は大きく異なる。機動二課の役割を一言で表すなら、それは〝清掃〟だ。チェイサーの役割が抑圧と制圧であるなら、スイーパーの役割は殲滅である。
テロリストの速やかな殲滅と掃討。そして通常戦力では対処の難しい公害獣ポリューションの除去。それらが機動二課の役割であり、彼らが清掃部隊と呼ばれる所以である。
「んで、病院で舞踏会をかましてんのは、どこのどいつなのさ」
「どうやら、最近話題の和製テロ集団〝ナチュラルキラー〟のようだ。アサルトライフルと対戦車ロケットでおめかしして、軽機関銃を背負ったドローンをお供に付けている」
「あぁー、あの脳内お花畑集団ねぇ。行動力が伴ったメンヘラって達悪いわ」
〝ナチュラルキラー〟とは、日本を中心としたアジア圏で活動をしているテロリスト集団である。彼らは自らを〝地球の免疫細胞〟と称し、アゾット結晶をその身に宿したアンジュや、アゾット結晶に関わる人々を、地球を害する悪性ウィルスだとし、日夜銃弾をばら撒く過激派テロ組織だ。
初めは小規模なデモ隊に過ぎなかった彼らだが、どこからか入手した銃器で武装し始めると歯止めが効かなくなった。無限のエネルギーを追い求める夢想国家に怒りを燃やし、銃声と爆音で不満を訴え始めた。
ナチュラルキラーの要求はアゾット結晶の恒久的な放棄。そして全アンジュの抹殺である。正体不明のエネルギーなどに頼らず、社会を自然に根差した〝あるべき姿に戻す〟というのが彼らの最終目標――であるらしい。
「まったく妙な連中だよな。アンジュ抹殺を掲げているくせして、中心戦力はそのアンジュだっていうんだから」紫煙をくゆらせながら火蓮が言う。
「死にたがりって奴かな。不意に得た力を、不幸の塊としか捉えられない連中だね。悲劇のヒーロー気取ってんすかー? って感じだよね。滅びろ。迷惑過ぎるっつーの」
吐き捨てるように雪鱗が言う。望まずに得た力が呪わしいなら、振るわずに抑えておけばいいものを、と雪鱗は思うのだが、実際にはそうはならない。〝この力には何か意味があるはずだ〟などと言って、悪戯に戦火を広げているのである。そして巻き込まれた普通の人間であるノーマルから不満の声が上がり、迫害に拍車がかかるのだ。しかし、当の本人たちはその事実に関しては口をつぐむ。
「それにしても、病院の占拠とは珍しいな。要求らしい要求もないし、一体何が目的なのやら」
「さってねー。メンヘラ豚野郎の考える事なんて解らないよ」
「そりゃそうだが、口悪いなお前……」火蓮が顔を顰める。「そんなに予定を邪魔されたのが頭にきたのか」
「あったりまえじゃん!!」ガバッ、と雪鱗が背もたれから身体を持ち上げる。「午後からは半休のはずだったのに! ああもう、腹立つ!!」
雪鱗の振りまく怒気に息が詰まったのか、火蓮がウィンドウを下げて空気を入れ替える。滑り込んだ涼風に、煙った車内の空気が晴れていく。
「最近、妙にテロが増えたな。前からあるにはあったが……」
「ああ、うん」荒々しくため息をつき、雪鱗が頷く。「どこかの誰かが、支援と手引きでもしているのかな」
「何のために」
「単純にアイランドにダメージを与えたいか、テロを隠れ蓑にして裏でコソコソする為じゃん?」
「迷惑な話だな。ただでさえ今月は糞忙しいっていうのに」
「春のテロリズム祭り!」
「やめろ。真っ白に燃え尽きて、粉々になっちまう」
火蓮が新しい煙草を咥える。灰皿は吸殻で一杯になっていた。雪鱗は病院に視線を向ける。何事も無いように静まり返っていた。
「中には何人くらい居るの?」雪鱗が言う。
「人質は病院関係者と逃げ遅れが合わせて三十名弱。それと簡単に動かせない患者が取り残されている。占拠しているテロリストはサーモスキャンとカメラの映像解析から、二十名弱と推察される――だそうだ」
「ふぅん……」雪鱗が退屈そうに言葉を返す。「随分と少人数だね。それなりに大きい病院だから、一か所を集中防衛って感じで展開しているのかな」
「いや、さっきも少し言ったが、戦闘用の四脚ドローンが多数という話だ。力押しは難しいな」
雪鱗は「うへぇ」と嫌そうに舌を出す。
「完全に睨みあいコースじゃん。さっさと私たちを突入させれば良いのに」
「あたしとユキなら五分もあれば〝喰える〟だろうが、人質の無事は保証できないな」
「ま、そこは〝清掃部隊〟ですから」
「切り札って訳か?」
「冗談言わないでよ、ジョーカーでしょ」
けらけらと雪鱗が嗤う。
彼女らがここで待機を命じられている理由は単純だ。その強力な戦闘能力を頼りに、強行突入の際に一番槍とする為である。しかしそれは諸刃の剣でもある。彼女らは人質の安否には頓着しないし、そのような微調整ができるアーツでもない。通常の手段では解決困難な状況を、力押しで抉じ開け、清掃するのが彼女らスイーパーの役割なのだから。
ドローンとは、中型犬程度のサイズに高い機動力と攻撃力を兼ね備えた無人攻撃機だ。駆動音は小さく、各種センサーと連動して放たれる攻撃は正確無比。拡張性に優れ、様々な任務に対応可能。食事も休憩も必要とせず、どんなに酷使しても文句一つ漏らす事は無い。
もちろん値段は相応であり、定期的なメンテナンスも必要だ。それなりの資金と設備を持つ組織でなければ運用できるような代物ではないはずなのだが……。
なぜナチュラルキラーのような、ゴロツキに毛が生えた様な連中の手にそのような最新兵器があるのかは謎である。何にせよ、それが多数となれば侮れる相手では無いが、雪鱗にとっては〝煩わしい〟程度の相手でしかなかった。
「ユキ。アレはどうだった?」
「アレって何―?」雪鱗が気怠そうに応える。
「何じゃないよ。ルーキーの事、調べさせたんだろう?」
「あー、はいはい」どこからか書類の束を取り出し、ぱらぱらと捲る。「彼の住んでいたアンジュの集落が賊に襲われて壊滅。救援に駆け付けた自衛隊に保護されて、そのまま入隊。基礎訓練を終えてスイーパーに配属……。特におかしい所はないね。驚きの白さだよ」
「問題なし、か?」
「さてね。脳波検査もクリア、ドリンクの件もあるし……大丈夫、とは思うけれど」
「歯切れが悪いな」吸殻を灰皿に押し込み、火蓮が言う。
「ゲートを通り過ぎた時のアレが、少し気になっていてね」
「凄い〝バベル酔い〟だったな。元々酔いやすい体質なのか?」
「ここまで飛行機、装甲車と乗り継いでそれは無いでしょう」
こめかみに指を当てて、雪鱗が唸る。
「だが、脳波検査もクリアしているんだろ。あの嘘発見器の進化版みたいな奴」
「そうなんだけどれど、ねぇ……」
ほい、と雪鱗が書類の束を火蓮に手渡す。火蓮が乱暴に書類束をウィンドウの外に放り投げると一息に燃え上がり、白い灰となって風に混ざった。
どれほど嘘をつくのが巧い人間でも、真に騙す事ができない相手が一人だけ存在する。それは自分自身だ。巧妙に嘘を重ねていても、それが真実ではないを認識している本人の脳波は嘘を付けない。大昔から存在していた技術に改良を重ね、深層心理に指を掛けるほどに進化したのが脳波検査だ。
それを突破している幹耶は、間者の類では無いと太鼓判を押されているのと同義なのである。
「この検査結果自体が偽装……って事も無さそうだし。うーん」
「慎重になる気持ちも解るが、計画に支障が出なければ良いだろう。あまり深く考えすぎるな」
眉間のしわをふっと緩め。雪鱗が小さくため息をつく。
「ま、そうだね。戦えるアンジュってだけで貴重だし、仕事が楽になるのはありがたいしね」
「そういうこった」
アゾット結晶をその身に宿し、異能の力を振るうアンジュ。ともすれば悪魔のような扱いを受ける彼らだが、他人に危害を加えられるほどの強いアーツを持つ者は、実は少ない。
〝アーツ〟とはアンジュが持つ〝力のイメージ〟をアゾット結晶が増幅し、現実を歪める形で顕現しているものだと考えられている。しかしながら、このイメージが問題であった。他人を傷つけるイメージを明確に、現実を歪めて上書きできる程鮮明にイメージをする事ができる者など、そうは居ないのだ。
能力を持たないノーマルはアンジュを恐れ、迫害する。しかし実際には銃やナイフに勝る能力など殆ど無く、アンジュは自らの身を護る事すらままならない、というのが現状なのであった。
不意にアラームが鳴り響く。二人のバベルには〝緊急通信〟の文字が赤く光っていた。
「おや、何だろう。ランチの時間って訳じゃなさそうだけど」
通信を開始しようとした雪鱗を、火蓮が「待て」と制する。
金属を叩き合わせた様な甲高い音と、ポップコーンが弾けるような軽い破裂音が同時に響いてくる。次いで風切り音を響かせながら飛来した何かが、ガードの軍用車に命中し――轟音と共に爆散した。
「迫撃砲だ!!」
火蓮はアクセルを踏み込み、高機動装甲車を急発進させる。次々に飛来する砲弾の嵐を掻い潜り、駐車場の端まで駆け抜けた。
高機動装甲車を反転させ、停車させる。フロントガラスの向こうには火炎地獄が広がっていた。未だ降り注ぐ砲弾の中を、大勢の人間が逃げ回っている。ガードとチェイサーの隊員達だ。予想していなかった強襲に誰もが恐慌状態に陥り、パニックを起こしていた。
そこへ追い討ちの一撃が放たれる。病院内に立てこもっていたテロリストたちが一斉に銃撃を始めたのだ。更には軽機関銃で武装した四脚のドローンまでもが湧き出て来て、隊員たちに銃弾を浴びせかけた。
ある者は炎に呑まれ、絶叫を上げながら地面を転げまわる。
ある者は砲弾の破片を全身に浴び、赤いぼろ雑巾のような有様になった。
ある者は哀れにも砲弾の直撃を受け、血煙を上げて四散した。
ある者は痰のように乱暴に吐き出された銃に頭を撃ち抜かれ、脳漿を撒き散らす。
ある者は心を持たない機械風情に蹂躙され、原型を留めないほどに銃弾を浴びせられる。
なんという虐殺。なんという冒涜。なんという地獄。
今この時この場所こそが、世界の最果てだった。
「最初から、これが目的で……!?」
ぎりっ、と雪鱗が悔しそうに歯軋りをする。示し合わせた様な攻撃。偶然などでは絶対に無い。無意味な立て籠もりでアイランドガードをおびき寄せ、迫撃砲とドローンを用いてこれを叩く。
これはもう、テロでは無い。
これはまるで、戦争だ。
「くそっ! 指揮官は何をしている。昼寝には早いだろうが!」
「指揮車両なら、直撃を受けて月まで吹っ飛んだよ」
雪鱗の言葉に火蓮は舌打ちをして、灰色の髪を掻き上げる。
「異常なほどに狙いが正確だな。テロリストというより、これじゃ軍隊だ」
アラームを上げ続ける緊急通信に、〝戦闘中〟という文字を重ねる。アラームは鳴り止み、車内にはくぐもった戦場音楽だけが渦巻いていた。
「応援は?」
「望み薄だね。最低でも二十分はかかると思うよ」
バベルへ、視界の端に割り込む形で情報が表示される。
「さっきのショッピングモールでポリューションが発生……!? さっきの緊急通信はこれ?ああもう、お次はゴジラでも出て来るんじゃないでしょうね!?」
苛立ちそのままに雪鱗が声を荒げる。しかも情報によると、ポリューションは強敵の可能性が高いようだ。こんな所でもたついている場合では無い。
「真斗とルーキーだけじゃ荷が重そうだな。さっさと救援に向かいたいが……」
「もう良いじゃん。状況最悪、好きにやらせて貰おうよ。サパッと焼き払って真斗の所に行こう」
鼻から荒々しく息を吐き出して雪鱗が言う。火蓮は新しい煙草を口端に挟み、口角を上げる。
「だな。まずは目の前の地獄を何とかするか」火蓮がアクセルを踏み込み、タイミングを計るようにエンジンを空吹かしさせる。「舌を噛むなよ? ――突っ込むぞ!!」