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残虐の足音

 二人は広いショッピングモール内を練り歩く。真斗は服を手に取り、靴を眺め、ファンシーグッズを愛で、コスメを吟味し、買おうか迷っていた服の購入を決意してショップに戻るが、売れてしまったという店員の言葉に半べそをかいたりしていた。

 幹耶はただ後ろについて荷物持ちと供回りをするのみだ。まったく、女性が買い物に費やすエネルギーを電力に変換する方法でも開発すれば、簡単に世界は平和になるのではなかろうか、と大量の荷物を抱えながら半ば本気でそう思っていた。


 気になる事はもう一つあった。ショップを巡るたびに真斗の可愛らしさにあてられた店員が、着せ替え人形を楽しむように服を次々に持ってくるのだ。その度に待ち時間が発生し、荷物が増えていく。

 店員の視線も痛かった。幹耶と真斗は兄妹ほど年が離れているように見えるが、まるで似ていない。それゆえか、一体二人はどういった関係なのだ、と無遠慮な視線を向けられるのだ。何度「部下と上司です」と言ってやろうと思ったが、クソ面白くも無い冗談と受け取られて愛想笑いを返されるだけだろう。幹耶の疲労は蓄積していくばかりだった。


「ふぅ――っ! 結構歩いたわね、ちょっと休憩しましょうか」

 そう言って、真斗が小さい身体を目一杯伸ばす。物理的にも精神的にも重くなった身体を引きずりながら、幹耶が同意する。

「その言葉を待ち望んでいましたよ……」

「何よ、随分とお疲れね? そんなんじゃ、彼女ができたら大変よ――?」くすくすと真斗が笑う。「ま、お茶くらい御馳走させて貰うわ。少し行ったところに抹茶ラテの美味しい喫茶店があるのよ」

「――抹茶、ですか」

 幹耶の胃では、悪意の塊のような飲料兵器が未だ存在感を主張していた。

「あれ? 苦手かな」

「いや、雪鱗さんから頂いたドリンクが暴力的な代物でして、しばらく甘いものは良いかなと」

「あぁ、なるほどねぇ。壊滅的に甘かったでしょう」相変わらずだな、という風に真斗が苦笑いを浮かべる。「ま、メニューは他にも色々あるし、心配する事は無いわよ」


 喫茶店の店内は、和を基調とした落ち着いた雰囲気だった。メインの通りからは少し離れた場所にある為、喧騒から逃れて一息つくにはもってこいだった。

 女性店員に案内され、席に着く。フリルエプロンの大正ロマンといった制服を身に付けていた。空間演出の一環だろうか、男性店員も給仕服という徹底ぶりだ。

 注文を済ませ、冷たい水を一口飲む。生き返ったような心地とはこのような物だろうか、と幹耶は心から思った。そよ風のようなピアノソナタのBGMが、ささくれ立った神経を優しく撫でる。

 真斗は腰から下げた長方形のケースを外すことなく、そのままソファー席に座っている。膝くらいまでの大きさがあるケースなので左右に広がり、丁度〝八〟の字のような形になっていた。全く持って邪魔くさそうだが、本人は気にもならないようだ。


「ひとまずはお疲れ様ね。お雪と火蓮は、まだ来られないのかしらね」

「何も連絡は無いようです」

 バベルを操作しながら幹耶が言う。基本操作にはだいぶ慣れたようだ。

「うーん邪魔しても悪いし、のんびり待ちましょうか」

「そうですね」


 しばらくして、注文の品々が運ばれてきた。真斗の前にはホットレモンティーとシフォンケーキのセット。幹耶の前にはアイスコーヒーが置かれた。他人に勧めておいて、真斗は抹茶ラテを頼まなかった。何故だろうと幹耶は思うが、まぁ深い意味は無いのかもしれない。気分ではなかったのだろう。

 二人は何も語らず、ただ寛いでいた。互いに沈黙を気まずい空気と認識するタイプではないようだった。


「ところでさ」不意に真斗が切り出す。「どうして幹耶くんは、清掃部隊を選んだのかしら。他にもっと〝まとも〟な部隊がいくらでもあったでしょうに」

「選んでなんていませんよ?」幹耶が少し首を傾げる。「機動二課への配属は、決定事項でした」

 真斗は幹耶を見ていない。バベルで資料を確認しているのだろう。細い指が空中をなぞる様に滑っている。

「へぇ……。まぁ戦闘特化で実用レベルのアンジュなんてそうは居ないし、仕方ないのかしらね」

 これから苦労するわね、と同情するように真斗が小さく笑う。

 幹耶は言葉を返さなかった。苦労で済むなら安いものだ、と思っていた。何せ、清掃部隊の仕事は文字通りの命のやり取りだ。死んでしまっては、苦労も何もない。


「それで、実際に〝ポリューション〟を目の当たりにした事はあるのかしら」

「写真を見ただけですね。直接見たことはありません」

「そう。ま、アレはいつも同じ姿という訳でも無いし、予備知識はあまり意味が無いかもね」


 ポリューション。それがアイランドを包み込むダストにより生み出されていると思われる、怪物の総称である。その姿は、多くの場合は大きなスライムのような形で現れるが、それは絶対というわけでは無い。

 不定の怪物。神出鬼没の(こう)害獣(がいじゅう)。その対応こそが、幹耶の所属する清掃部隊こと、機動二課の役割の一つであった。


「ともかく、生き残る事だけを考えなさい。死んでしまっては何にもならないわ」真っ直ぐに幹耶を見つめ、真斗が言う。「英雄的な死など存在しない。献身と捨て身は違うわ。それだけは覚えておきなさい」

「ええ」幹耶は静かに首肯する。「もちろんですよ、真斗さん。私は死に幻想を抱くタイプではありません」

「……そう。それなら、良いけれど」

 真斗はじっと幹耶の瞳を覗き込む。見つめ返す真斗の瞳は奥が深く、思わず引き込まれてしまう引力があった。まるで世界の何もかもを見て来たような、全ての裏側を知り尽くしたようなその深い輝きに、幹耶は恐怖と羨望が入り混じった、不思議な魅力を感じた。


 幹耶のグラスの氷が、カランと音を立てる。その涼しい音を合図に、真斗が立ち上がる。


「さて、そろそろ行きましょうか。人生は有限だわ。起きている限りは楽しまないと、損って物でしょう?」

 重い空気を払うようにそう言って、真斗は出口に向かう。当たり前のようにそのまま店外に出た小さい背中へ、慌て気味に幹耶が声を掛ける。


「ちょ、ま、真斗さん? 会計は良いのですか」

「へ? とっくに済ませているわよ」桃色の頭を指でつつく。「コレでね。まぁ電子マネーみたいな物ね」


 真斗いわく、アイランドではバベルを用いた自動決済が主流であるらしい。現金もクレジットカードを持ち歩く必要が無いので、防犯に一役買っているらしい。当然、自動引き落としなので食い逃げや万引きも不可能である。しかしながらお金を使っているという実感が得にくいので、使い込みによる破産の憂き目に遭う者が後を断たないのだという。何にでも欠点という物はあるものだ。

 使いすぎる、という事の一例は幹耶の両腕に掛かる重みが表していた。そういえばこれらの買い物でも、真斗が会計をする姿を幹耶は見ていなかった。


「しっかし、これからどうしようかしらね。荷物はロッカーにでも預けておくとして、何をして時間を潰せば――」

 半端に言葉が途切れる。不思議そうな幹耶の視線もお構いなしに、真斗は視線を周囲に這わせる。

 混乱した。幹耶は目の前の人物が何者であるのか、解らなくなってしまった。それほどまでに真斗の身に纏う雰囲気が一変してしまっていたのだ。

 それはまるで、獲物の気配を察知した獣のような――。


「――ま、真斗さん?」

 たまらず幹耶は声を掛ける。しかし真斗は一瞥もくれない。

「ねぇ幹耶くん」真斗の視線はどこか遠くへ投げられている。「君って、運は悪い方? いや、考えようによっては運が良いとも言えるけれど」

「は……?」

 妙な事を言い出す真斗に、幹耶は怪訝そうな目を向ける。全く状況が理解できない。


 突然。まさに突然に、幹耶は首筋にナイフを当てられたような、強烈な悪寒に襲われた。


 モールの照明が何段階も暗くなったような気がした。空気が腐ったように粘度を増した。足元のカーペットが泥沼になったような感触がした。

 嫌な予感などという言葉では表しきれない。虫の知らせでは到底足りない。

 形は無く、姿も見えない。しかし確実に迫り来る〝危機〟が突然ぬるり、と現れた。

 この感覚には覚えがある。アンジュがその身に宿す〝アゾット結晶〟を狙って、賊に夜襲を仕掛けられた時の空気と似通っていた。血と臓物と、残虐の気配だ。


「――真斗さん、何か危険です。早くここを出ましょう」

 声のトーンを落として、真斗に危機からの逃走を促す。必要のない危険を冒す必要は無い。開きかけたパンドラの箱は閉じるに限る。


「いいえ、幹耶くん。それは全くの間違いよ」真斗は腰から下げた長方形のケースを、慈しむように指でなぞる。「早速、初仕事ね。足を引っ張ったらおやつは抜きよ?」

 くすり、真斗が嗤うと同時に、遠くで大きな物が倒れるような破壊的な音が轟いた。その衝撃に建物全体が振動する。ややあって、何かが焦げた様な匂いと共に、怒号と悲鳴が二人の耳に届いた。


 真斗は異変と異常を胸いっぱいに吸い込み「お雪たちを待つ間の暇つぶしくらいには、なると良いわねぇ」と、小さく呟いたのだった。


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