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ダストの光

 高機動装甲車が橋に差し掛かり、窓の外に眩い光の水面が広がる。幹耶は後部座席からフロントガラス越しに前方を確認する。橋は太く長く、果ては遠くに霞んで確認できない。


「随分と大きな橋ですね」

「安心しろ、天国までは続いていない」


 火蓮が煙草を咥えながら言う。いつ間に火を付けたのか、下げられた窓ガラスから潮風が流れ込んでくる頃には、既に紫煙が立ち昇っていた。

 幹耶は首を横に向け、窓の外を眺める。目に映るのは水晶を散りばめたように輝く水面と、いくつかの貨物船。そして研ぎ澄まされた刃のような水平線のみである。


「それよりもゲートを越えるぞ」火蓮の言葉に、幹耶の意識が引き戻される。「ルーキーはジェットコースターとか、得意な方か?」

「それって、どういう――」

 幹耶がその言葉を言い切る前に、視界がぐるりと回転した。

 平衡感覚は完全に失われ、洗濯機にでも放り込まれたような錯覚を覚える。座っている事も困難になり、しかし身体を横たえようにも、どこへ体重を向ければ良いかの判断すらできない。


 酷い吐き気に襲われ、幹耶は堪らず口元を抑える。


「げっ!? 耐えろルーキー、リバースは勘弁してくれ!!」

 泣き出しそうな声を上げながら、火蓮の視線が前方と幹耶を往復する。


「わぁお。酔っぱらったタコみたいになっているよ」

 雪鱗の軽口も耳に入らない。幹耶の意識はこみ上げてくる胃液と激甘抹茶ラテを抑え込む事にのみ向けられていた。自分の身体の輪郭すら認識できないような有様だ。まずい、このままでは初日から伝説を築き上げてしまう。


 目頭を強く押さえながら意識を固定し、必死に深呼吸を繰り返す。さんざん苦労して、ようやく吐き気を抑え込むまでにはたっぷり数分を要した。


「お、落ち着いたか? 落ち着いたな?」

 火蓮がルームミラー越しに、車内と幹耶の無事を確認する。燃え尽きた煙草の長い灰がぽとりと落ちた。それを雪鱗が空きカップで受け止める。

「普通は軽い乗り物酔い程度の症状で済む物なんだけれどねぇ? 過去にロボトミー手術でも受けているの?」

 くすくすと笑う雪鱗に、火蓮が「ネタが古いぞ」と突っ込みを入れている。


「い、一体何が……」

 未だぐらつく身体をどうにか座席に納める。右手を額に当てて、なるべく揺らさないように抑え込んだ。それでも幹耶はまだ目を開ける気にはなれなかった。


「脳がネットワークに接続したんだよ。予備訓練中に生体ナノマシンの注射を受けたでしょう?」水の入ったボトルを幹耶に手渡しながら、雪鱗が言う。「今のゲートはブレインマシンインターフェイス、通称〝バベル〟の切り替えスイッチみたいなものなんだよ。今の所、バベルはアイランド内でしか使えないからね」


 言葉半分に聞きながら、受け取った水を一口飲み込む。胃液と飲料兵器で酷い状態だった胸が澄んでいく。

 頭の奥に光が差し込む。ずっと靄が掛かっていたような意識が晴れていく。文字通りに生まれ変わったような感覚だった。

 ようやく人心地が付き、幹耶はゆっくりと目を開けた。


 おや、と思った。幹耶の視界の中央に〝ようこそ〟という文字が浮かんでいた。右上には丸い影があり、意識を向けると、それはアナログ時計になった。その下に日めくりカレンダーまで見える。

 今度は左端に意識を向ける。そこにはフォルダのようなアイコンが整然と並んでいた。先程の時計とカレンダーは入れ替わるように半透明になり、視界の邪魔をする事は無い。


 一言で言ってしまえば、それはパソコンのデスクトップ画面そのままだった。


「なかなか面白いでしょう。ブレインマシンって、こういう事だよ」

 雪鱗の顔に意識を向けるとフォルダも半透明になる。少々違和感はあるが、視界は通常とほぼ変わらないようだ。

 再び意識をフォルダに向ける。そのうちの〝マニュアル〟と書かれた物に気を引かれた。すると突然にフォルダが展開し、視界一杯に長大な文章が飛び出して来た。


「うわぁっ!?」

 幹耶は驚き、情けない声を上げてしまう。その様子に雪鱗が吹き出し、くつくつと肩を揺らす。


「くっ、くわしいつ、使い方は、マニュアルでも見て、ふふっ、勉強すればい、良いと思うよ。あーもう、可愛いなぁまったく」

 笑いを堪えながら雪鱗が言う。


「今まさに、見ていますよ……」

 そう年も変わらない少女に〝可愛い〟などと言われてしまい、幹耶は気恥ずかしさで首を縮める。拗ねた様なその仕草に、雪鱗がまた噴き出した。


「遊んでんじゃないよお前ら。ほら、見えて来たぞ」

 火蓮の言葉に視線を上げると、地平線の上にうっすらと街の遠景があった。


「あれは――」


 薄い灰色をしたビルの陰に掛かる、光の川が見えた。それは翠色に輝き、太陽に頼らず自ら発光している。煙のように空を揺らめき、幾筋もの光の帯が街を包み込んでいる。

 実に幻想的な眺めであった。青い空に輝く水面、それと翠色の光の帯が相まって、ため息が出そうなほどに美しい。


「――凄い。こんな量、初めて見ました」息を吞みながら幹耶が言う。

「中々だろう? 夜はもっと凄いぞ。翠の光と月光、それと夜景が重なって実に綺麗だ」

 幹耶はその光景を想像する。色とりどりの光に染められた街並みは、きっと息を吞むほどの美しさなのだろう。しかし、見た目に騙されてはいけない。あれこそがアゾット結晶の抱えるもう一つの問題。〝ダスト〟だ。


 アゾット結晶が抱える問題点は、主に二つ。一つは〝意図的に生み出せない〟という事。そしてもう一つは、アゾット結晶を用いてエネルギーを増幅した時に生み出されるダストが原因とみられる〝公害〟である。


「あれだけの量です。特異事例の件数もかなりの数では?」

「被害者の数は月平均二七人。今月に入ってからは半月で八十を超えた。知っているとは思うが、死体の掃除の心配はしなくて良い。だが〝アレ〟の処理はあたし達の仕事だ」淡々と火蓮が言う。「ここ最近はテロリストどもの清掃依頼も多い。こき使ってやるから、覚悟しておけ」


 幹耶は喉を鳴らして唾を吞みこんだ。そう、これから幹耶が所属する事になる機動二課、通称〝清掃(スイー)部隊(パー)〟の任務とは〝特殊清掃〟。それもアイランド内に侵入してくるテロリストの掃討と、ダストにより生み出されていると考えられている、ある〝怪物〟の除去である。


 駆除では無く除去という言葉が当てられているのは、その怪物が生物を定義する条件を満たしていないからだ。簡単に言えば、生きていないのだ。故に、それを除去清掃するのが役目という事になる。


 汗ばむ手を握り締める。

 これから幹耶が飛び込む世界は、命がけだ。


「緊張することないよ。危険が付きまとうのは、外だって同じでしょう?」


 雪鱗が何でもない事のように言う。そこに何かが抜け落ちた様な闇を感じて、この時代がいかに狂っているかを再確認する羽目になった。

 しかし真実だ。生きるだけで命がけ。確かにこれまでもそうだった。そして、これからも。


 街の輪郭がはっきりと見えて来る。橋の終わりも近い。


 〝アイランド・ワン〟。日本の東京沖に造られた、一番目のアイランドだ。


 その構造は特殊極まる。東京の南、三百五十八・四キロメートルの距離にある青ヶ島を起点とし、周囲を埋め立てて整地。そこへかねてから計画されていた〝テラフロート計画〟を流用し、周囲にギガフロートと呼ばれる巨大浮体構造物を連結していったのである。


 総人口は約四十八万。総面積については公表がされていない。これは、アイランド・ワンは未だに拡張作業が続けられている為である。


 アイランド・ワンの主な目的は〝アゾット結晶の軍事利用研究〟。アゾット結晶を使用した超容量バッテリーの開発や、核に代わるクリーンで強力な新型弾頭の開発である。

 軍事兵器の開発は機密性が非常に高く、当然事故の危険性もある為に、実験には広大な土地が必要だ。本当は自国でこそこそと研究を重ねたい所だが、国際条約による縛りでそうもいかない。その問題を解決する苦肉の策として、際限のない拡張作業が行われているのである。しかも各国が勝手に拡張する物だから、その実情も把握しきれていないというのが現状だ。


 幹耶が降り立った空港があるのは、本島と長い連絡橋で繋がれたギガフロートだ。テロ対策の一環として本島から切り離された。しかし、期待通りに機能しているとは言えないが。


 アイランドに住まう人々は、アイランドを管理する国際機構〝スピネル〟の関係者にアゾット結晶の研究者。そして多数の〝難民〟である。スピネルがとある目的の為に、衣食住を満足に満たせず困窮した人々を〝保護する〟という名目で押し込めているのである。

 その悪魔のような目的には、そこに住まう人々も気が付いては、いる。しかしアイランドでは最低限の生活は保証される。〝外〟では生きられない人々は、アイランドにすがり付くしかない。


 たとえそれが、〝フィルター〟や〝モルモット〟として使い捨てられるだけの人生だったとしても――。


 やがて高機動装甲車が大地への帰還を果たす。とはいっても、人工の大地ではあるが。


 再びゲートに差し掛かる。幹耶は一瞬身構えたが、それは検問所のような場所だったようだ。ニヤつく雪鱗がウザい。

 幹耶は逃げるように視線を外へ向ける。窓の外にはジオラマのように見分けのつかないビルが立ち並んでいる。その中で、際立って大きな影があった。


 影の輪郭は霞み、相当の距離があるのは間違いない。しかしそれでも天を二分する壁のようにそびえ立っていた。

 円錐状のその超巨大建造物の名は〝モノリスタワー〟。その天辺にアイランドの要石であるマザーアゾットを頂く、アイランドの象徴である。


 雲の向こうに霞むモノリスタワーの最上部から、淡い桃色の光が溢れ出している。マザーアゾットによる電力増幅に伴う発光現象だ。同時にダストもそこから生み出されているに違ないが……。


 幹耶は思わず見入っていた。あの光から、アジア圏の経済活動を支えるほどの電力が生み出されているのだ。途方もないエネルギーである。


 天を二つに分かち、世界を支える巨人の黒い腕。その存在感は圧倒的で、本当に人類が造り上げた物なのかと疑いたくなるほどだった。もしここは神話の世界で、君はうっかり迷い込んでしまったのだよと耳元で囁かれたら、つい信じてしまうかもしれないと幹耶は思った。


 周りに、特に薄氷色の髪をした人物だけには気が付かれないように、幹耶は小さく深呼吸をする。


 この街では、これまでの常識は通用しない。その事実を改めて胸に刻み込んだ。


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