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矛盾と理不尽の体現者

 マザーアゾットの前に立ち、幹耶はその威容を睨みつける。血振りし、腰を落として剥離白虎の刃を後ろに引く。剥離白虎の刃が仄かな蒼い光を帯びる。


 斬る。ただそれだけを思う。

 斬れる。ただ強い確信だけがある。


 幹耶の操る絶対切断のアーツと、その発現と威力を補助する剥離白虎。両者を同時に実戦で用いるのは初めてではあるが、不安は一切感じなかった。刃を振り上げ、マザーアゾットを両断する。その様子を鮮明にイメージする事ができた。

 小さく息をつく。自分は大きく踏み外そうとしているな、と幹耶は思った。

踏み外して、落ちて、墜ちて。そして行き着く先は、容赦のない破滅だ。だがそれこそが望む物でもある。そうだ、自分は踏み外す為にここまで来たのだ。


 踏み外す為に歩んできた。ただ一振りの刃であろうと思った。人間らしいと思える全ては捨てて来たつもりだった。

 アイランドの破滅。そして特区の、世界の破滅。それこそが望んできたもののはずだ。後一振り、それだけで世界は大きく傾く。

 なのに、どうして。と幹耶は思う。どうして腕が動かない。一体、何が絡みついているというのだ。真斗さんまで斬っておいて、今更後には退けないではないか。今更何を想うというのか。


「幹耶くんには、斬れないわよ」

 背後から湧き上がった声に肩を震わせる。首を回し、幹耶は声の主を見遣る。

「随分と再生が早いですね。ショッピングモールの時は狸寝入りでもしていましたか?」

「傷の程度によるからね。流石に首を飛ばされたら時間が掛かるわよ」

 まぁこれくらいならね、と真斗は身体を人差し指と中指を合わせて斬るようになぞる。そこに走っていた傷は既に消えていた。身に着けた衣服は焼けたり焦げたり、切れたり血が染み込んだりとボロボロではあるが、その内側は既にして無傷という事だ。銃撃でぼろ雑巾にされた真斗の脚の様子から、傷の程度により再生の速度に違いが出るのは幹耶も解っていた。それでも真斗の首を刎ねる事ができなかったのは、幹耶の甘さだ。


「どうやってスピネルに紛れ込んだのか、なんて事は聞かない。興味が無い。私が聞きたいのは一つだけよ」

 怒りも憐れみも好奇心も無く。真斗の瞳はただ真っ直ぐに幹耶の胸を貫く。

「これが幹耶くんの答えなの? こんな事が千寿幹耶の願いなの?」真斗が言う。「この街で必死に生きている人たちを見て、千寿幹耶は何も感じなかったのかしら。それとも、そんな物に価値は無いと言うつもり?」

「そんな事は」幹耶は真斗へ向き直る。剥離白虎の刀身から光が解けていく。「そんな事は、ないです。家畜としての平和。道具のように管理された明日。それも良いのかも知れないと、少しは思うようには、なりました。けれど」

 幹耶の脳裏に、街外れで必死に、健気に生きる子供たちの笑顔が浮かぶ。自分でもベタだとは思うが、幹耶の心は風に踊る野花のような美しさを忘れられないでいた。ゴミに塗れ、泥水を啜って、それでも笑顔の絶えなかったささやかな生活。在りし日の自分の姿をあの子供たちに重ねていた。


 だけど、自分はもう、あの日には帰れない。

 いつか職に就けるようにと読み書きを教えてくれた大人たちは、もういない。

 いつかスラムから抜け出そうと夢を語り合った仲間たちも、もういない。

 いないんだ。一人も。自分にはもう、誰もいない。


「けれど、そんな物はまやかしです。結局の所、行き着く先はゴミ溜めです。ダストのフィルターとして扱われ、実験動物して弄ばれる。こんな世の中は間違っている。人は、自分の足で歩いて行かなくちゃならない」

 真斗は水面(みなも)の月のように佇み、静かに幹耶の言葉を聞いていた。

「アゾット結晶は、人の心を蝕む悪性のウイルスです。こんな物があるから、人は過去の繁栄を取り戻すという妄執に囚われ続ける。こんな物があるから人は欲に塗れ、争いを止める事ができない」ぎり、と幹耶の奥歯が鳴る。「昔、ゴミ山の中から拾った本に、こんな言葉がありました。〝最後の木が枯れ、川が汚染され、最後の魚が釣り上げられて初めて、人間はお金を食べることができないことに気が付くものだ〟と。その通りだとは思いませんか」

「……それは、そうね」真斗が小さく頷く。「そうだと思う」

「アゾット結晶などという、訳の解らない物に頼る生活は間違っています。日の出と共に目覚め、日没と共に一日を終える。荷車を引き、家畜を飼い、畑を耕す。それで良いではありませんか。人間の価値を富で決定しようとするから、誰もが足を引っ張り合う」

「だから、マザーアゾットを破壊しようと? アイランドが壊滅すれば、人間は欲を捨てられると?」

 頷く幹耶に、ネイルの握る真斗の手に力が籠る。


「はっきり言うわ。それは酷いエゴよ。そうしたいなら、貴方たちだけで勝手にすれば良い。その理想を他人に押し付けて、挙句平和を脅かそうなんて、いい迷惑よ」

「一部の人間が穏やかな暮らしを望んだとしても、我々アンジュに安息はありません。社会がアゾット結晶に利用価値を見出している限りは」

「自分が平和に暮らすために、他人の平和を脅かそうって? どれだけ歪めばそんな考え方になるのよ」

「貴方には解らないんですよ。マザーアゾットのお膝元でぬくぬくと暮らしている貴方には!」幹耶が声を荒げる。「見捨てられた者達が〝外〟でどんな生活をしているのか、真斗さんは知っているんですか!? 私たちだって必死なんですよ。腐りかけの生ごみを齧って、泥水を啜って、何も報われずに理不尽に死んで行く。どうして私たちだけがこんな思いをしなくちゃならない! 壁の内と外でどうしてこんなにも差が出る! その豊かさを、どうして少しでも分け合おうとできないんだ!!」

「何よ。結局は羨ましいだけってわけ?」

「違う! 許せないんだ!!」幹耶は必死に被り続けていた仮面にヒビが走るのを感じた。「アゾット結晶の量産が成れば人類は文明を取り戻せる? その研究の為に手いっぱいだから、全ての人間は救えない? 知ったこっちゃねぇんだよ、生まれる前の文明がどんなだったかなんて事は! 誰の為の犠牲なんだ? 何の為の犠牲なんだ! 壁は取り払われるべきだ、誰もが一度同じ地平に立つべきなんだ! 俺はその為に――」



「甘っっっっったれんな――――!!」



 空気を震わせる真斗の叫びに、幹耶は声を詰まらせる。

「うだうだとうっさーい!! 悲劇のヒロインかってのよ! そりゃ境遇には同情もするし、支援の手も十分に届いているとは言えない。けれど、結局幹耶くんの言っている事って〝気に入らないから全部壊す。誰も助けてくれないなら、お前たちも同じ立場になってみろ!〟ってだけでしょ!?」

「な、なにを」

「人間なんてね、どんな生き方をしていたって辛い事くらいあるわよ! アイランドに住まう人々だってそうだし、特区の壁の中だって格差はあるわ! 私だって死にきれないだけのこんなアーツのせいで酷い人生よ! 腕が飛ぼうが首が抜けようが死んでも死ねないし、そのくせ痛みや苦しみは普通にあるしで酷いもんよ!」トラウマを思い出したように、真斗は表情を歪める。「スライム型の大型ポリューションに吞みこまれた時は最悪だったわ……。窒息死ってね、本当に苦しいのよ? 死んでは生き返って、まだ死んで、何度もそれを繰り返して。身体は徐々に消化されて、でもそれも再生して――。あれほど死ねる人間を羨ましく思った事は無いわね……。生き地獄ってやつ? いや、逝き地獄かしら」

 現実離れし過ぎていて、幹耶にはその苦しみを想像することができなかった。少なくとも、普通は他人に語れる類の話では無い。理解などできようも無い。つまりは想像を絶するほどの苦しみという事だ。


「そうまでして命を懸けて、アンジュの地位向上に努めて、何があるというんだ」

「あれ、知ってたんだ」真斗が意外そうに眼を少し見開く。

「ノーマルとアンジュの共存。そんなものが実現したとして、あんたは一体それが何になると――」

「私が寂しくない!!」

 ――――うん? と幹耶の思考が凍り付く。

「……え、はっ?」幹耶は自分の耳を疑った。「え、いや。さ、寂しく……ない?」

 今、目の前の少女は何といった? 文字通りの死ぬよう目に幾度となくあい、アイランドを守り続ける。その理由が――寂しさ?


「そうよ!」真斗が薄い胸を張って宣言する「世界を変えるとか、救おうだとか、そんな大きな事は望んでいないわ。人はどうしたって争う生き物だし、誰も彼もを救えるほど世の中が優しくないって事も十分に理解しているつもり。でもね、だからこそ! アンジュを世に受けれさせなきゃいけない。仲良くとは行かなくとも、隣人でいる事くらいはできるはずよ」

 何を、と幹耶は震える口角を上げる。

「笑わせる、それこそ夢物語だろう。ノーマルにとって、アンジュは抜身の刃と同じだ。決して自分に害が及ばないと解っていても、そこに存在するだけで気に喰わない。遠ざけたくて堪らない。排除したくて仕方が無い。結局、同じ人間として見られない。それは俺たちアンジュからしても同じ事だろう」

「できる。いや、やるわ!」真斗は揺ぎ無く、幹耶の瞳を見据えて言う。「大それたことを言っている事は解っている。如何に無謀かって事も理解している。けれど、私はそれを目指すわ。そうしなくちゃならないの」


 幹耶は緩く頭を振る。やはり真斗の言っている事が理解できない。

「仮にそれが実現できたとして、それで何になる。あんたは一体、何を望んでいる? 寂しさとどう関係する」

「私はね、死にたいのよ」

 はぁ? と今度こそ幹耶は声に出す。目の前の不死の少女は、本当に何を言っているのだ?


「幻で良い。仮初でも構わない。夜が明ければ消えていく、一夜の甘い夢でも結構。どんな形であれ少しでもこの世が平和になって、アゾット結晶の研究が進んでくれないと困るのよ」

「そしてアーツの秘密が解明され、その不死の〝呪い〟から解放される日を待ち望んでいる、という訳か?」

「何度も言うけれど、そんなに大きなことを望んでいるつもりはないのよ?」真斗が薄く笑う。「みんなと普通に生きて、普通に死ぬ。それだけなの。んで、それまでの日々を少しでも楽しく過ごせれば良いなって、それだけなのよ」

 だから、と不死の少女は真っ直ぐに、妄執の鬼を見据える。

「壊されると困るのよ。幹耶くんのいう事も間違ってはいないとは、思う。けれどそんな大げさな自殺に付き合うつもりはないの」


 不意に幹耶の腹の底から、空気の塊が湧き上がって来た。それは水が静かに沸騰するように、そして徐々に激しさを増していく。それが笑いだと気が付いた時には、幹耶は身体をくの字に折って腹を抱えていた。

「はっ! ははは!! ふっ、くっく、あははははは!!」

 何の事もない。結局は、こいつも自分勝手だ。〝普通に死にたい〟などという異常な願いの為に、この世の歪さを維持しようとしているのだ。欠片も迷いが無い分、余計に性質が悪い。


 詰まる所、人の願いなどこんな物だ。自分勝手で、理不尽極まりない。誰かの幸せは他の誰かの不幸。それを理解したうえで、それでも迷うことなく真っ直ぐに目的のみを見据えている。

 なるほど、なぜこんな少女がスイーパーなどという異能集団の隊長に収まっているのか、幹耶はようやく得心がいった。秋織真斗のアンジュとしての個性は圧倒的だ。己の力のイメージを具現化し、現実に現象を上書きするアンジュ。それほどまでに強く強く生を望み、その果てに死を渇望するこの少女の矛盾と存在の理不尽さは、まさにアンジュのそれだった。その強靭な個性こそが、スイーパーという強烈な異能集団を纏め上げる為に必要な才能なのだ。


 自分はどうだろう、と幹耶は思う。

 借り物の理想。言い訳のような執着。

 幹耶もまた、死ぬためにここまでやって来たのだ。単身で敵陣深く潜入し、マザーアゾットを斬る。よしんば成功したとしても、生還できる確率は限りなく低い。だが、それで良いと思っていた。世の中を引っ掻き回すだけ引っ掻きまわして、自分勝手にリタイアできればどれほど愉快だろうと思っていた。


 今は少し違う。今幹耶の心に宿る感情を言葉にするとすれば、それは〝畏怖〟だった。

 自分の個性(アーツ)をぶつけてみたい。矛盾の守護神に挑んでみたい。

 無為に散った仲間の為でもなく。弱者を踏みにじる世の中に対する恨みでもなく。自身の破滅願望の擦り付けでもなく。この瞬間に、魂の全てを賭けてみたい。


 勝っても負けても死するのみ。だがそれで良い。幹耶はただ、戦ってみたいのだ。この無二の個性を打ち破る事ができれば、どれほど愉快であろう。どれほど痛快であろう。それが叶えば、死ぬために生きて来たこれまでの人生にも、少しは価値を見出す事ができるのではないか?

 矛盾と理不尽が渦巻く道程の果てに出会ったのは、何もかもを上回る矛盾と理不尽の体現者だった。

 なんて素晴らしいのだろう、と幹耶は思う。本当に、アイランドは本当に、腐った楽園だ。


 細く息を吐き、幹耶は剥離白虎を構える。手元から湧き上がる蒼い光が刀身を包み込み、大気が怯えるように震え始めた。


「秋織真斗。あんたは、俺の敵だ」


 口端を歪め、真斗はおどけるように肩を竦める。


「受けて立つわ、千寿幹耶」異形一対のネイルを構え、真斗が瞳を細める。「その悪夢、私が終わらせてあげる」


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