大空を行くクジラ
「こりゃひどい。見事に丸焦げだ」
炎の燻るハンヴィーの残骸を半目で睨み、華村がぼやく。遺体や残骸から何か情報が得られないかと考えていたが、その望みは薄そうだ。
「ハナはやりすぎなんだよ。ミサイルじゃなくて頭を打ち抜けば良かったのに」
キャメロンが華村の肩を肘でつつく。「そう思うでしょ?」とキャメロンが幹耶へ水を向けてくるが、幹耶としては肩を竦めるくらいしかできなかった。
「敵勢力はあっさり撤退したそうだ。現在は警戒しつつ各研究所を念入りに調べているが、空振りの可能性が高そうだな」
高機動装甲車内で通信を行っていた火蓮が幹耶たちのもとへやってくる。
「私たちはどうしろって? 変わらず予定通り?」腕組みをして真斗がいう。
「状況が変わったため検討中、だそうだ。眠たい連中だよ」
火蓮が煙草を咥えると、その先端から小さく炎が上がった。おそらく本部は、もう山場は越えたと考えているのだろう。襲撃はバルミダ機関の元研究員を逃がすための時間稼ぎであり、その目的は既に達成されてしまったとして、今後の行動をコーヒーでも傾けながら議論しているに違いなかった。
「じゃあ時間もできたみたいだし、自己紹介でも済ませておいたら?」
雪鱗は金平糖を次々に口に放り込み、ガリボリと噛み砕いている。その様子を見て、確か一粒1000キロカロリーなどと言ってはいなかったか? と幹耶は背筋の寒い思いをしていた。
「そだね。んじゃ、まずはおいらから」柔らかそうな金髪の青年が幹耶へ手を差し出す。「キャメロン・ホークだよ。〝メロン〟って呼んでね」
手を握り返しながら、幹耶も短く自己紹介をする。キャメロンは金髪と翠色の瞳が印象的な青年だった。顔立ちは丸顔気味だが非常に整っており、これは女性が放っておかないだろうな、と幹耶は思った。いや、整いすぎていると相手が委縮してしまい、逆にモテないのだったか?
「で、こっちの難しい顔をしているヤニ臭いのが〝華村善治〟」
「お前はいつも一言余計だな」ずい、と不愛想に華村が皮の厚い手を差し出す。「華村善治。ハナと呼ばれている。アーツは狙撃だ」
筋肉質な長身に、黒い髪を短く刈り込んだ野性的な雰囲気のある美丈夫だった。キャメロンとはまた違ったタイプだ。
幹耶が手を握り返すと、グッ、と力を込められた。突然の圧力に幹耶は身体を固くする。
「いいか、先に一つだけ覚えておけ。決して俺の銃口の前には立つなよ」
忠告はしたからな、と言うと華村は放り投げるように幹耶の手を離す。しばし呆然としていた幹耶に、キャメロンが申し訳なさそうに声を抑えて呟く。
「ごめんね、昔に色々とあったみたいでさ。まぁ銃弾は一度放たれたら戻せないのはその通りだから、幹耶くんも一応気を付けておいてよ」
「え、えぇ」と幹耶は頷く。確かにそのような状況に見舞われるのは勘弁願いたい。
「気難しく見えるかもしれないけれど、ハナは良い奴よ。もちろん、メロンもね」
そう真斗が言うと、雪鱗が言葉を継いだ。
「それと、見た目通りにハナが攻めでメロンが受けね」
「「何言ってんだ(の)!?」」
ハナとメロンがピッタリとタイミングを合わせて反論する。とりあえず、相性は良いようだ。
「真斗もキラキラした目で俺たちを見るな!」華村が心底嫌そうに言う。「ユキも冗談はいい加減にしろ、ルーキーが妙な勘違いをしたらどうする」
「えー? お雪はいつだって本当の事しか言わないわよー?」
「んな事ねぇよ!? むしろ逆だろ!? 真斗だって解ってんだろ!」
「攻め、受け……?」
「大丈夫、気にしなくて良い」
首を傾げる幹耶の肩を優しく火蓮が叩く。こういう状況は慣れっこのようだ。
遠くから聞こえるエンジンモーター音に幹耶たちは視線を鋭くさせる。現在、アイランドの外周高速道路の一般車両の通行は規制されているので、ここに居るのは敵か味方のどちらかだけだ。やがてやって来たのはグレーの都市迷彩が施されたチェイサーのハンヴィーと、兵員輸送の装輪装甲車両だった。ボディーの脇には二十七という数字がペイントされていた。
「ハイウェイのど真ん中でキャンプファイヤーとは洒落ている。その肝っ玉を他の部隊の奴らに分けてやったらどうだ」
車列先頭の車両からシャルムが下りて来る。手振りで合図すると、他の隊員達もぞろぞろと降りて来て、煙草を吸ったり伸びをして身体を解し始めた。
「やぁシャルルン」キャメロンが声を返す。「別に遊んでいる訳じゃないんだよね」
そりゃそうだろうな、とシャルムが無精ひげをさすりながら、愉快そうに口端を歪める。
「シャルルン達は何を? パチンコ屋の開店まではまだ早いよ?」雪鱗が言う。
「俺は馬とカードしかやらねぇよ」シャルムが喉を鳴らす。「敵部隊があっさり引いたもんで、何か裏の狙いがあるんじゃないかと思ってな。研究所の捜査を他の部隊に任せて詰所に戻る所だ」
「確かに、今のアイランドはもぬけの殻だからな。カウンターでも仕掛けられたら堪ったものじゃない」
華村の言う通りだった。この件に世界最大勢力のPMSC、アーマード・エレメントが関与している疑いが浮上し、スピネルの上層部は大いに動揺した。そして本格的にアーマード・エレメントが関わってくる前にこの件を終わらせようと、各重要施設の警備にあたっていたガードまでもを駆り出してバルミダ機関の元研究の身柄確保に向かわせたのだ。つまり現在、アイランドの内陸部には最小限以下の人員しか残されていない。万が一武装勢力の襲撃でも受けようものなら、瞬く間に制圧されてしまうだろう。
「しかし、命令違反じゃないのか」火蓮が言う。
「平和ボケしすぎなんだよ、上の連中は。まぁガードも素人じゃないから、余程のことが無い限りは下手を打つことは無いだろうが」
「余程の事って?」真斗がシャルムに問う。
「そうだな、改めて聞かれると難しいが……。ポリューションの大軍が襲ってきたりとか、か?」
「何を馬鹿な」華村が呆れたように笑う。「ギャンブルで一財産崩したのも頷けるってもんだ」
うるせぇよ、とシャルムが煙草に火を付ける。煙草も高級品だというのに、喫煙者率が高い。どうやら治安維持部隊の給金はそれなりに良いようだ。
火蓮の物と同じ匂いのする煙を吐き出しながら、シャルムがおもむろに「どう思う?」と切り出した。
「バルミダ機関の目的か?」華村が言う。
「それもあるが……。俺たちは、一体何と戦っているんだ?」
シャルムの言葉は、全員が思っていた事だった。
近頃急激に増え始めた、アイランド内でのテロリズム。そしてポリューションの発生。スピネルや真斗たちはこの二つは無関係だと思っていた。しかしポリューション発生の影にバルミダ機関の気配が見え隠れし、それを追っていたら、今度は強大な軍事力を有するPMSC、アーマード・エレメントの名前まで現れ、そして先ほどアイランドガードを襲撃した敵勢力は、シャルムによれば装備からして昨今アイランドを賑わせているテロ組織、ナチュラルキラーのものと思わるとの事だった。
「この三勢力が協力関係にある、というのは?」幹耶が口を開く。
「どうかなぁ。アーマード・エレメントとナチュラルキラーじゃ、武装勢力としての〝格〟が違い過ぎるよ。手なんて組むかなぁ」
雪鱗の言葉はもっともである。その二つがわざわざ強力関係を結ぶ必要性は薄そうだった。もしもアーマード・エレメントがナチュラルキラーを利用してアイランド内での工作を目論んでいるとすれば、遠くから武器提供や潜入支援だけをすれば良いだけの話である。自ら運び屋と連絡を取るような面倒まで背負い込む必要は無いはずだ。
「バルミダ機関とアーマード・エレメントが協力関係にあるのは、間違いないだろうが」
火蓮の言葉に真斗が「どういう事?」と首を傾げる。
「どうって、そうでなきゃアーマード・エレメントがバルミダ機関の為に運び屋を用意した理由にならないだろう。あの運び屋はあくまでも、バルミダ機関が必要としたものだ」
「そうか? アーマード・エレメントにとっても必要だったとしたら?」華村が口を挟む。
「……そうか、アーマード・エレメントとバルミダ機関は協力しているんじゃなくて、取引しているんだ。取引材料は――」キャメロンが顔を上げる。
「「人間のポリューション化技術」」
真斗と雪鱗の声が重なる。またしても見せ場を失ったキャメロンが唇を尖らせる。
「その実験の為に、何かしらの〝処理〟を施した被験者を野に放つ必要があった。しかしバルミダ機関は結局の所はただの研究者だ。イリーガルな人間との繋がりなど持っておらず、自前で用意できたのは一人だけだった。そこでアーマード・エレメントが仕方なく面倒を負った……と言う所か?」
シャルムの言葉に火蓮が頷く。
「そんな所だろう。ショッピングモールでの一件は最終実験と言った所か。ラボで上手く行っても、実地で使い物になるかは解らないからな」
「でもそうなると、ナチュラルキラーは? 装備といい、アイランドへの潜入といい、どこかから支援を受けているのは間違いないはずよ。それも、半端な組織じゃない」
戦闘用ドローンという最新鋭兵器、そしてアイランドへの潜入手引き。ナチュラルキラーが自前でどうにかできるような事柄ではないのは確かだ、と真斗が言う。ふぅむ、と華村が唸った。
「バルミダ機関……はあり得ないな。それができるような勢力じゃない。となれば――」
「支援しているのはアーマード・エレメントだろうね。消去法だけれど」
ようやく、少しだけ見せ場を作れたキャメロンは満足そうに頷いた。
「つまり、その三つは丸く繋がっているのではなくて、アーマード・エレメントを中心に横一直線での繋がりという訳か? バルミダ機関とナチュラルキラーは直接的には関係ない?」
「そういう事だろうね」火蓮の言葉に雪鱗が同意を示す。「となると、ナチュラルキラーはアーマード・エレメントの使い走りと言った所かな」
「目的は合致しているしね、ナチュラルキラーとしては破格の条件だったんでしょ」真斗が腕を組んで眉根を寄せる。「問題なのは、バルミダ機関は〝人間をポリューション化させる技術を造り出して、何をどうするつもりなのか〟という事よ」
「バルミダ機関が、というのは間違いだな」シャルムが言う。「研究者というのは、研究の為に研究をするような人種だ。奴らの最終目標が別にあったとしても、ポリューション化の技術はアーマード・エレメントのほうが欲しがったんじゃないかと俺は思うね」
「じゃあ、そのアーマード・エレメントは何がしたいのでしょう」幹耶が言う。
「ま、軍事転用だろうな」華村が苦虫を噛み潰したような表情で言う。「もはや世界経済はアゾット結晶抜きには成り立たない。軍事面でもアゾット結晶を中心に据えた改革が、急ピッチで進められている」
アイランド・ワンはその為の街だしな、と華村が言葉を繋ぐ。
「そうなると、問題になるのがダストだ。派手にアゾット結晶を使い過ぎると、ダストが大量に発生する。そしてポリューションが生み出され、その対処は難しい。アゾット結晶による大規模な電力増幅が、世界各地のアイランドに限定されているのはこの問題があるからだ」
「だけど、いずれはそれも終わる。アゾット結晶量産化、あるいはアゾット結晶を用いた超容量バッテリーの開発に成功すれば、誰もがそれを使うようになる。そうなれば世界はあっという間にダストで溢れる。軍事力が充実すれば、ポリューションにもある程度は対処できるようになるしね」言葉を継いだのは雪鱗だ。「でもそんな中で、一勢力がポリューションの発生を任意に起こせる技術を持っていたとしたら?」
そう言って、雪鱗は幹耶へ続きを促す。
「……人類のあらゆる活動を、制限する事ができるかも、知れません」
そうだね、と雪鱗が満足そうに頷く。しかし幹耶は少しも喜ぶ事はできない。言葉にすると、それは途方も無く恐ろしい事だった。
アゾット結晶を使えばダストが発生する。これは変えられない事柄だ。そして既に世界はアゾット結晶に頼り切っている。ともすれば危ういと思えるほどに。
もしアーマード・エレメントが人間のポリューション化技術を手にすれば、それは世界征服などという馬鹿げた妄想の、現実的な手段になりうる。あらゆる経済活動は制限され、軍事行動も思うように行えない。一方、既にして圧倒的な軍事力を誇るアーマード・エレメントはそれ思うさまに行使できる。この差は決定的だ。
「でも、そんなに簡単に行くでしょうか」
「効果は大きいと思うよ」幹耶の言葉に、キャメロンが応える。「人間を思うようにポリューションなどという化物に変じさせる事ができる、なんて事をアーマード・エレメントが一度でも示せば、世界の誰もが表立って逆らえなくなる。もちろんすぐに対策の研究はなされるだろうけれど、それが成果を結ぶまではアーマード・エレメントのやりたい放題だよ」
「使うかどうかは奴ら次第だが、間違いなく切り札になる。元々、世界最大勢力の戦争屋だ。まさに鬼に金棒といった所だな。だが――」華村は短くなった煙草を揉み消し、ポケットに突っ込む。そして二本目に火を付ける。「所詮俺たちは雇われの身だ。正義の味方でも悪役でもありゃしない。このアイランド・ワンそのものが標的って訳でもないのなら、俺たちがそんな身の丈以上の事を考える必要は――」
突然、遠くから聞きなれない音が聞こえて来た。どこからかやって来たヘリコプターの編隊が撒き散らすローター音を耳にし、華村は言葉の続きを飲み込む。
「ヘリ……。それも、武装ヘリだ」
咥え煙草のままでシャルムが呟く。六機からなる武装ヘリの編隊はグングンと近づいており、騒音も大きくなっていく。会話も困難になり、幹耶たちはバベルでの思念通信に切り替えた。
『あれは、ハヴォックか? またマニアックな物を……』華村が唸る。
強力な攻撃ヘリであるMi‐28ハヴォックは、ロシアで開発された軍用ヘリコプターだ。この〝大損害〟または〝大混乱〟の名を持つヘリは既に旧型の部類ではあるが、何度も改修を施され、その汎用性の高さから現在でも広く使われている機体だった。
幹耶たちは頭上を飛び去る攻撃ヘリコプターの編隊を目で追っていた。ふと、上空に別の気配を感じて真斗が首を巡らせる。
『あれって……』真斗の目には、見たこともないような大型のヘリコプターが映っていた。『凄い……。まるで空飛ぶクジラね』
その雄大な姿は、確かに唸り声をあげて大空を行くクジラのようだった。しかし、あれがそのようなのんびりとした存在でない事は、空を見上げて呻くシャルムの厳しい口調が表していた。
『ヘイローだと……!? 単機でジェット機を運べるような化け物輸送ヘリが、アイランドに何の目的で――』
攻撃ヘリ六機と大型輸送ヘリ一機の編隊は、まっすぐにアイランドの中心部に向かって飛んで行く。幹耶たちはその姿をただ黙って見送ることしかできなかったが、その胸には得体のしれない不安が渦巻いていた。