素敵なお茶会
打ち捨てられたように薄汚れたビルに前に、一台の黒いオープンカーが止まる。極限まで軽量化されたボディーに大出力のエンジンモーターを詰め込んだ、このような時代にあっても、魂をスピードの向こうに置いてきた者たちの理想が形になったような姿だった。
「ここでラストか? 人使いが荒いよなぁ、まったく」
憤懣やるかたないといった様子で、黒髪短髪の男が煙草の煙と共に言葉を吐き捨てる。男の名は華村善次。ピンキーこと、清掃部隊、スイーパーの隊員の一人である。仲間内では〝ハナ〟という愛称で呼ばれていた。華村は細身ながら長身かつ筋肉質な身体つきで、どこか野性的な気配を感じさせる偉丈夫だった。びしり、と身だしなみを整え、花束を捧げながら一言愛を囁けば、どのような女性もたちどころに彼の胸に堕ちるだろう。
「そう沸騰しないでよ、ハナ。混乱続きでどの部隊も人手が足りていないんだからさ」
オープンカーの助手席から、別の男の声が上がる。こちらも細身の体型だが華村とは違い、華奢という印象が勝る。髪はさらりとした金髪で、翠色の瞳がよく映えていた。彼の名はキャメロン・ホーク。華村と同じくピンキーの隊員であり、多くの仕事を共にこなす相棒でもある。
「こないだの病院占拠テロで三十七名が殉職だったか? 情けないことだな」
ドアを開け、車外へ足を放り出しながら華村が言う。続いて車を降りたキャメロンが声を上げる。
「ラッパ吹きにも全員逃げられたみたいだね。敵砲撃部隊の正体は闇の向こうさ。チェイサーの八番と十七番が追っているようだけれど……どうだろうね」
「スナークがブージャムではない事を祈るばかりだな。これ以上チェイサーに減られたら、酒を呑む時間も無くなっちまう」
「ルイス・キャロルか。似合わないものを読むね」
「皮肉を煮詰めて練り上げたようなあの作品が、どうして児童文学扱いされているのかが俺には解らないな」華村は煙草を地面に落とし、火種を踏み消す。「狂った帽子屋がお茶会を開き、三月ウサギがそれをかき回し、チェシャ猫気取りの連中がそれを愉快そうに眺めている。白兎が忙しそうに駆けずり回り、ハートの女王が怒り狂って首をちょん切りまくっている。さて、俺はどちらの世界の話をしていると思う?」
「ハナはアリスかい?」
「まさか。トランプ兵か、トカゲのビルが良い所だろう。グリフォンなら御の字だ」
面白くも無さそうに華村が嗤う。
「さて、ド近眼のイエス様に代わって探し物だ」
「だね、さっさと終わらせてごはんを食べよう。おいら、お腹ペコペコだよ」
キャメロンが応え、二人はビルの裏口へ向かって歩いていく。正面出入り口の前にはガラクタが積み重なっており、開きそうになかったからだ。
「そういや、病院を占拠していたのはナチュラルキラーの連中だったって話だよな? あちらさんのアンジュもアイランドに入り込んでいるのか?」歩きながら華村が言う。
「どうだろう。〝迷いの森〟や〝断剣〟と思われる遺体は見つからなかったみたいだよ」
「その二人はアイランドに潜入している可能性がある、って話だったよな?」
「確度の低い情報だけれどね。万一に出くわしても、顔が解らないから判断しようがないし」
キャメロンが大仰に肩を竦めて見せる。金髪と翠色の瞳が相まって、実にさまになっていた。
「認識と記憶を操るアーツ、ミストブルーム……か。迷いの森とは良く言った物だぜ。ナチュラルキラーなんて大した規模でもないだろうに、未だに全容の輪郭すら掴めないんだからな」
「アジトに突入しても、気が付いたら同士討ちさせられているしね。おいらも何度辛酸を舐めさせられたか」辟易した様子でキャメロンが頭を振る。「デュランダル? のほうはどうかな。おいらは良く知らないんだけれど」
ああ、あいつな、と華村が頷く。
「俺も顔までは見たことは無いが、とにもかくにも〝一撃必殺〟だな。装甲車ですら真っ二つだ」
うへぇ、とキャメロンが顔を顰める。
「だが、精神的に弱い所があるみたいでな。劣勢に追いやられると動揺して、アーツの威力が減退するようだ」
「ふぅん」とキャメロンが気も無さそうに呟く。
やがて二人は土埃がこびりついた金属製の扉の前に辿り着いた。綺麗な銀色に輝く蝶番の可動部に目をやり、華村が小さく舌打ちをする。まだ新しい。わざとらしい錆や汚れは、恐らく偽装だ。
「電子キーは解除できないのか?」
「はーちゃんに頼めばすぐだと思うけれど」
めんどくせぇ、と吐き捨て、華村が拳銃を抜く。二発、三発と銃弾をドアのロック部に撃ち込み、乱暴に蹴破った。
「もう少し慎重にだね……」腰に手を当て、キャメロンがため息をつく。「ま、嫌いじゃないけど」
ドアの向こうには薄暗い通路が続いていた。床上の埃は左右に偏っており、人の出入りがある事が伺えた。
「上と下、どっちから調べるのさ」階段の前でキャメロンが言う。
「もちろん下だ。何かを隠すなら、地面より下と相場が決まっている」
言うが早いか、階段を降りていく華村の背中を「そうかなぁ?」と笑いながらキャメロンが追いかける。バベルに送られた情報によれば、このビルの地下階は全部で三つのようだ。二人は上から順番に調べていく。
「特に異常はないね。ハズレかな」
地下三階の最奥。資料室と書かれたプレートの掲げられた部屋を覗き込みながらキャメロンが言う。
「……この部屋で最後か?」華村が言う。
「そのはずだけれど。どうかした?」
「どうにも違和感が……」
そう呟き、華村が部屋から首を出して廊下を覗き込む。永久灯に照らされたリノリウムの床に視線を這わせ、その先の壁を見つめる。
「……そうか。足りないんだ」華村はバベル上にビルの図面を展開し、目の前の状況と突き合わせる。「図面ではあの壁の向こうに、もう一部屋あるはずだ」
二人は壁まで近づき、慎重に様子を確かめる。すると華村が床の上に、少量の白い粉のような物が落ちているのを見つけた。摘み上げ、指の腹で粉をこすってみる。
「壁材の粉のようだが……」指先の粉を吹き飛ばし、華村が壁を指さす。「メロン、吹き飛ばしてくれ」
「ちょ、本気かい!?」
「どうせ廃ビルだ、失敗しても構う事は無い。解体の手間が省けるってもんだろ」そう言って、華村がそそくさと距離を取る。「ささ、おひとつドカンと」
「ドカンとって、全く……。後で怒られても、おいらは知らないからね」
文句を言いながらキャメロンが壁を睨む。すると、壁の前に唐突に果物の形をした〝何か〟が現れた。それは自由自在に、思い通りの形をした爆弾を生み出すキャメロンのアーツ〝奇妙な玩具箱〟により生み出された、メロン爆弾だった。
二人は資料室へと入り、壁に背を付ける。キャメロンが指を鳴らすと、重い破砕音と共に建物全体が激しく振動した。想像以上の揺れに倒壊でもするのではないかと冷汗をかきながら、振動と土埃が収まるのを待った。やがて部屋から慎重に顔を出した二人が見た物は、ぽっかりと口を開けた壁の向こうに広がる空間だった。
「少しは期待していたとはいえ、いくらなんでも〝ベタ〟過ぎるだろう……」
「どうする? 応援を待つかい」
苦笑いを浮かべながら額に手を当てる華村に、キャメロンが声を掛ける。
「それは勿論だが、先に中を確認しておこう。危険があれば纏めて吹き飛ばせ」
そう言いながら、華村が壁の向こう側に足を踏み入れる。所狭しと並べられた機材。散乱した、今時珍しい紙ベースの書類の束。机の上に放置されたコーヒーカップからは、まだ仄かに香りが漂っていた。何者かが大急ぎで逃げ出した直後といった様子だ。
「ハナ。見てよこれ」
キャメロンが操作する端末の液晶画面には、黒い液体で満たされた大きなカプセルのような物が映し出されていた。
「……悪趣味な。俺はスタートレックのワンシーンでも見ているのか?」
黒いカプセルの中には、チューブに繋がれた人間が沈められていた。それがいくつも横並びになっているのだ。悪夢のような光景に華村は眩暈を覚えた。
「立派なティーポットだ。あの可哀想な眠りネズミたちは、生きているのかな」
「さぁな」目を細め、華村が忌々しげに呟く。「随分と素敵なお茶会だ、ちくしょうめ。狂った帽子屋は、どこのどいつだ……?」