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歪と矛盾の守護者

 崩れ落ちた天井から、翠色の月光が幾筋にも降り注いでいる。

 宝石を溶かしたような光に沈む廃工場で、二つの影が踊るように刃を交えていた。空気を切り裂くような金属音と激しい火花が、夜を鮮やかに彩る。


「ぐっ――」

 影の一つ、千寿幹耶が奥歯を噛みしめて唸る。墨を垂らしたような黒髪は乱れ、深い蒼に染まる瞳は鋭く引き絞られている。手にしたブレードの長い刃が鈍く光る。


 幹耶は傷ついていた。身体には無数の傷が走り、流れ出た血液が幹耶を濡らしていた。身に着けたボディアーマーはまるで意味を成していなかった。〝敵〟は関節や脇腹などの、防護の隙間を的確に切り裂いていた。特に右大腿部は深く切り裂かれており、少し立ち止まっただけで幹耶の足元には血だまりが広がる。〝敵〟の執拗かつ正確な攻撃に焦り、隙を見せてしまった結果だった。

 長くは持たない。そう思った。一秒ごとに幹耶の血液は失われ、動きが鈍っていく。対する〝敵〟は傷一つ負っていない。最早、勝ち目は薄い。


「ほら、もっと気張りなさい! あっさり終わっちゃうわよ!?」

 幹耶の〝敵〟が声を上げる。十代前半程度の年齢に見えるほどに小柄な体躯、鈴を鳴らしたような可愛らしい声、ふわりと柔らかそうな桃色の髪。機動二課のスイーパーこと、清掃部隊の隊長、秋織真斗は獲物を痛めつける猫のように幹耶へ攻撃を加えていく。


 真斗は幹耶とは対照的に、実なラフな装いであった。ところどころ衣服に裂け目が走っているが、そのままショッピングに出かけてもおかしくない程である。しかし彼女の両手に握られているのは、その姿とは不釣り合いに過ぎる異形の武器だった。

 それは大口径拳銃の銃身に、無理やり大ぶりな刃物を融合させたような代物で、左右で刃の形も異なっていた。右の刃は緩やかな螺旋を描いており、左の刃は猛禽類の爪を思わせる、鋭く湾曲した形状をしていた。そして、それぞれが拳銃としての機能も備えている。

 真斗は伊達と酔狂と悪趣味の結晶体であるそれら異形一対の武器を〝ネイル〟と呼び、愛用していた。


 するり、と真斗が幹耶との間合いを詰める。幹耶は喉元に迫る湾曲した刃を身を引いて躱し、次いで放たれた突きを手にしたブレードで受け流す。ブレードを螺旋状の刃が削り、激しく火花が上がる。

 真斗のしなやかな体躯から繰り出される強襲は、殆ど予備動作が無い。ふらり、ふらりと身体を揺らしていたかと思えば、次の瞬間には刃が目の前に迫っている。加えて二人の体格差が幹耶にとって不利に働いていた。人間は基本的に下方からの攻撃に弱い。真斗はそれを知ってか知らずか、恐らくは意識しての事だろうが――、小柄な体躯を更に低く伏せ、深く懐に潜り込んでくる。


 だが真に恐れるべきは、真斗の身体能力の高さだ。踊るように繰り出される刃は予測が付けにくく、思いもよらない体勢から斬撃や突きが迫ってくる。ネイルの銃口からも意識を逸らせない。ギリギリで躱しても引き金を引かれれば防ぎようがない。ショッピングモールで見せたソニックショットの破壊力を、幹耶は少しも忘れては居なかった。


 真斗の攻勢は止まらない。掬い上げるように湾曲した刃を振るい、躱す幹耶の動きに合わせて軌道を変え、薙ぎ払う。幹耶の頬から鮮血が舞い散る。幹耶の放つ反撃の一撃を螺旋状の刃で絡めて流し、左手の湾曲したネイルの銃口を幹耶の眉間へ向ける。

 瞬間、真斗は身体を翻して回し蹴りを放つ。視線と意識を誘導された幹耶は反応が大きく遅れてしまい、まともに腕で受けてしまう。

 小柄な体躯からは想像もできない程に重い一撃に、幹耶は腕と肩の骨が激しく軋んだ。更に真斗は蹴りを放った左足を軸に、身体を巻き上げるようにして持ち上げる。そして右足を高く掲げ、その踵を幹耶の頭頂部を目掛けて振り下ろす。


 幹耶の脳髄がしん、と冷えた。この一撃を喰らえば終わる。意識が引き伸ばされ、時の流れが間延びする。


「――っああああぁぁぁっ!!」

 声を荒げ、硬直していた身体を無理やりに開く。幹耶の耳元を死の暴風が口惜しそうに唸りながら通り過ぎた。

「ちっ……」

 小さく舌打ちをし、着地した真斗が二度三度と後方へ飛んで距離を取る。幹耶は思わず胸を押さえた。冷たい手で心臓を鷲掴みにされたような悪寒が消えてくれない。


「まだまだぁ!!」

 地面を蹴り、真斗が再び幹耶へ襲い掛かる。一時たりとも休ませるつもりはないらしい。

「くっ――!」

 幹耶は真斗を迎え討とうとブレードを振り下ろす。避ける真斗を追って刃を払い、突きを繰り出す。しかし真斗はするり、するりと事も無げに躱し続け、掠らせる事もさせなかった。まるで水面の木の葉だ。


「全然ダメ! さぁ、私をどうしたいの!? 意思の無い攻撃なんてしない方がマシよ!!」

 不意に、指から力が抜けた。幹耶は辛うじてブレードを取り落とす事はなかったが、攻撃の手が緩んでしまった。致命的な隙だった。


 幹耶には血液が足りていなかった。脚はもう言う事を聞かず、視界も狭まり始めた。絶え間なく繰り出される真斗の猛攻に、ついに斬り崩されようとしていた。

 その隙を真斗が見逃すはずも無く、幹耶の懐へ飛び込もうと地面を強く踏み込む。そして――大きく体勢を崩した。

「わっ、ひゃぁ!?」

 真斗の口から奇声が飛びだす。幹耶も一瞬呆気にとられたが、真斗が足元の血だまりでスリップしたのだと理解すると同時に攻勢に出た。初めて訪れた決定的なチャンスだった。


「シッ――!!」

 鋭く踏み込み、真斗の腹へ最速の突きを繰り出す。真斗がどれだけ素早くとも、地に足がついていなければ無意味だ。幹耶の刃が真斗を捉え、勝負が決する――はずだった。

 真斗は風に舞うようにひらりと身体を翻し、その切っ先を躱して見せる。そして地面に手を突くことなく、軽やかに着地を決めた。


「軽業師か何かですか、あなたはっ……!!」

「あっははは! 隙あらば急所を狙う姿勢、悪くないわよ!」

 間置かず、真斗が再び幹耶へ躍りかかる。狂気を孕んだ桃色の突風が幹耶へ吹き付ける。

「本当に人間か……!?」

「失礼ね、これでも人間よ!」

 犬歯を剥き出しにして真斗が吼える。


 幹耶は戦慄していた。

 速い。強い。ともすれば子供と見間違えるほどの少女に終始圧倒され、まるで付いていけない。幹耶とてアンジュの端くれだ。身体能力で言えばそこらの一般人とは比べ物にならないが、真斗のそれは遥かに幹耶を凌駕していた。


 小柄な体躯にしなやかな肢体。見た目からは想像もつかないほどの膂力。そして強靭なバネ。真斗は全身を使いこなし、天も地も我が一部と言わんばかりにあらゆる方向から攻撃を繰り出してくる。煙のように纏わりつき、濡れた衣服のように剥がれない。スピードとパワーにトリッキーさを兼ね備えた、紛れも無い強敵だった。


「アンジュ同士の戦いにおいて一番重要なのは、相手のアーツを理解することよ!」螺旋状の刃を突き出しながら真斗が言う。「相手のアーツを知り、理解し、対策を打つ!」

 真斗の絶え間ない猛攻は、幹耶のアーツ〝アンサラー″の〝溜め時間が必要〟という弱点を突いた結果だった。防御不可能な絶対切断の力は脅威だが、放たれなければ何の問題にもならない。


「それはっ、解っているのですが――!!」

 刃をブレードで弾きながら幹耶が呻く。アーツ対策をしたいのは幹耶も同じだったが、真斗のアーツ、不死と再生の〝イモータルキャンドル〟に対する対策など、まるで思いつかなかった。


 実のところ、序盤では幹耶の攻撃は真斗へそれなりのダメージを与えていた。しかしながらその傷はすぐに再生し、治癒してしまうのだ。

 ならば、と幹耶は考える。ショッピングモールでの一件から、部位欠損等の大きな傷の再生には、多少の時間を要するものと思われた。次第に攻撃は大振りになり、その隙を真斗に突かれてジリ貧になってしまった、というわけだった。一言で言ってしまえば、幹耶にとって秋織真斗は〝アーツの相性が悪い相手〟であった。一対一では分が悪い。


 地を這うような低い姿勢から、真斗が螺旋状の刃を突き出す。幹耶は肩を浅く切り裂かれながら、辛うじてそれを躱し――次の瞬間、視界がぐるり、と宙を舞った。肩の傷に気を取られている間に、足払いをかけられたのだった。

「しまっ――!!」

 幹耶は肩と背中をしたたかに地面に打ち付け、自身から流れ出た血だまりで身体を濡らした。幹耶は慌てて立ち上がろうと身体を起こすが、眼前に突き付けられたネイルの銃口に動きを封じられる。

「はいここまで。残念だったね、幹耶くん」

 氷の華のように微笑みながら、真斗が言う。

「ぐっ……」


 決着――。幹耶の完全敗北であった。終始手毬のように転がされ、無様に地面を舐めさせられた。実にあっけなく、一方的な内容だった。悔しいと思うこともできないほどに。


 地に伏した状態から頭を押さえられては立つことはできない。幹耶が抵抗を諦め、ブレードを手放す――。



 大きな風船が破裂するような音ともに、視界が白く塗りつぶされた。

 幹耶は突然の光の暴力に目を眩まされ、眉をしかめる。やがて瞳に景色が戻ってくると、溶けた翡翠の月明りも、頬を削る砂交じりの風が吹きすさぶ廃墟も、跡形もなく消え去っていた。代わりに視界に飛び込んできたのは、真っ白な壁で囲われた無機質で巨大な空間だった。真斗はいつの間にか幹耶から離れており。首や肩を回して、しっとりと汗ばんだ身体をほぐしていた。


 変化は空間だけではない。幹耶の身体を包んでいたボディアーマー、黒塗りのブレード、そして全身に走っていた傷も跡形もなく消え去っていた。つい先ほどまで満身創痍であったとは思えない。突然の状況変化に思考が追い付かず、幹耶はしばし呆然としていた。

 闘争状態の解けた身体から、突然汗が噴き出して来た。肺は思い出したように酸素を求め、胸の動きを急かす。


「お疲れ、幹耶くん。初めてのダイブコネクト・トレーニングはどうだったかな」

 いつの間にか隣に立っていた真斗が、上から幹耶の顔を覗き込む。

「そう、ですね。凄いの一言です。装備の重さや質感。傷の痛みから血液が抜けていく感触まで、まるで本物だった」

 答えながら幹耶は立ち上がろうとするが、思うように身体に力が入らなかった。鉛のように体が重い。

「あ、れ。どうして……」

「そりゃあ、命の削りあいをしていれば消耗もするわよ。肉体的には影響がなくても、精神的な消耗は甚大よ」真斗が幹耶へ手を伸ばす。「こればかりは慣れるしかないわ。幹耶くんは結構耐性があるのかしらね? すぐに受け答えもできているし」

 差し出された細い腕を取り、立ち上がる。今更ではあるが、見た目にそぐわない真斗の膂力に幹耶は再度驚いた。


「荒事なんて〝外〟では日常茶飯事でしたしね。けれど、アンジュと一対一での戦闘は初めてです。本当に殺されるかと思いましたよ」

 幹耶がおどけるように肩を竦めて見せる。

「限りなく実践に近い模擬戦、というのがコンセプトだからね。バベルを介して、脳に直接環境情報を入力しているのよ。最高のバーチャル・リアリティでしょ?」真斗が自分の頭を指で叩く。「と、いうか。いくらなんでも仲間殺しなんてしないわよ? 傷つくなぁ」

「結構目が本気でしたよ? 真斗さん」

 誤魔化すような乾いた笑い声を上げながら、真斗が軽く手を振る。壁の一面が中央から割れ、左右にスライドしていく。後に現れたのは巨大な窓ガラスだった。


 トレーニングルームからはアイランド・ワンの景色が一望できた。静かな湖面のような青空に、幾筋もの翠色の帯がゆったりと流れ、街を優しく包み込んでいる。雄大な風景に幹耶は思わず息を飲んだ。

 しかし、と幹耶は瞳を僅かに細める。どれだけ外見が美しく見えようとも、この街が人々を実験動物として押し込めている檻だという事実は変わらない。


「ところで、肩の傷はだいぶ良いみたいじゃない。人工筋肉は上手く馴染んでくれたのね」

「言われて見れば……。必死過ぎて、気にする間もありませんでしたが」

 穴が塞がったばかりの肩を回し、思い出す。この傷を負わせてくれたあの化け物の事を。


「真斗さん、昨日の……その、ポリューションでしたか。雲雀さんはあれを公害と仰っていましたが、どうも腑に落ちません。あれは結局の所、どういった存在なのですか」

 黒い炎のように揺らめく、狼の形をした無数の〝デミ〟。そしてその本体である、五メートル以上の巨躯と驚異的な再生能力を併せ持つ規格外の化け物〝ポリューション〟。幹耶にはそれらを公害と説明されても、微塵も納得をする事などはできなかった。あれらはそのような言葉の範疇に収まる存在では無い。


「そうね。ポリューションは言ってみれば、形を持った絶望、という所かしら」

「ぜ、絶望……?」

 普通ならば笑い飛ばすところだ。絶望が形を持ち、人を襲い、喰らう。酷い妄想もあったものだと、誰もが笑い飛ばすだろう。

 しかしその地獄を現実に目の当たりにし、自身も死の淵に立たされた幹耶にしてみれば、それを世迷言と斬り捨てる事は到底できなかった。


「絶望でなければ、あらゆる負の感情と言い換えても良いわね。苦しい、憎らしい、妬ましい……。抑え切れずに溢れ出した負の感情が、ダストの影響を受けて現実に顕現したもの、という事らしいわよ」私たちのアーツと、どこか似ているわね、と真斗が言う。「それよりも、ごめんね? 私が何とかしなくちゃならなかったのに、さっさと死んじゃって……。かなり危なかったみたいね」

「い、いやそれは」

 幹耶は言葉に困った。当然だ。〝死んでごめんなさい〟などと謝られた人間など他に居るだろうか。ゲームの話ではないのだ。


「まぁでも、良かったわ。無事に生き残ってくれて」

 私には無理だったけれど、という真斗のブラックジョークを、幹耶は乾いた笑いで流すので精いっぱいだった。

「それはさておき、少し心配ね」

「心配? どれの事ですか?」

 不意に真剣な表情をする真斗に、幹耶は微かに首を傾げる。この街には危険が多すぎる。一体どれの心配をしているのだろうか。


「私、隊内で最弱なのよ。模擬戦の勝率が最下位って意味ね」

「えっ……」

「その私に手も足も出ないんじゃ、この先心配だなぁって」

 幹耶は言葉を失った。テロリストや規格外の化け物からアイランドを守る特務部隊、機動二課。極端に苛烈な戦闘能力を備えた怪物揃いとは聞いていたが、これほどとは思わなかった。

死の狂風のようなこの隊長様が、最弱? 冗談では無い。笑えないにも程がある。


「ま、良いか。私が守れば良いもの。ストレス解消もできたし、お昼ごはんでも食べに行きましょ」

「……今なんと? ストレス解消?」

「あ、あっははは。冗談よー?」ほんとほんと、と真斗が手を振って不器用に笑う。「部屋を出てすぐ左にシャワールームがあるから、汗を流したら火蓮と合流よ」

 わざとらしく「いやー、汗かいちゃったなぁー」などと言いながら、真斗は出口に向かって歩いていく。息も切らしていなかった癖に、と幹耶はその背中に小さく毒づいた。


「不死性の体現者。イモータルキャンドル、ね……」

 首筋を指でなぞり、真斗のアーツ名を呟く。幹耶とて素人では無い。剣の腕にはそれなりに自信があった。だが、まるで歯が立たなかった。あの戦闘能力は才能などでは無い。幾度となく刃を振るい、命のやり取りを重ね、絶え間なく研ぎ澄ました結果だ。自分も十分過ぎるほどに過酷な世界で生きてきたつもりだったが、彼女の踏み越えて来た地獄は、一体どれほどの代物だったのだろう。


「この街にそこまでして守る価値が、本当にあるのですか? 真斗さん……」

 幹耶は眼を細め、特殊ガラスの大窓の向こうに広がる街並みを睨みつける。


 歪と矛盾を詰め込んだアイランドの街並みは果てしなくおぞましく、そして美しかった。


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