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悪意の爪牙 後編

 気が付けば駆け出していた。転がっていた刀を拾い上げ、幹耶はポリューションへ挑みかかる。 

 彼の背中を押したものは、少女の死に対する悲しみや怒りなどでは、決してない。人間のもっと奥底にある、死を突き付けられた事に対する本能の反抗だ。

 逃げ切ることは恐らく不可能。眼前の敵を排除し、身の安全を図る。幹耶の思考にあるのはそれだけだった。死に対する感傷などという贅沢品を貪る事ができるのは、身の安全が保障されている者だけだ。


 悠然と構えるガルムの足元からデミの大群が押し寄せてくる。幹耶はただ真っ直ぐに黒い雲霞に飛び込み、死の影を切り払いながら突き進む。デミの爪や牙が幹耶を傷つけ、その度に鮮血が溢れ出す。だが幹耶は怯まずに駆け続ける。目指すはただ一点、ガルムのコア――!!

 しかし、そのような蛮行が功をなすはずもない。切り払ったデミの残滓の向こうから、鋭く迫るものがあった。ガルムの触手だ。


「つあっ!?」

 カウンター気味に放たれた触手に幹耶は反応できなかった。まずい、と思った時には触手の棘が幹耶の右肩に深々と突き刺さっていた。そのまま幹耶の身体は触手に持ち上げられ、埃を払うかのように投げ出される。


「がっ――はっ……!!」

 幹耶は崩れたカラクリ時計の残骸に背中をしたたかに打ち付けられ、胃と肺の奥底から空気を絞り出す羽目になった。意識は早く態勢を立て直せと警鐘を鳴らしているが、身体がまるで言うことを聞かない。震える胸と喉は陸に打ち上げられた魚のように酸素を求め、手足は鉛のように重い。

 胃の内容物がせり上がり、幹耶はそれを地面にぶちまけた。固形物が無かったのは幸いだが、その中に赤い液体を見止め、損傷の深刻さを悟った。内臓がダメージを負ったのか、折れた肋骨が気道を傷つけているのか。なんにせよ、ここで動かなければ直ぐに一歩も歩けなくなる。


 刀を地面に突き刺し、幹耶は何とか起き上がろうと身体を持ち上げる。苦労して片膝を付き、顔を上げた瞬間――、その動きが止まった。幹耶の眼前に、ガルムが鼻先を突き付けていた。

 焼けたゴムのような悪臭が幹耶の前髪を跳ね上げる。ガルムは黄色く濁った瞳で幹耶を見つめている。まるで観察をしているかのようだ。

 音もなく巨大な咢が開かれる。立ち並ぶ牙の奥で口腔が妖しく光り、幹耶を死の安寧で包み込もうとしている。


「ひっ――」

 幹耶の喉が無意識に声を上げる。決定的な死。避けようのない運命。理不尽な終焉。

 このまま喰われれば、全てが終わる。もう痛みも辛さも苦しみも感じなくて済む。涙を流す日々も終わる。それはどれほどの救いであるだろう。


 だが、本当にそれで良いのか。自分はそんな救いを欲していたのか。死は全てを解決してくれるのか。

 ――否。断じて否だ。

 ドブネズミのまま一生を終える。何者にもなれずに土に還る。そんな人生は御免だと、絶対に嫌だと、全ての理不尽を斬ると誓って、今まで歯を食いしばってきたのではないのか。

 道を切り開く。そう決めたはずだ。そうでなければならない――!!


「うおぉあぁぁぁぁ!!」

 恐怖を振り切るように幹耶は叫ぶ。凍り付いていた血液が瞬時に沸騰し、全身を駆け巡る。震える手足に無理やり力を籠め、眼前の敵を屠れと魂が叫ぶ。

 恐怖は怒りへと変わり、幹耶の掌から湧き上がる蒼白い光が突き立てられた刀を包み込んだ。

 幹耶は片膝を付いたままの姿勢で、刀を救い上げるように振り上げた。奔る光の刃がガルムの頭部を捉え、斜めに両断された。


「ゴオォォォガァァァァァッッ!!」

 頭部の大半を失ったガルムは怒りの咆哮を上げながら、後方へ大きく跳躍する。光の刃はコアに達してはおらず、失われた頭部も直ぐに再生を始めていた。

 幹耶は追撃を放とうとするが、もはや刀を構えることも不可能なほどに消耗していた。精神力を大きく消耗するアーツを短時間で発動したことに加え、全身のダメージも深刻だ。肩口からの失血も多く、意識を保てているだけでも奇跡と言えるような状態だった。

 もはや上体を起こしているのも不可能になり、幹耶は地面に倒れこむ。


「ぐっ……。くそっ……!!」

 幹耶は歯噛みする。余りにも無様で、惨めだった。結局、この程度なのか。意味のない抵抗だったのか。今日この場で失われた数多の命。その一つに名を連ねるだけの存在なのか。

 嫌だ、絶対に。冗談じゃない。まだ死ねない……!


 しかしそんな幹耶の想いをあざ笑うかのように、デミが幹耶を扇状に取り囲む。鈍く光る爪と牙が幹耶に死を突き付けようとしていた。

 ついに一体のデミが駆け出し、幹耶に襲いかかろうとした瞬間――突然に掻き消えた。一拍遅れて、凄まじい炸裂音が轟く。

 炸裂音は一つでは終わらず、次々にデミを散らしていく。それが大口径対物ライフルによる狙撃だと幹耶が理解する頃には、幹耶を取り囲んでいたデミの一群は一掃されていた。


『リロード。フォロー』

『ヤー』


 短い会話が幹耶の脳内に響く。バベルによる思念通信だ。野性味に溢れる尖った声と、羽毛のように軽い声が聞こえてくる。どちらも男性のものだ。同じチャンネルを使用しているということは、スピネルに所属するいずれかの部隊の人間なのだろう。


「は? ……え?」

 突然目の前に現れた光景に、幹耶は自らの窮状も忘れて呆けた声を上げる。しかしそれも無理はない。突然空中に現れた〝それ〟は、どう見ても果物のメロンそのものだった。

 脈絡のない冗談のような光景に、幹耶は言葉を失う。だが本当に驚かされたのは、その直後だった。空中に現れたメロンが次々に炸裂し、ガルムの周囲に侍るデミを吹き飛ばし始めたのだ。


「なっ――!?」

 次々に巻き起こる爆風が幹耶を襲う。熱波に肌を焼かれながら、幹耶は伏せてそれを耐える。やがて爆風が収まり、幹耶が恐る恐るあたりを伺うと、デミはもう一体も残っていなかった。

 その時突然に、まさに突然にガルムの眼前に一際大きいメロン爆弾が現れた。ガルムは戸惑うように一歩退き、幹耶は次に起こる光景に予想して頭を抱え込んだ。


 強烈な爆風が巻き起こる。幹耶は努力も空しく地面を転がる羽目になった。呻き声を上げながら再び幹耶が顔を上げると、そこには半身を吹き飛ばされて崩れ落ちるガルムの姿が

あった。剥き出しにされたコアが暗い輝きを放っている。


『クリア。シュート』

『ヤー』


 二度目の短いやり取りの直後、黒い軌跡を描く銃弾がガルムのコアを穿った。一拍遅れて聞こえてくるのは、先ほどと同じ対物ライフルの銃声だった。弾丸は黒い光、としか形容しようがないものを纏っていた。それが軌跡を描き、まるで黒い流星のようだった。

 直撃を受けたコアに大きなヒビが走る。しかし一撃で破壊するには至っていないようだった。


『チッ。硬いな』

『再生が始まる。ハナ、連射を』

『解ってる。慌てんなよ』


 黒い流星が再びコアを捉える。続けて二発、三発目と弾丸が放たれ――ついにコアが甲高い金属音を上げて砕け散った。ガルムの身体は砂になって崩れ落ち、降り注ぐ陽光の中で光り輝く。

 幹耶はその光景を信じられないような気持ちで眺めていた。天恵のように与えられた生に戸惑っていた。


『よう新人。まだ生きているな?』

 野性的な声が幹耶の脳内に響く。しかし幹耶は返事をする事も叶わなかった。もう言葉を思考するだけの余力も無かったのだ。二、三の言葉にならない呻き声を相手に届けたのみで、そのまま眠るように気を失ってしまった。


「……おやおや、気を失ったみたいだね」

 幹耶のはるか遠方で、羽毛のように軽い声の青年が双眼鏡を覗き込みながら言う。その視線の先にいるのは地面に倒れ伏している幹耶だ。


「お前が遠慮なしにバカスカやるからだろ。新人をバーベキューにするつもりか」

 黒い髪を短く刈り込んだ青年が言う。対物ライフルのスコープを覗き込み、幹耶の様子を確認していた。


 双眼鏡を下ろし、柔らかそうな金髪を指に巻きつけながら青年が笑う。反省している様子は微塵もない。


「兎か虎か。どっちだと思う?」

「ああ?」

「彼だよ。幹耶くん、だっけ。頑張っていたと思うけれど」

 さてな、と黒髪の青年が興味もなさそうに呟く。声の印象通りに野性味溢れる偉丈夫だった。金髪の青年とは正反対な印象の見た目だが、どちらも街を歩けば多くの女性を振り向かせることだろう。

「牙と爪があればどっちでも構わねぇよ」黒髪の青年が言う。

「兎に牙なんてないよ?」

「お前、兎に噛まれたことは無いのか? 凄ぇ痛ぇんだぞ。げっ歯類は怖ぇよな」

「兎はげっ歯類でもないよ……」

 金髪の青年の言葉に「細けぇ事は良いんだよ」と、黒髪の青年が煙草に火を付けながら応える。

「ま、及第点といった所だな。敵に食らいつく根性だけは大したもんだ」

 美味そうに煙を吸い込み、目を細めながら黒髪の青年が言う。


「ふぅん? ま、いいや。真斗を回収して撤収しようか」

 金髪の青年はそういうと、立ち上がって膝の埃を払う。黒髪の青年が「あぁ、そうだった」と声を上げる。

「また死んだんだったな、うちの隊長様は。懲りないねぇ」


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