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黒い巨獣

「宜しかったのですか」

「んあー?」

 幹耶の言葉に、真斗がのんびりとした声を返す。


「少し邪険に過ぎたのでは? 同じスピネルのお仲間でしょう」

「元々アンジュは嫌われ者でしょ。今更気を使う事もないわよ」


 どうやら真斗には歩み寄るという考えは無いらしい。とはいえ、アンジュとノーマルの不和は少々態度を改めた所でどうにかできる問題でもない。もっと根深く、どうしようもない問題なのだ。そういった意味では、真斗の行動は合理的と言えなくも無い。


「それに、下手に撤退支援なんかするよりも、元凶を叩いたほうがよほど早いわ」

「元凶、ですか」

「そう。デミはポリューションを何とかしない限り、際限なく生み出される。逆に言えば、ポリューションさえ何とかしてしまえば、のんびり鼻歌を歌いながらおうちに帰れるわ」


 確かに脅威から逃れるには、その脅威を取り除いてしまうのが手っ取り早い。元より真斗たちスイーパーの使命とは、他の全てに優先して驚異を排除する事だ。人命救助などに興味は無く、彼女らに救われる者が居るとすれば、それはただの行動による結果でしかない。


 二人は赤い非常灯の灯った、薄暗い連絡通路を歩いていく。あちこちに人間の死体が転がっているが、その多くは首を噛み千切られ、腹を食い破られている。

 不意に死体の影からデミが飛び出して来た。先行していた真斗へ、低い咆哮を上げながら跳びかかる。しかし真斗は少しも慌てることなく、蠅を払うようにネイルの湾曲した刃を一閃させ、デミを霧散させた。


「見ての通り、デミに明確な実体は無いわ。散発的に銃弾を撃ち込んでも無意味だから、デミを除去するときは弾丸を集中させるか、近接戦闘で一息に散らす必要があるのよ。爆風で吹き飛ばすのも有効ね」

「…………」


 煙のようなデミの残滓を眺めながら、幹耶は自分が一体何に巻き込まれてしまったのを考える。冗談のような異常事態。認識が現実にまるで追いつかない。〝公害により生み出される怪物の除去〟という任務内容を聞いた時は何かの冗談かと思っていた。明確な説明もされなかった。

 だが、この状況をみて、一つだけ理解した。説明しなかったのではない。言葉で説明しても無意味だという事だったのだろう。百聞は一見に如かずと言うが、なるほど。写真や映像で見せられても、きっと納得できなかったに違いない。実際に目で見て、触れて、五感で感じて初めて、〝それ〟を感覚で理解する事ができる。


「現在消化中、って感じね」真斗が幹耶の顔を覗き込み、くすくすと笑う。「ま、本当に理解をする必要は無いわ。解らない事の方が多いもの。影のようなデミが、どうして人を傷付けたり、あまつさえ喰らったりするのか、とかね」

 ただ現実を現実として受け入れて、立ち向いさえすればいい。真斗はそう言葉を続ける。

 確かにそうだ、と幹耶は小さく頷く。どんなに信じられなくとも、これは現実なのだ。

 空を見て、何故太陽があるのかと不思議がる人間は居ない。その疑いに意味は無く、理解したところで価値は無い。何があろうと太陽は昇るし、沈めば暗い夜が来る。それは当たり前の事で、どうしようも無い事だ。

 だが同じ現実でも、デミやポリューションは太陽や月ではない。手が届く現実だ。立ち向かう事ができる不都合だ。刃を振るい、払う事ができる障害だ。


 死の香りに満ちた空気を胸いっぱいに吸い込み、幹耶は心を研ぎ澄ます。刀の鞘を払い、冷たく輝く刀身を晒す。

 難しく考える必要は無い。相手が何者であるとか、正体は何だとか、そのような事はどうでも良いのだ。障害は切って捨てる。道は自らで切り開く。どこであろうと、何をしようと、その基本が変わる事は無い。シンプルに、ただ真っ直ぐに。


 やがて二人は連絡通路を抜け、地獄と化した東館に入る。立ち止まり、辺りの様子を注意深く探る。幹耶は防衛線の惨状を見てある程度の覚悟はしていたが、それでもその無残な光景に眩暈を覚えた。

 魔法の国のように華やかだったショッピングモールは、今はもう見る影も無かった。まるで打ち捨てられた廃墟だ。いや、廃墟の方がよほどマシだろう。廃墟ならば助けを求める悲痛な叫びは響かないし、肉を引き千切り咀嚼する不快な音も聞こえない。最悪と最低は、全てこの場に揃えられていた。


「はーちゃんの言う通り、本当にデミが大量発生しているわね。普段の倍は居るんじゃないかしら」

 眉を顰めて真斗が言う。食事に夢中になっていたデミの数体が二人に気づき、遠巻きに様子を伺っている。非常灯の赤い光が届かない暗闇からも、多数の気配が蠢いている。まるで本物の獣だな、と幹耶は思う。デミは明らかに知性を持っている。脳も脊髄も無いのに、間違いなく思考をしている。化物め、と小さく呻き、幹耶は刀を握る手に力を込めた。


「真斗さん、まだ悲鳴が聞こえます。助けに――」

「行かないわよ。私の言葉を聞いていなかったの?」

「しかしそれでは……! 訳の解らない化物に喰われて死ぬなんて、あんまりだ」

 ぎり、と幹耶の奥歯が鳴った。

「確かにね。喰われるなんて死に方は最低だと思うわ。屈辱的だし、冒涜的だと思う。遺族も割り切れない気持ちになるでしょうね」

「それなら――!!」

「一人助けて、それでどうするの? その間に二人死んだら?」じりじりと距離を詰めて来るデミに注意を向けながら、真斗が言う。「二人助けていたら四人。四人助けたら八人が喰われるかも知れないわね。キリがないのよ。そういうのは人数の多いチェイサーやガードの仕事だわ」

「……見殺しに、するつもりですか」

「少し前と言っている事が逆になっているわよ。先に見捨てろと言ったのは幹耶くんよ? 実際に被害者を見て気が変わったのかしら。もしそうなら、それは覚悟が足りなかったって事よ」


 真斗の突っ込みに、幹耶は喉を鳴らして押し黙る。まさに図星だったからだ。助けられないのなら、見捨てれば良いと思っていた。だが助けを求める人々を目の当たりにして、何とかしたいと思ってしまった。その揺らぎは、他ならぬ弱さだ。


「一応言っておくけれど、見捨てるつもりはないわ。ただ助け方が違うだけよ」

「助け方?」

「ポリューションを除去すれば全てが解決する。そして、それを迅速に行えるのは私たちだけよ。普通の人間にはできない事だわ。私たちの腕はそんなに長くない。それぞれがするべき事を、正しく行う。覚えておきなさい。迷えば、積みあがる死体が増えるだけよ」


 通常戦力でポリューションを除去しようとした場合、数十人の兵を揃え、大がかりな作戦行動を行う必要がある。ランクAのポリューションともなれば、対戦車兵器などの強力な火砲がほぼ必須である。そのような戦力を即座に揃える事は不可能であり、対処が遅れればそれだけ被害者の数は増えていく。過大な戦闘能力を持って、そのような事態を迅速に収束させる。真斗たちスイーパーの存在意義はそこにある。


「……解り、ました」

 硬い表情で幹耶が頷く。その強張った頬に、真斗が優しく微笑みかける。

「納得はしなくて良い。割り切る必要も無い。ただ、何が最適なのかだけは、常に考えるようにしておきなさい」


 じわり、と肌に迫る圧力が増した。見れば、二人を取り囲むデミの数が先ほどの数倍に膨れ上がっている。攻撃を仕掛けてこないのは、真斗と幹耶が備えるアンジュの力を警戒しての事だろうか。


「そろそろ良いわね」真斗が言う。「正面突破。一階東館中央ロビーまで、一気に駆け抜けるわよ」

 言い終わるが早いか、引き絞られた矢のように真斗が飛び出した。幹耶はその背中についていく。黒い津波のようなデミの大軍が押し寄せる。戦車砲の砲撃のような轟音が周囲を揺らした。真斗のネイルから放たれるソニックショットの銃撃だ。真っ直ぐに割れたデミの間を通って、二人は連なって駆ける。

「まるでモーゼの気分ね!」

「聖者とは程遠いですけれどね」


 次々に、至る所からデミが湧いて出て来る。その度に真斗は躍るようにネイルを振るい、道を切り開いていく。その時、二人の間に割り込むようにデミが飛び込んできた。幹耶は掬い上げるように刃を一閃させる。まるで水面を撫でたように手ごたえが無かったが、その一撃でデミは煙のように消えうせた。

 いける。十分戦える、と幹耶は胸を撫で下ろす。超常の相手に借り物の武器でどこまで通用するかと思ったが、その懸念は杞憂だったようだ。


 不意にどこからか銃撃音が聞こえて来た。東館のずっと奥からだ。西館に置いてきたガードによるものでは無い。


「ふん、無事だったみたいね。無駄口を叩いてデミを引きつけておいた甲斐があるってものだわ」

「どういう事ですか?」

 真斗の横に並んで幹耶が言う。

「デミやポリューションはね、よりエネルギーの多い場所を目指す習性があるのよ。単純に人の多い場所であったり、アゾットだなんてエネルギーの塊を宿したアンジュの所とか、ねっ!」

 真斗がひらりと宙を舞い、エスカレーターを丸ごと飛び越える。それに習って幹耶もまたエスカレーターを飛び越え、軽く着地を決める。同じ動作をもう一度繰り返し、二人は連絡通路のある三階から一階へと降り立った。


 アンジュがその身に宿すエネルギー増幅結晶体〝アゾット結晶〟は、アンジュの身体能力を著しく上昇させる。なればこそ、その身一つでデミやポリューションなどと言う超常の存在と渡り合えるのだ。

 大量のデミを引き連れながら、真斗と幹耶は薄暗い地獄を走り続ける。

 おびただしい量の血だまり。そこかしこに転がる人間の残骸。触れられそうな程に濃密な血と臓物の匂いを引きずりながら、二人は駆けていく。


 やがて、二人は一際広い空間へと辿り着いた。東館中央ロビーだ。

 円形の中央ロビーは高い吹き抜けになっており、ガラス張りの天井から降り注ぐ陽光がスポットライトのように空間を丸く浮かび上がらせていた。それを見て、幹耶は今がまだ昼過ぎである事をようやく思い出した。ずっと薄暗い中に居たので、すっかり感覚が狂ってしまっていた。


 二人はロビーの中央まで一気に突入し、背中合わせになって周囲を警戒する。二人を追いかけていたデミの大軍は円形に広がる光の周囲に広がり、ぐるりと二人を囲い込んだ。光の輪の中に入り込もうとするデミは一体も居ない。


「さて、ポリューションが居るなら、一番広いここだと思ったけれど……」

「何も居ませんし、異常も――」


 二人は辺りを鋭く見回す。ふとした違和感に、幹耶は視線を足元へ向けた。自分たちの周囲にだけ影が落ちており、妙に暗い。

 はて、と心の中で首を傾げる。見た所、ここは西館の中央ロビーと同じ作りのようだ。あちらのロビーの天井はどうだった? 確かドーム状で全面ガラス張り。このような影を作り出す物は、何も――。


「真斗さん、上!!」

 叫ぶと同時に二人は地面を転がる。そのほぼ同時に、二人の間に黒い塊が落下してきた。塊は重い音を響かせ、地面が悲鳴を上げる。

 最初、幹耶はそれをヘドロだと思った。黒く、半透明で、悪臭を放つゼリーのようだ。


「これは……?」

『下がりなさい!』

 バベルに響いた真斗の言葉に、幹耶は飛び退ってヘドロと距離を取る。ヘドロはぶるり、と震えたかと思うと、その形を変え始めた。やがてヘドロはデミと同じような、狼を思わせる姿になった。だがこれは、デミとは決定的に違う。体高はおよそ五メートルから六メートル。身体の幅も厚く、全長は更に大きい。見上げるほどの巨体だ。


「ぐっ――!?」

 黒い巨躯が放つ威圧感に、幹耶は思わず一歩後退る。これが――。


 巨獣が吠える。咆哮は周囲の空間を砕かんばかりに重く響き渡り、衝撃は幹耶の心と身体を激しく揺さぶった。

 胸が締め付けられたように苦しい。手足の感覚が宙に浮かんだように怪しくなる。動悸が激しくなり、視野が狭まり、顎が微かに震え始めた。呼吸は浅くなり、膝が意志を無視して折れそうになる。


 幹耶を襲ったものは恐怖。圧倒的な存在に対する、根源的な、本能からの恐怖だ。頭の中で、本能が激しく警鐘を鳴らしている。これは人間風情が対峙して良い存在では無い。これと戦うなんて、馬鹿げている。これが、こんなものが――。


「これが、ポリューション……!?」


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