桃色の烈風
店内は様々な刀剣類で溢れかえっていた。幹耶はなぜ刀剣を扱う店が一般用のショッピングモールに? と思っていたが、その品揃えを見て納得した。店頭に並ぶのはどれもが刃の潰された観賞用の刀剣だったのだ。刃付けがされているのはナイフ類だけで、大半は意匠最優先の代物であった。実用に耐えそうな物は見当たらない。
「参ったな、おもちゃばかりですよ、これ」
幹耶は額に手を当てる。使えそうなのは刃渡りの長いマチェットくらいだが、元々武器として作られている訳では無い。強度には不安が残る。
「さっさと選んじゃいなさいよー?」
「いやぁ、これではどうにも……」
武器に頼るようでは三流だ。それは幹耶も重々承知しているが、未知の相手に挑む以上、それなりの備えをしておきたい。戦場に置いて武器とは相棒である。ならば美麗さよりも信頼性に重きを置くべきだ。ここに並んでいるような、飾り立てられた代物は総じて脆い。
刃が卍型になった、悪趣味極まるナイフをしげしげと見つめている真斗を置いて、幹耶はバックヤードへ入る。雑多な倉庫の隅にどてん、と居座る、長方形の木箱に目を付けた。
予想通りだ。木箱を開けると、そこには店頭には並べられない本物の刀があった。恐らくは、刀剣所持の許可を得ている得意客向けの商品なのだろう。
納められている数本から、黒塗りの鞘を取り上げる。鞘を払い、冷え光する刃を軽く振るう。少し軽いが悪くない。バランスも悪くないし、何より無駄な装飾が無い。
「上々だな」
そう呟いて、幹耶は真斗の元へ戻る。
「お帰り。良さそうな物はあった?」
「まぁ、それなりに」
黒塗りの鞘を掲げて見せる。
「真斗さんは選びましたか? 卍型とかは止した方が良いですよ」
「私の相棒なら、ここよ」そう言って、真斗は腰から左右に下げた長方形のポーチから何かを取り出す。「じゃーん! どう? カッコ良くない?」
それは大型の拳銃と、特殊な形状のナイフを無理やりに融合させたような代物だった。右手に握られた拳銃から伸びる刃は緩やかな螺旋状になっており、左手のそれは猛禽類の鍵爪のような形状をしていた。
「それ……使い物になるのですか?」
伊達と酔狂に、これでもかと悪趣味をトッピングしたような武器だ。いや、武器か? これ。幹耶は異形一対の拳銃剣に冷たい視線を向ける。まるでコンセプトが解らない。重量バランスも最悪なはずだ。
「あーっ! 私の〝ネイル〟を馬鹿にしているわねっ!?」両手の拳銃剣を振り回しながら真斗が抗議する。「そりゃ、見た目は好みが解れるかも知れないけれど、私のスタイルにはこれが合っているのよ」
「へぇ」オーダーメイドという訳か? 幹耶は俄然興味が湧いてきた。「少し、見せて貰っても?」
「良いけれど、気を付けてね」
幹耶は差し出された螺旋状の刃を持つネイルを受け取った。
「ぬあっ!?」
瞬間、予想以上の重量に幹耶の腕は悲鳴を上げた。ネイルの重量に負けたのだ。危うく前のめりに転びそうになった幹耶だが、反射的に右足を一歩踏み出して、何とか踏み留まった。
「重いでしょう。片方で三十五㎏あるもの」
悪戯な笑みを浮かべながら真斗が言う。
「アンジュの血液を素材に混ぜ込んで作られる〝サードアーム〟よ。適応者以外には持つのも難しいわ」
「サードアーム……。これが、ですか」
幹耶は思わず唸る。話には聞いていたが、実物を見るのは初めてだった。
その身にアゾット結晶を宿すアンジュの血液は、微弱ながらアゾット結晶と同質の性質を示す場合がある。それを利用して作られたのが特殊金属〝サングイス鋼〟である。
サングイス鋼は強力な靭性と剛性を併せ持つ、夢の金属である。だが、サングイス鋼はとある致命的な欠点を抱えていた。
とにかく、重いのだ。その比重は鉄を軽く超える。それゆえ用途は限られ、薄いサングイス鋼をボディアーマーの一部に用いたり、戦闘車両の複合装甲板に使用されたりする事が多い。
だが、サングイス鋼の真の用途は別にある。アンジュ専用武具への加工だ。
サングイス鋼にはその靱性と剛性以外に、特筆すべき特徴がある。それは原料となった血液の提供者の持つ能力の発現を補助し、増強するという物だ。加えて、血液提供者はサングイス鋼の重量を感じない、というものだ。
恐らくは、サングイス鋼は疑似的なアゾット結晶になっていると思われる。だが、その力を100%引き出すには、アンジュとサングイス鋼を正しく組み合わせる必要があり、特定のサングイス鋼に対応するアンジュを〝適応者〟と呼ぶ。
アンジュに対応したサングイス鋼は、所有者の好みに合わせて様々な物に加工される。銃であったり、ナイフであったり、それらを組み合わせた物であったり――だ。それらの、サングイス鋼を用いて造られたアンジュ専用武具を、総じて〝サードアーム〟と呼ぶ。
「それにしても、何と言うか、独特なデザインですね」様々な角度からネイルを眺め、幹耶が言う。「この形状は真斗さんのアーツに関係した物ですか?」
「いえ、ただの趣味よ。専用武器って、すこし変わっている方がグッと来るじゃない」
「…………」
ならば何も言うまい、と幹耶はネイルを真斗へ返す。
真斗と幹耶は店を出て、東館の連絡通路へと向かって歩き出す。十数分程前まで通路を埋め尽くしていた人々は、もう殆ど居なかった。所々に、怯えたように膝を抱えてうずくまる者を除いて。
遠く響いていたアサルトカービンの銃声が大きくなってきた。連絡通路に敷かれた防衛線が近いのだろう、と幹耶は思う。
「なんだか、苦戦していそうね」
真斗が言う。銃声は片時も止まず、絶えず空気を震わせている。それだけ〝敵〟の数が多いという事だ。
やがて辿り着いた連絡通路で二人が見た物は、地獄の入り口だった。
「こ、れは……」
惨状を目の当たりにした幹耶が呻く。防衛線は既に崩壊しかかっていた。防弾ベストにアサルトカービンを装備したガードの死体がそこかしこに転がっている。彼らを襲撃しているのは、立ち昇る炎のように揺らめく、黒い〝影〟だった。輪郭は常に形を変えているが、その姿は狼を思わせる。それが連絡通路を埋め尽くしていた。
「これがポリューション……、いや、デミか?」
幹耶は口の中で小さく呟く。〝公害により生み出される怪物〟など、何かの比喩だと思っていた。だが目の前のあれらは、間違いなく本物の怪物だ。こんな事がありうるのか。これは現実なのか。
ガードは必死に応戦をしているが、三重に敷かれた防衛線のうち、既に二つは突破をされていた。吐き出され続ける弾丸は次々に影を散らして行くが、いかんせん数が多すぎる。それに、散発的な銃撃ではデミを倒す事は難しいようだった。数発の弾丸を受けても、影は僅かに輪郭を歪ませるだけで、即座に元通りになってしまうのだ。
餌場。幹耶はようやく、雲雀の言葉を理解した。そこは確かに、餌場だった。
デミは、人を喰っていた。
喉を食いちぎられた隊員の死体へ、デミが群がっている。食い破った腹に顔を埋め、てらてらと光る腸を引きずり出すと、更に多くのデミが殺到する。そんな光景が幾つも繰り広げられていた。
血と臓物と、硝煙の匂い。戦場の匂い。
それは暴力的なまでにリアルな、死の香りだった。
銃弾の嵐を掻い潜り、一体のデミが積み上げられた土嚢を飛び越えた。そのままの勢いでガードの一人の首筋に噛みつき、次の瞬間には食いちぎっていた。鮮血が天井近くまで吹き上がる。ガードは何が起きたか解らない、と言うように眼を見開き、そのまま祈る様に身体を折り、崩れ落ちた。呼吸が浅い、じきに止まるだろう。死に向かうガードの表情にはどこか混乱の色が浮かんでいて、どうして自分がこんな目に遭うのか、と神に問うているかのようだ。
「ちっ――。まずいわね」
一つ舌打をし、真斗が駆けだす。別のガードに食いつこうとしていたデミに湾曲した刃を食い込ませ、一息に掻き切った。黒煙のような残滓を引きずったまま土嚢を飛び越え、真斗は黒い雲霞の只中へ飛び込んだ。
殺到する影の牙を、真斗は踊る様にすり抜ける。そしてすれ違い様に突き刺し、掻き切り、薙ぎ払い、影を散らしていく。連絡通路を埋め尽くしていたデミの大群は、瞬く間にその数を減らしていく。
壮麗かつ苛烈。真斗の放つ圧倒的な力の奔流に、幹耶はただ呆けて見入るばかりだった。
「はっ――、危ない!」
幹耶は思わず声を上げる。真斗を囲うように、複数のデミが同時に飛び掛かった。暴力の黒い津波に呑み込まれてしまえば、真斗の小さな身体など、たちどころに細切れにされてしまうだろう。しかし、真斗はどうという事は無いとでも言うように、実にゆっくりとした動作で左右の腕を水平に広げ、二つのネイルの引き金を同時に引いた。
「まずい、伏せろ!」
隣に居たガードに頭を抑え込まれ、幹耶は地面に伏せる形になった。同時に、その頭上を戦車砲の砲撃のような、分厚い衝撃波が撃ち抜いた。急激に押し出された空気の塊によって、連絡通路のガラスというガラスが一斉に砕け散る。床材は捲れあがり、天井は剥がれ落ちて配線が剥き出しになって垂れ下がっていた。その圧力をまともに受けたデミたちは、蝋燭の炎が吹き消されるように儚く散った。
近接鎮圧用特殊空砲〝ソニックショット〟それが真斗のネイルから放たれた、衝撃波の正体だ。
元々は深刻な経済混乱により頻発した暴動の鎮圧用に開発された兵器だが、周囲広範囲に深刻な物理破壊をもたらすという矛盾と、その過大な反動により射手が負傷するという。兵器としては致命的な欠点を抱えていた為、正式採用はされなかった失敗作だ。しかしその矛盾が真斗の琴線に触れたようで、彼女だけはソニックショットを好んで使用していた。
「よっ――と。ただいま、幹耶くん」
デミを掃討した真斗が、ひらりと土嚢の上に立つ。キンキンと騒ぐ耳を抑えながら、幹耶が立ちがってそれを出迎えた。
「なんだか、凄いですね。色々と」
「ふふ。でしょう? もっと褒めてくれて良いのよ?」
朗らかに言葉を交わす二人の間に、一人の男が分け入った。その装備から、防衛線を守っていたガードの隊長と思われた。
「貴様、どういうつもりだ! 余計な真似をするな!」
男は唾を飛ばしながら真斗に罵声を浴びせる。だが真斗には涼風と変わらないようだった。怒る事も怯える事も、恐縮する事も無く、ただ呆れたように肩を竦める。
「何よ、命の恩人にご挨拶ね」
「うるさい! 人外に助けて貰うほど落ちぶれてはいない!!」
幹耶は空港で向けられた、敵意の籠った視線を思い出していた。ガードやチェイサーの大半を占める、いわゆる普通の人間であるノーマルにとっては、デミもポリューションも、超常の力を操るアンジュも大差は無いのだ。
「ふん。随分と威勢がいいわね。作戦許可ならちゃんと受けているわよ」
真斗がそう言うと、男のバベルへ命令書が表示された。斜めに立てかけられた剣の上で三日月に手を伸ばす、桃色の猫が意匠されたピンキーの部隊章と、本部であるスピネルのエンブレムが並んでいる。
「東館は私たちがクリーニングするわ。あんた達はここを閉鎖して撤退しなさいな」
「ふざけるな! 生存者を見捨てるのか!」
真斗は困ったように、小さく溜息をつく。
「確かに見捨てるってのは、私も寝覚めが悪いんだけどね。ここが突破されたら元も子もないのよ。それにさっきの様子じゃ、仮に生存者が居てもここまでたどり着けないわよ」
男は悔しそうに呻く。真斗の言うとおりだったからだ。
先ほどの惨状を見るに、東館はデミで溢れかえっているだろう。そのような地獄を越えられる人間ならば、とっくに脱出している。それにこちらには、救助に向かうだけの戦力も無い。
だが、と男はなおも食い下がる。
「東館に取り残されたチェイサーはまだ健在だ。先ほど、一時的に通信が回復して連絡が入った。彼らの脱出をなんとか支援できれば――」
「あぁ、はーちゃんがそんな事を言っていたわね。ちなみに、何番隊かしら」
「に、二十七だ」
「……。あぁ、そう……」真斗が少しだけ目を伏せる。「デミを幾らか、こちらで引き受けるわ。私たちが東館に入って二十分経っても変化が無ければ、ここを閉鎖なさいな」
「それなら、こちらから救助に――」
真斗がぎろり、と男を睨みつける。
「これ以上死体を増やすつもり? 彼らもプロよ。ここまでお膳立てして生き残れないなら、所詮はその程度という事よ」
男に背を向け、東館へ向かう真斗を幹耶は追いかける。男はなおも何かを言いたそうにしていたが、口つぐんで防衛線の立て直しを図り始めた。
「さ、初仕事よ幹耶くん」
幹耶の方へ向き直る事も無く、鋭く前を見据えたまま真斗が口を開く。
「せいぜい生き残って見せなさいな」