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雨に唄えば

 薄氷のような空の下で、生臭い磯の香りに包まれて巨大な倉庫が立ち並んでいる。朝の白々しさが残る埠頭は、凍りつくような静寂に包まれていた


「ここだね」

 少女の声が上がる。空と同じように薄氷色をしたセミロングの髪を海風に躍らせながら、壁に錆びの浮いた倉庫を見上げている。


 比較的小柄と言える体躯。可愛いと美人の中間にある整った顔立ち。口元の微笑みが人懐こい子犬や悪戯好きな子猫を思わせる。 だが、その内に潜むのは凶悪な獣だ。凶獣の身を包む春色のカーディガンとワンピースの裾がはためいた。


「見分けが付かんよ。片端から燃やしていけば良いんじゃないか?」

 絹糸のような灰色の髪を一つに束ねながら、長身の女性が言う。獣じみた鋭い雰囲気を隠そうともしていない。腰まで伸びたその長髪と鮮烈な美貌とが相まって、どこか狐を連想させる女性だった。


「大雑把だね、()(れん)は」

 笑いながら薄氷の少女が言う。火蓮と呼ばれた灰髪の女性は「ユキに言われたくは無い」と吐き捨て、銀色のシガレットケースから煙草を一本抜き取り、口に咥えた。その先端に何の前触れも無く小さな炎が灯る。


「予定が詰まっている。さっさと終わらせよう」

 顔を顰めて不味そうに煙を吐き出し、灰髪の女性が言う。


「そだね。遊ぶのはまた今度」

 そう言うと、薄氷の少女はどこからか金平糖を一つ取り出し、口に放り込んだ。




 倉庫とは名ばかりの空っぽな空間には、焼けた砂のような埃臭い空気が漂っていた。置かれているのはいくつかの大きな木箱、そして発泡酒の空き缶や煙草の吸殻があちこちに散乱している。


「あーめんどくせぇ。何で俺がこんな面倒な事をしなくちゃならねぇんだよ」

「ガタガタ言うな。必要な事だろうが」


 男が二人、一抱えほどの木箱を挟んでパイプ椅子に座っている。木箱の中身はぎっしりと詰められた7・62×39㎜の弾丸。高品質な正規品でも一発二十円程度という安価さ、そして強烈な貫通力。狩猟からテロにまで世界中で幅広く使用される、普遍的なライフル弾だ。


 愚痴を吐いていた、無精ひげを生やした男が脂ぎった頭を掻いて溜息をつく。面倒そうに弾丸の海に右手を突っ込み、左手に持った湾曲したマガジンに弾丸を詰めていく。


 おもむろに、無精ひげの男が煙草に火をつけた。気真面目なもう一人の男が盛大に顔を顰める。


「おい、火種が落ちたらどうする。消せ」

「ソドムやゴモラじゃねぇんだ、気にし過ぎなんだよ。どうやったら煙草の火が弾丸に着火すんだ?」


 無精ひげの男がへらへらと相手を小馬鹿にするような顔をする。気真面目な男は苛立ちを放るように唾をコンクリートの床に吐き捨て、視線を弾丸の海に戻す。


「しっかしよぉ。ガキでも攫ってきてやらせりゃ良いんじゃねぇの、こんな雑用」

 なおも無精ひげの男が軽口を叩く。


「馬鹿言うな。〝外〟とは違うんだぞ」

「けっ、面倒くせぇ。支援するなら細かい所まできっちりやれってんだ」

「どの口でそれを言うんだよ、お前は……」

 金色と赤銅色に輝く木箱を掻き混ぜながら、男たちが言う。そこへ別の声が上がった。


「支援って、どこの誰が?」

「ああ? そんなの、俺らみてぇな味噌っかすが知らされる訳がねぇだろ」

「何でも良いんだけどな。その支援者がなんて呼ばれていたか、コンタクトを取って来たのはいつ頃か、とかさ」

「知らねぇよ。ってか、お前だってそんな事は――」


 ふと、無精ひげの男の手が止まる。会話をしていた声に違和感を覚え、手元のマガジンから視線を上げた。ぽとり、と咥えていた煙草がコンクリートの地面に落ちる。


 目にしている物が理解できなかった。無精ひげの男が見ているのは、紛れも無く先ほどまで共に雑用をこなしていた気真面目な男の顔だ。

 しかし、そこにあるのは顎と耳と、額から上の頭部のみ。つまり、顔の真ん中に、ぽっかりと大穴が空いていたのだ。


「はっ――。な、なんっ――!?」

 無精ひげの男が喉を詰まらせ、あえぐ。気真面目な男の身体はびくり、びくりと痙攣している。しかし倒れる事も無く、頭部だけは微動だにせずにそこにあり続けた。


 理由は直ぐに解った。その頭部を支える者が居たのだ。


「はぁい。こんにちは」

 大穴の向こうから、薄氷色の髪を揺らして少女が顔を覗かせる。


「ね。さっきの話、聞かせてよ。どこの誰がテロの手引きをして〝アイランド〟でグリルパーティをしようとしているのかさ。知っている事を全部話してくれたら、痛くないようにしてあげるよ?」

 薄氷の少女が言う。だが、無精ひげの男は釣り上げられた魚のように口をぱくつかせるばかりで、話にならない。


「ねぇちょっと、聞いているの? 何か言わないと身体に聞く事に――」

 どちゃり、と湿った音を立てて少女の顔が隠れる。重力に耐えきれなくなった脳が大穴に落ちたのだ。


「――あっ、あっ! うあああぁぁぁぁ!!」

 緊張の糸が切れた無精ひげの男が脇に置いていたライフルを手に取り、引き金を引いた。気真面目な男の身体は数秒も持たずにボロ雑巾のように成り果てる。

 不意に銃声が途切れる。突然失われた手応えに男は視線を落とす。弾丸を吐き出していたライフルは、男の手首ごと失われていた。


 赤黒い血液が滝のように男の足元に水たまりを作り上げていく。男は膝を地面に付け、絶叫を上げながら手首を腹に抱え込むように身体を折り曲げる。


「何よいきなり。びっくりするじゃない。でさ、話の続きなんだけど」

 肉塊を放り出して少女が姿を現す。弾雨に晒されたはずの彼女は、果たして全くの無傷だった。


「おっ、俺の! 俺の手がっ! なんでっ、なんでだよ!! 血ぃ止まんねぇよぉ!」

 少女の声を無視して無精ひげの男は喚き散らす。気でも触れたように声を上げ続ける男に少女はため息をつき、少しだけ腕を持ち上げた。だが少女が何かをする前に、その動きが止まる。男の頭部を、背後から細い指が掴んだ。


「遊ぶのはまた今度、じゃなかったのかよ」

 灰髪の女性の指先から炎が上がる。無精ひげの男はたちまち炎に包まれ、火にくべられた藁人形のようになった。

 天を裂くような断末魔を上げていた男が事切れる。灰髪の女性は焼死体を放り、面倒そうに手をはたいた。業火に晒されていたはずであるのに、女性の手には火傷の一つも無い。


「生きたまま焼くとか、火蓮ってば残酷ぅ~~」

「だから、ユキに言われたく無いと言っているだろう」


 眉間の皺を指で揉みながら灰髪の女性が言う。薄氷の少女は人の焼けた油混じりの空気も気にせずに、けらけらと笑っている。その時、二人の頭上で扉を蹴破る音が響いた。倉庫の奥に事務所でもあるのだろう。そこに控えていた男たちの仲間が銃声を聞いて駆け付けたのだ。


「おい! なんだ今の――」

 扉の向こうから、わらわらと男たちが湧き出て来る。手摺から身を乗り出した数人の男たちが、眼下の惨状に息を呑んだ。片や頭部に大穴を開けた肉塊。もう片方は手首から先を失った焼死体。およそまともな死に方とは言えない。焼死体から漂う悪臭が周囲を埋め尽くしている。


「な、なんだてめぇら!」

 男の一人がテロリスト御用達のアサルトライフルを構え、死体の傍らに佇む二人に怒鳴り声を浴びせる。薄氷の少女は口元を歪め、「悠長な事を言っているねぇ」と薄ら笑いを浮かべた。


 瞬間、風が唸る。怒鳴り声をあげていた男は突然の衝撃に身体を震わせる。

 その男の胸には、ぽっかりと大穴が空いていた。


「かっ、はっ!? はっ――」

 何が起きたのか解らないと言うように男は目を見開き、胸の大穴に手をかざす。そのまま膝から崩れ落ち、男は手摺から下へと落下した。


「わたくし、こういう者で御座います」

 どさり、と死体の上げる音を名刺代わりにして、薄氷の少女が胸に手を当ててわざとらしく腰を折る。


「アンジュ――!!」「スピネルのスイーパーか!?」「生かして返すな!!」


 口々に男たちが叫び、左右に展開しながら少女たちに弾丸を浴びせる。

 しかし、それらの弾丸は一発たりとも少女たちに届く事は無い。全ての弾丸は少女たちを包んだ不可視の壁に弾かれ、光の軌跡を放ちながら逸れていく。


 鉛の嵐。撒き散らされる空薬莢。叩きつける銃声の暴風。その中で、薄氷の少女は嬉しそうに笑った。


「綺麗だね。薬莢がきらきら光って、黄金の雨みたい」

「お前も大概悠長じゃねぇか。さっさと片付けるぞ」


 灰髪の女性が煙草を咥える。その先端から炎が上がり、細く伸びて女性の身体の周りに渦巻く。それはまるで炎の蛇だ。

 炎が鋭く奔り、一人の男の足首に絡みついた。男は悲鳴を上げて振り払おうとするが、抵抗虚しく炎に吞まれていく。燃え盛る蝋燭と成り果てた男は狂ったような悲鳴を上げ、転げまわる。


 炎が広がっていく。踊る炎蛇が人から人へと燃え移り、倉庫の上部に張り巡らされた廊下が火炎地獄へと変じていく。

 響く絶叫。反対側の廊下で繰り広げられる火炎地獄を呆然と眺めていた男の首が、突然千切れて跳ね飛んだ。鮮血が天井まで吹き上がり、周囲を紅く染め上げる。


「あっははは! 見て火蓮、今度は血の雨だよ。天気予報は大外れだね」

「無駄に汚すな。後片付けをする人の苦労も考えろよ」


 二人が会話を交わす間にも、少女たちへ銃撃を浴びせていた男たちの数は減っていく。ある者は炎にまかれてのた打ち回り、またある者は正体不明の攻撃で身体に大穴を開けて息絶える。十数人も居た男たちの数はあっという間に半数を割り、しかし少女たちはただの一歩も動いていない。


「だ、駄目だ! 敵わねぇよ!」

 男たちの顔に絶望の色が差す。リーダー格と思われる顎髭を生やした男が大きく舌打ちをする。


「アレをだせ!」

「ま、まだ調整中だぞ!?」

「ここで死ぬわけにはいかねぇだろ!!」


 男の一人が奥の部屋に消え、ややあって倉庫の奥にあるシャッターが上がっていく。その中から低い電動音を上げて数個の影が飛び出した。

 それは走る機械だった。全長は一メートルと少し。体高は低く、四足でアメンボのような姿をしている。つるりとした白い装甲に身を包み、背には軽機関銃が据え付けられていた。


強襲型無人(ドロ)攻撃機(ーン)か。豪勢な物を持っているな」灰髪の女性が言う。

「なんで場末のテロリスト風情が、こんな高級品を?」薄氷の少女が首を傾げる。

「どうするユキ。一人くらい残して話を聞くか?」


 薄氷の少女は「うーん」と唸り、銃弾を撒き散らしながら迫る無人攻撃機に視線を巡らせる。少女の視線を受けた無人攻撃機の一機が突然に砕け、鉄屑と成り果てた。


「別にいいや。情報は死体と残骸から頂くよ。生かしておくのも面倒だし」

「はいよ」灰髪の女性がまた新しい煙草を咥える。「じゃ、手早く皆殺しといこうか」

「お迎えの時間も迫っているしね」


 薄氷の少女が薄く笑う。どこからか取り出した金平糖を舌の上に転がし、一歩踏み出す。艶やかな唇から歌声が零れる。


 横殴りの弾雨。降り注ぐ鉛と薬莢の豪雨。噴き上げる鮮血と、悲鳴の嵐。


 響く歌声は涼やかに、伸びやかに。


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