九
吉野ついなと名乗った少年は、 翌日本当にやってきた。
「君、 なに考えてるんだ!?」
「静かにして下さい。 騒がれると隠行してても気付かれるでしょう」
そう言うが、 人の気配が引いた一瞬を狙うように暗がりへと思いっきり引きずり込まれたのだから文句の一つも言いたくなる。
「無駄に人がいて忍び込み難いんですから、 手間掛けさせないで下さい」
「あのねぇ、 そもそも内裏に忍び込むって何考えてるの!? 子供だからって下手したら警備の武士に引っ捕らえられるよ!?」
「私はれっきとした十二才です。 だからこうして人目を忍んで来たんじゃないですか。 うるさくしたら気付かれますから少し黙ってて下さい」
東宮とはこの国の皇子である。
その東宮たる自分に、 事もあろうにこの言い種。
別にひれ伏せとか言う気はさらさらないが、 こんな態度言動を取られたのは初めてだ。
唖然とする花宵をそのままに、 ついなは何か細々と花宵にはわからない細工を施し、 それを終えると振り返って言った。
「当分誤魔化せるようにしましたから、 さっさと女装でも何でも良いんで外に出る仕度をして下さい」
昼間の大路には市が立つ。
遠路はるばる運ばれ集まった品々を商う人とそれを買う人の交わりがいたる所で繰り広げられる。
多くの人の声も引き連れられた家畜の鳴き声も騒がしく皆がそれぞれの目当てを探し求めて行き交っていた。
「花宵、 こちらです」
その中で大人の背に埋もれそうになりながら壷装束の女性らしき人の手を引く少年は傍から見れば微笑ましい。
たとえその実態が東宮にさえ無遠慮な生意気可愛げ皆無の変人と、 幾ら艶やかに装うとも男でしかもこの国の東宮であろうと、 知らなければ微笑ましい姉弟の図なのだ。
「ちょっと……君、 本気で何なの」
「先ほどからわけのわからない事ばかり言ってないで下さい」
「意思疎通って言葉知ってる?」
「だから、 話しているじゃないですか」
内裏を抜け出してから幾度となく行ったやり取りだが、 どうにも噛みあわない。
このついなと言う少年の目的も何も、 わけがわからない事ばかりだ。
「ほら、 あちらの店なども良さそうですよ」
「…………」
自分より一回り小さな手に引っ張られ、頭一つ分低いその姿を見つめる。
烏帽子も真新しいその姿は子供なのだが、 どうにも何かが異質な気がしてならない。
そう考えていたら、 やおらついなが振り向いて花宵は一瞬ぎくりと身を強張らせた。
「そういえば」
「何」
「知らなかったんですか?」
「だから、 何が」
「贈り物で櫛は、 別れの意味があるんですよ?」
その言葉の意味と、 不思議なくらい真っ直ぐで邪気のない瞳に花宵はしばし固まった。
ついなは淡々と言葉を続ける。
「別れの御櫛は、 そもそもは何代か前の帝が妹である姫を見送る時に渡した事から別れの意味を持たせるので贈り物……特に想う方へのものとしては避ける物だと思いますが」
櫛が苦しに通じるともされ、 贈り物には適さないと言われていますし、 と。
「何で……女性に、 …………好きな人って」
「私より年上のいい年した人が此の世の終わりみたいな顔で泣くに泣けない情けない顔してるの見れば、 自分の女装趣味を満たす為に手に入れたんじゃない事くらいわかります」
「これは、 別に私の趣味じゃないわよ」
「別に私にはあなたの性癖は関係ないので気にしませんよ?」
「だから違うって言ってるでしょ!」
いやいやそういう事じゃなく。
話が思わず逸れそうな雰囲気に花宵は引きずられまいと首を振る。
「見事な細工でしたし、 自分で使うのでなければ女性への、 それもあまりの情けなさから見て想い人への贈り物として用意したのだと思いました」
さり気なく失礼極まりないものが所々混ざっているようだが、 ついなは少しだけ唇を尖らせ下を向いて呟いた。
「それを、 駄目にしてしまったので」
「ええと、 それって……。 それで? もしかして」
「そうですよ? 言ったじゃないですか。 手伝うと」
不思議そうに花宵を見つめるついなの瞳は、 ただ純粋な子供のものだった。
花宵は軽く頭痛と眩暈を覚える。
これは、 異質だ。
自分の知らない”生き物”だ。
「……よくわからない奴」
花宵の言葉に小さく首を傾げてから、 ついなは辺りを見回し、 花宵の衣の袖を引いた。
「とりあえず、 嫌がらせや別れを切り出したくないなら櫛以外というのもわからないあなたの為に、 しっかり案内して差し上げますから」
「……別れの意味があるって事くらい聞いた事あったわよ」
「じゃあ、 別れたい相手だったんですか?」
「違う。 ただ、 そんなの気にするより綺麗だったし、 櫛なら毎日使うじゃない」
「…………」
「ちょっと、 何よその『うわー……』って顔」