七
ある時から付きまとうようになった変な人間。
この国で陰陽寮とか呼ばれている術者の組織に所属する者。
それが、私の知る”ついな“という人間の全て。
あと付け加えるなら、 色々ねじ曲がってそうな性格してるって事だけ。
だから、 目の前でこんな風に他人に対して親しげにしているのは、 初めて見た。
「気に入ってくれた?」
「ええ。 ありがとう」
東雲が礼を言うと、 花宵は「良かったー」と笑顔で頷いた。
「十中八九これから色々大変で気苦労が絶えないと思うけど、 このお馬鹿さん見捨てないでやってね」
「花宵……黙らせますが良いですよね」
ひんやりとした笑みで刀印を切ろうとしているついなから、 花宵は然り気無く距離を取りつつ「いや」と返す。
「それにしても……話しには聞いていたけどまさか本当に承諾するなんて……一体どんな弱味を握られて脅されたの?」
「人聞きの悪い事を! 東雲を脅したりなんか」
「承諾しなくても変わらず追い掛け回されそうだったし、 それだとしてもしなくても一緒でしょ? 特に何か変わるわけでもないと思ったから」
東雲の返答に凍り付いたのは花宵だけでなく、 ついなも一緒だった。
当たり前のように答えた東雲を前に、 花宵は気の毒そうな顔でついなの肩を叩く。
「頑張りなさい」
そんな男二人を不思議そうに東雲は眺め、 後で風長にどうしてそんな反応をされたのか聞いてみようと思った。
「さて、 帰るわ。 お邪魔しました」
花宵がそう言って立ち上がり、 東雲とついなも見送りにと外まで出る。
「また改めてお会い出来ると嬉しいわ。 ついな、 近いうちに禄上乗せしとくから」
「それはどうも」
「じゃあね」
その男と言うには笠を被っても艶っぽい後姿が闇へ路地の先へ消えるまで見送った後に残された東雲とついなの間に降りたのはなんとも言えない微妙な沈黙と雰囲気だった。
ついなはちらりと上目遣いに横に立つ妻を見る。
花宵の消えた先を見つめて何かを思案するような横顔に、 うっかり「考え込む横顔も可愛いなぁ」とか思ってしまったのがバレたわけではないだろうが、 不意に顔を上げた東雲はついなを見る事無くその場で地を蹴ってふわりと浮き上がった。
「し、 東雲?」
「ちょっと心配だから見届けてくるわ」
空に浮きながら、 東雲はついなを見下ろす。
「…………はい」
ついなはどこかしょんぼりと力なく、 けれどその言葉に頷いた。
しかし、 その様子は捨てられた子犬のようだ。 犬の耳や尻尾があればへにょんと力なく垂れていただろう。
「…………また明日、 朝餉の用意をしておくから、 少しゆっくり起きても大丈夫よ」
「え?」
聞こえた言葉に慌てて顔を上げるも既にその時には東雲は夜空高く舞い上がっていた。
ついなはそれを見えなくなるまで見送ってから、 深々と溜息をつく。
「……手」
未練がましいその呟きは誰にも聞こえずただ消えた。
「あら? ついなの奥方どうしたの?」
花宵は笠に垂れ下がっていたむしの垂れ衣を片手で少し押し上げて隣に音もなく降り立った東雲へと声を掛ける。
「何かあっては事だから見届けようと思って」
「ふふ。 大丈夫。 こんな格好してるけど、 私そんなに弱くないのよ?」
「それでも、 一応気を遣うわ。 あなた、 ついなの友人なのでしょう? ついでに、 この国も大騒ぎになるじゃない」
東雲の言葉に花宵はぺろっと小さく舌を出した。
「あらら。 バレちゃってた?」
「夜のおましに居るのは、 式?」
「そ。 ついなに作ってもらったの。 あれのおかげでちゃんと時間までに帰ればわりと夜は自由なの! 大助かり」
「…………」
東雲は目の前で「うふっ」とそこらの女性よりも艶っぽくしなを作って笑む、 ”この国の皇子”に緑の瞳を向けて考えた。
大丈夫かこの国。
「ふふ。 確かに可愛いかもしれないね。 東雲殿。 ついなの話してた通り」
「…………」
「それが聞きたくて追って来たんじゃない?」
無言は肯定。 そう取った花宵は再び歩きながらくすくすと笑う。
「時間までに戻らなきゃいけないから、 歩きながらでごめんなさい」
「いいえ。 気にしないで」
「それで、 聞きたい事はあなたをついながどう言っていたかで良いの?」
花宵の言葉に東雲は逡巡し、 小さく首を横に振る。
「それよりも、 ……ついなの事を聞きたいわ」
「ついなの?」
「私は、 何も知らないの」
花宵は何も言わずに先を促すような沈黙を守った。
「ある日いきなり現れて、 つきまとって。 先ほど言ったくらいの事しか、 知らないの」
妻になってと、 出会ってからそう言い出すまで二年。 精霊の自分にとっては数秒もしくはそれにも満たない刹那。 けれど、 人の二年は数秒や刹那ではない。
それだけの時間があったのに、 あの時、 その手を取るまで。
「私は、 知らなかった。 あなたのような友人が居たことも。 きっとまだまだ知らないことだらけだわ」
何故、 こんな気持ちになるの。
たかが人間一人の事なのに。
知らない。 それが何だか胸に痞えて、 わだかまる。
「知りたいの」
東雲の言葉を聞いて、 花宵は立ち止まり少し考えるように視線を泳がせた。
「私が話せるのは、 私の知っている事だけだけど?」
「いいわ」
「私が話したくなかったり、 ついなの名誉の為に話さない部分があっても?」
「構わないわ」
「私が……嘘を吹き込むとは思わない?」
「そんな必要、 あるの?」
きょとんと東雲が不思議そうに花宵を見る。
その瞳があまりに無垢で、 花宵は肩を竦めた。
「はぁー……。 不思議。 いえ、 だからなのかしら?」
「何が?」
「こっちの話。 私個人の事だから内緒」
花宵はそう言って口の端に少しだけ苦い笑みを浮かべて微笑んだ。
「いいわ。 ちなみに、 嘘なんかつかない。 貴女の言う通りそんな必要なんて無いもの。 あと、 言いたくないような事も私とついなのあいだには無いし、 貴女に……まぁ、 そんな風に思われている時点で名誉も何も無いわよね」
付きまといとか言われている時点で名誉なんかあったもんじゃない。
貶すつもりは無いが、 ついなが少し難がある性格だったりするのは事実なのだ。
ただし、 と花宵は東雲を見る。 恐らくこの女性は、 その難も気にしない。 というより、 受け入れるだろう。 「ふうん」とか「そうなの」で。
花宵の唇に今度はただ笑みが浮かぶ。
「私とついなの出会いから話しましょうか。 今のような関係になったきっかけ、 実は貴女なのよ」