十三
瑞木は東雲を見つめて笑う。 性別さえ同じでなければ意中の相手との睦み合いかと思えるほどその桜の瞳は熱を帯びて。
「貴女はこれから、 きっと何よりも恐ろしい目に遭う」
白くたおやかな繊手が東雲の頬をそっと撫でる。
桜を見つめ返す色は森の緑。
東雲の緑の瞳を瑞木は覗き込むように顔を近づけた。
「そして、 きっとそれは何よりの至福へと転ずるわ」
ぱっと手を離し、 身も離して瑞木は無邪気に微笑んだ。
「ご結婚おめでとう。 そして、 ようこそ。 私達と同じ場所へ」
瑞木の言っている事は東雲には意味がわからない。 けれど、 きっとその真意を聞いたとしても彼女は答えないだろうと感じる。
「意味がわからなくても大丈夫。 きっとすぐ。 ついなの事を貴女がこうして気にし始めた時点でそれは確実だから。 ―――― 答えは自力で見つけてみてね」
東雲の考えを肯定するような言葉を残して瑞木は軽い足取りで室を出て行った。
「本当にすみません。 うちの瑞木が」
「いいえ。 …………彼女は、 私の味方になってくれるって言ったのだもの。 謝られるような事は何もないわ」
「そう言ってくれると助かります」
「今の私にはわからないけれど、 きっと彼女の言うとおりすぐにわかるのでしょう」
精霊は嘘をつけない。
瑞木の去った方を見つめ、 東雲は考える。
知らないことばかり。 わからないことばかりが、 増えていく。
そして答えを知っているだろう者達は、 必ず言う。 ―――― 自分で答えを見つけてね。
それはそうしなければならない何かがあるから。
「とりあえず、 ついなとの出会い、 お話しますか?」
「ええ。 お願い」
瑞穂の声に意識を引き戻し、 東雲は頷いた。
一目ぼれなんてありえない。
そこには「お前が」という一文が確実についていたのだろう。
そんな事は他でもない自分自身が一番わかっている。
けれど、 人生何事も”絶対”なんてものは存在しないのだと知ったのは、 間違いなく彼女を一目見た時だった。
ついなは出かけた東雲が帰ってくるのを庭に面した廂に座って待っていた。
空には月。 吹く風はまだ夏と秋の間を彷徨うように揺れている。
ついなは自身の片手を見遣った。
結局、 あの乱入のあった日から今日まで手を握る機会は廻ってこなくて、 未だに惜しいと思っているのは内緒だ。
「…………触れたい」
触れたい。 自分にとって彼女は陽だまりそのもので、 触れるだけで心に温もりが落ちてくる。
触れられるだけでも良いから、 今すぐ触れたい。
初めて心奪われた時から四年。 追って、 どうすれば見てくれるかと考えて、 声を掛けるまでにそれだけ掛かってしまった。
本当はもっと早く声を掛けたかったのに、 いざという時になってどうしても勇気が足りなかったのを、 彼女も友人達も知らないだろう。
彼女が本当に偶然、 仕掛けに落ちた時、 頭の中が真っ白になった。
何を言えば良い。 それよりもまず助けないと。 でも彼女なら手助けなんていらない。 そんな言葉がぐるぐると渦巻いて混乱した。
自分でも馬鹿だと思うが、 とりあえず兎に角、 何をおいても、 近づいてみよう。 それしか思い浮かばなかったのだ。 そうしてさながら灯りに引き寄せられる蛾のように気づいたら彼女の側へ。
あの時は本当に自制しているのが精一杯で、 最初からあんな事を言うつもりじゃなかったのに。
でも、 逆に言うとあれで腹が決まった。 もしそうでなかったら、 この今は無かったのかも知れないと思えば、 あれで良かったのだろう。
情けない。 絶対言えない。
「…………それでも、 信じられないくらい幸せです」
ついなは滲むような微笑を浮かべて相好を崩した。
これはまだ始まりに過ぎない。
彼女は妻にと乞うと承諾の返事をくれたけれど、 彼女は精霊だから。
きっと、 ついなという自分の事を好きなわけではない。
「どうすれば、 好きになってもらえるか。 これからですからね」
まだ始まりで、 ひょっとしたら始まってすらいないのかもしれないと、 ついなは思う。
だから、 本当の勝負はここから。
「頑張りましょう」
好きになってほしい。
彼女の心が欲しい。
初めて彼女の笑顔を見た瞬間から、 ずっとそう思っている。
「まだ、 笑ってもらった事、 ないですし」
まずはそこから。 自分に笑顔を向けてもらえる事をまず目指そう! と現在十八の男は固く決意した。