十二
吉野の地は桜の地。 そう呼ばれることがあるほど、 ここの桜はどこよりも素晴らしい。
「私の護る地だもの。 当然よ」
「そうですね」
その地に根ざし見守る社のカミである瑞木は薄い胸を張って誇らしげにそう言った。
本当にそう思っているのかどうかわからない様子ではあったが、 禰宜を勤める瑞穂もそれに頷き、 先ほどふらりと現れた風のカミ、 東雲に土器の湯のみに注いだ茶を出す。
床板は年代を感じさせる色味だが、 いつも早朝の掃除から一日を始める瑞穂の努力によって艶々と磨かれ、 塵一つ無い。
薄茶色の短い髪を揺らし、 茶を出し終えた瑞穂は白衣水色袴の姿で姿勢を正して客に向かい合って座す。
「それにしても、 ついなったら本当にあなたに求婚しちゃったのねー」
姿勢を正した瑞穂の後ろから、 まるでじゃれつくように十代中ごろの少女が抱きついた。
この社の主だと先ほど言った瑞木だ。
少女の姿をとってはいても、 実際の年齢は本人のみぞ知る。
可愛らしい顔立ちだが、 その色彩だけは人間とは離れていた。
真っ白な足元まで流れる髪に白い肌、 雪に凍えた枝葉のような細く髪と同色の睫が縁取る大きな瞳は桜の色。 ひらひらとした衣から覗く手足は細く、 唇と爪もほんのりと染まった姿は美しい。
けれど、 どこか幽玄の揺らめくような雰囲気を纏う。 この姿をどう感じるかは見たもの次第だと、 東雲は思った。
「あなた達は、 昔からついなを知っているのよね?」
「昔からって言っても、 私は瑞穂とついなが会った頃くらいからしか知らないよー? それまで、 興味なかったし」
瑞木はそう言って抱きついた瑞穂に同意を求めるように頬擦りする。
「出会ってから今まで、 ならば確かに花宵よりは数年だけ先に知り合っていますから」
それで良ければと瑞穂はじゃれ付く瑞木を気にした風もなく淡々と言った。 しかしふと気になったのか東雲を見つめて問う。
「花宵は元気でしたか? やつれていたりはしていませんでしたか?」
「築地塀を越えて訪問するくらいには元気だったと思うけれど」
「ああ。 全然元気で問題ありませんね」
なら良いですと一つ頷き、 瑞穂は溜息をつく。
「もしついなのあしらいに困ったら、 彼に助言を貰うのが一番良いですよ。 あれを相手にしてやつれもせずに意気投合して動き回れる元気があるのは今のところ彼くらいでしょうから」
「あら。 瑞穂だって別についなに構っても疲れてなかったじゃない」
「あれは諦めてたんです。 普通の感覚でついなと接していたら気が狂います」
すっぱりと中々辛口な事を言う瑞穂に、 瑞木はクスクス笑い、 東雲は珍しいものを見るように瑞穂を見ている。
そんな東雲の視線に気づいて、 瑞穂は一つ軽い咳払いをした。
「それでも、 変に聞こえるかも知れないですが、 悪い奴じゃありませんから。 特に貴女には」
「そーねー。 特につつかなければ回りに害はないわよね。 ついながむしろ私達とか以外なんて気に掛けてないから」
人間としてはどうかと思うケドー、 と瑞木は軽く言って、 それから桜色の大きな瞳を輝かせて今度は瑞穂から離れて東雲の隣へと移動して腰を下ろす。
「だから私、 ずっとついなが『絶対諦めない』って宣言してた貴女にこうして直に会ってお話してみたかったの」
瑞木はそう言って東雲の浅葱色の髪や白い肌に触ったりする。
東雲は外見的には自分と同い年くらいの瑞木を嫌がるでもなく、 好きに触らせていた。
「貴女がこの辺りの空を春とかには良く通っていたの知っていたんだけど、 ついなより先に声をかけたら恨まれそうだったし」
嫉妬深いんだもの、 とぷくっと頬を膨らませる瑞木の様子が可愛くて東雲は思わず笑みを零す。
「あ! ねぇ、 貴女は嫉妬ってわかる?」
「……嫉妬」
言葉としては知っている。 けれど自然の気が凝って生じる精霊である東雲にとって、 言葉の意味などは聞いたことがあり知ってはいるが、 それが実際にどんなものなのかと聞かれたらわからないと答える他ない。
「うふふ。 やっぱり。 そういう事なら任せて! ついなの話以外でも、 私、 あなたの相談に乗ってあげる!」
まるでぬいぐるみに抱きつく幼い少女のように瑞木は東雲を抱き締める。
どういう事かわからず目を瞬かせ、 東雲は傍観してひっそりと溜息をついている瑞穂に視線を送った。
「…………すみません。 うちの瑞木が」
「うふふふ! よろしくねー、 しのちゃん」
よくわからないが、 どうやらこの社のカミに懐かれたらしい事だけは理解する。
東雲に抱きついたまま、 瑞木は楽しそうに呟く。
「わからない事ばかりでしょう? 人間に関わると、 もっとそういうの増えるわ。 物凄く混乱して、 どうして良いのかわからなくなっちゃう」
瑞木へと東雲は目を向ける。 視線を受けて、 瑞木は悪戯好きの子供のようににっこりと笑った。
「辛かったり、 悲しかったりするわ。 けどね、 同じくらい、 きっと嬉しかったり楽しかったりもするの。 これから、 きっと」