十一
また性懲りもなく忍び込んできたついなを前に、 花宵は苦虫を噛み潰したような顔になった。
それもついながにっこりと上機嫌だから余計にである。
「それで、 どうでした?」
「…………君が正しかったよ」
時刻は丑三つ時。
東宮の寝所にやってきたついなはまるで始めから結果を知っていたかのような気軽さで問い掛けてきたのだ。
色々な意味で打ちのめされた気がする花宵は、 溜め息と共に腹をくくった。
「何がどれだけ欲しい?」
花宵の問いに、 ついなはキョトンとして瞳を瞬く。
「あなたが自分で得たもので私に与えられるものなんて無いでしょう?」
「何言ってるのかな? 私は東宮だよ」
「知ってますよ。 けど、 それはあなたが自分で得たものじゃない。 租庸調は国民からの献上品なんですから、 あなたのじゃなく、 国のものだって忘れないで下さい」
ついなの言葉に、 花宵は息を飲んだ。
当たり前の事だったのに、 忘れていた。 それが恥ずかしくて頬が染まる。
「なので何かくれると言うなら、 私はあなたが良い」
「…………」
今度は別の意味で花宵は固まった。
にっこり笑顔でこいつ今、 何言った!? 思わずついなを見る目に不信感が浮かんでしまう。
しかしついなはそんな花宵の不信感など意に介した様子はなく、 そのままもう一度言った。
「あなたが良い。 せっかくなので観察して参考にさせて頂きます」
「参考?」
観察とか。 先ほどから妙な言葉ばかり聞こえる気がする。
「ええ。 私も想いを寄せる方がいますから」
そう言う顔が、 本当に嬉しそうで、 見ただけで本当に好きなのだとわかった。
「先日の夜も、 その方を追いかけていたのですが……」
「夜に出歩いてたのか?」
「ええ。 というか、 人間ではないので。 その方」
「…………」
もう驚かない。 今、 はっきりわかった。
「君は、 変な奴だな」
「そうですか? 誰かに想いを寄せるなんて皆やっていることでしょう」
「いや、 そういう事じゃなくて……」
変だし、 ズレてる。 けど、 きっと悪気は欠片もないんだろう。
「…………でも、 まぁ、 確かに。 そういう括りなら皆同じか」
「そうですよ」
「そうかもね」
花宵は思わず小さく笑った。
ついなは笑顔で頷き、 花宵へ片手を差し出す。
「なので、 私はあなたに協力しようと思います」
差し出されたついなの手を取って、 花宵は握り返した。
「つまるところ、 これって片恋同盟って所かな?」
冗談めかしてそう言えば、 ついなは目をぱちくりと瞬いてそれからニッと不敵な笑みを浮かべる。
「今は、 そうですね。 でも、 私は絶対それじゃ終わりませんよ?」
「こっちだって、 そのつもり」
花宵とついなは顔を見合わせ、 二人で笑った。
「って事だったのよ。 恋愛同盟ね」
「…………」
「呆れた?」
「よく、 わからないわ。 それはいつの話なの」
「六年くらい前かしら。 ついなが十二才して陰陽寮に入りたてで、 私が十四の時だから」
六年。 東雲にとっては数秒のようなものだが、 人間の時間の感覚ならば年単位というのはそう短いものでもないだろう。
「……でも、 私、 会ったのは二年前だったはずよ」
「貴女はそうだったのかも知れないけど、 少なくともついなは六年前には貴女の事を知っていて、 追いかけてたわよ」
どうして。 そう顔に出ていたのか、 花宵は東雲を見てクスクスと笑う。
「それが知りたいなら、 私じゃなく、 あの子に聞いたほうがいいわ」
「あの子?」
「ついなの幼馴染。 私が出会う前のついなを知りたいなら、 きっとあっち」
花宵は歩みを止め、 笑む。
「じゃあ、 また改めて。 着いたから今夜はここまで。 ついなによろしくね」
「ええ。 ……ありがとう」
「どういたしまして。 あとね、 これは多分なんだけど」
とっておきの秘密を話すように花宵は紅を刷いた唇の前に人差し指を立てて声を潜める。
「ついなに、 ついなの事を知りたいんだって言ったら、 とっても喜ぶと思うわよ?」
それは何故と問う前に、 花宵はひらりと身を翻して内裏へと戻っていく。
東雲は疑問を抱え、 その後姿を見送った後も少しだけそこに止まっていたけれど、 ふわりと地を蹴って夜空に舞い上がる。
知ろうと思って聞いたはずなのに、 わかったのか謎が深まっただけなのか。
「わからないわ……」
呟き、 そして東雲は朝餉の用意をする時間になるのを見計らって”家”へと戻っていった。