土屋扶実(二)
前回書けなかったことを補完しただけなので、すごく短いです。
次回、グロ注意と思われます。
【3】
睡魔もゆうしゅつしたので、土屋扶実はいっそ眠ってしまうことにした。倉庫からの脱出がままならぬ状況下、その判断がいかにずれているかなんて、百も承知ではあったが。
あと二時間もしないうちに、運動場で部の活動を始める部員達が、ここの扉を開錠するだろう。そうなれば、扶実はあっさりと発見され、泥だらけの制服と、まず場違いである彼女の軟禁状態から「虐めの問題」が発覚するのは避けられない。が――。
だからと云って、それを措いてほかにどう行動できよう。窓の仕様は嵌め殺し。ドアを破れば、修理代をせびられる。日々の倹約が報われないではないか。
教職とは縁遠い用務員が、偶然通りかかるのを待つしかないように思えた。「鍵をはずしてくれ」と頼めば良いのだ。たぶん、生徒でも職員でもない、学校の雑務処理、清掃にたずさわる用務員になら見つかっても大丈夫なはずだから。面識は皆無にひとしく、クラスと名前を特定される心配もない。黙って立ち去れば、先方も厄介事にはなるたけ拘りたくないはずだし、追って詳細を追究することもしないだろうし。だからそうしよう、と扶実は、なかば投げやりに方針を定めたのだった。
扶実は、夢にうなされる経験が多々あった。夢の中身はバリエーションに乏しくて、ほとんどが、家庭の崩壊する一途をなぞる映像ばかりであった。
土屋家の離散。その断片が、まるで壊れかけの映写機によって映出される昔の映画さながら、ざらざらと粗い画質が不安定に目蓋の裏を流れてゆく……。時折ぷつんと途切れたり、ともすれば物語の構成をかえりみない非常に中途半端な地点から再開されたりと、とにかく安定しない夢。まだ幼少のころ、扶実が体験した実際の出来事に準じたものばかり――。
……泣きじゃくる自分。まだ幼い自分。
……そんな自分を、震える身体で力強く抱きしめる母親。絶え間なく爆発する罵りの言葉。怯え、許しを乞う言葉。しなびたポロシャツを着た、父の後姿。涙ながらに、すみません、すみませんと床に頭を打ちつける父親の頼りない姿……。
借金の取り立てが激化したのには、扶実の父が幾年来の知人にそそのかされ、負債の全額を肩代わりしてしまったのが根底にある。
人が良すぎる父だった。件の知人からすれば、扶実の父親は絶好のカモであったに違いない。
生き地獄が続いた。
地獄の鬼は、来る日も来る日も土屋宅に土足であがってがなり立てた。その家を売却してからは、一家が移り住んだ某県内のマンションにまで手が及んだ。帰ったら、またあの鬼が群れて暴れているんじゃないだろうか――。幼い扶実は恐怖に打ち負け、小学校の図書室に残ったり、適当に寄り道したりもして帰宅を遅らせていた。
平謝りが板についていた父はやがて失踪し、借金取りも家まで押し掛けてこなくなった。お父さんが、私とフミを守ってくれたのよ、と母の口から伝えられたが、高校生になった現在でも事の虚実は曇ったまま。父がどんな結末を選択し、どのような終止符を打ったのか、扶実には到底知り得ないこと。
扶実は、重度の人間不信に陥った。
災難の素である、友達の裏切り。測りかねる、忽然と消えた実父の真意。トラウマを植えつけた、ヒトならぬ鬼のような形相。
身内をのぞく全ての老若男女に対し、扶実は率先して警戒するよう努めるようになる。素性も知れぬ他人が、たまらなく恐ろしい生命体に感じられた。頬を緩めてはいるが、心では笑っていないのかもしれない。涙を流してはいるが、心ではあくびをしているのかもしれない。仲良くしようねとは云っているが、心では寝首を掻いてやろうと敵視しているのかもしれない。絶対ないとは云いきれない。理屈なんてない。どうしようもなく、ただ哄笑するクラスメイトが怖くて怖くて……。
短時間の睡眠だろうと、悪夢にうなされる自信がある。場所が場所だけに、比較的サイコな内容に脚色されるかもしれない。けど、まあ、いいや……。もう、休みたい。
両膝を立てて腕をまわし、そこに顔をうずめた。
目を閉じる。
(用務員のおじさんが出勤するのは、掃除の時間が大半だから……)
(……あと、一時間弱)
自律心が消失するまぎわ、扶実は誰ともなしに「死ね」と呟いた。