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暴走国家  作者: 鈴木
【第一部】 フラッシュ
2/5

土屋扶実


 新渡戸昌利が出社した同日。同県内にて。




   【2】




 時刻は、午前十二時を七分ほど上回ったばかり。空腹を満たしてなんぼのお昼時。

 ここ「茜N***高校」でも、日課として定められたカリキュラムの半分を終えた多衆によって、うるさくも自由気ままな昼休みの体制が、食堂から屋上に至る学園のそこここに敷かれていた。そんな中――。


 二年三組の教室内にて。

 十六歳の扶実(ふみ)は机に突っ伏し、歯をぐっと食いしばっていた。


「ほら、本当は起きてるんでしょう、土屋(つちや)さん。ほら、ほら。ほら、また動いた」


 椅子を蹴られ、頭の後ろでひとつに結えた髪を引っ張られようとも。扶実は、執拗な意地悪に耐える。十字に組んだ腕で机を押さえ、二の腕に前額をのせ、大声で怒鳴り散らしてやりたい衝動を呑みこむ。


「寝たふりしてて楽しい? あらそう、楽しいんだ。気味が悪いわ。――ねえ、私たち、喉渇いちゃったんだけど。ジュース、おごってくれないかしら」


 嘲笑うように云って、香奈江(かなえ)は付近に控える二人へ「なに飲みたい」と尋ねた。


「ペプシでお願いします」

「私もそうしようかな。三樹(みき)は?」

「あの、葡萄の果肉はいったジュース」

「りょうかい。――ですって、土屋さん」


 扶実は、やはり反応を示さない。机に突っ伏して、両腕で顔を隠して、頑固な鉄錆のようにぴくりとも動じない。


「ねえ、聞こえないの」


 香奈江の顔に、不服そうな色が滲んだ。


「感じ悪いわねえ、あんた。そんなだから、クラスでボッチするのよ。寝たふりしてるくらいだったら、さっさと私たちに飲み物買ってきなさいよ」


 それでも、扶実が自分をいないもの扱いすると見るや、香奈江は鼻を鳴らして、彼女が腰掛ける椅子を蹴った。椅子の脚と床が擦れ、耳障りな音が鳴った。


 土屋扶実はこのようにして、前原(まえばら)香奈江を中心としたグループに直接的な虐めの被害を、毎日のように受けていた。始まりは数週間前、四月も下旬の頃だったように、扶実は記憶している。


 クラス中の生徒を意のままに取り仕切る女帝、いわゆるところのプチ絶対君主制を発動する香奈江が、あろうことか機嫌を損ねる態度を扶実がとってしまったのが、端を発する原因だった。


 女子はおろか、同年代の男子からも畏怖される女、香奈江。

 彼女は、己がクラスでもっとも偉く、もっとも美しいと自負している。事実、美人である。しかし度が過ぎた負けん気に、ほとんどの生徒から陰で疎まれていたのも、れきとした事実。“人間嫌い”の扶実も、前原香奈江は際立って大嫌いな存在であった。だから、香奈江から話しかけられたおりに、その言葉を軽く流してやった。要は、無視したのである。このささやかな反抗が虐めの発端になると、少し考えれば思い当たりそうなものだった。が、このときの扶実は、そこまで深く考えてはいなかった。


 忠実な奴隷に近しい三樹に綾瀬(あやせ)、この両名に前原香奈江をプラスしたのが、土屋扶実を荒立って攻撃するグループのおもな構成である。香奈江をよいしょする三樹に、香奈江の独力を盾にし、虚勢を張る綾瀬。香奈江と同様に扶実は、彼女らもまた好ましくなく感じていた。


「あ。良いこと思いついた」


 扶実本体をいじるのに飽きたのか、香奈江は次いで、標的の学生鞄へと関心を注いだ。


「太っ腹の土屋さんは、私たちにお小遣いを分けてくれるそうです」


 床に置いてあった鞄をひったくり、中から小振りな財布を抜きだす。扶実はたまらず、勢いよく立ち上がって「やめて」と声高に抗議した。


「かえして。ふざけないで」


 やっと見せた扶実の反応に満足したようで、香奈江は冷やかな笑みを口許に浮かべると、


「あら、突然のお目覚めねえ。おはよう、土屋さん」

「財布かえして」

「さて、どうしよっかなあ」


 笑ったまま、三樹と綾瀬に目配せする。その様子から、香奈江の心の余裕が窺われる。――どう転ぼうとも、扶実は絶対に反撃してこないことを熟知しているがゆえの、強者のゆとりである。


「かえしてあげたいんだけれど、まだ飲み物買えてないし、困ったわぁ」

「自分のお金使ってよ。どうして貴方たちのために、お金を支払わなくちゃいけないのさ」

「さあねえ」

「それ、私の財布。かえして」

「――ふん」


 右掌を差しだす扶実を鼻で笑い、香奈江は再び二名の奴隷と有意味に視線を交わした。憤然とする扶実を、根底から嘗めくさっているのが丸分かりだ。あるいは、彼女が反撃してこないのを承知しているだけに、それを足場にこれだけ直接的な意地悪をしているのだから、害意など隠すだけ無駄だと考えているのか。いずれにしろ、扶実がこれを快く思えるはずもなかった。


「じゃあ、いまから自販機まで歩くから、土屋さんもついて来る?」


 香奈江の提案に、扶実は右手をひっこめて首を傾げた。


「これ、どうするかは措いといて」


 香奈江が云って、扶実の目の高さまで財布を持ち上げる。それから挑発するように、親指と中指で摘まんだ小さなそれを揺らして見せた。


「ね? 四人で行きましょうよ。――なにも変なことしないから。きっと、約束するわ」

 

 困惑する扶実を捨ておき、香奈江たちは顔を見合わせて楽しそうに笑っていた。

 その表情から彼女の真意を読みとるに、当然、扶実は厭な予感を抱かずにはいられない。しかし扶実には、同行をなおざりにできない理由があった。


 こんな奴らの云いなりだなんて……。――悔しい。でも……。


 財布は最悪くれてやるとして、そこに仕舞われている貨幣を失うことが惜しい。それになにより、“虐められている”という問題が、表沙汰になること自体がすこぶる不味い。


 過程はどうあれ、虐め問題に関与した時点で高校の教職員からすれば、土屋扶実という女生徒は「性格に難あり」となる。母親との賃貸マンション暮らしで、貯金も心許ない現状。些細な汚点で、ただでさえ過酷な大学進学を有利に運ぶ推薦枠の獲得が、さらに隘路と化すのは阻止したかった。


 無下に断りでもして、これいじょう香奈江に教室で騒がれたら、いつどのタイミングで、彼女の喧噪が教師の耳に留まるかも分からない。「虐め問題」が明るみに出ては決してならないのだ。なので扶実は大人しく、彼女らに従うほかないのだった。


「………」


 扶実は、無言で頷いた。この弱みを握っているからこそ、香奈江一派は高圧的に接する。途方もない悪循環だと細嚼しているつもりだったが、それでも扶実は、いまだ負のスパイラルから抜けだす術を見出せずにいた。


「素直な返事で嬉しいわ。先生に知られたら、困るのは土屋さんだもんね。さ、行きましょうか」


 香奈江が先頭を、三樹と綾瀬が後尾を努めるかたちで席を離れた。監守に連行される、囚人の気持ちだった。そんな扶実を、室内のクラスメイトは我関せずと一瞥するのみ。べつに香奈江らをいましめる口を挿んでほしいわけではない扶実であったが、これには無性に胸が痛んだ。


 廊下ですれ違う生徒が羨ましくて、妬ましくもった。あまり認めたくないが、私はなんて惨めな人間なんだろう、と扶実は悲しくなる。――みんな、ずるい。どうして私だけこんな目に……とも思った。


「あれえ。フケ、すごいわね」


 自動販売機前に到着するや、扶実の頭を綾瀬が背後から叩いた。


「うわ、きたない。この量はやばいよ、土屋さん」


 扶実は、返す言葉が見つからなかった。握った拳にぐっと力を込めて、にたつく綾瀬をねめつける。


「あらあら、本当。不潔だわぁ」

「髪は女の命よ。誰も相手にしてくれないからって、手入れをすっぽかしちゃ駄目じゃない、もう」


 香奈江と三樹も、綾瀬に続いて口裏を合わせた。


 そんなはずはない。昨晩ちゃんと風呂に浸かった、髪も洗った。フケが目立つって? いや、そんなはずはない……。脳裏に浮かぶ反論の文字は、しかし口から発せられてはくれない。積み重なる鬱憤のせいで、胸はいまにも張り裂けんばかり。


「綺麗にしないと、髪が傷んでしまうわ。場所を移しましょう」

「ちょっと、やめて」


 香奈江に腕を引かれ、三樹に背中を押されるがまま、扶実は昇降口から校舎の外に追いやられた。のどかな青空が、広く澄み渡っていた。うららかとした陽気が、かえって扶実には腹立たしかった。


 ひと気のない、体育館裏に差し掛かる。そこからさらに後押しされ、扶実のたどり着いた場所は、第二グラウンドに延びる狭い砂利道の中間辺りだった。放課後のクラブ活動時にしか利用されないグラウンドなだけあって、周りに人影はまったく見当たらない。右手には灰色のコンクリート壁、左手には身長二メートル弱の金網。やや奥まって倉庫に、簡易な水飲み場が設けられている。

 あさっての方向に曲がっていた蛇口を下向きにセットし、香奈江は、扶実から手を離して云う。


「使ってどうぞ」


 扶実は、即座にかぶりを振った。が――。


「なによ、それ。拒否する権利ないから」

「さっさとして」

「臭いの自覚して、はやく洗い流して」

「はやく」


(……いやだ)


「先生にばれたら、停学かなあ。推薦枠も厳しいかも」

「はやく。はやく」

「勿体ぶって、なに様よ。――はやくして」


 三人相手では分が悪い。扶実は、三樹と綾瀬の拘束を振りほどこうとするも力及ばず、台の縁に顎を置くよう無様に組み伏せられる。膝立ちになった。制服スカートが捲れ、裸の膝小僧に複数の砂利が食い込む。ギロチンで罰せられる死刑囚のような姿勢だった。


 バルブが回され、大量に噴出した水道水が扶実に襲いかかる。後頭部を直撃し、四散した水飛沫は背部を透明に濡らした。


 逃げようとしても、肩が持ち上がらない。取り押さえられている。目を開けられない。鼻に、口に、頬を伝った水が無尽蔵に進入する。息ができない……。


 むせて、扶実は激しく咳き込んだ。

 

 殺される、と直感した。


 解放されたときには、扶実は腰から脱力し、地面に尻もちをついていた。無地のブラウスはずぶ濡れ。服が異様に重い。妙な器官に水が入ったせいで、しばらく咳が止まらなかった。


「財布、こっちね」


 声のした方を振り向くと、トタン屋根の寂れた倉庫から、香奈江が出てきたところだった。扶実は下腹部に気力を起こさせて立ち上がり、彼女と肩を並べる位置まで足を運ぶ。倉庫の内装は嵌め殺し窓がひとつあるだけで薄暗く、つんとした悪臭で充満していた。


「宝探しゲーム、スタート。頑張ってね」

「………」


 倉庫に足を踏み入れるやいなや、扶実は思いきり前方に倒れ伏した。


「ごゆっくり」


 扶実を蹴り倒した香奈江の手によって、扉が閉ざされた。

 閉じこめられた。


 扉は、木造の片開きである。外側から、鉄棒をスライドして施錠するタイプの鍵が設置されてるとはいえ、木材は相当古びているし、壊せないこともない厚さだったりする。それでも、破損させれば弁償は免れないだろう。強硬手段に転じる気はなかった。


 小さく息を吐いて、部屋の隅にうずくまる。


 しかし胸苦しい。面積的な都合では五、六人分はお邪魔できそうな造りなのだが、片付けてあるスポーツ器具やら障害物やらが、独りぼっちの扶実にひんやりとした圧迫感を与えるのだった。


 おまけに、この暗さ。窓から差し込む光だけが頼りである。黄色い光は、墨汁を溢したような空間を斜めに裂いて、扶実から数歩進んだ足元に仄かな陽だまりをつくっている。


 香奈江一派の話し声が、じょじょに遠退いていく。扶実は、放置されたことを悟った。


 午後からの授業は諦めよう。ころんだ拍子に、びしょびしょの制服はどろどろに汚れてしまった。五時限目は、数学だったか。――私が欠席したことに関しては、香奈江がうまく取り繕ってくれるだろうし。気に病むことはない。


 扶実は涙をこらえ、鼻を啜った。


 寒い……。


 ハンカチを取り出して、顔の水滴を拭った。









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