新渡戸昌利
細かなことは、後書きにて記載。
【1】
「ゾンビは走るべきか、走らざるべきか」
折り曲げた肘を枕にし、ゆったりとしたソファーベッドで横になる小鳥遊が云った。
「あくまで主観にだがね、ぼくは思うんだ。この疑問に該当する“答”を血眼になって索捜すること、それすなわち徒労であるってね。
ゾンビは歩いて人肉を喰らう、走るゾンビは出来損ないだ。とまあ、こういうことを云いだす奴は、そうじてジョージ・S・ロメロ監督に陶酔している。あるいはロメロ監督の看板にかこつけ、ゾンビを世の人々に知らしめた彼という鬼才の塊と意見を合わせることによる――ロメロ監督は、走るゾンビを“ゾンビ”と認定していないらしいから――、鬼才との同一化を、無自覚に図っているのかもね。かの御仁が思い描くクリーチャーのありかたに共感する自分自身が、奴らは大好きなのさ。そんな彼らが、ぜんちんした疑問を解き明かせるわけもないだろうし、だいいち解き明かす権利を持ってすらいない。
あ、いちおう断っておくが、ぼくは断じてロメロ監督を貶しているわけではないんだよ。彼の作品に触発されて、ゾンビ映画の追っかけを始めたようなものだしね。陶酔まではいかないにしても、尊敬ならしている。本当さ。――ぼくはね、彼を踏み台にしてまで己が薄弱な価値観を正当化する輩が嫌いなだけなんだ」
小鳥遊がいるのは、畳敷きにすればおよそ六畳にはなる家庭的なリビングルーム。目立った家具といえば脚の短い卓袱台に箪笥、大画面の液晶テレビくらいのもので、必要最低限の調度品しか取り揃えられていない。部屋の一角には、生乾きの洗濯物が雑然と積んであった。
「ああ、そうか」
座布団を尻に敷いた新渡戸は仏頂面で、テレビのリモコンを操作する。小鳥遊が慌ててソファから身を起こすも、画面は、小奇麗な女のアナウンサーが微笑む天気予報の番組に切り替わった。
「なんてことするんだ! まだ、映画は途中だっただろう」
「朝飯時にかける代物じゃない」
ぶっきらぼうに云って、新渡戸は“居候”の顔を見向きもせず、液晶画面の左上に表示された数字を気にしつつ白米をかっこんだ。
新渡戸が起床した後に洗顔を済ませ、作業衣に着替えてリビングルームまで降りてきたときにはすでに、小鳥遊が趣味で収集する『ゾンビもの』のDVDは再生されていた。聞けば、『トーン・オブ・ザ・デッド 』なる著名な映画だとのこと。パニック系はおろか、映画自体に興味がない新渡戸からすれば当然、初耳に分類される作品名ではあったのだが。
新渡戸の母親が他界したのは、もう三年も前のこと。死因は癌だった。妻が急逝したことによるショックで倒れた新渡戸の父も、同時期に入院を余儀なくされた。したがって、大学を中退したのち怠けに怠け、いっこうに安定した職に就けていなかった三年前の新渡戸・昌利は、実家の一軒家にて独り暮らしを強要させられるはめになった。
ところが、その翌年。二年前のこと。十数年来の旧友・小鳥遊が家を訪ねてきてから、慣れない男のふたり暮らしが始まる。
いわく、小鳥遊は両親から勘当され、居場所を失ったのだという。なんでも、遊び半分で株に手を出したとか、いわゆる家出少女をナンパした結果、警察沙汰にまで発展したとか、数多くの失態を両親に尻拭いしてもらい、それでいて働く気は毛頭なく、親から借りた上京資金をほとんど食い潰したのだとか。
「警察のお世話にはなったが、先方との協議のすえ、裁判にまで持ち込まれることはなかった。つまり、ぼくは前科ゼロ犯の、純白な好青年さ。それに上京資金にしろ、手渡された時点で所有権はぼくに移ったわけだろう? その金を株に投資しようが何しようが、とやかく云われる筋合いはないはずさ。それをなんだ、うちの親ときたら、二度と小鳥遊宅の敷居をまたがせん、ですと。ふん。こっちから願い下げだってもんだ。ぼくは、是が非でもあいつらの家には帰らないよ」
と、これは旧友・小鳥遊の云い分である。
口だけは達者なくせに、中身は小学校から微塵も成長しちゃいない。親と喧嘩できるのも、親が達者なうちだけなんだぞ、と新渡戸は、これを聞かされたとき、たいそう辟易したものだった。
「せめてDVDプレイヤーの停止ボタンを押してから、チャンネルを替えてくれないかい」
小鳥遊は拗ねたように、表面が正方形のクッションに顔を埋めたまま物申す。
「君が女子アナと睨めっこしてるあいだにもね、物語はリアルタイムで進行しちゃってるんだよ。困るなあ、そういうことされると。――アンディの鉄砲店にゾンビが進行する場面は、そろそろかな」
「うるさいな。なら、てめえで停めろよ」
「手が届かないんだ」
「だったらぐちぐち云うな。もうアンディは助からねえ」
「――まあ、ところで。それはそれとして、話を戻しても構わないかい」
新渡戸は返事せず、焼き魚を黙々と口に運ぶ。目線はテレビに向けられている。
「どこまで話したかな。……ああ、そうだ。
そう、ゾンビの身体能力なんて極論、あまりにぶっ飛んでなければ水準をどこに設定しても良いじゃないか、とぼくは思うわけだ。足が速くたって、水に潜れたって、知能が発達してたって、それはそれで面白い。事実、過去のゾンビ映画には、先に挙げた異体がばっちし採用されている。これがもう、迫力がすさまじくてね。終止、胸が高鳴りっぱなしだったよ。
では、新渡戸君。ここらで目覚ましクイズとしゃれこみましょう。……ゾンビを凶悪な敵キャラと配置した創作物――映画、漫画、小説など――において、もっとも着眼されるべき重要なポイント、君ならそれは、どこだと考える?」
さあね、と答える新渡戸。
「――人間模様だよ」
威勢よくクッションから顔を剥がして、小鳥遊は続けた。
「得体の知れない化け物が、ウーウー低く鳴きながら文明の死滅した地上を制圧した仮想世界。絶体絶命のピンチに陥った生存者がおりなす、ときに残忍で、ときに温かいリアルなストーリーにこそ、ゾンビものを拝観するうえでの価値が存在するんだ。
使い古されたキャスティングになるが、危険をかえりみない勇敢な主人公に、生き別れた兄弟姉妹との再会をこころざすヒロイン。ゾンビを商売道具として飼いならそうとする腹黒い権力者。子を想う父、母をしのぶ子。宗教まがいの過激な団体。身勝手な暴徒に、統率のとれた特殊部隊。こういった多種多様な人間の思想が交差してこそ、ゾンビの魅力は最大限に生かされる」
「へえぇ」
「ちなみに、この手の作風はエログロが醍醐味という声もあるにはあるんだがね、個人的にはちょっと賛同しかねたりするんだ。と云うのも、DVDを手当たり次第に漁っていると、ちょくちょく気分を害するようなスプラッタームービーに意図せず出逢うことがあるんだが、それが実は……」
「――台風が、関東を直撃だってよ」
要約すれば小鳥遊は、極限に瀕した人間の乱れ動く心理に興奮するのだ。云い回しこそ微妙に異なれど、幾度も彼の口からゾンビ評論あれこれを聞かされ、まさに耳たこな新渡戸は早々に小鳥遊の話をさえぎり、予報士の言葉を復唱した。
「太平洋側から関東を通過し、中部地方全土をすっぽり覆うようにして北上。明日の早朝には千葉を強襲。外出は可能な限り控えるように、と」
「仕事は休むのかい?」
「どうだかなあ」
新渡戸は去年の夏から――母が逝去した年の翌々年から――老後を見越した将来に漠とした恐ろしさを抱くと同時に、小鳥遊という反面教師が近くにいたこともあって根無し草から足を洗い、某建設業の労働力として働いているのだった。
「休暇、出勤は現場監督の一存でどうにでもなるからな。悲しいかな、したっぱの俺からはなんとも云えねえんだ」
「だとしても、朝から嵐なんでしょ? 怪我は必須だと思うけど」
「出動命令があれば、そうも云ってられまい」
ごちそうさま、と合掌する新渡戸。大柄な身体をむっくりと持ち上げ、リビングの隅で山積みにされた洗濯物から無地のタオルを一枚選び、頭に巻きつけた。
「明日、もし仕事休みだったら遊びに行こうよ」
得意の猫撫で声で、小鳥遊が云った。
「寝惚けてんのか。嵐だっつってんだろ」
それをすげなく切り捨て、新渡戸はリビングから廊下を経由し、風呂場に出向いた。洗面台の前に立ち、練り粉を塗ったブラシで歯をみがく。と、頭に鈍い痛みを感じた。
きびしい肉体労働をそつなくこなす新渡戸にひきかえ、居候の立場として働かないわけにはいかないはずの小鳥遊は、けれども職探しの雑誌にすら目を通さない怠惰ぶりを発揮しているしまつ。家賃を払えだとか、家から出てけなどと云うつもりはないが、いつまでたっても独り立ちしようとしない友人には頭が痛む。このままでは遠からず、小鳥遊は精神病をわずらってしまうのではないか、と新渡戸は懸念していた。
自分が彼を甘やかしすぎているのではないかと考え、心を鬼にした日も数える程度にはある。しかし、そのつど袋小路に打ち当たってしまうのであって。
女のように華奢な肉付きをした小鳥遊のことである。体力を酷使する労働を強いれば、三日ともたずに死んでしまうだろう。――ならば、事務職ならどうか。金色の髪を黒く染め、清潔に切り揃えることが面接クリアの大前提。「美容院に行って整えてこい」と咎められようとも、小鳥遊はかたくなにこれを拒否した。「デスクーワークなんてつまらないよ」というのが、彼の云い分。「それに、ぼくには似合わない」とも云っていた。ならば、なにがお前には似合ってるんだと新渡戸が詰問すれば、小鳥遊はばつが悪そうに口籠ったすえ、「そのうち、かならず見つけだすさ」と大真面目に答えるのだった。
「いってらっしゃあい」
廊下に出たところでリビングから、小鳥遊の声と混同してちゃちな銃声、アップテンポな音楽が飛んできた。新渡戸は「おう」と短く答え、玄関で長靴サイズの作業靴を履く。気分はすでに、仕事人のそれにシフトしつつある。作業ズボンのポケットに小銭が入っているのを確かめてから、新渡戸は玄関扉を押し開いた。明朝には台風が到来するとのことであったが、現段階の空にそれらしき兆しは見られなかった。
ガレージに駐車した小型車に乗りこんだ新渡戸は、不覚にもそこで、発泡酒を切らしていることを、小鳥遊に伝言し損ねたことを思い出した。引き返そうかしばし困迷するも、観念して車のキィを挿しこむ。ブルルンッと車体が身震いた。いま一度、リビングまで引き返すのはあまりに面倒だった。新渡戸宅の家事全般を担当する小鳥遊が、冷蔵庫の下段を確認してくれるよう祈り、新渡戸はアクセルを慎重に踏んだ。
私が「小説家になろう」に会員登録したのち、初めて投稿した作品が「ゾンビからとにかく逃げる系」小説でした。あのときのブラックな、それでいて無駄に張り切っていた自分をなるべく前面に押し出して「暴走国家」も執筆しようと心掛けております。
つきましては、特に文章の良し悪し、キャラ設定を指摘した感想をお待ちしております。不定期更新になるかと思われますが、よろしくお願いします。