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流星夜話  作者: 良崎歓
2/2

果てなく続く、緑の夜

第一話はネット上の企画用に書いたもので字数制限があり、少し消化不良な部分があったので、補完的に書いた続編が第二話です。

蛇足とも思いましたが、二人のその後を書いてあげたかったので……。

よろしければお読み下さい。


これで、このお話は完結になります。

お付き合い下さってありがとうございました!

 エンジン音が途切れた。

 ノイがその場でかがんだまま顔を上げると、畑の端で止まった耕耘機からジズが下りるところだった。つなぎの作業着姿のジズはノイに気付くと、砂埃の向こうで手を振った。

 小さな星の地平線は、目と鼻の先。

 数年前まで見渡す限り赤くひび割れていた大地は、ジズとノイの二人で試行錯誤を重ねたおかげか、いくらか黒っぽく色を変えつつあった。土が肥えてゆく過程をこの目で見ることができるなんて、ノイが一人でいた頃には考えられなかったことだ。

 ジズがグローブを外しながらこちらへと歩み寄ってきた。ざくり、ざくりと、砂を踏む音がする。

「そろそろ、休みますか?」

「そうね」

 ジズの声に、ノイは手にこびりついた土を払いつつ、休憩を取ろうと立ち上がった。

「お茶の当番はあなたですよ。……その後のこともお忘れなく」

「分かってるわ」


 日が高い間はどうしても農作業の効率が落ちるので、家の中にいることにしている。しかし、ただ体を休めているわけではなく、頭を動かす時間。ジズが講師になって魔法の修行だ。

 招かれざる訪問者、つまり星狩りたちから身を守るのには、ジズだけではなくノイもある程度魔法が使えた方がいいだろうとジズが提案し、ノイもそれに賛成した。最近は星狩りの一斉摘発が始まったとかで、土地目当てにやってくる盗賊の数はめっきり減ったし、ジズがいるから安心はしているのだけれど、自分の身くらいは自分で守れた方が彼の負担にならないだろうと考えたからだ。

 幸いにも、ノイは魔法の基礎をすでに身につけていたので上達は早かった。さすがにジズほどの域には届かないものの、魔法を生業にできるくらいの力はついたのではと、ジズからは太鼓判を押されている。それは日々の練習の賜物であったし、指南役のジズの教え方がいいという証明でもあった。

 護身術を身に付けることには異論は無い。もちろん、ジズがいる今、ノイが攻撃的な魔法を人に向けて使う機会はまだ訪れていない。ジズも、『私がいる限り、そんな場面はないはずですよ』と笑っていた。

 ――あれ、じゃあ、そもそもなんで魔法の講義なんかする必要があるのだろう、とノイはふと思う。

「ずいぶん熱心ですね、よそ見に」

 我に返ってみれば、菓子がきれいに盛りつけられた皿を手に、ジズが困惑の表情を浮かべていた。彼は皿をテーブルの上に置くと、二人分のカップをその横に並べてくれた。

 湯が沸いたことを知らせるアラームが耳を打つ。どれほどの間ぼうっとしていたのか、ジズに尋ねるのも気が引けた。

「あ、ごめんね。今、お湯持って来る」

 ノイはポットを取ってくると、カップに注いだ。ジズの分はノイのちょうど倍の量だと、手が覚えている。

 考え事を悟られぬよう、取り繕うように「なかなか緑にならないなあと思って、見てたの」と苦笑いを浮かべてみせた。

 ジズも笑みを浮かべながら、窓の外に目をやる。彼の表情はその一瞬だけ険しくなったように見えたが、すぐに元に戻った。

「わずかでも芽吹いてくれれば気分も違うんですが、こうも丸裸のままとは。時間と手間がかかるものなんですね。あなたの苦労が、今さらながら分かり始めてきました」

「苦労だなんて」

 ノイは慌てて首を振った。

 あの時引き止めたのはノイ自身にもかかわらず、不毛な作業に毎日ジズを付き合わせている自分。

 ――あなただって、その苦労の道連れなのよ。

 つい口に出しそうになって、ノイは唇を噛んだ。そう口に出してしまうと、ここまでの月日が無駄になる。

 ノイが黙っていると、ジズは「駄目ですよ」と優しく言った。

「何か後ろ向きなことを考えていましたね? 『ノイのせい』ではなく、僕が、僕の意志でやっているんですから。あなたが気にすることは、何もないんですよ」

 お見通し、といったところか。年齢はもちろん、ここまでたどってきた道のりも――彼とは、人生経験が違いすぎるのだ。自分がジズに敵うわけがない、とノイは薄い笑いを浮かべる。

「頑張りましょう、ね?」

 ジズはノイに笑みを投げかけると、自分の席に着く。

 彼の言うとおりだった。一旦折れかかった心が持ちこたえたのも、ジズがあの日、降ってきてくれたからだ。どんなに時間がかかろうとも、二人なら緑が萌えるまでやっていける。これまで、それを合言葉にずっと努力してきたのだし、きっとこれからもそうだろう。

 そう、思いたい。

 ジズが美味しそうにお茶を飲む顔に、ノイの胸がちくりと痛んだ。



 真夜中、ノイはベッドから体を起こした。

 隣のベッドにはジズ。耳を澄ませば、穏やかな息使いが聞こえてくる。彼の寝顔をそっと覗き込み、ノイは夜着のまま部屋を出た。移動用のフロートに乗り込み、居住区を後にする。

 ジズには悪いが、どうしても一人で確かめたいことがあった。


 目的地に着くと、ノイは辺りを見回して目印を探した。

 ほどなく、せいぜい足首くらいの高さしかない小さな土の山を見つける。昼のうちに、分かりやすいようにと土で小山を作っておいたのだ。

 辺りを気にしながらうずくまり、山を崩そうと手を伸ばす。

 しかし、その手はすぐに止まることになった。

「ノイ!」

 ジズの声だった。尖った声色に、うずくまっていたノイはじっと固まる。

「ノイ」

 再び名を呼ばれた。今度は、おそろしく優しく。

 声だけなのに、そっと肩に手を置かれたような暖かさがノイを包む。

 心のどこかで、彼に見つかって良かったと考えていることに気付いた。怒りや悲しみには抗うことはできても、慈しんでくれる声には逆らえないことに、ほっとしていたのも事実だ――こんなに弱い自分も、まだジズが支えていてくれるんだ、甘えてもいいんだ、と。

 ノイは一度目元を拭ってから立ち上がると、ジズの方に向き直った。ただ、後ろめたさが先に立って、彼の目を真っ直ぐに見ることはできない。

「……黙って起き出してきて、ごめんね」

「目が覚めたら、ベッドが空だったので。驚きましたよ」

 息を切らして、ジズは言った。

「いいんです、無事なら。……悪い奴らにでも――攫われていたらと思って、探しに来たんです」

 少しおどけた調子。それでも、隠し切れずにはみ出した本気、とでもいうのか、わずかにではあるが心に迫ってくるような真摯さをノイは感じ取る。

 夜の空気が、ジズの呼吸で震えていた。星に一台しかない移動用フロートはノイがここまで乗ってきたから、彼はその後を自らの足で追ってきたことになる。

 普段から体も心も鍛えているはずの彼が、こうも息を切らしているなんて。

 ジズはおそらく心底驚き、取るものもとりあえず自分を探しに飛び出してきたのだろう。ノイはますます俯いた。

「ごめんなさい」

「謝るのはそれまでです。……ここに突っ立っていっても、寒いだけですよ。帰りませんか」

「聞かないの?」

「何をです?」

「出歩いてたこと」

 ふわ、と空気が動いた。膝をついてしゃがみこんだジズは、「聞いたほうが、楽になりますか?」と尋ねる。

「では。……こんな夜中に、どうかしましたか」

 ノイは、足下に盛られた土――浅はかにも、埋めて隠したつもりの『それ』を指差した。ジズは何も聞かずに頷くと、土の山を丁寧に崩していった。

 ほどなく掘り出されたのは、萌葱色の小さな芽がひとつ。この星の上では十数年ぶりとなる、緑だった。

「今朝、見回ったときに気づいたの。……やっぱり、見間違いじゃなかったのね」

「ええ」

「……知ってたの?」

「あなたの口から直接聞きたかったので、黙っていました」

「そう、なの」

 ノイは力なく笑った。

 見抜かれていたのだ。私のつまらない企みなど、ジズはとうに承知していた。

 ジズも笑ってはいたが、彼の表情に漂った悲しさか、あるいは切なさのような匂いを、ノイは嗅ぎ取っていた。と同時に、猛烈な後悔が胸に押し寄せてくる。

 やっぱり、こんな馬鹿なことはしなければ良かった。自分が彼に敵うわけないと、だからこそ頼ってもいいのだと分かっていたはずだ。

 素直に知らせて、二人で笑い合えれば良かった。後にも先にも一度しかない、二人で見る初めての緑だったのに。

「ごめんね。せっかく一緒に頑張ってきたのに」

「いいんですよ。怒ってませんから、顔を上げて」

「でも、初めての芽吹きもあなたの気持ちも、これまでの苦労も、みんな台無しにしちゃったのよ」

「あなたがそう思っているだけです。何も、傷つけられてなんかない。……どうしたんですか? ノイらしくもない」

「『芽が出たよ』って伝えたら、ジズがいなくなっちゃうような気がして――自分でもよく分からないんだけど、そう思ったの。そう考える理由なんか、何もないのにね。でも、どうしても、もう一度じっくり見て、一人で考えたかった」

 もちろん、ジズがここを去るなどと口にしたことは、これまでに一度もなかった。ノイが勝手に、何となくそう思っていただけだ。

 ただ、強いて理由を挙げるとするならば、日に何度も窓から外を眺めるジズの姿だったり、どうしてか護身のための魔法を教わっていることだったり、そしてもちろんノイ自身が抱く罪悪感だったり――小さな不安の積み重ね、とでも言うのか。いずれにしろ、思い込みとしか表しようがない些細なことのように、ノイには思えた。

「やっぱり、上手く言えないわ」

 ジズは、しょうがないなあと呟いて頭を掻いた。

「いなくなったりなんかしませんよ。『いなくなったら承知しない』って、あなたが言ったんでしょう? ……これで、安心しましたか?」

「じゃあ、この芽が育つの、これからも一緒に見てくれる?」

「もちろん」

 ジズは迷いなく頷いた。

 彼の口からはっきりと聞けたことで、心は嘘のように軽くなった。変に勘ぐることなどせずに、はじめから尋ねてみればよかったのだ。

 ここにきて、ノイはようやく、体を起こすことができた。そして、この夜初めて、ジズの顔をまともに見た。

 夜風に彼の長い髪が揺れている。初めて会ったとき――墜落して燃えていたシップから彼を引きずり出した時には、無残に焦げて短くなっていたジズの髪。今は、星狩り時代の通り名――金の疾風――のごとく、深い輝きの金を取り戻していた。

 いつもは纏めているそれが、今晩は風で広がるままになっている。髪を束ねる時間まで惜しんで、自分を追ってきてくれたのだ。

 金色が眩しくなって、ノイは再び足元に目を落とした。下を向いたら向いたで、今度は新芽の緑色が目に痛い。

 ――ジズのことも、この芽のことも。どちらも手が届くところにあるのに、私はどちらも信じられなかった。いや、実際、どちらも捨ててしまうところだった。

「ジズがいてくれて、良かった。いろいろ無くしちゃうところだった。……私だけが、馬鹿だったみたい」

「人間は多かれ少なかれみんな馬鹿です。ノイだって、僕だってそうだ。……さて。帰って着替えて、もう一眠りしましょう」

 僕が運転します、とジズはフロートの運転席に座った。ノイも彼に続いて、その後ろに乗り込んだ。


「……やはり、僕が悪いんでしょうね」

 滑るようにゆっくりと大地を進みながら、ジズはぽつりと呟いた。

「僕も、秘密にしていたことがありますから。心配させまいと思って隠していたんですが、それがかえって、ノイを不安にさせてしまったのかもしれません」

「え? どうしたの、急に」

 ジズの語り口が普段とは異なることに、ノイは思わず声を上げていた。いつものように陽性のものではなく、聞き慣れない抑えた声色。まるで、彼が来る前までのこの星のように色味がないものだった。

 長くなりますよ、とジズは答えて、「知ってのとおり、僕は犯罪者ですから」と切り出した。

「本来ならば罪を償うため、いわゆる『星狩り』狩りに、出頭するべき身です。彼らに見つからないのをいいことに、こうして何事も無いように過ごしてはいましたけどね。……しかし、その日が来たらあなたを一人置いていかなくてはならない。そうでなくても、重要な情報を知る者として、かつての星狩り仲間から追っ手がかかるかもしれない。ここ何年も、いつかはそんな時が訪れるという覚悟はしていたし、明日にもその日が来るかもしれないと思うと、恐ろしくて仕方がなかった。あなたに身の守り方を教えたのも、そのためです」

 ノイは、「ああ」と相槌を打つ。

 ジズがよく外を見ていたのは、星に降り立つよそ者に目を光らせていたからか。誰かがこの星を訪れる可能性があると知っていたから、ノイがいなくなったことに過敏に反応し、大急ぎで追ってきてくれたのか。

 後部座席のノイからは、操縦桿を操るジズの背中しか見えない。まっすぐ居住区へは向かわずに遠回りしていることからすると、彼の話はまだ続くようだ。

「少し前のことになりますが――僕がこの星にいることが、『星狩り』狩りに知れました。彼らは僕に、ノイには分からないように連絡してきました。そして選択を迫ったんです。犯罪者として捕らえられるのか。それとも取り引きに応じるか、と」

「取り引き?」

「『星狩り』狩りは、僕を罪に問わず、拘束もしない。代わりに、僕が知る『星狩り』たちの情報を彼らに流す。場合によっては、『星狩り』の確保を手伝う。それが、僕がこの星に残るための条件だと。……僕は本来、日の光を浴びて生きられるような人間じゃない――それはきっと、死ぬまで抱えていくことでしょう。僕がしてきたことは、この程度の取り引きで帳消しに出来るようなものじゃありません。生涯かかっても償いきれないかもしれない。それどころか、まだまだ罰せられてもいいはずだ。それでも、こんな僕にでも、外で過ごせるチャンスをくれるというんです」

 ジズは、交渉がどう決着したのか、ノイにはっきりと告げることはしなかった。

 けれども、今、ジズがここにいるということは、彼がすでにその条件を飲んだということだ。それは嬉しい結論のはずだったが、ノイは笑うことができなかった。

 ジズはノイとともに暮らすために、かつての仲間を売ることを選んだのだろう。

 しかし、ジズが言う『取り引き』というのは表向きの話で、実際はノイという枷の存在を把握した上での脅しではなかったか。

 ジズの持つ情報と魔法の腕に利用価値を認めた『星狩り』狩りが、彼が自分たちの味方になる道を選ばざるを得ない状況にあると分かっていて話を持ちかけたのではないのか。

 ジズの育ての親は、星狩りの頭目だと聞いたことがある。かつての家族を裏切りながら過ごし、一方でノイには苦しい素振りすら見せずに、ジズは常に優しかった。

 そして今もなお、彼は優しい。

「わ、わたし――」

 うまく声が出なかった。私のせいで、と言おうとしたのに。悩みに気付くことができなくてごめん、と言おうと思ったのに。

「……分からないひとだなあ。僕が、僕自身の意思でやっているって言ったじゃないですか」

 前から掛けられた声は明るかった。これは、いつものジズだ。

「僕は、家族を失って途方に暮れていたところを拾われて、流されて星狩りになり、言われるままに罪を重ねてきました。何一つ、自ら踏み出そうとはしてこなかった。でも、ノイと出会ってからは違います。この星に残ったのは、僕が初めて自分で決めたことだ。だから、この日々はかけがえのないものだし、何が何でも捨てたくない。……我ながら嫌になる。勝手で傲慢だ。汚れた手を洗いもせずに綺麗ごとばかり重ねて、もっと汚していく」

 ジズはため息を一つつくと、エンジンを止めた。くるりと体を回して前の席からノイの方を振り返ると、組んだ両腕をヘッドレストに乗せた。ジズの向こうの小さな地平線が、仄明るくなりつつあるのが見える。

「でも、ね。ノイは、取り繕った綺麗さも、穢れた僕も受け入れてくれた。だからこそ、あなたに、僕の歩みを見守っていて欲しいんです。たぶん、寄り道ばかりになることでしょうけど。僕が道から外れそうなときには、今回みたいに教えてください」

 そして、目を丸くしているノイを前にして、深く頭を垂れた。

 自らの闇を認めながらも、ジズはノイに赦して欲しいと言ったことはなかった。もちろん、彼自身がノイの家族を手にかけたわけではないから、当然ではあるのだけれど。

 それはきっと、彼自身は赦してもらおう、赦してもらえるなどとは考えていないからだ――とノイは思っている。

 ジズは、自分が幸せで満たされることを避けている。

 『星狩り』の過去が取り返しが付かないものだと分かっているからこそ、その罪を自分と切り離そうとはしない。

 『星狩り』として関わった人々に残した傷を想い続けることで負う痛みと、この星で生きているという幸せは、常に同時に彼の中にあるようだった。

 犯した罪と、今の安息。ジズはその両方を持って歩いていくつもりだ。

 ノイには、彼の中から過去の過ちを消すことなどできない。圧し掛かる後悔を分け合うことも、ジズは望んではいない。

 隠し事は、もうしない。

 素直に、素直に。頭の中をそのまま、伝えよう。

 じっくり考えて、ノイは再び口を開いた。

「『見守る』って何をしたらいいのか、私、たぶん分かってないの。私に出来るのは、こうやって取り乱してみっともなく騒ぐことくらいよ。ジズが悩んでいるときに、一緒に泣いて、一緒に右往左往して――あまり役には立たないと思うけど、それでもいいの?」

「ええ、それで十分。……今までどおりでいてくれればいいんです。でも、どうか。どうか、見捨てずにいてください」

 俯いたままのジズの顔からは、微笑が剥げ落ちていた。剥き出しの心で哀願する彼の声が、ノイの胸を強く締め付ける。

 ――こんなジズ、知らなかった。

 自分を殺して、明るさだけを見せていたのだろうか。心配させまいと、ずっと我慢していたのだろうか。

 ノイはたまらず座席から立ち上がると、苦しげに顔を歪めるジズの頬にそっと両手を添えた。

「ノイ?」

「うん。……何だか、こうしたくなったの」

 ジズが不思議そうに目を細めた。そして、おそるおそる伸ばした手で、ノイの手に触れる。

 ノイは、ジズの手の暖かさを久しぶりに感じた気がした。ここしばらく、自分にはその温もりを感じる余裕すらなかったのだ、とノイは気付く。それと同時に、ジズのことを気に掛ける余裕も。

 ジズを頼るばかりだった自らを省みる。

 これからは、私がしっかりしなくては。私がジズに支えられたように、私が彼を助けていこう。すべてを背負うという彼のありのままを受け止めて、今、この夜から、包んでいくのだ。

「私、いつも必ずあなたの隣にいるわ。側にいる。だから――安心して」

「……ありがとう」

 ジズの瞳は、いつもの穏やかさを取り戻していた。

 どんな言葉を選べばよかったのか、ノイにはやはり分からなかった。しかし自分なりに、自分のできることをジズに伝えたかった。たどたどしくとも、『それでいい』と彼は言ってくれたのだから。


 居住区に戻ったときには、空が白み始めていた。完全に徹夜になってしまったということか。

 ジズが苦笑いで天を仰ぐ。

「すっかり朝ですね。今日の予定、どうしましょうか?」

「少し、寝ない?」

 ノイがいくら頑張っても、まぶたの重さには勝てそうになかった。ただ、どうしても今日中にしたいことが一つだけあった。眠いながらも、それだけはジズに言っておかなくてはと、遠のく意識を繋ぎ止める。

「寝て、起きたら。……今度は二人で、あの芽を見に行きたいんだけど、いいかな?」

「ええ。喜んで」

 ジズも睡魔に抗っているのか、間延びした返答があった。

 ノイは、ふと空を見上げる。

 この夜のこと――この空と、新芽の色はいつまでも忘れないだろう。もし、挫けそうになったら、きっと明け方の白い空を思い出すのだろう。ボタンを掛け違えたときには、はじめての緑を二人で見に行くのだろう。

 居住スペースの扉の前で、ジズが名を呼んでいる。ノイは返事もそこそこに、彼の元へと歩き出した。

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