エコ
「カズ兄カズ兄!」
「なんだヤヨイ」
床に寝転がりながら、パソコンでゲームをしていたら、どたどたと大きな音を立ててヤヨイが俺の部屋に乗り込んできた。
また何か変なことを思いついたんだろうなと、心の中でため息をつきながら、生返事を返す。
……今度は何を思いついたのかとても気にはなるけれど、ヤヨイがドアを開けるたびにハムスターが逃げるようになってしまった。
ヤヨイ、もう少し静かにドアを開けてくれ。そろそろドアか壁が壊れるんじゃないかと思ってしまう。半分あきらめながらも心の中でそう願う。
「カズ兄! 私ね、実践しようと思ってることがあるんだ!」
「そうか、よくわからないけど頑張れ、応援はしないけど」
パソコンのゲーム画面からは目を離さず、適当に返事する。
今、中ボスとの戦いの最中。目を離すわけにはいかない。
「むー、なんで応援してくれないのさー! ちゃんと応援してよー!」
何の事だかわからないし、応援しようがないじゃないか。
おしっ、中ボス撃破した。もうすぐラスボスだ。ここまで50時間近くかけてようやくここまで来た……長かった。長いゲームだった。
「それじゃカズ兄、ちゃんと聞いてね。今日から私ね、エコに励もうと思うんだ!」
「なぜ人は、自分の欲望に突っ走ってしまうのか……」
「それはエゴ!」
「子丑寅卯辰巳――」
「それは干支!」
「徳川家康により1600年から」
「それは江戸!」
「やっほーやっほー……やっほー」
「それはエコー!」
「北海道地方に存在する」
「それは蝦夷! もう、カズ兄ってば絶対わざと言ってるでしょ!? エコだよエコ!」
「わかってるわかってる。こういうやつだろ? 『ぐへへへへ、ヤヨイ、おっぱい揉ませろよ』」
「……………………」
おい、黙るな。スベったと思うじゃないか。というかもしかして、本当にスベったか?
そこは今までのと同じように、すぐに『それはエロ!』とか言うところじゃないのか?
黙っているヤヨイを不審に思って、いったんゲームを中断して、パソコンから目を離してヤヨイの方を見る。見るとヤヨイは指をくわえてもじもじとしていた。
「……お兄ちゃんになら、いいよ? っていったあ! カズ兄、なんで頭ぶつのさあ!?」
「あほなことをヤヨイが言ったから」
何が『お兄ちゃんになら、いいよ』だ。そういうあほなことを言ったら教育的指導は必要だろう。
「先にあほなこと言ったのカズ兄じゃん! 私、本気だったのに……っていったあ!? カズ兄ってばまた殴ったあ!」
「バカなことを言わない。あと、そういう変なことは外では言わないように」
「おーぼーだおーぼーだ!」
うるさい。年上の言うことはとりあえず聞いとけ。兄の特権だ。
ゲームを中断したのがバカみたいだ。またパソコンに目を向けて、ゲームを再開する。
「ちょっとー! かわいい妹に手を出しておいて、しょく罪の言葉の1つもないのー?」
「それを言うなら謝罪だろ。で、エコがどうかしたのか?」
無視し続けるとうるさそうなので、話を戻すためにヤヨイに聞いてみた。
「あ、そうそう。エコだよエコ。これからは環境にやさしいエコの時代だよ!」
「……そうか?」
エコがはやっているなんて聞いたこともない。
「そうだよカズ兄、知らないの? 今、エコで始まる言葉が急増中なんだよ。エコキュート、エコアイドル、エコポイント、エコノミックアニマル、えこひいき!」
「最後のはどう考えても違うだろ」
えこひいきって特定の人物をものすごくかわいがったりする言葉だったような、エコとは全然違うと思う。
ついでに、エコノミックアニマルも日本人を馬鹿にした言い方だった気がする。エコとはやっぱり違うような。
「つまりだね、これからはエコで始まってエコで終わるのだー! なので、エコ対策をどんどんと実践していこうと思います」
俺のツッコミは無視して、ヤヨイはどんどんと話を進めていく。
自分の言葉をスルーされるのはいつもの事なので、質問をしてみることにした。
「別にうちの家族が何かやってもそんなに変わらない気がするけど」
「そういう考えが地球を駄目にするんだよ! ちりも積もれば山となる、だよ! ほら、カズ兄がため込んだエロ本が山になって今にも崩れてきそうだよ!」
「エロ本ないし。ウソを言うな」
きちんと隠してあるから。ヤヨイも変なことを言うな。
「で、エコはいつからやるんだ?」
俺はパソコンの方に目を向けてゲームをしながらヤヨイに聞いてみた。
「もちろん、今からに決まってるでしょー。 カズ兄、急がば走れ! だよ」
「それを言うなら『急がば回れ』……あれ、急がば走れでも間違ってないような」
急ぐときは走るもんだしなあ……いや、そこは気にするところじゃないな。
「それから今から始めていくよー。まず1つ目! エアコンはつけない!」
「春だからなあ。十分すずしいし、いらないな。ついてないし」
夏は欲しいけど。エアコンないとしんどいしんどい。
「ストーブもつけちゃダメ」
「ストーブつけるほど寒くないからいらないな」
冬は欲しいけど。
「車には乗らない!」
「車には乗れないよ」
俺まだ高校2年生。
「飛行機に乗るときはエコノミークラスにしよう!」
「エコノミーだけどエコと関係ないだろそれ」
エコノミーとエコロジー、似てるけど違うぞヤヨイ。
エコロジーな生活をしていれば、自然とエコノミーにもなる気がするけど。
そんなことをヤヨイと話しながら、ゲームを続けていたら、とうとうラスボスが姿を現した。装備は万全だ。道具も充実している。……うん、負ける可能性はよほど突発的な事故がない限り、ゼロだろう。
よし! いくぞ! ……とその前にセーブはしとかないとな……セーブセーブっと。
「そしてそして、パソコンもやらない!」
そう言いながらヤヨイがパソコンのコンセントをブチっと抜いた。
その途端、プツンと電源がおち、画面が真っ暗になった……。
「あああああああ!! な、なんてことしやがるヤヨイ! あ、あと一歩でクリアだったってのに!」
慌てて俺は再度コンセントを入れて、電源ボタンを押す。
くそっ、父さんからいらないからやるってもらった古いのだから、バッテリーが完全に死んでやがるってのに。
……頼む、セーブ完了しててくれよ。
祈るような気持ちで電源ボタンを押すのだが、なかなか電源が入ってくれない。
……おい、まてよ。冗談だろ? 入ってくれよ。
何度も押すのだが、一向に電源が入ってくれる気配がない……ま、まさか壊れた?
「カズ兄、人生いろいろ。パソコンもいろいろ。パソコンも寿命だったんだよ。きっと天寿を全うして喜んでるよ!」
「何言ってやがる!? お前が壊したんだろうが! 俺の50時間を返せ!」
「カズ兄、なくなったものを嘆くことより、これから先何をやっていくかが大事だよ! さあ、カズ兄もエコだよエコ!」
「うるさいよ!? まともなこと言ったふりしてごまかすなよ!? ……あああ、俺の50時間。さよなら、ミーナ……さよなら、カイン……」
衝撃のエンディングと銘打ったゲーム……ものすごく気になるのに。
「カズ兄、これでパソコンを使わなくなったから、エコ活動に一歩近づいたね。カズ兄、ええ子ええ子してー……っていたいいたい! いたいってばカズ兄!」
……ムカッときたので、なでなでしてもらおうと思っているヤヨイの頭に、パーではなくグーでなでなでしてやった。
「もおっ、ひどいよカズ兄」
ひどいのはどっちだと文句を言おうと思ったけど、ちょっとだけ涙目になっているヤヨイを見ると、これ以上怒るのはやめることにした。
けど、きっともう2度とつかないであろうパソコン。かなり残念だったので、つかないだろうと思いながらも、ついつい何度もパソコンがつかないかどうか電源ボタンを押して確かめてしまう。やっぱりつかないパソコンをじっと見ながら、俺はがっくりとうなだれた。
「……ねえ、カズ兄、もう怒ってない?」
そんな俺の様子を見て不安になったのか、普段よりも少し小さな声で、心配そうな声で話しかけてきた。
っと、怒らないって決めたのに、いつまでもがっかりした様子見せてたらまずいな。
空元気でもいいから元気出さないと。
「怒ってない怒ってない。んで、ヤヨイのエコ活動はそれで終わりか?」
元気そうな声を出して、笑いながらヤヨイに問いかけたら、心配そうな顔がにぱっと笑顔になって返事が返ってきた。
「そんな訳ないでしょー! まだまだエコ活動は続けていくんだから! えっと、他にもエコ出来ることはないかなー? カズ兄、私ばっかり案を出してないで、カズ兄も何か案出してよー!」
エコ活動なんて何で突然思いついたのか知らんけど……案、案ねえ。
「ううん、これ以上のエコというと……蛍光灯を消して、部屋中の電気を消して……カズ兄の携帯ゲームも充電やめて壊して……」
「そんな物騒なこと言うな。……ったく、ヤヨイ、一番のエコを教えたるから、ついて来いよ。きちんと部屋の電気切ってな」
「え? なになにー?」
そう言って俺はリュックに適当に物を詰め込んで、そのままそれを背中に背負って、ヤヨイと部屋を出て行った。
そのまま階段を下り、玄関まで行って靴を履いて外に出ていく。
「ちょっとカズ兄、どこにいくのー!?」
「んー……内緒」
「えー!? 教えてくれてもいいでしょー!?」
隣を歩くヤヨイがブーブーと何度も文句を言うけど、それはすべて無視して俺はすたすたと歩いていく。
文句を言いながらもヤヨイはずっとついてきた。
「ん、ヤヨイ。ついたぞ」
「ついたぞーって、ここただの公園だよー!?」
そう、俺が来たのはただの公園。芝生だけが広がってるただの公園。
「エコと何にも関係ないじゃんかー! カズ兄のうそつき―!」
「んー……ヤヨイ、とりあえず環境にいい事って、ごみを分別するとか、そもそもごみを出さないようにするとか、自動車に乗らずに公共交通機関を使うとか、そもそも歩けよとか色々あるけど、電気使わないこともその1つだよな」
「そうだけど、公園に来ることと何の関係もないじゃん!」
「ゲームせずに外で遊べば、電気使わないぞ。部屋の蛍光灯つける必要ももないし」
その言葉を言った途端、ぽかーんとヤヨイの口が開いたままになった。
……あれ? また何か間違えたか。結構いいことを言ったような気がするんだけどな。
ヤヨイからの反応がなく、少し心配になってきたところで、ヤヨイの顔がだんだんとうれしそうな顔になってきた。
「カズ兄、すごーい! 私、その発想はなかったよー! うん、あそぼあそぼ! 何してあそぼ!?」
えっと……そこまで喜ばれるとちょっとびびるけど……まあ、ヤヨイが喜んでるのなら、いいのかな。
こうして、俺とヤヨイは、フリスビーやバトミントンをしながら日が暮れるまで遊んだ。
夜……普段は豆電球をつけながら寝ているのだけど、ヤヨイが『エコなんだからつけちゃダメっ!』って怒りながら真っ暗にしていった。
普段と雰囲気が違うとなかなか寝られないんだけどな……と思いながら、寝返りを何度もうっていたら、トントンと俺の部屋の扉をたたく音が聞こえた。
「カズ兄、カズ兄……起きてる?」
「んあ? ……起きてるぞ、ヤヨイ」
こんな夜遅くになんなんだ? またエコだエコだと騒ぎだしたりするんだろうか。
起き上がってヤヨイの方を見てみると、枕を抱えて立っていた。
「カズ兄……今日、一緒に寝ていい?」
……えっと、突然どうしたんだヤヨイ。
「カズ兄、真っ暗って怖くない? 真っ暗にしちゃったら、なんだかお化けが出てきそうで、全然眠れなくなっちゃったんだよー」
「……や、怖いなら無理してエコしなくてもいいんじゃないか? エコなんて、普段できる範囲でやればいいと思うぞ」
無理してエコして、長続きしないことが一番の問題だし。
「別に一緒に寝れば平気なんだからそれでいいでしょー。布団に入れてよー」
……や、別にいいけどさあ。
なにかがおかしいような気分になりながらも、俺は端っこに寄ってヤヨイが布団に入れる隙間を作った。
「えへへー。ありがと、カズ兄」
そう言うと、ヤヨイは布団にもぐりこんできた。もぞもぞと布団の中で動いて、時々体がぶつかると何となくこそばゆい。
「はぁ……あったかー。カズ兄と一緒に寝るの久しぶりだねー。これからは毎日一緒に寝ようねー」
やだよ恥ずかしい。たまにくらいならいいけど、毎日寝るとか恥ずかしすぎるだろうが。
それ以外にもヤヨイは何度か俺に対してこそこそと話しかけてきたり、手をつないで来ようとしてはねのけてぶつぶつ文句を言われたりしたけど、そのうち声が小さくなり、やがてすぅすぅという寝息に変わった。
その寝顔を見ると……たまにはこんなふうに寝るのもいいか。なんとなくそんな風に思って、俺もこそっとヤヨイの手を握って眠りについた。