復讐は恐ろしい
暗く冷たい夕暮れ。
激しく雨が降りしきる中、鬱蒼とした森に囲まれた片田舎の領地に王太子とその側近達がやって来たのには理由がある。
この領地を治める伯爵ペーター・フェルビーノには跡取りがいない。
しかし、跡取りがいない貴族の通例に倣って養子を迎えず、己の死後には王家に領地を返納すると言う。
このような事情は稀ではあるが、起こりえない事では無いのだろう。
親族と折り合いの悪い貴族もいる事にはいるからだ。
しかし、この王国には自主的な貴族からの領地返納に関連した法律が未だ無かった。
前例が無いからには、新たな法律を作らねばならない。
やむを得ず、返納される領地がどのような場所なのかまず現地調査してくるように――と年老いた国王から王太子達に命令が下ったのである。
「御ありがとうございます、王太子殿下がた。私めがこの領地を治めております代官のマデュース・ベニテと申します」
王太子達に顔を見せたのは、伯爵ペーター・フェルビーノでは無かった。
何処か偏屈で人嫌いそうな顔をした、代官と名乗る老人マデュースだった。
「どう言う事だ!王太子殿下に対してあまりにも不敬だぞ!」
護衛も兼ねた騎士団副長デニスが老人に食ってかかろうとしたのを、宮廷魔道士副長のファビアンが抑え込む。
「待ちなさい!ここは事情を聞くのが先決でしょう!」
「だが」とか「しかし」とかしつこくデニスが言ったが、王太子アルバンに傘を差している宰相補佐のキースが彼を上手になだめた。
「ただでさえ領地を返納するなどと奇天烈な事を言い出してきた所ですよ、デニス。多少の事は想定した方がよろしい。――それで代官殿、伯爵は何処に?」
この雨の中、傘も差していない、この老人は森を切りひらいた山間にある小さな館を指し示した。
陰気なたたずまいの館だが、確かに小さな灯火が灯っていて、そこには誰かがいるのだろう事がすぐに分かる。
「伯爵様はあの館に閉じこもっておられます。昼間は誰にもお会いしようとはなさらないんで」
「王太子殿下にもか!」
不満そうなデニスに対して、老人は「へえ」と気の乗らない返事をした。
このままでは埒が明かないと判断した王太子アルバンが大きく頷いて見せて、
「何、もうすぐに夜だ。それまでは役所で待たせて貰おう。何故返納するのかの事情も聞きたかった所だ」
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老人マデュースは不味い紅茶を出し、それを王太子達が飲んだところで話し出した。
「……奥方様を病で亡くされた後、伯爵様には一人娘のアデレー様を目に入れても痛くないほど溺愛なさっておりました。ですがその娘御も、お若い内にご病気で儚くなられてしまったんです。それから伯爵様は人付き合いもなさらず、お一人で一〇年以上もあの館にこもられておいででした」
雨音にかき消されそうなくらいの小さな老人の声に、アルバンはすっかり同情していた。
「それは……不運だったな」
アルバンも側近達と一緒に領地の書類を改めていたが、特に変わった所も異常も見当たらない。
脱税や不正経理、陰謀めいたものの痕跡は皆無である。
どうやら、この代官の老人の言う通りに、伯爵は娘を失った哀しみで変わってしまったようだ。
「……」
難しい顔で書類を眺めている側近達に、アルバンは話しかける。
「どうやら後は伯爵から事情を聞きさえすれば、この出張は終わりそうだな?ああ、帰り道には雨が上がっていると助かるのだが……」
「……あっ!」
その時、老人が小さな声を上げたので、彼らは一様に老人の方を向いた。
「どうした、代官殿?」
老人は雨の降りしきる闇夜を睨み付けているようだった。
しかし、その表情もすぐに緩んで、
「これは失敬を。ほら、伯爵様の館の玄関の灯りが付きました。あれが灯っている間は、訪問なさっても問題ありません」
なるほど、老人の指さした先を見れば館の玄関当たりだろうか――ランタンが何かが一際明るく光っていた。
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館の応接間に通された王太子一行を出迎えたのは、車椅子の老爺だった。
いや、もしかすれば若い方なのかも知れないが、酷くやつれた白髪にこけた頬、光の無い目に曲がった背中と――まるで伝説の吸血鬼さながらの容貌の伯爵を若者と思うのは無理があるだろう。
「……王太子殿下がた、まずはご無礼をお詫びさせて下さい――」
まるで何年も人と話した事がないかのような、嗄れた声だった。
既に腰掛けていた王太子達がギョッと顔を強ばらせた時、伯爵は小声で語り始めた。
「本来ならば――養子を迎えて家を継がせるのが、我ら貴族の慣例だと存じてはおります」
「あ、ああ……」
アルバンは伯爵の嗄れた声に、ある種の哀悼が混じっているようだったので、そうやってただ頷くしか無かった。
「――ですがご存じの通り、私には嫡子がおらず、また、養子を迎えるつもりもありませんでした……」
「うむ、伯爵。それはどうしてなのだ?話せる理由ならば聞きたい所だが――」
「……その、大変に私的な話ですが……聞いて頂けますか?」
「ああ、王太子として伯爵の秘密は守ろう」
伯爵は深々と項垂れた。
「王太子殿下、御有難うございます。お話ししますので、どうぞこちらへ……」
アルバンと伯爵がやって来たのは娘アデレーの肖像画の並ぶ部屋だった。
部屋の外では彼の側近達と代官マデュースが待機している。
伯爵は、愛おしげに娘の肖像画をながめた後、語り出した。
「……私の娘は……自殺したのです」
「!?」
「今から一〇年も昔のことです……。アデレーは代官のマデュースの娘ユリーと一緒に王都の学園に通っておりました。ユリーは平民の娘でしたが優秀な子で、特待生でしたので……」
アルバンは絶句してから、言葉を選びつつ言う。
「在学中に自殺した生徒がいたなんて……聞いては……」
「ええ、二人は何事もなく卒業式を迎えました。卒業後はそれぞれ婿を取って、アデレーとユリーは二人でこの領地を盛り立てるのだと言ってくれたのですよ。私とマデュースは……嬉しくてね、朝まで何度も飲み明かしたものです」
では、卒業後に何があったのか。
「……事件が起きたのは、一〇年前の卒業式のパーティの夜でした……」
「ま、待ってくれ!」
アルバンは思わず伯爵の言葉を遮っていた。
「私も出席していたが、事件が起きたなんて報告は何も――」
「それはそうでしょう。デニス、ファビアン、キース。この三人が結託して、パーティ帰りのアデレー達を襲ったのですよ。私共の訴えも、封殺したのですからね」
――思わずアルバンは扉の外を見つめた。
扉の外にいる彼らに、この話が届いている様子は無い。
「――ご心配なく、王太子殿下。この館は特別な作りになっておりますから……」
伯爵は杖を片手にゆっくりと車椅子から立ち上がると、娘アデレーがかつて腰掛けていたのだろう、机の前に腰掛けた。
「馬鹿な事だけは考えるなと、私達はあの子達に言い含めましたが……それからしばらく経ったある日、アデレー達はこの領地の湖に浮かんでおりました。亡骸を抱えて、あのマデュースが慟哭しておりましたよ……年老いてやっと生まれた、たった一人の娘でしたからね……」
アルバンはもう声も出ないまま、扉と、伯爵を交互に見つめた。
「……まさか」
――雨の音がいっそう激しくなった。
伯爵は微笑んで、車椅子の向こうに広がる隠し階段を指し示す。
「地盤がどこよりも緩い、ここに私は館を移設しました。大雨が降れば必ず地崩れが起きる……。
さて王太子殿下、お逃げ下さい。お仲間を連れていては無理でしょうが、お一人なら無事に逃げられるでしょう」
――アルバンに選択肢は無かった。
硫黄めいた刺激臭が立ちこめる中、隠し階段を駆け下りて館から飛び出た所で背後で地鳴りと地響きが起きた。
振り返る余裕も無いまま彼はひたすら高台を目指して土砂降りの雨の中を駆け抜ける。
高台にある役所にたどり着いて、彼は息を切らせながらも、やっと振り返る事が出来た。
あの陰気なたたずまいの館は完全に土砂に飲み込まれ、跡形も無かった。
「……最初から……」
伯爵はこのつもりだったのだ。
ぞうっとアルバンの全身を怖気が駆け巡った。
もしもパーティの終盤に体調を崩していなければ、きっとあそこに私もいた。
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不思議な事に、掘り起こされた館の中にはデニス、ファビアン、キースの三人の亡骸はあったが、伯爵と代官の姿は無かったと言う。
人々は二人が吸血鬼になったのだとか、悪魔に魂を売ったのだとか、地獄に堕ちたのだとか散々に騒いだが……その噂も数年後には消え失せていった。
今や記録に残っているのは、即位したアルバンが真っ当な為政者として振る舞った事、それだけである。




