第7話
「志望校、どうしようかなあ」
昼休みの教室、食べ終えた弁当の片付けをしていると、「はあ」という溜め息と共に服部大智は思い詰めた表情で俺にそう言った。
「模試の結果、悪かったのか?」
「ああ、全てE判定だった」
4月の中旬ごろ、3年生になって初の大学入試の模試が行われ、その結果が今日の朝のホームルームで担任から返却された。
「まだ5月だ、そんなに気に病むことはないだろ」
「くそっ、少しでも偏差値の高い大学に行かなきゃいけないのに」
「どうして偏差値にこだわるんだ?」
「偏差値の高い大学を卒業した方が、大企業に入りやすいからに決まってるだろ」
当たり前のことを言わせるな、といった表情で大智は俺を見る。
服部大智は俺と同じく探究学科のクラスメイト。いつも髪をワックスでツンツンにしており、俺は裏で勝手にハリネズミヘアーと呼んでいる。背が高く、筋肉質な体型は制服の上からでもはっきりと分かり、サッカー部キャプテンを務めていただけのことはある。
大智とは1年生の4月、英語の授業のペアワークが一緒だったことがきっかけで話すようになり、昼休みには毎日昼食を共にする仲となった。
「大企業の魅力を俺に教えてくれ」
「もちろん給料が高いことだ。俺は金持ちになりたいんだよ」
本当に金持ちになりたいなら大企業に入るよりも、自分で会社を起こしたり、投資の術を学んだりした方が良いんじゃないか?まあ、大地の言う金持ちがどの程度のものかにもよるが。
お金が嫌いな人間はいない。俺ももちろん好きだ。だが、大智は会った時から人一倍お金に対する思いが強い。だからと言ってケチなわけではない。お金を大切にしているという言葉がしっくりとくる。
「翔、お前はどうだったんだよ?」
流れ的に聞かれるだろうと思っていた。俺はカバンに閉まっていた模試の結果を大智に渡す。
「やっぱりA判定か──」
大智が模試の結果の紙を握る力が強くなる。あまりぐしゃぐしゃにしないでいただきたい。
「模試の結果が全てじゃないさ。A判定でも落ちる人はいるし、逆にE判定でも受かる人はいる。それに、これは所詮現時点での学力だから当てにならないぞ」
「そんなことは分かってるよ。だけどな、E判定という烙印を押されると、自分という存在が否定されているような気がしてしまうんだ。かなり心をやられる。暗い牢獄に閉じ込められている感じ。お前には分からないと思うが」
確かに俺は模試でE判定を取ったことがないから大智の苦しみに共感できない。
「なになに?模試の結果の話?私も交ぜてよ!」
なんと声をかけようか、脳内で言葉の選択をしていると、背後から聞き慣れた明るい女子の声が。
「道下、お前はE判定が何個あった?」
「E判定?Eなんてなかったわよ」
残酷な一太刀。大智の顔がモアイ像のように固まってしまう。今の大智にとってその言葉は鉛の塊のように重かったに違いない。
小柄でショートヘアーの女子生徒、道下聡美も俺や大智と同じく探究科学科のクラスメイト。俺と聡美は小学校と中学校も同じ。ちなみに同じ代で俺たちの中学から富川中部に受かったのは俺たち二人だけ。聡美は明るい性格をしているが、どうも人付き合いが苦手なようで友達が少ない。小学校の頃は余計な一言をよく言ってしまうせいで、クラスの女子たちから仲間外れにされていたことも多々あった。
「っていうかこれ翔の結果じゃない。なんで服部が持ってるの?」
「俺の模試の結果が知りたいっていうから渡したんだ」
「なるほどね。──相変わらず志望校一つしか書いてないんだ」
今回の模試は国公立大学4つ、私立大学4つ、合計8つの志望校を書くことができる。聡美の言ったとおり、俺は志望校を一つしか書いていない。そのため、用紙のほとんどが空白となっている。
「他の大学に行く気がないからな」
「前から聞きたかったんだけど、どうして富川大学を志望しているの?」
俺が書いたのは国立大学の富川大学。志望学部は医学部医学科。高校に入ってから受けた模試でここ以外に書いたことがない。
「国立大学は学費が安いからな。特に医学部は私立に比べると圧倒的に。それに地元の富川大学は家から通えて一人暮らしをしなくて済む」
「意外ね。翔は一人暮らししたいんだと思ってた」
「掃除、洗濯、料理の家事を全部一人でこなしつつ、授業の課題レポートやサークル活動、それにバイト。兄貴の話を聞いていると大変そうだなあと思って」
俺の兄貴は現在大学2年生。東京の大学で一人暮らしをしている。
「でも遼さんならどれもそつなくこなしてそうだけどね」
「実際にそうだぞ。帰省する度に『一人暮らしは最高だ』って言ってるからな」
昔から兄貴は何でもできてしまうスーパーマンだ。勉強や運動はもちろん常に一番。絵を描けばコンクールで受賞し、初めて聴く曲でも楽譜を一度見ればピアノで弾けてしまうといった芸術センスもある。さらには誰にでも優しく人望が厚いというおまけつき。まるで何かのアニメの主人公だ。
「んー、やっぱり何かもったいない気がするなあ」
俺の模試の結果を、綺麗な二重瞼の目でじーっと見ながら聡美はそう言った。
「と、言うと?」
「翔の実力なら富川大学よりも上の大学を狙えるのにと思ってさ」
「富川大学の医学部は十分、上の大学だと思うが?」
世間一般の学歴に対する価値観は分からないが、国立大学の医学部というのは、大学受験において最高難易度を誇るものだと個人的には思っている。
「いや、もちろんそうだけどさ。翔は上の上のさらに上にも手が届くぐらい頭がいいのにって話。富川大学の医学部が難しいのは身をもって実感してる」
「ちょっと待ってて」と言い、聡美は自身の机まで行き、机の中から自身の模試の結果を取り出して俺に渡してきた。
「私は富川大学、C判定だった」
聡美の模試の結果の第3志望校の欄には確かに、富川大学医学部医学科C判定と記載されていた。
俺と同じく聡美も医学部志望者だ。中学三年生の頃、聡美の母親が突如倒れて病院に運ばれた。検査の結果、脳に大きな腫瘍ができていることが判明。その腫瘍を取り除く手術が非常に難しいもので、失敗すれば大きな後遺症が残り、最悪の場合、死に至る可能性もあると、医者から説明があったそうだ。その説明を受けた聡美の父親は、自身の人脈を駆使して、脳外科医の名医として評判の高い医師とコンタクトをとることに成功し、その医師に手術を依頼することとなった。そして手術は無事に成功。聡美の母親は後遺症もなく、数週間の入院の末、無事に退院して日常生活に復帰することができた。聡美はその時の脳外科医に感銘を受けて医者を目指すことにしたと、以前話していた。
「第一志望は、銀沢大学なんだな」
第一志望校の欄に書かれている銀沢大学医学部医学科の文字が目に入った。判定の場所に印字されているDのアルファベットも。
「一応ね。まあ、結果はご覧の通りだけど」
銀沢大学は俺たちが住む隣県の国立大学で、富川大学よりも一、二ランク偏差値の高い大学だ。
「あくまでも現時点での学力だ。受験まで半年以上もある、今回の模試でのD判定なんて心配する必要はないぞ」
「心配なんて全くしてないよ。逆にやる気が出てきたぐらいよ。もっともっと勉強しようって思ったわ」
強く握られた拳、燃え盛る炎を宿したような目。大智とは対照的に、聡美は意欲に満ちた表情をしている。
「それで、翔はもっと上の大学を目指さないの?一人暮らしなんて慣れれば何とかなるでしょ?」
「目指さないよ。俺は富川大学で医学を学びたいんだ。偏差値の高さだけを求めて大学を選んだりするつもりはない」
ちらっと大智の方に目をやる。
「何だよその目は?俺は誰が何と言おうと、出来る限り偏差値の高い大学を目指すからな」
大智は不満そうな表情で鼻を鳴らしてそう言った。
「意気込みは立派だけど、服部はマジで勉強頑張らないとヤバイわよ。あの模試の結果じゃどこの大学も受からないんじゃない?」
「うるせえな、余計なお世話だ。先週で部活を引退したから、これからガンガン巻き返していくんだよ」
富川中部の運動部は原則として、5月中旬に行われる春の大会が終われば3年生は引退となる。県大会に進めば話は別だが、今年の富川中部の運動部は全て予選敗退という何とも情けない結果に終わっているため、俺や聡美もそうだが、運動部に所属していた3年生は全員部活動を引退している。
大智は学年で一番と言っていいほど、部活に熱中していた。サッカー部の活動が終わった後も市の運動公園で毎日一人、自主練に励んでいたぐらいだ。その結果、家に帰るのが遅くなり、授業で出された課題を終わらせるのが夜遅くになって、寝不足で授業中によくいびきをかいていた。寝ている大智が教師に怒られるという光景は日常茶飯事だった。土日は知り合いのツテで、社会人のフットサルチームの練習に特別に参加しており、まさに365日、ボールと触れ合う生活をしていた。
大智も富川中部の、それも探究科学科に合格している高校生だ。地頭は決して悪くない。今までサッカーに注いでいた時間を全て勉強に充てるとなると、偏差値はかなり上がることになるだろう。
中国や韓国に比べるとマシだが、日本は正真正銘の学歴社会だ。
だからと言って偏差値の高い大学に行くことが必ずしも正解だとは思わない。偏差値の低い大学へ進んだからといって不幸になるわけでもない。
ただ、どの大学、学部に進学するかによって、その後の人生が大きく変化することは紛れもない事実だろう。
大学受験は、運命を構成する大きな一要素だ。
──運命。
巨大なすごろく盤が脳裏をよぎる。
頑丈な石板のようなマス上に深く掘り刻まれた文字、マスとマスを結ぶ銀光したとてつもなく分厚い鉄の鎖。そのすごろく盤は、どれだけ強力な衝撃を与えようとも微動だにせず、元の形を維持したままそこに存在し続けると、俺に訴えかけてくる。




