第51話
突如、手の甲に冷たい何かが当たる。ふと、空を見上げてみると──。
「雪か」
大粒のふわふわした雪が、ゆっくりと降ってきた。
「雪ですね。この感じだと、積もりそうですね」
「そうだな」
「ホワイトクリスマスですね」
頭が少し白くなっている三宮がこちらを見てそう言った。
「ホワイトクリスマスなんて、生まれて初めてだ」
「私もです」
「まあ、そりゃあ同じ富川に住んでるからそうだよな」
「ですね。ふふっ」
富川は豪雪地帯とまではいかないが、毎年それなりに雪が降る場所だ。山の方にはスキー場もいくつかある。中学二年生になると、スキー林間なるものを実施する学校も存在している。
しかし、基本的に富川で雪が降り始めるのは、1月中旬頃からだ。クリスマスの時期に降るなんてことは、少なくともこの18年間はなかったはずだ。
「珍しいことが起こるもんだな」
「凄いですよね。とても、綺麗です」
雪の降る光景なんて、富川に住んでいれば珍しくない。でもクリスマスという付加価値があるだけで感じ方は大きく変わる。不思議なものだ。
「ホワイトクリスマスというだけで珍しいのに、それを茜川君とこうして一緒に見られるなんて──これはもう奇跡みたいなものですね」
奇跡、か──。
「三宮、クリスマスの奇跡って知ってるか?」
「いえ、それは何でしょうか?」
頭にクエスチョンマークを浮かべている。当然の反応だ。
「ペンを持っていないか?」
「ペン、ですか?一応持っていますけど──」そう言い、ショルダーバッグから油性のサインペンを取り出す。
「そのペンで、俺の手の甲に星印を書いてほしい」俺は右手の甲を三宮の前に差し出した。
「えっ? 手にですか?」
「ああ、なるべく大きくな」
「本当に、書いてもいいんでしょうか?」
「問題ない」
「──分かりました」
三宮は線がぶれないように、左手で俺の右手首を掴みながらペン先を手の甲に当て、星をかき始めた。
三宮の手は冷たかった。その冷んやりとした感覚が俺の右手首に伝わる。感覚は冷たいのに、不思議と温かい気分になる。
「できました」
右手の甲を見ると、黒色の大きな星がしっかりとかかれていた。
「ありがとう」
「それで──これは一体何なのでしょう?」
「クリスマスの日に、手の甲に星印をかくと──何かいいことが起こるらしい」
母親から聞いた話をそのまま言うのは恥ずかしかったので、少しだけ内容を歪曲してそう説明した。
「面白いですね。私にもかいてください」
「いいのか? 油性だから簡単に落ちないぞ?」
「大丈夫です。お願いします」
差し出された手に、俺は星印を書いた。少しでも綺麗にかけるように、手首をしっかりと掴んで、丁寧にサインペンを走らせる。
「どんないいことが起こるのか、楽しみです」
完成した手の甲の星印を見て、三宮はそう呟いた。
「それにしても、クリスマスに星印ですか。ベツレヘムの星を彷彿とさせますね」
「ベツレヘムの星?」
「クリスマスツリーの頂上に飾る星ですよ」
「あれって、そういう名前がついているのか」
「はい。ベツレヘムはパレスチナの都市の名前で、いわゆるキリストが誕生した土地なんです。ベツレヘムの星というのは、キリストの降誕を象徴するものなんですよ」
なるほどな。今知ったことは母親にも教えてあげるとするか。
俺は今一度自分の右手の甲に書かれた星印を見た。
キリスト─神、か。
誰かの運命を変える力なんてものを使っていいのは、神ぐらいのものだ。でもそんな力を、俺は三回も使ってしまった。そしてその強力な力があと一回だけ使えてしまう。
俺は神なんかじゃない。過去を取り消すことはできないが、せめてもう、この力を使わずに封印してしまうべきなのかもしれない。
しかしそれでは世界が崩壊してしまう。誰かの運命を変えることで、もしかしたら世界を救えるかもしれないのに。
世界も大切だが、聡美や桃香、そして三宮──身近で大切な人の運命を変えることで、もしかしたら彼女等の人生をより良くすることができるかもしれないのに、その機会を放棄してしまってもいいのだろうか。
最後のシックザル──果たしてこれは、使わないべきか使うべきか。もし使うなら、誰に使うのが正解なのか──。
空にあるストッパーが外れたのか、雪はどんどん勢いを増して地上に降り注いでくる。目の前の光景は、すっかりと銀世界に変わっていた。まるで世界そのものが変わったかのような、そんな感覚を覚える。
「積もってきたな」
「そうですね」
「三宮、世界の始まりを色で表すとしたら、何色を思い浮かべる?」
「いきなりですね。心理テストですか?」
「いや、何となく聞いてみただけだ」
「えっと……黒──ですかね」
突然の訳のわからない質問だが、三宮は答えてくれた。
「ちなみに理由は?」
「世界、というよりは、宇宙の始まりをイメージしてみたんです。宇宙の始まりといえばビックバン理論ですよね。何もないところから大きな爆発によって宇宙が誕生したという。誕生したばかりの宇宙はきっと真っ暗だったのかなあと思い、それで黒色を思い浮かべました」
「なるほどな」
「茜川君は何色を?」
「お前とは真逆だよ」
「白色ですか?」
「ああ」
「理由を聞かせてもらえますか?」
「目の前の光景を見て、そう思ったんだ」
俺の言葉を聞いた三宮は、視線を俺から外して正面を向いた。
「目の前のような真っ白な場所に、千差万別の色が入り混じっていった結果、今の世界が完成した。言い換えるなら、巨大なスケッチブックに絵を描くみたいな感じだな」
俺の頭には、そうやって世界は作られたんじゃないかという考えが浮かんでいた。全くもって論理的ではないが、浮かんでしまったのだから仕方がない。
「変だと思うか?」
「いえ、とても素敵だと思います」
嘘偽りがないといった微笑みで三宮はそう答えてくれた。
「すると、色を入れていくのは私たちってことですかね?」
「──え?」
「この世界を作っているのは、この世界に生きている私たちなので、そうなのかなって思ったんですが──違いますか?」
そうか、色を入れているのは俺たちなのか。俺はてっきり──。
「違わない。その通りだ」
色を入れるのは俺たちだ。俺たち人間なのだ。
決して、神などではない。
当たり前のことだ。その当たり前を、三宮のおかげで気づくことができた。
雪は降り続く。
その様子を俺たちはしばらくの間、会話を交わすことなくただ眺めていた。




