第50話
「私の父方の祖父母が真照間島に住んでいることは、以前お話ししましたよね?」
俺は頷いた。ちょうどこの場所で、半年前に聞いた話だ。三宮が真照間島を好きなことも、その好きな真照間島に空港を建設するために、東大に合格し、国土交通省に入省するという夢を持っていることも、ここで聞いた。
「その祖母が三ヶ月前に病気に罹ってしまい、入院することになったんです。症状がかなり重いため、一週間や二週間ではなく、それ以上の長期入院になると。当然真照間島には入院ができるような大きな病院はないので、沖縄本島の病院での入院となりました。祖父だけでは祖母の看病も普段の生活も大変だろうということで、私たち家族が沖縄本島にアパートを借りて、祖父とそこに住み、祖母の看病もすることに決めたんです」
三宮が東部分館に姿を見せなくなったのは三ヶ月前。なるほど、沖縄に住んでいたから来られなかったというわけか。
「父だけが沖縄に行き、私と母はこっちに残るという話もあったんですが、家族で話し合った結果、全員で沖縄に行く方がいいだろうということになったんです。沖縄での生活自体は何も不便なことはありませんでした。高校の友達と会えないのは少し寂しかったですけどね。──もちろん、茜川君とも」
そう言って目を少し俺から逸らしたが、すぐにまたこちらを見て話を続ける。
「祖母の病状は良くなるどころか悪化する一方でした。日に日に弱まっていく祖母を見るのがとても辛かったです。去年真照間島に行った時はあんなにも元気だったのに──」
病気とは、本当に恐ろしいものだ。元気な人間を、簡単に衰弱させてしまうのだから。例えどんなに健康に気をつかっていたとしても、罹る時は罹ってしまう。年齢も関係ない。年配の方だけではなく、若い人にだって病気に罹るリスクは常に付きまとっている。現に唯ちゃんは、小学校一年生の時に──。
「祖母の入院生活は二ヶ月ほどで終わりを告げました。退院することはできず、病室で最後を迎えました。そうなることを覚悟はしていました。していたんですけど……やっぱりダメですね。いざ祖母の死を目の当たりにすると、悲しみが込み上げてきて涙が止まりませんでした。母も父も、たくさん泣いていました。でも一番涙を流していたのは祖父でした。当然ですよね。誰よりも長く、一緒に過ごしてきた最愛の人が亡くなってしまったんですから──」
当時の気持ちを想起してしまったのか、三宮の目からは涙が数滴こぼれていた。
「役所関係のことや葬儀等が終わって少し落ちついた頃に、今後のことをどうするか、祖父を含めた私たち家族は話し合うことになったんです。祖父は今まで通りで大丈夫だと言いました。自分は真照間島に一人で住み、私たちは富川に帰るべきだと。おそらく気をつかってくれたのでしょう。でも、祖父もだいぶ高齢です。いつ、何があるか分かりません。私たちは祖父が心配だったので、祖父と一緒に暮らすことにしたんです。富川に祖父を呼ぶことも考えましたが、真照間島を愛している祖父はきっとこちらには来ない。だから私たちが真照間島に移住することに決めたんです」
「それで、明日ここを発つ、と?」
「はい。今日は久しぶりに学校へ行きました。その──退学届を出しに。三学期からは石垣島の高校に編入することがもう決まってます。真照間島は小学校と中学校はあるんですが高校はないので、石垣島の高校へということになりました。なので私、1月から石垣島で一人暮らしをするんですよ? 真照間島から石垣島の学校に毎日通うのは物理的に無理なので」
以前三宮は、真照間島と石垣島を行き来する船は一週間に一本しか出航していないと言っていた。石垣島の高校に通うなら、一人暮らしは必須だろう。
改めて聞くと、真照間島というのはとても不便な場所だ。でも三宮はその真照間島が好きなのだ。その島を守ことが、こいつの夢になっているぐらいに。
「受験は──東京大学の受験は、するんだよな?」
首を縦に振ると思っていた。受験勉強なんてものはどこでもできる。例え真照間島に移住したとしても、島でも勉強はできるのだから。
でも三宮は、俺の問いに肯定の意を示さなかった。ただこちらを見つめるだけで何も言ってこない。
「まさか、諦めるのか?」
小さく頷く。
「国土交通省はどうする? 島に空港を建設するんじゃなかったのか?」
俯いたまま何も言わない。
「お前の夢だったんじゃないのか? お前は夢を、投げ捨ててしまうのか?」
「やめてください!」
やっと発せられたのは拒絶の言葉だった。
「諦めたくありません。真照間島に空港を建設したい。大好きな島を守りたい。夢を……叶えたいに決まってるじゃないですか」
「だったら──」
「人の死は、夢よりも重いんです!」
涙を流しながら三宮はそう言い放った。
「人はいつか必ず死ぬ。そんなことはもちろん分かっていました。でも、祖母が亡くなって、急に怖くなったんです。次は祖父が亡くなるかもしれない。お父さんやお母さんかもしれない。人が死ぬということを、分かってはいたけど理解はできていなかった……こんなにも、恐ろしいものだったなんて──人の死は避けられません。だったらせめて、生きている間にたくさん会って、話をするべきだと思ったんです。東大に通ってしまったら、真照間島にいる家族には中々会えません。でも、私が島に住めば、毎日家族に会えるんです。いつだって話ができるんです」
身近な人の死が、三宮の価値観を大きく変えた。
悩みに悩んだ末に辿り着いた結論のはずだ。他人の俺なんかが意見をする資格はない。
そう、三宮は他人なのだ。こいつが夢を諦めたからと言って、別に俺の夢が失われるわけではない。
それなのに──なぜこんなにも苦しいのだろうか。
俺はなぜ、三宮の決断を受け入れることができないのだろうか。
俺の心が「諦めるな」と、三宮に向かって叫んでいるのはどうしてだろうか。
「俺とお前は──戦友だ」
「──茜川君?」
「目指しているところは違うけど、俺とお前は互いに夢を持ち、努力を共にしてきた戦友だ。出会って二年にも満たないが、人と人との関係値っていうのは過ごした時間の長さだけで決まるものではない。どんな時間を共有したかが重要なんだ。東部分館でお前と一緒に勉強した時間は、俺にとってかけがえのないものだった。その時にははっきりと分からなかったが、お前と会えなくなってそれを理解したよ。ただ勉強していただけなのに、特に笑えるような雑談なんてなかったのに、それでもあの時間は幸せだった。一緒に市長に会いに行ったことも、俺にとっては大切な思い出だ。その日の内に市役所に行くと言い出したお前の行動力には驚いたけどな。そういえばあの日、ハンカチをくれたよな。今でもちゃんと使わせてもらってるよ──」
周りから見たら、俺たちが共に過ごした時間なんてものは、どこにでもいる高校生の些細な日常として映ることだろう。でも俺にとっては違う。三宮と過ごした時間というのは、俺の中でなくてはならないものになっている。
「俺はお前と一緒に夢を叶えたいんだ。互いに夢を叶えて、喜びを分かち合いたい。お前と一緒に過ごす内に、そう思うようになったんだ」
だから今、こんなに苦しいんだ。
三宮の決断を受け入れられないんだ。
「諦めるな」と心が叫んでいるんだ。
三宮が辿ろうとしている運命を変えたい──。
「私にとっても、茜川君と過ごした日々はかけがえのない大切な時間です」
三宮は俺の目をしっかりと見て、優しい声音でそう言った。
「東部分館で勉強したことも、市役所に行ったことも、忘れられない思い出です。そしてゲームセンターへ連れて行ってくれたことも。覚えていますか?」
忘れるわけがない。市役所に行った後のことだ。一学期終業式の日、明日から夏休みだというその日に行ったゲーセン。遠い過去のように思う。今日はもう二学期の終業式、明日から冬休みだ。
「あれは新鮮な体験でした。きっと茜川君に出会わなかったら、あのような経験は一生できなかったと思います。とても楽しかったです。本当にありがとうございました」
改まって感謝をされるようなことではない。俺自身、楽しんでいたのだから。
「それに、ガラスのボールペンもとても嬉しかったです。使うのがもったいないので、部屋に飾ってあります」
「──そうか」
「茜川君に出会えて良かった、心からそう思います。そう思うからこそ──今日はしっかりとお別れを言いたかったんです」
覚悟を決めた表情がそこにはあった。決意を変えないという強い意志が感じられる。俺の心の叫び程度では、その意志に少しの揺れを起こすこともできそうにない
「高校を卒業したら島で働こうと思っています。富川に戻ってくることは、ないでしょう。だから、こうして茜川君と直接会えるのは今日が最後です。もっと早い時間に連絡を入れようと思っていたんですが、何だか緊張してしまって……結局この時間になってしまいました。でもこうやって最後に会えて、本当によかったです」
三宮は本気だ。本当に、今日を最後にしようとしている。
もう、三宮とは会えないのか?
本当にこれで最後となってしまうのだろうか?
だったらせめて──。
「さよならを言うには、まだ早いだろ?」
「えっと、それはどういう意味──」
「もうしばらく、一緒にいてくれ」
それぐらいの頼み事は聞いてほしかった。明日からもう会えないというのなら、今日という最後の日は、できる限りの時間を共有したかった。
「……喜んで」
目に涙を潤ませて、三宮はそう答えた。




