第46話
学校に聡美の姿はなかった。
二日連続の欠席。だけど誰も聡美の話題を出すことはなかった。それはきっと、みんな事情を知ってしまったからだろう。
今朝のニュースで、道下ホテル株式会社が経営破綻したことが放送されていた。道下ホテルのような巨大企業の倒産というネタは、マスコミにとっては大好物だろう。どの局もこぞって情報を流していた。
俺はそれを反吐の出る思いで見ていた。
誰かの不幸を、伝える責務という旗を掲げて、あたかも正義を行っていると勘違いしているバカなマスコミに、酷く腹が立った。
お前らのやっていることは正義でもなんでもない、ただの陰湿な晒しあげだ。
放課後になり、さっさと家に帰ろうと廊下に出ると、桃香の姿が。
「あの、翔くん……」
「どうした?」
「少しだけ、時間もらえないかな?」
「悪いけど、今日は早く帰りたいんだ」
「すぐに終わるからっ──お願い……」俺の腕を掴む桃香。周りにいる生徒たちがこちらをじろじろ見ている。
「じゃあ、少しだけなら」
クラスメイトが全員出ていくのを待ってから、俺たちは教室へ入った。黒板には、本日午後最後の授業である、物理の授業の板書がまだ残っている。
「ごめんね、無理矢理引き止めちゃって」
「そんなことはどうでもいい、さっさと用件を言ってくれ」
早く家に帰りたかった。さっさと帰って眠りたい。何も考えずに、ベッドで横になっていたかった。そのため、棘のある言い方をしてしまう。桃香は何も悪くないのに、つい八つ当たりをしてしまった。
「うん、じゃあ、話すね」
しかし桃香は、俺の態度の悪さに嫌な顔を一切見せなかった。
「私、R大学の進学を諦めることにしたの」
「……なぜ、急にそんなことを言い出すんだ?」
「お父さんの印刷会社がね、経営不振になっちゃったの。それで、私立大学の、しかも一人暮らしをさせられるほどの余裕がなくなったって言われて……大学にどうしても行きたいなら地元の国立大学である富川大学にしてくれって」
どうして俺の周りには、こうも不幸な人間が多いのだろうか──。
「だから私、富川大学を受験することにしたの。外国の言語の勉強は、別にR大学じゃなきゃできないわけでもないしね。富川大学で頑張ろうと思う。どうしてこの話を翔君にしたかったかっていうと、R大学に進学しようと思ったきっかけを作ってくれたのは翔君だったから──その翔君には、R大学を諦める経緯をしっかり説明しなきゃって思って」
「──そうか」
「話はそれだけ。ごめんね、時間取っちゃって」
そう言って桃香は教室を出ていった。追いかけて、何か言葉を投げかけなくてはいけないと思っているのに、足が動かなかった。
フリースペースには今日も三宮の姿はない。もはやそれが当たり前になっていて、残念だという感情が失われていた。
端のテーブル席に女子中学生が一人で勉強していた。初めて見る顔だ。見覚えのある制服だなあと思ったが、それは俺の母校のものだった。つまりこの子は、俺や聡美の後輩ということになる。
近づき、何の勉強をしているのか覗いてみると、公立学校の過去問を解いていた。きっと中学三年生、受験生だ。
「えっと……何でしょうか……?」
その女子中学生は俺の気配に気づき、少し怯えた様子で尋ねてきた。
「すまない、何でもない」
そう言ってその子から離れようとすると「あっ」と言われる。
「その制服──もしかして、富川中部の方ですか?」
「そうだけど、それが何か?」
「凄い!頭いいんですね!」
「別に、そんなことはないけど──」
「私、富川中部を目指してるんですよ。こんな場所で富川中部の方に会えるなんて、感激です!」
芸能人を見るような目で、その子は俺を見ている。瞳が異様に輝いていた。
「ここに来るのは、初めてか?」
「はい、いつもは家で勉強しているんですけど、何となく気分転換したくて来たんです」
あどけない笑顔で彼女はそう答えた。赤いシュシュで結んだポニーテールの髪型がとても似合っている。
「まあ、受験勉強頑張ってね」
「ありがとうございます。あ、その……もし良かったらアドバイスをくれませんか?」
「アドバイス?」
「はい。富川中部合格の秘訣みたいなものがあれば教えてほしいです」
羨望の眼差しを向けている中学生を無碍に扱うのは、流石に気が引けるな……。
「自分に合った各教科の勉強法を見つける」これが大前提だが、既に12月。そんなことを今更言われても困るだろう。
「ちなみに志望学科は普通科か?」
「はい、そうです」
「なら当日のテストで五教科450点は最低でも取るべきだな。まず、理科と社会は満点を取っておきたい。この二教科は他の三教科に比べて短時間の勉強量で満点が狙えるからな。英語は見直しがかなり重要になってくる。長文を速く読めるようにして、15分は時間を余らせられるようにした方がいい。国語は先に古典分野をさっさと解き、現代文に時間をかけるのをオススメする。そして、五教科の中で数学が一番重要になってくる」
「どうして数学が?」
「富川中部の普通科を受験する人間は、数学を苦手としているやつが多いんだよ。事実、俺の同級生には、数学が6割ぐらいしか取れていないのに受かったやつもいる。これにはカラクリがあって、数学が得意なやつ、いや、正確には全教科できるやつは普通科じゃなくて探究科学科を受験するからな。だから、富川中部の普通科では、数学が一番点差が開く。数学を制することができれば、普通科を制したも同然だ」
他の学校はどうか分からないが、少なくとも富川中部普通科受験はこれが実情だ。数学で点が取れれば、合格はかなりかたい。
「ありがとうございます。こんなにも色々教えてもらえるなんて、とても嬉しいです」
礼を述べてから、その子はノートに俺が言ったことをまとめ出した。
──受験生、か。
「もう一つ、アドバイスをしておくよ」
ノートを書く手を止め、その子はこちらに顔を向けた。
「受験をするにあたって一番大切なことは、受験できることが当たり前じゃない、ということを自覚することだ」
「それは、どういう意味ですか?」
「そのまんまの意味だよ」
俺はそう言ってフリースペースを後にした。




