第45話
「君と別れて、本郷純一郎は手術を受けるために海外へ渡ったんだ。当時、彼の手術が行えるほどの設備が整った病院は、日本になかったからね」
本郷さんは俺が見舞いに行くと言ったら、遠方だからという理由で断っていたことを思い出す。なるほど、海外ならば納得だ。
「とある国の最新医療設備の整った病院で、彼は手術を受けた。そして無事に成功。後遺症が残ることもなく、数週間のリハビリの末に退院できたとさ、めでたしめでたし──というわけにはいかないのが人生ってやつだね」
手術が無事に成功していることが聞けてまずは安堵した。が、にこまるの言い方的に、この後悪いことが起きるのだろう。
「日本へ帰国する前日、本郷純一郎は人があまり立ち入らない山道を歩いていた。これは僕の推測だけど、職業柄、その国の野生生物でも見たくなったんじゃないかな? 悲劇はそこで起こるんだ。本郷純一郎はその山で、拉致された」
「拉致だって?」
「そう。三人の男にいきなり後ろから拘束されて、そのまま車へ無理やり車に乗せられてしまったんだよ。そして連れてこられたのが、その国の生物兵器を研究するための施設だった。ちなみに、拉致集団に命令を出していたのが、その国の政府っていうね。とんでもない国家が世界にはあるもんだねえ」
「その後は? その後、本郷さんはどうなったんだ?」
「彼はそこに監禁され、無理やり生物兵器の研究をさせられるんだよ。拉致された日からずっと、毎日毎日強制的に何十年も。きっと色々と脅されたんだろうね。まあ、可哀想だよ。せっかく病気も治って日本に戻れるはずだったのに、そういうことになっちゃってさ」
その国の医療に助けられたのに、あろうことか、その助けられた国の政府にそんな卑劣な仕打ちを──。
生物兵器の研究施設に監禁しているということは、その政府は本郷さんが生物学者だということを知っていて、拉致したということになる。突発的ではなく、計画的な犯行だ。もしかすると病院もグルだったのかもしれない。本郷さんを利用するために、手術を行なって命を救ったのか?
まさか、本郷さんが病気になってしまった原因というのは、その国が──。
その国の政府は、何かしらの方法で日本にいる本郷さんを病気に罹患させた。生物兵器の研究施設を保有しているような国だ。それぐらいのことは容易にできるだろう。日本でその病気の治療ができないことを知っていた政府は、罹患した本郷さんが自分たちの国に来て手術を受けるだろうと予測し、実際にそうなったため犯行に及んだ。他国で拉致をするよりも、自国で行う方が圧倒的に成功しやすい。そう考えれば、ない話ではない。
いや、日本で治療できないからといって、必ずしもその国に行くとは限らないか? でも、日本だって世界有数の医療大国だ。日本よりも医療技術の発達している国なんて多くはないはず。本郷さんの病気が治せるのは世界でその国だけだという可能性もある。
そうなると、仮説は十分成り立つ──。
「おーい、どうしたの? 急に黙り込んじゃって。大丈夫?」
にこまるなら真相を知っているに違いない。だが──。
「ああ、大丈夫だ」
俺は聞かなかった。気にはなったが、ここで話の腰を折りたくない。今はいち早く続きを知りたかった。
「本郷純一郎率いる研究チームはいくつかの生物兵器を開発したんだけど、そのどれもが今一つな物でね。中々政府の求めるような強力な兵器は作れなかった。何年、何十年と研究が上手くいかないんだけど、ついに転機訪れる。その転機というのが──」
にこまるはそこで言葉を止め、こちらに顔を向けた。どうやら俺に言わせたいらしい。
「俺が開発したっていう新薬だろ?」
「その通り。君の開発したがん細胞を死滅させる新薬の情報は、もちろんその研究チームの元にも届いた。そして彼等はそれを利用して、ついに、究極の生物兵器を作り上げたんだよ」
俺の開発した新薬を基にして本郷さんが完成させた生物兵器──俺と本郷さんの、悪魔の共同研究。
本郷さんは俺の新薬を利用して研究をしているとき、どんな感情だったのだろうか。
罪悪感? 悲しみ? 苦悶? それとも懐かしさ?
もしかして……無感情?
どんなに勉強を頑張っても、たとえ周りから頭がいいと言われていたとしても、人の感情を完全に読み解くことはできない。
本郷さんがどんな思いで生物兵器を完成させたかは、彼にしか分からないことだ。
「まあ、過去の話はこんなもんかな。本題の未来の話をするよ。まあ、少し被るところはあるけど」
俺は小さく頷いた。
「本郷純一郎の研究チームが開発した生物兵器は気体状でね、研究施設の巨大タンクに保管されることになった。少しでも吸い込むと数十分以内に死を招く殺傷能力に、麻疹の80倍以上の感染力。その究極の生物兵器は『WDD』と名付けられた」
殺傷能力はもちろんだが、俺はそれ以上に感染力に驚愕した。
麻疹とは、いわゆる「はしか」のこと。麻疹ウイルスによって高熱、咳、鼻水等を引き起こす病気だ。主に空気感染によって人から人へ感染する。この麻疹ウイルスの感染力は、現代のウイルスの中で最も強力だとされている。
その麻疹の80倍──。
「そして悲劇は突然やってくる。WDDが完成した約二か月後、その国に大きな地震が起こってしまった。まあ、揺れによる死傷者はあまり出なかったんだけど、問題はそこじゃない。ここまで話せば、何となく分かるだろ?」
分かりたくはない。想像もしたくない。だけど、何が起こってしまったか、理解できてしまう。
「地震の揺れによって研究施設の巨大タンクが破損したんだ。中に入っていたWDDは空気中に漏れて、そのまま世界旅行へ旅立ったというわけさ」
やはり──そうなってしまうのか。
「世界は前代未聞の大混乱。次から次へと各国各地で人がどんどん死んでいく。初め、WDD開発国はWDDが空気中に漏れてしまったことを公表しなかったんだ。というよりできなかった。生物兵器の開発は国際法で禁止されているからね。でも、すぐにバレてしまう。まあ、その国で大地震が起こった直後に世界中で人が死ぬようになったんだから、そりゃバレるよね。結局その国は隠しきれないと思ったのか、全てを公表したんだ。世界中に、生物兵器が拡散されてしまったことをね。それで、償いのつもりなのか、保有しているワクチンを無償で世界中に提供することを約束したんだ」
「ワクチンがあるのか?」
「そりゃあ、あるでしょ。万が一のことを考慮して、政府は兵器の開発と同時にワクチンも、本郷純一郎たちに作らせていたんだ。実際そのおかげで、政府関係者と本郷純一郎含む研究チームはワクチンを事前に接種していたから一人も死んでいないしね」
自分たちの作った兵器の対応策を用意していないようじゃ、兵器として不十分ということか。
「さて、その国が元々保有していたワクチンだけじゃ当然数が足りないということで、本郷純一郎を中心に、ワクチンの増産が行われた。寝る間も惜しんで生産に尽力した結果、無事に世界中にワクチンが行き渡ったんだけど、その時には既に、あまりにも多くの人が命を落としていた。その数なんと──60億人」
「なっ……」
60億だと? 世界の人口の3分の2以上だぞ?
本郷さんの作った生物兵器によって、そんなに多くの人の命が──。
違う、元を辿れば俺が開発した新薬のせいじゃないか。
俺が殺したんだ……60億人もの人を──。
突如吐き気に襲われ嘔吐する。地面に落ちた吐瀉物を見て、さらに気分が悪くなる。
「おいおい大丈夫かい?」
「問題、ない」
「いやいや、顔、すっごい青ざめてるよ」
「問題ないって言ってるだろっ!」
そうは言ったが全然大丈夫ではない。頭が重い、動悸がする、息が苦しい。
再び嘔吐。額からは汗が流れてくる。
全身の細胞が壊れていくような感覚。立つことができなくなり、四つん這いになる。地面の冷たさが、少しだけ心地良かった。
「ちなみに、話はもう少しで終わるんだけど、後日にするかい?」
俺は首を横に振った。反動で胃液を吐き出してしまう。
ここまで聞いておいて残りの話を先延ばしにするなんて選択肢はない。例え気を失ったとしても聞いてやる。
「本当に大丈夫かなあー。途中で『やっぱなし』なんて言うなよ?」
足に力を込めて立ち上がる。気分は最悪だが、俺はにこまるに顔を向けて話を促した。
「じゃあ話すよ。60億人の人が死んでしまったけど、ワクチンのおかげでWDDの脅威は世界からなくなった。とはいえ、一気に大量の人がいなくなったことによって、世界各国は悲惨な状況に追い込まれることになった。インフラの停滞、経済の混乱、食糧不足、犯罪の横行──まさに世紀末ってやつだ。国家としての機能を保つことができなくなって消滅した国っていうのもいくつか出てきた」
またしても吐き気に襲われた。しかし、もう出るものを出し尽くしたのか、何も吐き出すことはなかった。
「さて、君のことなんだけど、君は運が良いことに生物兵器の脅威に晒されることなく、ワクチンも無事に接種して生き延びていた。だけど、荒廃した世界を目の当たりにして、日々絶望に苛まれて廃人のような生活を送るようになってしまう。多くの人間に尊敬の眼差しを向けられていた、輝かしいお医者さんの姿はもう、そこにはなかった。そして君はついに、決行してしまう。自宅で首を吊り、自らの命を放棄したんだ
自分の死の状況を聞かされても、俺は驚きも恐怖も全く感じなかった。
未来の俺が自死という手段を取った理由、それは──。
耐えられなかったからだ。
60億人という大量殺人をしておきながら、自分は生きている。そんな現状に耐えられるわけがない。抱えられないほどの罪の意識に押し潰され、精神はぐちゃぐちゃに壊れているはずだ。死ぬことなんかで許されないことを理解していながら、それでも他にどうすればいいか分からず、悶えた末の俺の最後。
「医者になって多くの人の命を救い、命を救ったその手で大量の命を奪い去り、世界を破滅の道へと誘う。そして最後は首吊り自殺──これが、君の運命だよ」
俺の……運命──。
「僕がシックザルを与える人間を選ぶ基準は、その人間の運命が僕にとって面白いかどうかということ。君の運命は、今まで与えてきた人間の中で圧倒的に面白い。一人の優秀な人間が名声を得た後に世界を滅ぼし、身勝手に自死をする。なんとも素晴らしく醜い物語だ」
醜い物語か──そうかもしれない。俺は何も反論できなかった。
「僕の楽しみは、シックザルを与えた人間がその能力を使うことで、面白い運命がどう変わっていくかを見ることなんだ」
俺には到底理解できない悪趣味だ。こいつのそういう腐った嗜好は今に始まったことではないが。
「君がシックザルを使って、世界の崩壊という運命を変えることができるかどうか楽しみに見てたんだけど……全然ダメだね。幼い女の子や地方の市長、高校の学友、そんなくだらない運命を変えることに能力を使っているんだから拍子抜けだよ。当然、そんなことで君の運命が変わるわけがない。世界中の多くの人間を死に追いやる、という君の運命は健在だ。──さて、それらをふまえて判断して欲しいんだけど、ラスト一回のシックザルを本当に道下聡美に使っていいのかい?」
「……」
言葉が出ない。自らの運命を聞く前は、聡美にシックザルを使う、そう決心していたのに、決心なんてものは、こうも簡単に揺れてしまうのか。
「たかだか女子高生一人のために、大勢を見殺しにしちゃってもいいのかな?60億人だよ? 60億」
「やめだ……」
今すぐに判断はできない。一夜で入ってきた情報が多すぎる。俺の脳はとっくにキャパオーバ―だ。この朽ちた精神状態で何かを決定するのは危険極まりない。
「そうそう。ご利用は計画的に、ね」そう言ってにこまるは闇の中へ消えていった。
「一体、どうすればいいんだ」
夜の公園で一人、俺はそう呟く。その呟きは、当然のことながら誰の耳に入ることなく、闇へと消えていった。




