第3話
「君が医者を目指しているのは、あの唯ちゃんという女の子の病気を治すためかい?」
信号待ちをしていると、にこまるが急に姿を現して声をかけてきた。
「本当に、俺以外にお前の姿は見えていないんだよな?」
赤信号に足を止められているのは俺だけじゃない。近くには杖をついた老人やスーツを着たサラリーマン、他校の制服を着た女子高生の集団など、数名の通行人がいる。こいつの姿が俺以外にも見えていたら大騒ぎになってしまう。
「もちろんだよ。僕の姿は君にしか見えていないし、声も君にしか聞こえていない。昨日色々と説明したじゃないか」
そう言って、にこまるは俺の頭の上をふらふらと浮遊している。
俺に視線を向けている人は誰もいない。どうやら嘘はついていないようだ。
《昨日の夜》
「今この地球上には、何人の人間が生きているか知っているかい?」
突然現れたかと思えば、突然小学生レベルの問題を出題された。
「80億人ぐらいだろ?」
「まあ、概ねそれぐらいだね」
「……それがどうかしたのか?」
質問の意図がまるで分からない。
「その80億人全員の運命が、もし最初から最後まで予め決まっているものだとしたら──君は信じるかい?」
唐突の言葉に「えっ」という声が漏れる。
新たな宗教勧誘だろうか?
「人は誰しも、生まれた瞬間から死ぬまでの間、どのような行動をとり、どんな人生を歩むか、その内容はそもそも生まれる前から既に決まっている」
つまりは、こういうことか?
「そうとも言い換えられるね。それで、信じるの?信じないの?」
「信じない」
間髪入れずに答えた。
そんな馬鹿げた理論が成り立つわけがない。
「この質問をすると、みんな決まってそう答えるんだけど、迷いなく即答したのは君だけだよ」
にこまるはニヤリとした笑みを浮かべている。
「ちなみになんだけど、理由を聞かせてくれるかい?」
「人間には意思があるからだ」
「意思?」アンバランスな頭を傾けてきた。
「ある大学教授が言うには、人は一日の内に最大で、35000回もの選択をするらしい。いつどこで何を飲食するか、どのように体を動かすか、他者との会話においてどういう言葉を使用するか。選択にはこういった日常的なものもあれば、どこの大学に進学するか、どんな職業に就くか、誰と結婚するか、といった将来に大きく影響するようなものもある」
「それがどうしたのさ?」
「一つ一つの選択した結果の積み重ねが人生であり、最終的にその人の運命になる。一日に35000回も選択をするんだ、死ぬまでの間に膨大な数の選択を人はする」
俺は現在18歳。一年間を365日だとして、これまでの人生で選択した回数は35000×365×18……現時点でおそらく2億は超えている──。
「そして選択をする際には必ず意思が働く。たとえ無意識に選択していたとしても、無意識という意識が働いている。意思はその時の気分や周りの環境に影響されるものであって、事前にどうこう分かる代物ではない。人生の中で、選択が一つでも違えば人生は変わり、異なる運命を辿ることになる。生きている間にとてつもない数の選択を、その時々の意思が毎度決定していくんだ。人の運命なんてものは無限にパターンが存在し、どの運命に行き着くかなんてのは現在進行の意思次第で次々に変わってしまう。だから運命が初めから決まっているなんていう話は信じない」
というのが俺の考えだ。例えるなら、運命は芸術家が既に完成させた絵画ではなく、真っ白のスケッチブックに、絵の具を次々に足していった結果偶然出来上がった落書きってところか。絵の具の色や線の種類等が意思みたいなもの。
とは言っても、俺のこの考えはたったのある一言で否定できてしまう。
「君の言う『意思』っていうものもさ、最初からどのように働くか決められているとしたらどうする?」
そう、それを言われてしまうと何も言い返せない。
「別にどうもしない。信じないものは信じない」
「やれやれ。君って結構強情なんだなー」
にこまるは呆れるような表情で俺を見ている。
「運命が既に決まっているという証拠でもあるのか?」
どんな理屈があろうが、それを証明できる術がないと水掛け論になるだけだ。
「じゃあ、紙とペン、それと何でもいいからコインを用意してくれるかい?」
紙とペンとコイン?と思いつつ、机の上にあったルーズリーフとシャーペンを手に取り、財布から10円玉を出す。
「これでいいのか?」
「おっけい」
そう言うと、ルーズリーフとシャーペンを俺の手から取り、ルーズリーフに何かを書き込んでいった。
──何をする気だ?




