第36話
やけに静かだった。
昼休みになったので、いつものように大智と机を合わせて弁当を食べているが、大智は一言も言葉を発することなく、黙々と焼きそばパンを食べている。普段なら耳栓をしたくなるぐらいに大きな声で、絶え間なく、ひたすらと話しかけてくるのに、どうしたことだろうか。
思えば、今日は朝からずっと大智と話をしていない。こんなことは、こいつと仲良くなってから初めてのことだ。
気にはなるが、「どうした?」と声をかけるのも何か違う気がしたため、そのまま声をかけることなく弁当を食べることにした。
「俺さ、志望校下げようと思うんだよね」
「おいおい何でだよ?」
「この前の模試の結果が悪くてさ、浪人は避けたいしな」
「なるほどねえ──」
静かな分、周りのクラスメイトたちの話し声がよく聞こえてくる。男子女子関係なく、ほぼ全員が受験についての会話をしていた。富川中部は県内トップの進学校。大学進学率は浪人を除けば驚異の100パーセントという数字を毎年叩き出している。就職や、専門学校、短期大学に行く生徒は一人もいない。三年生のこの時期となれば、教室でする会話は受験関係のものばかりになるのは必然と言える。
昼食中、結局俺と大智は会話を全くしなかった。大智はパンを全て食べ終えると、机を元に戻し、教室から出て行ってしまった。
「翔、この後ちょっと付き合ってくれ」
だから放課後になって、そう言われた時は少し驚いた。
本音を言うと、今日も東部分館へ行きたかった。ひょっとしたら今日は三宮が来ているかもしれない、と言う淡い期待を抱いていたからだ。でも、今日の大智はどう考えても様子がおかしい。その大智を無碍にするわけにはいかないだろう。
「分かった」
「悪いな。とりあえず、駐輪場へ行こう」
駐輪場へ行き、お互いそれぞれの自転車に乗る。
「それで、今からどこへ行くんだ?」
「海に行く」
「……は? 海?」
「そうだ」
どうツッコミを入れようかと思ったが、大智は真剣な表情をしている。どうやら冗談ではないようだ。
「どこの海に行くんだ?」
「岩津浜に行こうと思う。ここからならあそこが一番近いしな」
岩津浜はたしかに富川中部から一番近場にある海だ。しかし、自転車で行くとなるとどんなに頑張っても1時間以上はかかる。
「おっけい、分かった」
今さら断るわけにもいかない。それに、部活を引退してからというものの、運動不足だしな。たまにはサイクリングも悪くない。
「30分で行くぞ」
無謀な目標を掲げ、大智は自転車を漕ぎ出した。置いて行かれないように、俺はその後をすぐ追いかけた。
富川中部を出発して、50分で岩津浜に到着した。サッカー部元キャプテンとはいえ、流石に30分というのは無理があるのは目に見えていた。まあ、50分でもかなり凄いのだが。
大智はペダルを高速回転させ、風をも抜き去る速度で走っていた。サッカー部で鍛えた脚力は流石と言うべきだろう。ママチャリでこの速さなのだから、ロードバイクだったら本当に30分で着いていたのかもしれない。
そして何より、そんな大智を見失うことなく後に続けた自分に拍手を送りたい。俺の運動能力も捨てたものじゃないな。
駐輪場らしき場所がなかったので、車の駐車場に自転車を置く。駐車場は車が大体50台ぐらい停められそうな広さだ。地面はコンクリート舗装されているが、砂浜から風で運ばれた砂が至る所に積もっている。
駐車場奥の松の木が植えられている通りを過ぎると、視界に砂浜と海が入ってくる。
岩津浜には先客が誰もいなかった。11月平日の夕方──地方都市の海ならば珍しくない。海水浴シーズン以外の時は、人が寄りつくことはあまりない。
大智が砂浜に座り込んだので俺はその隣に腰を下ろすことにした。渚から3メートル手前ほどの場所。潮の匂いが鼻を刺す。
小学校までは毎年夏休みになると海水浴に行っていた。母方の祖父母の家が海の近くにあったからだ。自宅から車で約1時間の場所にある、片田舎の海。俺と兄貴、そして同い年の従兄弟と一緒に、朝から日が暮れるまで思いっきり海で過ごした。誰が一番大きい泥団子を作れるか競ったり、飛び込み台から色々なポーズで海にダイブしたり、イルカの形をした浮き輪につかまって、ぷかぷか浮かんでいたり、他にもたくさんの遊びをした記憶がある。近くにある海の家で、父親が買ってくれたフランクフルトがめちゃくちゃ美味しかったのも印象に残っている。きっと原価は30円ぐらいなのに、500円で売られていたフランクフルトは、当時の俺にとって至高の食べ物だった。ちなみに父親は、従兄弟の父親と一緒にビールを大量に飲み干し、二人揃って砂浜の上で酔い潰れ、母親たちから白い目で見られていたことがよくあった。しかし、祖父母が病気で亡くなってからは、海に行く機会は次第に減っていった。そして気がついたら全く寄り付かなくなっていた。あんなに一緒に遊んでいた従兄弟とも今では疎遠になってしまっている。
目の前に広がる海を眺めていると、そんな昔のことを思い出した。ノスタルジーを感じるほど、俺はまだ歳を重ねているわけではないが、懐かしいという気持ちが少しだけ胸に灯った。
「何で、何も聞いてこないんだ?」
こちらに顔を向けず、海の方を見ながら大智は俺にそう言った。
「自分から言い出すのを待っているのさ」
「何も言わないかもしれないぞ」
「だったらそれでいいさ」
「いきなり海にまで連れてこられて、文句はないのか?」
「あったらとっくに言っている。俺がお前に忖度することなんて、これまで一度たりともあったか?」
すると大智は「ないな、一度たりとも」とこちらに顔を向けた。
「正直に言うとな、海に来た理由は特にないんだ。ただ、どこかへ行きたい気分だったんだ」
だろうとは思っていた。こんな時期に海に行く理由を探す方が難しい。
「俺の家が母子家庭なのは知っているか?」
「知っている」
いつかは忘れたが、会話の流れで大智本人から直接聞いたことがある。
「妹が二人いることは?」
「──それは初耳だな」
「中3と小5だ。ちなみに中三の方は富川中部の探究科学科を第一志望に受験勉強をしている」
「俺たちの後輩になるかもしれないのか」
「かもではない。絶対に受かる。妹は俺の100倍頭が良いからな」
「0は何をかけても0だということを知っているか?」
「──お前、俺の妹をバカにしてるのか?」
していないさ。──妹はな。
「まあいい」小さくため息をつく大智。
「家族のことで何か悩んでいるのか?」
いきなり家庭の話をするということは、そこに悩みの種があることは明白だ。
「──そういうことだ」
大智はあっさりと肯定した。
「俺は……大学受験を諦めようと思う」




