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第32話

 都会に住んでいる人は驚くかもしれないが、地方都市の主要駅というのは大抵自転車を無料で停められる。


 この富川駅も、富川で一番の発展を遂げている駅だが、駅前の駐輪場は24時間無料開放されている。


 駅で所用を済ませ、無料駐輪場に戻ると見覚えのある姿を発見した。


「よっ、桃香」


 桃香は特にこれといった特徴のない銀色のママチャリに乗ろうとしているところだった。


「あれ? 翔君じゃん。どうしてこんなところに?」


 ママチャリのスタンドを下ろし、桃香は驚いた顔でこちらを振り返った。


「駅に用があってな。それが終わって今から帰るところだ」

「なるほどね」

「お前こそ、駅に何か用があったのか?」

「私はさっきまで塾の夏期講習に参加してたのよ。もう疲れちゃった」


 暑さも相まってか、疲労困憊気味に桃香はそう言った。


「夏期講習ってどんなことをやるんだ?」


 俺は塾というものに行ったことがないため、興味本位で聞いてみた。


「問題解いて、その解説を塾講師がするっていうのをひたすら永遠と繰り返すだけよ」


 思っていたよりも何だか普通だな。


「私は国語と英語を受けてるんだけど、後半はもう集中力が切れてぼーっとしていたわ」


 何時間の講習だったかは知らないが、それは金がもったいないんじゃないか? 塾の夏期講習というのは結構高額と聞く。


「というか数学は受けていないのか?」


 桃香は数学が苦手のはず。普通は苦手教科の講習を受けるものだと思うが。


「受験で数学は使わないことにしたの」

「それは、つまり──」

「国立大学の受験はやめて、私立大学専願にすることにしたのよ」


 どういう心境の変化なのだろう。以前話した時は国立大学を目指していたはずなのに。


「外国の言語を学びたいなって思って」

「どうして急に外国の言語を?」

「前から少しだけ興味はあったんだけどね。翔君以前私に言ったよね。『大学はどこでもいいって安易に考えるんじゃなくて、本当に自分が行きたいと思う場所を今からでも探した方がいいんじゃないか?』って。私あれから結構考えてさ。大学のこともそうだけど、将来何をするかってことも含めて。それでね、本格的に外国の言語を勉強して、将来はそのことを生かした仕事をしようっていう気持ちになったんだ」

「でも、親の会社は?」


 桃香は二代続く親の印刷会社を引き継がなくてはいけないと言っていた。それはどうする気なんだ。


「大丈夫だってさ」

「大丈夫?」

「親と話し合ったのよ。将来のことは自分で決めたいっていう気持ちを伝えたの。外国の言語を生かした仕事をしたい、だから悪いけど会社は継げないって。もちろん難色を示されたわ。でも最終的に『お前の人生だからな、自分の好きな道を進みなさい。会社のことは気にしなくていい。大丈夫、何とかするさ』ってお父さんが言ってくれたの」


 娘に会社を継いでほしいというのは、親としては当然の気持ちだろう。でも桃香の親は自分の気持ちではなく、娘の気持ちを尊重した。立派な方だ。


「それで外国の言語を学べる大学を色々調べたんだけど、R大学に専門の学部があることが分かったから、そこを第一志望に勉強してるの」


 R大学は私立大学の中でもかなり偏差値の高い難関大学だ。私立大学の文系学部、おそらく受験科目は国語、英語、社会。数学を科せられることはないだろう。


「翔君には、感謝してる」

「俺は別に何もしていないと思うが──」

「翔君の言葉があったから私は、親に自分の気持ちを伝えようって決心できたんだよ。もしあの時翔君と話をしていなかったら、私は適当に大学を選んで、特に目標もなくだらだら過ごして、言われるがままに親の会社を継いでいたと思う。それが私の人生だと思ってた。でも、今は違う。私は自分で自分の道を選ぶことができるようになった。周りから見ると大袈裟だと思われるかもしれないけど、私の運命は、確実に良い方向に変わったんだよ。──翔君のおかげでね」


 俺の何気ない言葉が桃香の運命を変えた──桃香はそう思い込んでいるみたいだが、それは違う。多少のきっかけにはなったかもしれないが、桃香の行動があってこその今だ。俺のおかげではない。


「まあ、私立大学だと車は買ってもらえないから、そこだけはちょっと残念だけど。──じゃあ私そろそろ行くね」


 桃香はそう言って駐輪場から出て行った。


「君はシックザルを使うことなく他人の運命を変えたようだね」


 桃香と入れ替わるようににこまるが姿を現す。


「運命は決まっているんじゃなかったのか?」

「ん? そうだけど、それがどうしたのさ?」

「だったら桃香の運命は俺が変えたものじゃなくて、元々そういう運命だったってことだろ。親の会社を継ぐという運命はそもそも存在していなくて、最初から自分で将来を決めることができる運命だった。違うか?」

「そういうことになるね。でも──君はまだ運命が決まっているってことを信用していないだろ?」

「……まあな」

「だったら君が彼女の運命を変えたっていう表現は、僕にとってはおかしいかもしれないけど、君にとっては間違いではないだろう?」


 確かにな。まあ、どうでもいいことか。

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