第27話
「──ですので、東部分館を廃館にするという政策を考え直していただけないかと思い、本日は市長にこうしてお願いをしに来ました」
三宮は俺たちの想いを市長に伝えた。感情的にはならず冷静に、落ち着いて、かつ強い意志を持った話し方で。北原市長はその間質問を一切せず、相槌を打ちながら真剣な様子で話に耳を傾けていた。
頭を下げて「どうか、よろしくお願いします」と、俺も市長に頼み込んだ。
「事情は分かりました」理解を示す言葉。しかし、北原市長は心苦しそうな顔をして話し出す。
「結論から言うと、廃館を撤回するつもりは、今のところありません。君たちの心の拠り所を奪ってしまうことには、とても胸が痛みますが……それでも私は市の財源を少しでも増やしたいのです。富川に住む市民のために。もちろん、君たちを含めて」
市長の立場を考えれば、一度打ち出した政策をそう簡単に覆すことができないのは当然だろう。その言葉に三宮はすぐに返答する。
「市長は分館を廃館して、その分で浮いた財源を教育に充てるとニュースで見ましたが、今、教育にはそんなにもお金が必要なのですが?少子化で、子供の数が減っているのにどうしてそこまで財源を増やそうとしているんですか?」
おそらく用意しておいた質問だ。三宮は子供の人数の減少と教育費の増加は矛盾していると指摘した。論理的に市長の政策を切り崩しにかかろうとしている。
「三宮さん、君の言うとおり、富川市は年々子供の人数が減少している。富川だけではない、少子化は全国の自治体で起こっている深刻な社会問題だ。だけど、少子化が進行していることと教育財源は比例関係にはならない。それはね、子供一人当たりにかかるお金が現代では昔よりも増えているからなんだ」
「かかるお金が、増えている?」
「例えば、君が小学生の頃、一クラスの人数は何人だったか覚えているかい?」
「正確に覚えてはいませんが──40人いないぐらいだったと思います」
「茜川さんはどうだったかな?」
北原市長は俺にも話を振るが、あまり覚えていない。「たぶん、三宮と同じぐらいです」と曖昧に答える。
「君たちの記憶は正しいと思います。小中学校の一クラスの人数はMAX40人までと、文部科学省が定めていたからね。しかし数年前にこれが改定されて、その人数が35人になったんだ。一クラスの子供の人数が少ない方が、担任の先生がより子供たちのことをしっかり見ることができるからね。でも私は35人でもまだ多いと思っているんだ」
同感だった。一人の大人が35人の子供たちの面倒を見るなんて、少なくとも俺には不可能だ。
「私はこのクラス人数の上限を、小学校25人、中学校30人までに引き下げようと考えている。ただ、そうするとクラス内の人数は減るが、クラス数そのものは増えることになるから、その分担任の先生を増やす必要がある。公立学校の先生の給料はもちろん税金によって支払われている。少人数クラスを実現するにはどうしてもお金が必要になってくるんだ」
教師も人間。雇うには当然金がかかる。それはそうだ、給料がもらえないと生活をしていけないのだから。
「クラス人数の上限だけじゃない。私はね、富川市内全ての小中学校で副担任制を導入することも検討している。各クラスに担任と副担任をつけて、教師二人で子供たちをサポートできるような体制を整えたい。これが実現できれば、学校の先生の負担はかなり軽減され、そのことが結果として子供たちへの質の高い教育に繋がるはずだからね。それと、現代は実に多種多様な問題を抱えた子供が多くいる。そういう子供たちのためにスクールカウンセラーや支援員、相談員といった人員も、今まで以上に増やしたいと考えているんだ」
ここまでの話を聞くと、北原市長は教育の中でも主に、教師の増員に多くの財源を投入しようとしている。デジタル教科書の導入だったり、最新式のタブレット端末を購入したりというのではなく。物ではなく、人にこそ金をかけるべきだと主張しているように感じる。
「従来型の一斉指導ではなく、これからの教育は、子供たち一人一人に合わせた指導が求められている。これを個別最適な学びと言うんだけど、実現するためにはとにかく大勢の教師が必要なんだ。少子化で子供の数は減っているけど、以前よりも多くの教師を確保しないといけない。だから、少しでも多くの財源がほしい。子供たちの教育のために。子供に、幸せな学校生活を与えるために」
北原市長の言葉には熱意がこもっていた。子供たちのことが何よりも大切だという意志が。そして思い出す、この人の前職が中学校の教師だったことを。
俺たちに東部分館を守りたいという想いがあるように、市長にもあるのかもしれない。
学校現場を救いたいという想いが。
子供たちを守りたいという想いが。
「北原市長の教育に対するお考え、素晴らしいと思いました。莫大なお金が必要だという理由にも納得がいきました。ですが、東部分館──図書館を廃館にする以外に財源を確保する方法はないのでしょうか?」
縋るような声で訴える三宮だが、北原市長は首を横に振った。
「もちろん他にも財源確保の手段は考えているんだけど、それでも足りないくらいなんだよ。むしろ、他にも何か廃止できる公共施設がないか模索しているぐらいだからね……」
きっと北原市長もできることなら公共施設を縮小なんてしたくはないのだろう。俺たちに対して、申し訳なさそうな表情をしていることからそのことが分かる。そんな北原市長を見て三宮は心苦しくなったのか、黙り込んでしまった。
「教師の数を増やすことで教育の質が向上するというのは俺も同意見です。ですが、図書館という存在もまた、教育において重要な役目があると思います。読書は、読解力、語彙力、想像力等の向上が見込める行為です。図書館がきっかけで読書の習慣が身に付く子供だっているはず。確かに廃館予定の図書館の利用者数は少ないかもしれませんが、それでも、本を読むために通っている子供はいると思います。図書館を廃館にするということは、子供たちの読書の機会を奪うことと同義ではないでしょうか」
読書は本屋で本を買えば家でできる。電子書籍ならば本屋に行かずとも本を手に入れることができる。もちろん学校の図書室でも読書は可能だ。図書館がなくなっても、読書の機会なんてものはいくらでもある。そもそも、北原市長は全ての図書館を廃館しようとしているのではなく、利用者の少ない半数をと提言している。
自分の放った言葉が暴論だということは自覚していた。だけど、何か言わないと東部分館はなくなってしまう。その焦りから、自分らしくもない浅いことを言ってしまった。
「読書は確かに大切なものです。しかし、こういう言い方はあまりしたくないですが、教育には優先順位があると私は思っています。今はとにかく、教師の数を増やすこと。それが第一優先事項であり、即急に取り込まなくてはいけないことです。もちろんこれは私、一個人の考えです。正しいかどうかは分かりません。でも、自分の考えが正しいということを信じています」
図書館がなくても教育は成り立つ。しかし、教師がいないと教育は成り立たない。学校という学びの場を維持することができなくなってしまう。優先度の高さは誰の目から見ても歴然としている。
「北原市長は、市長になる前は中学校の教師を務めていたと聞いています。教師の数を増やしたいという強い思いは、その時の経験からくるものなのでしょうか?」
三宮のその質問は俺も聞いてみたかったことだった。
「その通りです。私は中学校の教師を8年間務めましたが、一年目の頃から、学校で働く人間の少なさに疑問を感じていました」
両肘をローテーブルにつき、手を重ね合わせて北原市長はそう語った。
「学校現場というのは、業務量と人員のバランスが全く取れていないんです。もちろん、仕事量の方が多いという意味です。でも教師は無理をしてでも仕事をこなそうとしてしまう。目の前にいる、子供たちのために。プライベートを犠牲にしてでも、健康を害そうとも、そして、精神をすり減らしてでも。自分の限界を超えてしまい、仕事を辞めてしまった同僚を何人も見てきました。中には未だに心を病んでいる者も、家庭が崩壊してしまった人もいます。そんな過酷な環境の中で、子供たちに良い教育を与えることなんて不可能だと思い、私は政治家になることを決意しました。学校現場を変えて、最高の教育を子供たちに施すために」
どこか遠い場所を見つめる北原市長の目。その瞳には、過去の仲間たちの姿が映っているような気がした。
「本当は教師を辞めたくはありませんでした。辛いことも多く大変だったのは事実ですが、子供たちの成長を間近で見られるのは幸せでしたから。この幸せは、教師をやったことのある人間にしか味わえないものです。でも、誰かが変えなくては、学校現場は一生変わらない。教師が全員潰れてしまってから立ち上がるのでは遅いですからね」
教師が学校からいなくなる。ありえない話ではないのかもしれない。教師の過重労働問題はニュースでよく取り上げられている。ここ数年、教師を志望する大学生の人数が減少傾向だということも聞いたことがある。大きな変革がなければ、全国で教育崩壊が起こる事態になっても不思議ではない。北原市長の話を聞いて、俺はそう思った。
「他の先生方や子供たちを守ために、好きな仕事を辞めてまで政治家に──凄いですね。北原市長の覚悟と優しさに、私、感動しました」
三宮の方を見ると、目が少し潤んでいた。
「まあ、元々政治家という仕事にも興味があったんですけどね。まずは教育のための政策を推し進めますが、他の政策ももちろんしっかり行います。子供たちのことも大切ですが、私はこの生まれ育った富川という町が好きですから。自分の故郷に恩返しをするという意味でも、市長として、市民の皆様のために頑張る所存です」
こうして実際に会って話を聞くまでは、顔の良さで当選した若手政治家、という印象がどこか頭の隅にこびりついていた。しかし、今はそんなものは微塵もない。この人は、当選されるべくして当選した、紛れもない市民の味方の市長だ。
コンコン──。扉をノックする音が聞こえた。北原市長が「どうぞ」と声をかけると、「失礼します」という声の後に扉が開く。
市長室に入ってきたのはスーツ姿の女性だった。年は40代ぐらい。セミロングの髪は薄い茶色に染められている。
「あっ、すみません、来客中でしたか」俺たちの姿を見て女性はそう言った。
「大丈夫ですよ。用件は何でしょうか?」
「そろそろJAの方たちを訪問する時間ですので、お呼びしにきました」
左手に巻かれた銀色の腕時計を見て北原市長は「もうこんな時間だったのか。分かりました、先に駐車場に向かっていてください。私もすぐに行くので」と女性に声をかける。
「申し訳ない、実はこの後予定が入っていて──」
女性が市長室から出ていくと、北原市長はバツの悪い顔をして俺たちにそう言った。
JAというのは農協のことだろう。政治の仕事は教育のことを考えるだけではない。当たり前のことだが、市長の仕事というのは多岐に渡っているのだと改めて感じた。
「俺たちこそ、すみませんでした。多忙の中、本日は話を聞いてくれてありがとうございます。行こう、三宮」
「──そう、ですね。本日は、ありがとうございました」
三宮の顔には、まだ交渉をしたいと書いてある。消化不良な気持ちなのは俺も同じだが、これ以上ここに居座ることができないのは誰にでも分かる。
市長室を出ようとした時、「茜川さん」と北原市長に呼び止められた。
「実は、私は富川中部高校の卒業生なんですよ。先輩として、かわいい後輩の頼みは是非とも叶えてあげたいけれど──すまない……」
「お気になさらないで下さい。それでは、失礼します」
俺は静かに市長室の扉を閉めた。




