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第25話

 当然のことだが、東部分館はまだ廃館されていなかった。何の変哲もなく、今日もいつも通り開館している。


 ただ普通に開館しているだけなのに、俺は少しだけ安心感を得ていた。


 まだ存在している。こじんまりとした二階建ての建物は、余命宣告を受けただけで、Xデーは今日ではない。


 館内に入るとすぐに冷気が全身を包み込んだ。熱を帯びた体がみるみる冷めていく。


 フリースペースに三宮はいなかった。というより、誰もいない。元々利用者が少ないことに加え、平日の昼頃ともなれば不思議ではない。この空間に自分以外、人がいなかったことなんてこれまでに何回もあった。


 普段なら何も思わないのに、今はこの誰もいない部屋が、存在を忘れ去られてしまった廃墟のように見えてしまう。


 窓際の角にある席に着く。バッグをテーブルの上に置くが、勉強道具は取り出さない。何もせずに、ただ座る。


 そういえば、本郷さんが初めて声をかけてきた時も、この席を使っていたな。ふと、そんなことを思い出した。


 もし俺がカタツムリの本ではなく、物理や地学といった生物以外の分野の本を読んでいたら、生物学者である本郷さんは俺に興味を示すことなく、出会いはなかったのだろうか。それとも、何か別の形で会うことになっていたのだろうか。


 本郷さんと出会わないという運命を生きていたら、俺は今頃こうして、東部分館に頻繁に通うなんてことはしていないはずだ。


 新市長の徹底的な財源整理にも、異を唱えるなんてことはしない。東部分館がなくなったところで、何も感じはしないだろう。


 医者を目指すという将来の夢も、弁護士とかプログラマーとか、小学校教師に変わっているかもしれない。


 たらればストーリーをいくら考えても意味はない、か。風船のように妄想を膨らませたところで、現実が変わることはないのだから。


「何か考え事ですか?」


 振り向くと、制服姿の三宮がいた。声をかけられるまで、気配に全く気づかなかった。


「いや、特には──」

「そうですか。でも、勉強道具も出さずに、ぼーっと座っている茜川君なんて初めて見ましたよ。珍しい姿を見ることができて、少しラッキーな気分になりました」


 三宮は微笑みながら、向かい側の椅子に座った。


「そんなことでラッキーな気分になれるなら、毎日見せてやってもいいぞ」

「本当ですか?じゃあ、よろしくお願いします」

「──いや、冗談だけど」


 こんなくだらない些細なやり取りが、楽しいと感じてしまう。


 三宮はスクールバッグから英語の参考書を取り出していた。お話はここまで。今から早速勉強モードに、といった様子だ。俺もそれに見習って勉強を開始しようと思い、手提げバッグの中から数学の問題集を手に取ったが──。


「三宮、新市長の─北原市長が今日発表した財源整理の話って知ってるか?」


 俺は三宮に話しかけていた。勉強の邪魔をしたくはなかったが、どうしても話をしたかった。


「北原市長の財源整理の話ですか?すみません、知らないです」


 嫌な顔一つせず、三宮は開いていた英語の参考書を閉じて、そう答えた。


「この東部分館が廃館になるそうだ」

「っえ?どういうことですか?」


 俺はスマホを操作し、リビングで見たネットニュースを画面に表示してスマホを三宮に渡した。


「まさかこんな発表がされていたなんて……」

「コメント欄も見てみな。市民は大方賛成だということが分かる」


 俺のスマホをスクロールしながら、画面を見つめる三宮。険しい表情で「なるほど」と、呟いている。


「俺に忖度しなくていい。この市長の政策をどう思うか、お前の意見を聞かせてほしい」


 母親を含め、市長の政策は多くの市民に支持をされている。では三宮はどう思っているのか。純粋に知りたかった。


「私は反対です」


 穏やかな声。だけど意志の強さがこもった言葉だった。


 正直意外だった。個人的な気持ちとしては反対であってほしいとは思っていたが、実際は賛成だと想定していたからだ。


「ちなみに、理由は?」


「えっと、二つあります」右手をピースサインして、三宮は話を続ける。


「一つ目は、必ずしもマジョリティ側が正しいとは限らないからです。確かにこの記事に載っている分館は、利用者数が少なく、多くの市民にとっては無駄な施設かもしれません。でも、利用している人は0ではありません。実際に、私たちが利用していますからね。もし図書館が営利企業ならば、利用者が少なく利益の見込めない分館の廃館は妥当かもしれません。しかし、図書館は紛れもない公共施設です。利益ではなく、市民の生活に役立っているかどうかに価値が置かれるべきです。例え多くの人が利用していないとしても、必要としている人がいるなら、安易になくしてしまうのは良くないと、私は思います」


 イギリスの哲学者、ジェレミー・ベンサムは「最大多数の最大幸福」という有名な言葉を残している。例え一部の人間が不幸になったとしても、多くの人間が幸福になるのであれば、それはコミュニティ、言ってしまえば社会の幸福であり正義だ、という意味だ。近世の功利主義や現代の民主主義は、この言葉に強く影響されている。


 そして三宮は、ベンサムの主張に真っ向から否定の立場をとっている。多数派の意見を優先するのではなく、少数派の意見にも耳を傾けるべきだと。


「二つ目は──ただの個人的な気持ちなのですが……私はこの東部分館が好きだからです」


 三宮の顔には、どこか恥ずかしそうな表情が浮かんでいる。


「茜川君にとって東部分館は、本郷さんと出会った大切な場所ですよね?それと同じように、私にとってここは、茜川君と出会った大切な場所なので……なくなってほしくないと思いました」


 胸元の制服のリボンを指で弄りながら、三宮はそのように二つ目の理由を語った。


 俺と出会った大切な場所──。


 この東部分館に、そんな想いを持ってくれていたのか。


「俺にとってもここは三宮と出会った大切な場所だ。本郷さんだけじゃない」


 言ってから少し恥ずかしくなる。三宮の目を見ることができず、視線を外す。それは向こうも同じみたいで、俺たちの視線は交わることなく、別々の方向に進んでいく。


「とはいえ、この新市長の政策は市議会ですんなり可決され、実行されてしまうのだろうな。俺たちの想いなんてものが、新市長に届くことなんてないだろうし」


 ただ、現実はこうだ。三宮の東部分館に対する想いはこの上なく嬉しい。その想いを聞けただけで、救われたような気がした。東部分館という場所が消えてしまっても、俺たちの想いが消えることはない。


「想いを届けに行きましょう」

「──届けるって、どこに?」

「もちろん北原市長にですよ。この東部分館を廃館してほしくないという想いを、一緒に伝えに行きましょう」


 三宮は立ち上がり宣言した。


 俺の気持ちが諦めの感情に傾いていた中、こいつは違った。想いを思い出として残すのではなく、何とかして現実に維持させようと考えている。


「行くか」


 何もしないで後悔するより、何かをして後悔する方がいい、という言葉があるしな。静観するという判断は、まだ早いのだと気づかされた。


 本郷さんとの思い出の場所を、そして三宮との思い出の場所を、そう簡単になくしていいわけがない。


「じゃあ、今から早速市役所に行きましょう」

「えっ、今からか?」

「はい。今日は金曜日、平日です。時間もまだ14時すぎなので、市役所は開館しています」


 当然だと言わんばかりの表情で三宮はそう言った。


「だけど市長が必ずしも市役所にいるとは限らないんじゃないか?」

「その時は受付の人に聞いて、どこにいるか教えてもらえばいいだけですよ。必ず今日中に、市長に会って直接話しましょう」


 三宮がこんなにも行動力があるとは意外だった。上品で、どちらかというとおとなしい性格だと思っていたが、こんな一面があったとは。


「そうだな。市長がどこにいようが関係ない。宇宙の果てにだって行ってやるか」

「宇宙船の手配は茜川君に任せてもいいですか?」

「JAXAに連絡してみるよ」


 宇宙船のレンタル費用はいくらなのだろう。そんなことを考えながら俺はバッグを手に持ち、立ち上がった。


 東部分館のフリースペースには相変わらず、俺たち二人以外の利用者はいない。


 この場所を守ることに価値なんてものは、世間的にはないのかもしれない。でも、俺たち二人にとっては無価値ではない。それは高価なものだ。


 誰もいないテーブルと椅子が並んだ一室を、俺と三宮は後にした。

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