第23話
帰りのホームルームが終わり放課後となったのに、教室内にはたくさんのクラスメイトが残っており、友達同士の会話に花を咲かせている。普段の放課後なら、我先へと廊下に出て行き、閑古鳥が鳴いている教室が、この日はまるで、祭りが開催されているように賑やかだった。
それはきっと、今日が一学期終業式だからだ。
明日から夏休み。部活を引退した俺たち3年生は、1ヶ月ほど学校に来ることはなくなるため、必然とクラスメイトともしばらくの別れとなる。その名残惜しさが今のこの状況を生み出しているのだろう。
「何でみんな、あんなに楽しそうにしていられるんだ?」
俺が教室内の様子を眺めていると、不可解な顔をした大智が近寄ってきた。
「明日から夏休みだからだろ?」
「明日から夏休みなのに何で楽しそうなのかってことを聞いてるんだよ」
「お前は、楽しみじゃないと?」
「ああ、全く」
普通の学生は夏休みと聞けば跳んで喜ぶはずなのだが。まあ、大智の言いたいことは分かっている。
「俺たちは受験生だぞ。明日からは遊ぶ暇もなく、朝から晩まで受験勉強だ。これのどこに楽しみがあるって言うんだ?」
そう、受験生にとって夏休みは休みではない。学校から解放され自由の身となり、誘惑の多いこの長期間に、どれだけ勉強できるかによって受験の結果は大きく変わってくる。いわば天王山の戦いだ。
「明日から辛い日々が始まるって分かってるから、今日ぐらいは楽しい気分でいたいのよ」
大智にそう言ったのは聡美だ。いつの間にか俺たちの所へ来て会話を聞いていたようだ。
「ああ、なるほど。それは一理あるな」
「でしょ?それにしても、あんたが勉強のことをそんなに真剣に考えてるなんて、今から雪でも降るのかしら」
「お前はいつも一言多いんだよ」
窓から外を見る。雲一つない快晴。地面を焦がしてしまうんじゃないかというぐらいの強い日差し。天変地異でも起こらない限り、今から雪が降ることはないだろう。
「翔、あんたは相変わらず余裕そうね」
「そんなことはないさ」
「いいや、あるね。お前からは焦りというものが全く見えてこない」
まあ、焦ってはいないな。
「ところで、大智、志望校は決まったのか?」
以前、聡美が銀沢大学の医学部を志望していることは聞いたが、大智からそういう話は聞いていなかった。とにかく偏差値の高い大学へ、みたいなことは言っていたが。
「一応今のところ、K大学の経済学部を目指そうと思っている」
K大学は関西にある難関国立大学だ。
「大丈夫なの?この前の模試の結果を見る限り、不可能に近いんじゃない?」
「だから明日から猛勉強をするんだよ」
「そう。頑張ってね」
「いや、もう少し興味を持てよ」
「とんだ構ってちゃんね。じゃあ、滑り止めの大学とかは決めてるの?」
「滑り止めは受けない」
「嘘でしょ?本気なの?」
「ああ、K大学一本で行く。もし無理そうなら志望校を変えるが、だとしても複数の大学を受験するつもりはない」
そう言い張る大智に聡美は驚きの表情を見せた。
「えっどうして?何で一つにこだわるの?」
「何でって、そりゃあ金がもったいないからに決まってるだろ」
当たり前だが、大学受験には金がかかる。受験料は大学によって異なるが、基本的に1校受けるだけでも数万円はする。また、県外のような遠方にある大学を受験するためには、新幹線や飛行機等を利用して現地まで行かなくてはいけない。前乗りする場合は当然宿を取る必要もある。交通費や宿泊費を大学側が支給してくれるわけはなく、当然受験生が全額負担する。複数の大学を受験すると、数十万、場合によっては三桁万円かかる場合もあるだろう。決して安いとは言えない。
「不安じゃないの?もし落ちたら──」
「不安だよ。でも、仕方ないだろ」
そう言って大智は溜め息をついた。おそらく、色々と事情があるのだろう。
「聡美、お前は変わらず銀沢大学の医学部が第一志望なのか?」俺は聡美に話題を振った。
「そうね。私立の医学部もいくつか受ける予定だけど」
「ちなみに、どこを受けるんだ?」
「N大学と、J大学と、F大学と、T大学と、S大学の医学部よ」
「五つも受けるのか?流石は金持ちは違うな」
お手上げのポーズをとりながら、大智は聡美に向けてそう言った。
聡美の父親は、全国にホテルを多店舗展開する道下ホテル株式会社の社長だ。誰がどう見ても金持ちの中の金持ち。生活をしていて、金の面で不自由を感じたことはないだろう。大智が大学を一つしか受けないと言った時に驚いたのも当然だと言える。受験費用なんてものは、道下家にとっては痛くも痒くもない出費だろうからな。
金持ちの子供と聞くと、あまりいい印象を受けない人は多いだろう。実際、金持ちアピールをする憎たらしい子供っていうのは世の中にごまんといる。親の凄さを自分の凄さと勘違いしている醜い奴が実に多い。
しかし、聡美はそんなことはなかった。自分が社長令嬢などと自慢している姿を一度も見たことがない。もちろん、俺たちのような一般庶民をバカにするような言動も聞いたことがない。そのような振る舞いを全くしていないにも関わらず、一定数、妬みの感情を持つ人間はいるものだ。小学校の頃に仲間外れにされていたのは、そういう嫉妬心も関係していたのだろう。
「浪人はしたくないのよ。私の集中力じゃ、もう一年勉強なんてできる気がしないし」
好んで浪人をする人間はあまりいないだろう。誰しも、一発で合格できるならそれに越したことはないと言うはずだ。
「それで、あんたの志望校は──まあ、変わってないか」
「富川大学の医学部だ」
「だよね。一応聞くけど、滑り止めは?」
「大智と同じさ。俺も滑り止めなしの、一発勝負をするつもりだ」
「そう言うと思ってたわ。あんたが滑り止めを受けないのは、そんなに驚かない。でも、仮によ、万が一落ちちゃったらどうするの?」
「落ちた時のことは考えたことがないな。受験会場にさえ無事に辿り着ければ、受かったようなものだろうし」
自慢でも慢心でもない。このまま受験勉強を続けていれば、俺が合格するのは必然だ。明日から入試当日まで、全くのノー勉強となれば話は別だが。
「うわあー嫌な言い方。しかもそれが当然の事実だと思わせられてしまうのが、余計にムカつくわ」
そう言って聡美は俺を睨んだ。
「やっぱり男なら滑り止めなんて必要ないよな」
一方で大智は、仲間がいると知って喜びの表情を浮かべている。滑り止めを受ける受けないに男女は関係ないだろうに。それにその発言、今の世の中じゃ炎上の火種になる可能性があるぞ。
教室内を見渡すと、ちらほらと下校するクラスメイトが出始めてきた。
俺もその流れに乗ろうと、二人に別れを告げて教室を後にした。




