第17話
「君が医者を目指している理由はそういうことだったのか」
帰宅後、夕飯と風呂を済ませて部屋で勉強していると、にこまるが姿を現してそう言ってきた。三宮との会話のことを指しての発言だろう。
「まあ、そういうことだ」
「そして君は三宮さんに恋をしていると」
口元をニヤつかせた不愉快な顔がこちらを向いている。まるで有名人のゴシップネタを手に入れた売れないフリーライターのようだ。
「高校3年生の男子に好きな女子がいるなんて普通だろ」
「一般的にはそうだろうけど、君はそういうのに興味がないと思っていたからさあ」
確かに、似たようなことを周りからもよく言われる。実際、クラスメイトの男子に比べると、俺は女子に対する興味が著しく低いと自覚している。だからといって全く興味がないわけではない。高校1年生の頃には彼女もいたしな。
初めの頃は三宮に対して恋愛感情なんてものはなかった。顔の整った女子だとは感じていたが、それだけだ。
正直今でも、どうしてあいつに好意を持ったのか分からない。まあ、恋愛感情なんてものはそういうものだと言われてしまえば、それまでなのだが。
東部分館のフリースペースで定期的に会っているうちにいつの間にか──。
ただ不思議と、告白をしたいという気持ちは全く湧いてこない。今の関係が進展しなくてもいい。このまま気軽に話せる勉強友達でいられればそれだけで。
今のところは──。
「それにしても、三宮さんって中々勘の鋭い子だねえ」
「どういう意味だ?」
「別に。何でもないさ」とだけ言い残し、姿を消す黄色い生命体。
今日の三宮との会話の中で、あいつの勘が鋭かった場面なんてあっただろうか?
思い返してみるが、特にそんなことはなかったような気がする。
まあ、どうでもいいことか。にこまるの発言をいちいち気にしていたらキリがないだろう。
現在の時刻は22時。眠気はまだ襲ってきそうにない。
「過去問でもやるか」
俺は富川大学の赤本を開き、昨年度の医学部の英語を解くことにした。
土曜日。とある大手ゲーム会社が先週発売した新作のテレビゲームを、俺は小学4年生の女の子と自宅でしていた。
「バイクワールド3」というタイトルのこのゲームは、自分でオリジナルのバイクをカスタマイズしてレースをするというもので、バイク好きのみならず、老若男女問わず人気を博している。また、今作は初代や2よりもバイクやサーキット等の種類が大幅に増加していることや、グラフィックがより高画質になったことにより、この一週間の売り上げがかなり好調だとネットニュースで取り上げられていた。
「翔ちゃん速すぎだよー」
頬を膨らませて訴えかける唯ちゃん。俺は今のところ、全レースで1位を取っていた。
「子供相手だろうと、手加減はしない主義だからね」
「自分も子供じゃん」
「18歳は法律上、成人だよ」
「でも高校生じゃん。高校生は子供だよ」
正直その意見には同感せざるを得ない。俺の感覚的には年齢どうこうよりも、職に就いて自立してからが成人だ。世の中の情勢や感覚に合わない法律が多いなと時々思う。
こうして一緒に遊んでいると、唯ちゃんは普通の女の子だ。大きな病気を抱えているようには見えない。
「もう一回!もう一回やろう!」
ゲーム機のコントローラーを強く握りしめ、再戦を要求してくる。もちろん受けて立とう。まあ何度やっても結果は同じだ。流石に4年生には負けない。
その後も唯ちゃんは一回も俺には勝てなかった。途中拗ねて「もうやらない」と言い出したが、「諦めるなんて情けないなあ」と軽く挑発したら、顔を真っ赤にしてムキになっていたのが実に可愛かった。
「このドーナツおいしい!」
「先月駅前にできた店の商品らしいよ」
ついさっき、母親が用意してくれたドーナツを俺たちは食べている。
「結局翔ちゃんには勝てなかったなあー」
「でも最後のレースは惜しかったじゃないか。もう少しで抜かれそうだったよ」
「まあね。今度やるときは勝っちゃうから!」
最後のレースで手を抜いていたことは黙っておこう。嘘も方便ってやつだ。
「私、本物のバイクに早く乗りたい」
口元にドーナツの食べかすを付けなが唯ちゃんはそう言った。
「女の子がバイクに乗りたいだなんて、珍しいね」
「そういうの、ヘンケンって言うんだよ」
「今時の小学生は難しい言葉を知ってるね」
「私、たくさん本を読んでるから色々な言葉を知ってるんだよ」
「本?」
「そう。病院にいると本を読むぐらいしかやることがないの。でも本って面白いんだよ!ただの紙の上に、知識がいっぱい乗ってるの!私、きっと小学校に通ってる子よりも物知りだよ!」
唯ちゃんは本の魅力をニコニコした笑顔で教えてくれた。
だけど俺はその笑顔を見て、少し悲しくなった。
「病院にいると本を読むぐらいしかやることがないの」こういう言葉を聞くと、やはり唯ちゃんは重い病気を患っているのだという現実を突きつけられる。
限られた中での娯楽。もちろん読書というのは素晴らしいものだが、病気にさえなっていなければ、他にも楽しいことがいっぱい経験できるのにと思ってしまう。
「乗りたいバイクも決まってるの」
「唯ちゃん、バイクの種類とか知ってるの?」
「知ってるよ。病院にいる時、バイク雑誌を読んでたから」
そういう本も読むのか。
「ヤマハのSR400に乗りたいの!」
バイクの知識が全くない俺には唯ちゃんの乗りたいバイクの姿が頭に全く思い浮かばない。というかヤマハってもしかして、音楽楽器で有名なヤマハのことか?
「SR400はね、空冷4ストローク単気筒エンジンを積んだバイクで、最大の特徴はなんと言っても、キックペダルでエンジンをかける機体だということ。最初に販売されたのは1978年で当時はまだ──」
内容が1ミリも理解できないが、俺はひたすら唯ちゃんが欲しいというバイクの話を聞き続けた。まるでお経を聞いている気分。
「翔ちゃんはバイクに乗りたいと思わないの?」
SR400というバイクの説明は終わったようで、話を振られた。
「今のところは思わないかな」
「あんなにゲームが上手いのに?」
「ゲームと現実は別物だよ」
野球のゲームが上手いやつが、スポーツの野球が好きとは限らないのと同じだ。
「そっかあ。でも翔ちゃんはいいなあ」
「どうして?」
「だってもうバイクの免許が取れるじゃん」
バイクには普通自動二輪免許というものと大型自動二輪免許というものがある。前者は400cc排気量までのバイクに乗ることができ、16歳から免許を取ることができる。後者は排気量制限がなく、18歳から免許取得が可能。
現在18歳の俺はどちらの免許も取れる資格がある。
「年齢的にはそうだけど、学校がバイクの免許取得を禁止しているから実際には無理だよ」
富川中部ではバイク及び自動車免許の取得が禁止されている。ただ、富川中部に限らず、こういう学校は多いんじゃないかと思う。
「何それ、ケチな学校だね」
「色々と理由があるんだと思うよ」
まあ、正直交通事故のリスクがある、という理由しか思いつかないが。
「私、バイクに乗れるようになったら、色々な所へ行こうと思ってるの」
両手をグーにして、ハンドルを握る仕草をする唯ちゃんの目は、一番星のような輝きを放っていた。
「この病気がいつ治るか分からないけど、絶対に治るって信じてる。それでね、退院してバイクの免許を取ったら、バイクで日本一周をして、日本各地の綺麗な景色を見るのが夢なの。本に載っている写真じゃなくて、本物を!」
病院という閉鎖的な場所で生活をすることが多い唯ちゃんにとって、外の世界というのは非常に魅力的に映っているに違いない。
10歳の女の子が病院と家だけを行き来する生活。改めて考えてみると、なんて残酷なのだろうか。
自由の翼──それが早く唯ちゃんに与えられることを、俺は心の中で強く願った。




