虐げられ、使い捨てられた悪役令嬢はすべてを失うはずだったけれど、没落した家族や裏切った婚約者たちを横目に、隣国の麗しき王子から誰よりも愛されることになりました
侯爵家の令嬢でありながら、私は決して大切にされたことがなかった。
「セレナ、あなたは本当に出来の悪い子ね。姉のリリアを見習いなさい」
母はいつもそう言って、私を突き飛ばす。父は無関心で、姉は美貌と才気で周囲から称賛を浴びていた。私はただ「家のための駒」として扱われ、婚約者すら家が決めた男──公爵家の嫡男アランだった。
アランは、最初から私を愛していなかった。
「お前は婚約者の役目を果たせばいい。学園でリリアを持ち上げる悪役を演じろ。そうすれば俺はリリアと自由にいられる」
そう告げられたとき、私は震えながらも頷くしかなかった。拒めば家族に殴られる。私には逃げ場などなかったから。
学園での私は「典型的な悪役令嬢」として振る舞った。令嬢たちの前でリリアを貶める役を買って出て、アランが「庇う英雄」になれるように。
けれど結果はどうだったか。
「セレナ様って本当に意地悪」
「どうしてあんな人がアラン様の婚約者なの?」
そんな陰口ばかりが増え、私の評判は地に堕ちた。
それでも耐えた。涙をこらえ、心を殺して。
だって、私にはそうするしか生き残る術がなかったから。
◇ ◇ ◇
運命の日は、唐突にやってきた。
大広間で開かれた夜会。煌びやかなシャンデリアの下、アランは皆の前で声高らかに告げた。
「侯爵令嬢セレナとの婚約を、ここに破棄する!」
人々がどよめく。隣には姉リリアが立っていた。アランは彼女の手を取って、誇らしげに宣言する。
「真に愛しているのはリリアだ! 俺たちの愛を邪魔する者は許さない!」
場が拍手に包まれる。私は息を飲み、血の気が引いていくのを感じた。
「……婚約、破棄……?」
足が震えた。耐えた日々はすべて無駄だったのか。悪役を演じ続け、憎まれて、笑われて、すべてを捧げてきたのに。
「お父様、お母様……」
視線を向けた両親は、冷笑を浮かべていた。
「無能なお前に用はない。出て行きなさい」
突き放され、私は大広間から追い出された。涙が頬を伝う。馬車も屋敷も与えられず、ただ薄暗い夜道を一人歩くしかなかった。
――ああ、私は捨てられたのだ。
◇ ◇ ◇
数日後。
ぼろ宿の片隅で眠りながら、私は空腹と寒さに震えていた。家族からの援助はなく、知人も皆、私を避けた。
「悪役令嬢なんて関われば不幸になる」
そんな噂ばかりが流れ、誰も手を差し伸べてはくれない。
けれど皮肉なことに、その頃から世界は少しずつ変わり始めた。
父の侯爵家は、莫大な投資に失敗して財政が破綻した。
母は贅沢三昧が露見し、社交界で嘲笑の的となった。
姉リリアはアランとの結婚を狙ったが、裏で彼が複数の令嬢と密会していたことが暴かれ、信用を失った。
私を踏み台にして栄光を得た彼らは、次々に落ちぶれていったのだ。
私はただ、冷たい窓辺からそれを見ていた。
「……ざまあ、なんて言えないわ」
胸は空虚で、ただ静かに涙がこぼれた。
◇ ◇ ◇
そんなある日だった。
宿の前で倒れ込んだ私を抱き起こした男がいた。
「大丈夫か?」
見上げた先にあったのは、透き通るような金の髪と碧い瞳。
王族だけが持つ気高さをまとった、美しすぎる青年だった。
「俺は隣国の第一王子、レオナルド。……君は?」
「わ、私は……ただの、厄介者です……」
必死に拒もうとしたのに、彼は優しく微笑んだ。
「厄介者だなんて。君の瞳は、誰よりも強い光を宿している」
その声に、胸が震えた。誰からも否定されてきた私に、初めて向けられた肯定の言葉だった。
レオナルドは私を抱き上げ、躊躇なく馬車に乗せた。
「これからは俺が守る。君を決して一人にはしない」
その腕の温かさに、私は堪えきれず泣き崩れた。
――そして、私の新しい物語が始まった。
---
「おはよう、セレナ」
まぶしい朝日と共に、柔らかな声が降り注ぐ。
目を覚ますと、真っ先に私を見つめているのは隣国の王子、レオナルド様だった。
「ま、毎朝……ご自分で起こしにいらっしゃるなんて……」
「当然だろう? 大切な人の寝顔を見ないで一日を始められるか?」
真っ赤になる私に、彼は優しく額へ口づけを落とす。
――信じられない。
今まで「無価値」と罵られ、汚物のように扱われてきた私が、こんなにも大切にされるなんて。
彼の城に迎え入れられてからの日々は、夢のようだった。
栄養たっぷりの食事、ふかふかの寝台、温かい風呂、そして何より……彼の惜しみない愛情。
「セレナ、今日のドレスはこの色が似合うと思う」
「そ、そんな高価なもの、私には……」
「君だからこそ相応しいんだ。宝石なんかよりもずっと美しいから」
レオナルド様は事あるごとに私を褒め、甘やかし、笑わせてくれる。
私は自分でも知らなかった。愛されることが、こんなにも心を満たすものだなんて。
◇ ◇ ◇
一方で、かつての家族や婚約者の噂は次々と耳に入ってきた。
侯爵家は破産し、父は爵位を剥奪され地方へ追放。
母は社交界から爪弾きにされ、虚栄にすがって屋敷の隅で嘆いているらしい。
姉リリアはアランに捨てられ、彼女を嘲笑っていた貴族令嬢たちからも見放された。
そして、アラン本人もまた、裏切りと贅沢が露見して地位を失い、今は下級役職に落ちぶれたという。
かつて私を嘲笑い、利用し、踏みにじった人々は、みな落ちるところまで落ちていった。
「セレナ、復讐を望むか?」
レオナルド様が問う。
けれど私は小さく首を振った。
「もう、いいのです。……彼らを恨むより、私は今を大切にしたい」
「……君は、本当に優しい」
彼は切なげに私を抱き寄せた。
「そんな君だからこそ、俺は惹かれたんだ。セレナ……俺の隣で、永遠に微笑んでほしい」
◇ ◇ ◇
そして迎えた、王宮の大舞踏会。
煌めくシャンデリアの下、私は真新しいドレスに身を包んでいた。
レオナルド様が選んでくださった、深紅のドレス。
鏡に映る自分を見て、思わず息を呑む。
「……私じゃないみたい」
「違う。これが本当の君だよ」
彼はそう言って、そっと私の手を取った。
音楽が流れ、私たちは舞踏会の中心で踊る。
人々の視線が集まり、誰もが憧憬の眼差しを向ける。
――ああ。
かつて悪役令嬢と嘲られた私が、今は王子に愛され、堂々と胸を張っている。
曲が終わると同時に、レオナルド様が片膝をついた。
「セレナ。俺と共に、未来を歩んでほしい」
差し出されたのは、煌めく婚約指輪。
「わ、私なんかが……」
涙が頬を伝う。
「君じゃなきゃ駄目なんだ。俺の世界は、もう君なしでは成り立たない」
その真剣な瞳に、胸が熱くなった。
私は震える手で指輪を受け取り、彼に微笑んだ。
「はい……私でよければ、喜んで」
会場に大きな拍手が響き渡る。
◇ ◇ ◇
後日、瓦解した家族や元婚約者が、私に赦しを乞いに来たという噂を聞いた。
だが私はもう、彼らを振り返ることはなかった。
私の隣には、愛を惜しみなく注いでくれる王子がいる。
私の居場所は、過去ではなく未来にあるのだから。
「セレナ、幸せか?」
「……はい、とても」
「なら良かった。俺は君を一生、愛し続ける」
彼に抱きしめられ、私は心から微笑んだ。




